276話 妖狸との因縁
「蝦夷から帰ってきたばかりなのに、わざわざすまないね」
「いえ。現代では飛行機で、数時間の距離ですから」
6月末日。
修学旅行から帰った一樹と香苗は、良房から頼み事があると連絡を受けて、豊川稲荷に赴いた。
通されたのは、奥の院の裏手にあるお堂。
良房は白狐の女性を伴っており、4人で机を挟み、座している。
机上の茶菓子とお茶は、白狐の女性が出した。
――この白狐が、依頼人かな。
同伴の女性は、光に透けるような銀白の長髪だ。
その時点で人間ではなく、良房が同伴させていることから、白狐だと予想できた。
服装は、白と赤を基調とした装束をまとっている。色合いだけは巫女装束だが、白衣がエプロンドレスのように広がっており、房飾りも垂れ下がっているので、明らかに別物だ。
年齢は、不詳。
若く見えるおゆうが江戸時代の生まれなので、妖狐の外見年齢は、まったく信用できない。
一樹と目が合った白狐は、和やかに会釈をした。
「蝦夷まで生身で数時間とは、世の中は便利になったものだね」
「半世紀前には、そうなっていたと思いますが……」
感慨に耽る良房が想像しているのは、はたして何時代なのか。
もしも生前だとすれば、平安時代になる。
その頃も北海道は蝦夷と呼ばれていたが、朝廷に従わない東北地方の北部も含む、広い地域を指していた。
住んでいる人々も蝦夷と呼び、征夷大将軍の坂上田村麻呂に征討させた。
蝦夷の蝦は、エビのように髭が濃い、体毛が長い、背が曲がっている直接的な意味。
また蝦夷の人々の住居である竪穴住居や丸木舟などが、横から見るとエビの背中のように丸みを帯びた形状をしていたことに由来するとされる。
蝦夷の夷は、古代中国で東夷という異民族を指し、野蛮人、未開人、異民族を蔑む漢字だ。
大化の改新にて、良房の祖先・中臣鎌足が討った蘇我馬子、蝦夷、入鹿のうち、二代目の名にも付けたほどの蔑称であった。
良房の中では、それほど蝦夷への移動が大変なのかと思った一樹は、呆然とした。
「明日からは、陰陽師の一次試験だったか。お春達は、上手くやっているのかな」
「とても助けられています」
講師の面々を思い浮かべた一樹は、修学旅行中に小太郎と話していたことを思い出した。
「実は政府が、陰陽同好会の生徒1人につき500万円の交付金を出す、と申しておりまして」
「ふむ?」
「そこで使い切れない分を講師料に回し、5年目以降もおゆう先生に継続していただけないかと、花咲と話しておりました。いかがでしょうか」
「おゆうは、派遣した四狐の中で最年少だが」
呪力や経験が一番少ないおゆうの名が挙がったことで、良房が疑問を口にした。
「霊物の謝礼は、4年の派遣に対するものです」
「そういう話になっているね」
「5年目からは、謝礼が交付金だけになります」
派遣期間を4年としたのは、一樹が3年生の時の1年生が、卒業するまでを見越してだった。
後輩には凪紗もおり、凪紗に代替わりして評価が下がっては、面目を失わせる。
凪紗の下には、妹の綾華達が入会する可能性もあるので、そこまでは手配しておくつもりだ。
だが卒業後、面識のない相手にまで多くの手間をかける気は、一樹には無かった。
「交付金の半分を講師料に充てても、中級の四狐は雇えない金額です」
「交付金は、総額でいくらなのかな」
「今年は10億円弱でした。それが維持されても、講師料に充てられるのは、年間5億円です」
「なかなかの額ではあるね」
「C級陰陽師が週1回、D級妖怪を調伏すれば、稼げる額です」
D級妖怪の調伏料は、1000万円が目安だ。
1年間の365日は52週間と1日なので、1000万円に52週を掛ければ、5億円以上。
講師として数百人を教えるよりも、よほど楽で、責任も軽くて済む。
陰陽師の資格を持たない妖狐にも、稲荷社を通した依頼はあるので、講師でなければ収入が無いわけではない。
なお四狐のうち、おゆうを除く三狐が、C級の力を持っている。
三狐の誰かを雇うのであれば、ほかの講師は雇えなくなる。
だがD級上位のおゆうであれば、そこまでは必要ない。
「おゆう先生は、教育熱心で意欲的です。本人の意に沿うのなら、応じてくれるかと思いました。生徒数が多いので、余った分の交付金で、人間の講師も雇うつもりです」
「成程。おゆうに聞いておくことにしよう」
「ありがとうございます。ご無理でしたら別の講師を探しますので、おゆう先生の意志を尊重してください」
「そうするとしよう」
良房であれば、多少の無理は調整できてしまう。
本人の意志を優先するように願った一樹は、一息吐いて、湯飲みに手を伸ばした。
ふと香苗を見やると、『頼み事を聞きに来たはずですよね』と、視線で訴えている。
「……美味しいお茶ですね」
わざとらしく取り繕った一樹は、聞きの姿勢になった。
その様子を見て、良房も本題に入る。
「今日呼んだのは、香苗君に、彼女の手伝いをしてほしいからだ」
「手伝いですか?」
香苗は不思議そうに、白狐の表情を伺った。
すると穏やかな表情を浮かべながら、白狐は名乗る。
「藤内伊代と申します。父は、七化けとも呼ばれた藤内狐。小出の姫松とは、同じ鳥取藩の妖狐として懇意だったそうですの」
「姫松は、土行護法神のことだよ」
良房の補足を聞いて、一樹は納得した。
千体の霊狐を取り纏める良房は、大半を自前で解決できる。
そうでなくとも、豊川りんが、大抵に対応できる。
一樹が頼まれたのは、花咲家の継承に関する中立的な立ち会いくらいだ。
浮かれ猫・小白の件では、依頼だと伝えながら、香苗に弁才天の御利益を与えさせた。
――今回の依頼も、香苗に土行を継承させる目的かな。
妖狐としての香苗は、豊川稲荷のコミュニティに属している。
霊狐達の庇護者である良房が、香苗を手助けするのは、大いにありそうな話だ。
香苗が土行を継承すれば、一樹にも大きな影響がある。
継承が目的で呼ばれたのだとすれば、一樹は万事に納得がいった。
「どのようなお手伝いでしょうか」
香苗も理解したらしく、傾聴の姿勢になった。
「まずは父である藤内狐について、お話ししますわね」
藤内狐とは、鳥取県米子市の戸上山に棲んでいた化け狐のことだ。
戸上山中の保食神社付近を根城とし、近郷の狐達を従えて、様々な悪戯をしたという。
年を経て体毛が白銀に輝いていたため、十内の白狐と呼ばれた。
彼は七福神に化けられる『七変化の玉』という先祖伝来の宝物を持ち、それで強い力を振るい、七化けの藤内狐とも呼ばれた。
仇敵である米子市の総泉寺裏山に棲む狸の一党を騙し、大名行列に化けたと思わせて、無礼討ちにさせた話は有名だ。
その後、米子市の両足院(曹洞宗寺院)の和尚に、八変化の玉を持っていると騙されて、七変化の玉に宝まで付けて交換した途端に宝物を壊されてしまった。
馬子(馬を引いて荷物や人を運ぶ職)によって、焼き鍬を尻に押し当てられた藤内狐は、慌てて法勝寺川で尻を冷やしたと伝わる。
そのため法勝寺川は、尻焼川とも呼ばれるようになった。
米子市の法勝寺川沿いにある戸上山には、藤内稲荷が建立されており、そこで祀られている。
なお島根県に伝わる唐内狐とは、同じ狐のことである。
「大名行列で狸を化かした狐の話は、聞いたことがあります」
「妖狸を化かすとは、実に立派な妖狐だね」
一樹が思い浮かべた伝承を口にすると、良房が力強く褒め称えた。
宝物の力に依存して、最後には落ちぶれた藤内狐だが、狸を騙した部分は立派らしい。
一樹は曖昧な苦笑いを浮かべて、宝を奪われて尻も焼かれた狐の批評を避けた。
「そんな父の仇敵である妖狸が、怨霊として現れました。『あれは化け比べではなかった。きちんと化けて見せなければ、七化けの娘であるお前を殺す』などと言っております」
「なぜ娘のあなたに言ったのでしょうか?」
「復活した時、父が鬼籍に入っていたからのようですわ」
「それは迷惑な話ですね」
「まったくですの」
伊代は、とても迷惑そうに断じた。
実際に彼女は何もしていないのだから、取り憑かれて迷惑というのは分からなくもない。
一樹も父親の和則が祓えなかった怨霊が出たところで、その怨みは父に対するものではないかと思わなくもない。
だが怨霊が子孫代々に祟ることは、良くある話だ。
子孫に祟ることで、怨念を晴らせて、抑止効果もある。
親の罪を子に及ばせることは、現代法では認められないが、怨霊には知ったことではない。
「ですが、あたしに持ち掛けたのは、何故でしょうか。変化は、そこまで得意ではありません」
香苗は小さく首を傾げながら、良房に指名の理由を尋ねた。
「変化の術に秀でた妖狐であれば、霊狐塚に居る」
「そうですよね」
「だが、藩外から妖狐を出せば、妖狸も同じことをする。それで、大戦争をしたこともあってね。犠牲が大きかったから、なるべく避けたいところだ」
「はあ……」
香苗は、面倒そうな顔を浮かべて、溜息を吐いた。




























