3.王宮暮らし
王宮に来て、一週間が経った。王宮にある中庭が、私とリアの密会場所になっていた。といっても、会う約束をしているわけではない。光の当たる小さな庭園はとても居心地がよく、私は入り浸っている。そこに王子が来るのだ。今日もいつもと同じように王子が来たが、まだ一度も挨拶を交わしていない。
「なぁ、そう怒るなって」
「リアの嘘つき」
「仕方ないだろう? 父さんだって暇じゃないんだ、ガキの相手なんかしてらんないよ」
ーーそう、この王宮暮らしが始まって一週間も経つのに、初めにあって以来一度も王と会えていないのだ。これでは何のために、ここにいるのかわかったもんじゃない。
「またここにいたのか、リアム」
中庭に来た兄様は大きくため息をついた。その額には玉のような汗が浮かんでいる。おそらく、朝の鍛錬を積んだ後なのだろう。
私とは違って、兄は美しい顔立ちをしている。プラチナブロンドの髪に、凛々しい目元。目の色は青く、本当に同じ親から生まれて来たのかと疑問に思うほど綺麗である。
そんな劣等感から、私はひねくれていったわけだが。
「すまないな、ミシェル。リアムが迷惑をかけてはいないか?」
「いえ、そんなことありません。むしろ、私が構っていただいているので」
「そうか、それならいい」
兄と妹の会話にしてはぎこちない。これでもマシになった方だった。初めは受け答えをすることすらままならず、目があってもすぐに逸らしてしまっていた。
「相変わらずだな、お前ら。俺の方がよっぽどミシェルと仲良いぞ、な?」
「そんなことないと思いますけど」
この一週間で、二人でいるときはすっかり敬語が抜け落ちていた。リアが堅苦しいのは嫌だと駄々をこねたせいだ。もちろん今は兄がいるからきちんと敬語を使うけれど。ほんとに、どこまで私の王子様像を壊すんだか。
「……リアム、そろそろ訓練が始まるぞ」
兄様の言葉に、リアは「あぁ、」と頷く。
「そういえば、今日はアイツが来る日だったな」
「アイツ?」
「ずっと前からいる魔道士だ。時々王宮に来て、俺とシエルに魔法の訓練をしている」
「へぇ、そうなんですね」
ずば抜けて二人の魔法の出来が良かったのはそのせいなのか、と思う。
「私も訓練やりたいです」
私がそういうと、リアは「お、やるか?」といたずらに笑う。けれどそれを遮ったのは、他でもない兄様だった。
「ミシェルにはまだ早いよ。大体、僕らが習ってるのは攻撃魔法だ。女の子が攻撃魔法を使うのは、あんまり褒められたことじゃない」
これが、リアの言葉だったら反論できた。けれど兄様に言われたために反論できず、俯いた。
「そう落ち込むなって。シエルはお前が嫁に行けなくなるんじゃないかって心配してるんだ」
「お嫁になんて、行きたくないですから」
恋愛はもう懲り懲りだ。どうせ王様に嫁ぐことはできないのだから、それならば誰にも嫁がないで修道女にでもなった方がマシだ。
「仮にも婚約者の前で言う台詞とは思えねえな」
リアは苦笑していたが、申し訳ないとは思わない。
「リアは、リーシャって人が好きなのでしょう?それなら、私を婚約者にしないでその人を婚約者にするべきだと思います」
リアは少し目を瞬いて、それから大きなため息をついた。
「聞いてたのか。ーーまさか、だからあそこで俺の婚約者になることを拒んだのか?」
「それは違います。聞いてても聞いてなくても、リアの婚約者になることを拒みました」
「なんでだよ」
「タイプじゃないからです」
「は?」
「だから、タイプじゃないんです」
リアはイケメンだし、その顔を好むものは大勢いるだろう。地位だって申し分ないし、気さくな性格を好むものもきっといる。現に十年前の私は彼に恋をしていた。けれど、なぜか今の私は好きだとは思わない。
ただ、それだけだ。
「あ、そういえば魔導士様ってどんな人なんですか?」
ぽかん、としていたリアはハッとしたように話し出す。
「変わった人だ。噂では一千年も前からいるとか」
「そんなに長生きする人間なんているんですか?」
「あぁ、それはーー」
リアが何か言おうとしたとき、その言葉を遮るように兄様がリアの名前を呼んだ。
「リアム、無駄話はそれくらいにしろ。早くしないと遅れる」
「あぁ、わかってるさ」
たしなめるような兄様の視線に、リアはやれやれと首を軽く横に振った。
「真面目だな、シエルは。少しは肩の力を抜いたらどうだ?」
「お前が力を抜きすぎなんだ。少しは自重しろ」
そんな兄様とリアのやりとりを見ながら、ぼんやりと考える。兄様もリアも、人を魅了するような力を持っている。見た目もそうだが、何か惹きつけられる感じがするのだ。そしてそれは、王や父様にも言えること。それに比べて、私には何もない。
ーーやはり、出来損ないなのだろうか。
「ミシェル?」
ふわり、いつもと変わらないお日様のような匂いに包まれる。
「近いです、リア」
「なんだ、照れてるのか?」
「照れてないです!」
否定する声はいつもより強かった。リアもそれに気づいたのか、一瞬口をつぐむ。思わず自分の口から、あ、と声が漏れた。すると、リアは地面に片膝をついて私の目線よりも下から見上げてくる。
「どうした? なにか気になることでもあったか?」
リアは怒らない。私のことを気遣って、優しくしてくれる。それが今は、とてもつらいと思った。自分とリアの格の違いを見せつけられているようで。
「なんでも、ないです」
私がそう言うと、リアは「そうか」と立ち上がって私の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「なっ、なにするのですか!」
「いいだろ、どうせミシェルは今日部屋で引きこもりなんだ」
「だからといって……」
「いい子にしてるんだよ、お姫様」
いたずらな笑みを浮かべて、リアは兄様と行ってしまった。一人きりになり、部屋に向かって考え事をしながら歩きだす。
リアは頭がいい。これは一緒にいてわかったことだ。
まるで平民のような粗雑な口調で話すが、それはおそらく相手との壁を作らないようにするため。それに人の感情の機微に敏感だ。だからきっと今、リアは私の様子が変だとわかって、わざと軽口を叩いた。声を荒げた私に怒ることもしなかった。
私を兄様と二人きりにしないのも、何かを勘付いているのだろう。全くもって、敵いそうにない。
「おや、ミシェル嬢」
不意にかけられた声に、勢いよく顔を上げた。
「ほう、そうか。つまりそなたは、自分だけが落ちこぼれのような気がしてしまうんだね」
王の膝の上に座りながら、こくんと頷く。しかし緊張で正直それどころではない。どうしてこうなったのかといえば、廊下で偶然王に会ったあと、お茶をしようと誘われたのだ。
そして抱き上げられて、私を抱いたまま王が座ったため王の膝の上に私が座る形になっている。
王に悩んでることでもあるのかい?といわれ、うまく誤魔化せる気もしなかったため本当のことを話して現在に至る、と言うわけだ。
「王様、どうして私だけ、その、可愛くないんでしょう?」
そう言って王様を見上げると、王様は面食らったような顔をした。
「何言ってるんだい?ミシェル嬢は今のままでも十分可愛らしいだろう」
「違うんです。私の母様は美人で、父様はすごい強くてかっこよくて、兄様もすごくかっこいいのに…私だけ誰にも似てないんです」
貴族というにはあまりに凡庸な顔立ちだった。王族や剣聖一家はみな顔が整っているというのにもかかわらず。
「私もみんなみたいにかっこよくて、可愛かったらよかったのに」
そうしたらあの悲劇は、起こらなかったかもしれない。兄のすべてに嫉妬し、奪おうとした。結果として私は、殺された。
「ミシェル嬢」
王の声に、いつのまにか俯いていた顔を上げる。
「ミシェル嬢は私が知る何よりも美しいよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。けれど言われたことを頭で反芻して、ようやく理解した頃には顔が真っ赤に染まっていた。
王はそんな私を見てクスクスと笑い、それからしっかりと私の目を見つめた。
「だから自信を持って。ミシェル嬢にはミシェル嬢の魅力がある。リアムにも、シエルくんにもない魅力がね」
王様の言葉は、魔法みたいだった。心の中にあったわだかまりが取れていくような、そんな気がした。
「ありがとうございます」
私が微笑むと、王様も笑ってくれた。やっぱり好きだな、と思う。けれど思いを告げるにはまだあまりにも幼すぎて、冗談だと受け取られてしまいそうだった。だから口にはしない。けれどいつか、王にふさわしい淑女になれたら、この思いを告げよう。
心地いい体温にまどろみ、そっと目を閉じた。
「ーー可愛いミシェル嬢。私がおそれているのは、純粋なそなたが誰かに惑わされて利用されてしまうことだよ」
どうか、神の御加護があらんことを。
腕の中ですやすやと眠る小さな少女に、王はそっと呟いた。