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彼女は胃袋を掴みたい


「では、ジルベルト様ごゆっくり」

「フィオ様が初めて作ったパンですよ! よく味わってお召し上がりくださいね!」

 

 ジルベルトが来て間もなく、リリアンとルシオはバタバタと仕事に戻っていった。

 

 朝食も終わったこの時間、急ぎの仕事など無いはずなのに。忙しい忙しいと呟きながら、リリアンは洗濯へ、ルシオは厨房へ、それぞれの持ち場へ散っていく。

 

 残されたジルベルトとエプロン姿のフィオレンティナは、不自然にも二人きりにされてしまった。

 しばしの沈黙が訪れる。


(あからさまに気を回されているな……)

 

 リリアン達のわざとらしさを見て呆気にとられていたが、とりあえずジルベルトは席についた。ここまでされては、彼等の気持ちも汲むべきだろう。

 隣には目を爛々とさせたフィオレンティナもいることだし……


「……食べてもいいのか」

「ええ、ぜひ召し上がってくださいませ!」


 彼女の熱視線に見守られながら、ジルベルトはパンをひとつ手に取り、いつものようにちぎって口に運んだ。

 

 少し固めに焼かれた表面の歯触りと、麦の混ざるプチプチとした食感は、ジルベルトにとって昔から馴染みのあるパンの味だった。

 ノヴァリス伯爵家に受け継がれているパンを、フィオレンティナはルシオの教え通り忠実に作ったのだろう。ちゃんと上手く出来ている。


「美味いな、ルシオが作っているパンにも負けていない」

「ふふ……ジルベルト様のお口に合って嬉しいですわ……!」

「しかし、なぜ急にパンなど焼いたんだ?」


 フィオレンティナは侯爵令嬢だ。ここにくる以前は、料理などすることは無かったはずだ。それとも料理が趣味のようなものなのだろうか、あるいはただの気まぐれか――

 

「リリアンに教えてもらったのですわ。愛されるには『まずは胃袋を掴む』のが有効なのですって」


 ジルベルトは思わずパンを吹き出しそうになった。

 このパンに、そんな罠があったとは。


「何だ、それは……?」

「あら、ちゃんと一理ありましてよ。リリアンは、ルシオに胃袋を掴まれたのですわ」


 リリアンは十六歳の頃、この屋敷でメイドとして働き始めた。最初は仕事も失敗ばかりで、人知れず落ち込む日々を送っていたらしい。

 そんな時に彼女の心を癒したのが、見習いコックであったルシオのまかないだった。失敗続きで凹んでいるところに染み込んでいくようなまかないの味は、新米メイドであったリリアンを励ましたという。

 

 いつしかリリアンはまかないだけではなく、ルシオ本人に惹かれるようになり――現在、二人は恋人同士だ。胃袋が繋いだ縁といっても過言ではない。


「おふたりの馴れ初めを聞いて、なんて素敵なのかしらって思いましたの……! わたくしもジルベルト様の胃袋を掴みたいと申しましたら、リリアンとルシオがパン作りを教えてくれたのですわ」

「そ、そういうことだったのか」

「今はパンだけですけれど、作れるものも増やしていくつもりですわ。次は何を作ろうかしら――」


 褒められて自信を得たフィオレンティナは、またなにか作る予定であるようだ。ジルベルトの胃袋を掴むため――ジルベルトの心を掴むために。

 

 ただの使用人であるリリアンやルシオの言葉を信じて挑戦してみるその姿勢は、少し心配になるほど素直である。

 けれどそんな彼女だからこそ、リリアンもルシオも手を貸したくなるのだろう。


(気持ちは分からなくもないな)

 

 フィオレンティナは誰に対しても壁がない。ここが田舎だからと見下すこともなく、些細なことに大喜びし、屈託のない笑顔を周りに向ける。

 そんな姿を見せられたら、彼女に対し好意的になっても当然かもしれない。

 

「フィオは、すぐに人と打ち解けられるのだな」

「え? そうでしょうか」

「ここへ来てまだ四日しか経っていないというのに、リリアンもルシオも君を受け入れているようだ」


 しかしフィオレンティナは「そんなことない」と首を振る。


「――ノヴァリス伯爵家だからですわ。リリアン達は親切で、ジルベルト様もお優しいから」

「うちだから?」

「ええ。王都ではわたくし、打ち解けるどころか話し相手すらおりませんでしたもの」


 彼女はどこか開き直ったかのように微笑んだ。

 

 一方でジルベルトは驚いた。こんなにも明るく人懐っこいフィオレンティナに、まさか話し相手がいなかったなんてこと、あるわけが――


「ジルベルト様もご存知なのでしょう? わたくしが、王都でどのように噂されていたか」

「それは……」

「ふふ。隠しごとが苦手ですのね。ソファの下から見えておりましたわよ」


 ジルベルトは、サッと青ざめた。

 ソファの下に隠したもの――王都でのあれやこれやが面白おかしく書かれてあるゴシップ誌だ。

 

 フィオレンティナには知られぬようにソファの下へ隠していたのだが――対面に座った彼女からは丸見えであったらしい。

 つくづく、慣れないことをするものでは無い……


「すまない。君には、あの雑誌を見せたくなかった」

「かまいませんのよ。どのようなことを書かれているのか、大体の見当はつきますし」

「あの内容を信じているわけでは無いのだが……」

「……本当にジルベルト様はお優しいですわ」


 そう呟いたフィオレンティナの瞳は、わずかに潤んでいるように見えた。

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