海賊編(4)「これでも昔は」
「あ、あの、ガルドさん、部屋には行かないんですか?」
食事をとったら、一度部屋に戻るのがこれまでの行動パターンだった。だからだろう、彼女は部屋を通り過ぎたガルドを訝しんだ。
先程までの、今にも溶けて消えそうな雰囲気は掻き消えている。そのことに多少の安堵を覚えながらも、表情には出さないように努めた。
「探し物だ」
ぶっきらぼうに答えれば、満足したのか否か、キャルリアンもまたむっつりと黙り込む。
通路の一番端にある物置部屋に到着すると、ドアを開け放つ。中には、所狭しと様々な物がざっくばらんに置いてあった。大半は次に機会があれば捨てようと思っている物なのだが、面倒臭がって捨てにいかず、今に至る。これが重量のある物であれば、逆に捨てに行かねばという気分になるのだが、小物ばかりだからと後回しにしていた。
……が、久々に見ると、さすがに目に余った。次に町に行った時には必ず整理する、と心に決めつつ、足を踏み入れる。
キャルリアンは悲惨な室内に躊躇する素振りすら見せずに、後に続いた。
「さて、どこだったか……」
「私も探しますよ?」
自分を指差したキャルリアンに、それならば、と探し物を口にする。
「靴を探してる」
なるほど、と頷いた彼女は、いくつかの山に視線を走らせ、それらしい物を探し始めたようだ。
お互い、しばし無言で手と目を動かす。ジャラジャラと鎖の音だけが響いた。
「あ、これですか?」
掲げられた物を確認すべく、顔を上げた。小さな手には不釣り合いな、大きな薄汚れたブーツ。
「明らかにサイズ合わないだろ」
「え」キャルリアンの視線が、ガルドの足元に向く。「そう、ですか?」
目の動きで、彼女が思い違いをしていることに気付く。自分の与えた情報を頭に浮かべ、無理もない、と肩を竦めた。靴、としか言っていない。誰の、とも、どの大きさの、とも。心得たとばかりに探し始めたので、失念していた。彼女はつまり、ガルドが自分の靴を探しているのだと思ったらしい。
「それじゃない」
自分に非があることを認め、頬を掻きながら近寄る。
「これ、どこにあった?」
彼女の手から靴を抜き取る――これは自分の物より小さい。大方、シガタの物だろう――。持っていた靴を奪われたキャルリアンは、あっちですよ、と未だ事情がわからず不思議そうな面持ちで、物の一角を指差した。見れば、確かに古くなった靴の山。使い古した物から割合綺麗なものまである。ガルドの海賊団には、ミリュリカとゾイという、まだ成長の余地が残るお子様がいるのだ。それにしたって、溜め過ぎだが。
お子様二人組の靴を中心に、手に取る。こっちに来い、と言えば、彼女は大人しく指示に従った。
「これ履いてみろ」
まず渡したのは、ミリュリカのお古だ。おそらく小さいだろう。放り投げられたソレを危なっかしい手つきでキャッチしたキャルリアンは、しかし目を白黒させたまま固まっている。
「わ……私、が、ですか?」
何かの間違いではないですか? 聞き間違いではありませんか? と疑ってかかっている。
「じゃなきゃ渡さねーよ」
半眼で睨めば、弾かれたように動き出す。慌てて履こうとして、今度は転倒しかける。思わず手が出そうになったが、その前になんとか自力で持ち直したようだ。
「履き慣れてないクセに、立ったままは止めろ。危ないだろ」
「い、いえ、そんなこと、これでも昔は――」
そこまで言って、キャルリアンは口を噤んだ。神妙な顔つきは、先程食堂で見た表情と被る。
「昔? 奴隷になる前ってことか?」
「奴隷じゃっ……あ、でも、それに近いので、間違ってはいない、です」
ふうん、と気の無い返事をしながら、思考はしっかり回転していた。靴をきちんと履くような生活をしていたということは、ある程度“普通の”生活を送っていた子供だったのだろう。加えて、その後は、奴隷のようなものであり、奴隷ではないと言う。――ああ、ますます厄介な絵しか浮かばない。
それなのに船から追い出すという選択肢を完全に除外し、物を与えようとしているのだから、これはもうシガタに揶揄されても仕方がない気もした。
認めよう。ふ、と息を吐く。下手くそでも生きようとし、変な部分で度胸を見せるこの臆病な少女を、自分は割と好ましく思っている。少なくとも、手を貸してやろうと思う程度に。
「……とりあえず、座れ」
近くに置いてある木製の空箱を指差した。転倒されたら堪ったものではない。
「あ。これ、小さいです」
どう頑張っても踵が入らず、眉尻を下げた彼女を一瞥する。
「ならこっちは?」
「は、はい」返事をしながら、靴を受け取る。試して、首を振った。また小さいようだ。
何度も繰り返し、履ける物を探す。少し大きい物は、脇に避けておく。この中で一番近い物を選ぶ予定だ。
これよりさっきのやつの方がまだ良いか。こっちはどうだ。箱に腰掛けたキャルリアンの足元で忙しなく動いていると、気付けば彼女はまた例の表情になっていた。
「さっきから、なんだ」
声を掛けると、我に返ったように目を見開く。
「すみません。あの、……同じような出来事が、過去にもあったこと、思い出してました」
小さい頃の話だろうか、彼女が、逃げ出してきたところに入る前の。おそらくは、普通に暮らしていたであろう日々。それにしては素直に懐かしむ様子でも無い。戸惑い方が余程強い感情のように見えた。
「へえ。楽しかったか?」
「はい」くしゃり、と顔が歪む。泣き笑いのような、表情。「私はその時、とても幸せに感じていたと記憶しています」
座った彼女の前で跪いていると、いつもならてんで合わない視線が、真正面から絡み付く。どうしようもない悲哀の奥に、それでも崩れてはならないという意地を感じた。ふと手元に目を落とせば、膝の上で震える程にきつく握り締められた、細く小さな手が視界に入り込む。あーあ、あんなに服まで一緒に握ったら、皺が寄る。その手を解かせようと指先が動き掛け、――やめた。
今はまだ触れるべき時ではないと思った。
無理に泣き崩れさせたいわけでは、ない。
世の中には、自らが手を伸ばさなければ意味を成さないものがある。ガルドはそう思っている。だからだ。
「今は楽しいか?」
「…………はい」
その答えだけで今は――。
手に持った靴を、彼女の足にするりと履かせる。
「あ……」キャルリアンの驚いた顔。予想外だと言わんばかりの。「これ、これピッタリです!」
「ぁん?」
言われ、爪先やかかとの部分に触れる。確かにこれまでに無いくらいサイズは合っている。多少の調整は必要だが、それだけだ。
驚いた。彼女の足に合うものが、まさか靴の山の中に眠っていたとは。
「磨けばちっとは綺麗になるか。古いから、森を歩くのは少々不安だが」
――そうでなくても、この娘を歩かせることには心配要素が多大にあるのだが。
彼女の足から靴を脱がせる。何度か着脱を繰り返していたためだろう、彼女の足に巻いていた包帯が緩んでいる。緩んでいた布を整え、結び目を整えていると、頭上からキャルリアンの声が降ってきた。
「あの石碑を見に行くんですか?」
「……ああ」
言われて、気付く。事情も何も説明していなかった。
「お宝は見つかったんですよね」
こてりと首を傾げるキャルリアンに「そうだな」と返す。だったらどうして、と言いたげな顔を見て、刹那、迷った。
協力を頼むということは、自分の事情を話すということだ。事情を話すということは、自分の秘密を曝け出し、弱みを見せるということでもある。当たり前のことなのに、頭が働いていなかった。最も不可解なのは、それでも構わないか、と既に片隅で思い始めている自分自身だ。
情を傾けてしまっている。自分で思っているより、大きく。




