二十.うちだし(その2)
劇場の外に出る……。
外は、すっかり真っ暗だ。
すげぇな……劇場の中に、五時間も居たんだ。
「あ……清香さんが、待ってて下さっているわ」
愛美さんの指差す方向を見ると……。
清香さんが、すでに駐車場から車を廻してくれていた。
「さあ……恵ちゃん」
来た時と同じ座席に……再び乗り込む。
車が、走り出した途端に……ぐったりする。
何か疲れた……。
今日は、色んなことがありすぎだ……。
「……まず、恵介さんのアパートに向かいますわ」
清香さんが、運転席からオレたちにそう告げた。
「え……みなさんは?」
みんな、どこに住んでいるのか知らないけれど……。
お姉さん方を差し置いて、先にオレのアパートへ行って貰うのは申し訳が無い……。
「あたしと綾女さんは……今日は、愛美ちゃんの家にお泊まりよ」
加奈子さんが、そう言って微笑む……。
「観劇日は、いつもそうなの。ちゃんと、明日の学校の準備もしてきているし……」
……明日?
ああそっか……オレは公立の中学生だから、土曜は休みだけど……。
この人たちは、私立のお嬢様校の高校生だ……。
明日も学校があるんだ……。
「……恵ちゃんも泊まっていく?お祖母様にも会って欲しいし!」
愛美さんが、またとんでもないことを言い出す。
「……いえ、あの」
「別に、遠慮しなくてもいいのよ……どうせ、すぐに家に来るんだし」
そうは、約束したけれど……。
今夜すぐってのは……。
「もしかして……恵ちゃん、恥ずかしいの?」
……そんなの。
……恥ずかしいに決まってる。
こんな元気なお姉さん方とお泊まりなんて……。
想像するのも怖ろしい……!
「あの……うちは、バァちゃんが待ってますから……!」
オレは、そう答えた。
そうだ……オレのアパートの部屋では……。
……遺影と遺骨のバァちゃんが、オレを待っている。
「……そうだったわね。ごめんなさい」
愛美さんは、小さくオレに謝った……。
夜の都心を軽やかに走る……ロールス・ロイス。
……ビルと街灯の光が綺麗だ。
「ね……恵介さん」
不意に……。
加奈子さんが……自分のカバンの中から、ちょっと大きめ本を取り出す……。
「……これを見て」
助手席の綾女さんが……スッと手を伸ばして、ルームランプを点けてくれた。
「多分……恵介さん、知りたいだろうと思うの……!」
車内灯の光の下で見る、その本は……。
……歌舞伎の『俳優名鑑』?!
加奈子さんが……本を開いて……パラパラとめくる……。
そして、あるページをオレに示した……。
そのページには……黒い和服を来た中年の俳優さんが、ニヤリとニヒルに微笑んでいる……。
写真の解説文は……こう書かれていた。
[四代目・仲代恵太郎/本名、江崎新。
屋号は初春屋。日本舞踊・紺碧流名取り。
豊かな演技力に定評があり、二枚目から実悪、色悪など男役を主に演じる。
歌舞伎界随一のプレイボーイとして、若い女性客に人気が高い。
父は、七代目仲代緑郎左衛門。母は日本舞踊・紺碧流家元、紺碧撫子]
……この人か。
オレに似ているのか……?!
何か……変な顔をしているぞ、この人。
「その本……恵介さんにあげるわ。歌舞伎の世界の人のこと、なるべく知っておきたいでしょ?」
加奈子さんが、そう言ってくれた。
それは、つまり……。
できるだけ、『知っておけ』ってことですよね……!
この先、緑郎左衛門先生の『付き人』をしていくために……。
「ところで……恵介さん」
加奈子さんは……話を変えた。
「あなたが、先生の付き人として働くのは……お祖母様の納骨が終わった後よね……!」
……え?!
「それまでは……愛美ちゃんの家には、住まないんでしょ?」
確かに……そういう約束だけど。
「いや、オレは今のアパートから通っても構いませんよ……仕事なんですから」
オレは……そう答えた。
「そんなに気張らなくていいわよ……うちに越して来てからで、いいと思うわ」
愛美さんが……オレに、そう言う。
「……でも」
オレは……なるべく早く、働き始めたい。
そうすれば……少しでも早く、借金を返せる。
「恵ちゃんも、さっきお祖父様のお話を聞いてたと思うけれど……歌舞伎俳優の仕事は、本当に深夜まで続くこともあるのよ。九時に劇場のお芝居が終わっても、お化粧を落として外に出る支度ができるのは十時過ぎでしょう。それから、取材とかお稽古とかが入ることも多いし……」
……うん。
覚悟は、できている。
「同じ家に住んでいるのなら、一緒に帰って来られるけれど……お祖父様が、毎晩、恵ちゃんを車で送り届けるのは大変だと思わない?」
……車で?
「そんなことしていただかなくても……オレ、一人で帰りますから」
「……電車の無い時間なのに?」
「……歩いてでも……帰ります」
愛美さんが、プクッと膨れて怒る。
「そんなこと、させられるわけがないでしょ!恵ちゃん、まだ中学生なんだから……!」
……確かに。
仕事が終わって疲れているのに……。
緑郎左衛門先生に、わざわざオレのアパートまで車で送って貰うのは……マズイよな。
「というわけなので……恵ちゃんの『付き人』は、うちに来てからということにしますっ!お祖父様には、あたしからそう言っておくから……!」
愛美さんに、また押し切られる……。
「でも、その方かいいと思うわ。その時期なら、夏休みでしょ?一日中、先生に付いていられるし……恵介さんが、色々なことを覚えるのに丁度いいと思うわ」
加奈子さんが、そう言ってくれた。
……うん。
金沢へ行くのが、七月の末だから……。
八月の休みの期間は、丸まる『付き人』の仕事ができる……。
「それで……恵介さんに、ちょっと相談があるんだけれど」
加奈子さんが……オレを見る。
「夏休みに入るのが、七月の二十日過ぎでしょ?それから、月末までの一週間ぐらいなんだけれど……恵介さんアルバイトしない……?」
……アルバイト?
「お祖母様のお墓代……なるべく早く、緑郎左衛門先生にお返ししたいんでしょ?」
「それは……そうですけど」
加奈子さんが……ニッと微笑む。
「恵介さんにね……丁度、良いお仕事があるのよ―」
「でも……それって、中学生でも雇ってくれるような仕事なんですか……?」
オレには……それが一番、心配だ。
「大丈夫よ。その辺はどうにかするから……!」
……えええ?
ど……どうにかするって?!
「……あの、一応お尋ねしますけれど……それって、どんな仕事なんですか?」
加奈子さんは……答えた。
「恵介さんが、緑郎左衛門先生のところでするお仕事と一緒よ……!」
……まさか。
……『付き人』?!
「……うちの父の『付き人』なんだけどねっ!」
……ええっと。
……うちの父って。
あの……俳優の洞口文弥さんですよね。
ヤクザと警察官専門の……!
「ちょうど、父が『付き人』を探していたのよ。七月の終わりに、一週間ぐらいの撮影期間で映画のお仕事があるのよ。うちの父の主演だから……低予算のアクション映画なんだけどね……!」
ああ……。
刑事とヤクザが、殴り合うか、撃ち合うかするんだな……。
洞口文弥さんは、どっちの役か判らないけれど……。
「良いギャラを出してくれるように……父には、わたしが交渉するわ……!」
加奈子さんは、そう言ってくれるけれど……。
「緑郎左衛門先生の『付き人』になる前に……他の現場で『付き人』の仕事に慣れておくのも悪くないと思うんだけど……。それにね……うちの父の場合、今、探しているのはサブの『付き人』なのよ……!」
サブの……『付き人』?
「うちの父には、もう三年くらいずっと『付き人』をして下さっている三輪さんて人がいるの。基本的なことは、その人がするわ。でも……今度の映画は、父の主演でしょ?そうなると、共演して下さる役者さんたちにも気を遣うし……『付き人』が一人だけじゃ、手が足りなくなるのよ……!」
だから……その撮影期間だけ限定で、サブの『付き人』が必要になる……!
「『付き人』としての仕事の基本は、その三輪さんが教えて下さると思うわ。恵介さんのお仕事のお勉強には、とっても良い機会になると思うんだけれど……」
……うん。
……なるほど。
「いいじゃない。恵ちゃん、やってごらんよっ!」
と……愛美さんは、オレの肩を突っつく。
「こんな機会、なかなか無いわよ!映画の撮影現場なんて……!」
それは……そうでしょうけど。
「……あー!もしかして恵介さん、うちの父のことが怖いのかしら?」
加奈子さんが、クスッと笑う。
そりゃあ……怖いですよ。
……めちゃめちゃ怖いです。
「洞口さん、お顔は怖いけど……お優しい方よ」
……そりゃ。
愛美さんたちには……でしょ?!
「……意外と、根性が無いんだな」
助手席で……綾女さんがそんなことを言う……!
「えーっ!、根性なら恵ちゃん、誰にも負けないわよ、ねえ…!」
愛美さんが、加奈子さんの顔を見る。
「そうね……わたしも恵介さんは、とっても強い人だと思うわ……!」
……もう!
「……判りましたよ。やります。やりますからッ…!」
……ええい。
男が、こうまで言われて……断れるか!
「じゃあ……父には、明日にでも話しておくわ!」
加奈子さんが、嬉しそうに微笑む。
……はぁ。
……今年の夏休みは、きっと地獄になるな。
七月中は……映画の撮影現場で……。
八月からは……歌舞伎の劇場だ……。
「そうそう……撮影現場には、あたしも毎日行くから!」
って……加奈子さん?!
「あたしも出演するのよ……その映画」
……は?!
「加奈子さんの……デビュー作になるのよ!」
愛美さんが……そう、言う。
……そりゃ。
加奈子さんは、映画女優になれるぐらい綺麗ですけれど……!!!
「……あ、もちろん、お姉ちゃんも見に行くからねっ!」
……愛美さん?
「……恵ちゃんが働いているところ、見たいもの。あたしっ!」
……オレは。
あんまり見られたくないなあ……。
「……愛美が行くのなら……わたしも行く!」
……は、はぃぃぃ?!
……綾女さんまで!
「加奈子さん、詳しいスケジュールを教えてちょうだい!」
「判ったわ……愛美ちゃん!」
『地獄で仏』とは、よく言うけれど……。
『地獄』でこの三人組に会うのは……。
何か、さらに地獄度がアップするような気がする……!
「ところでさ……恵ちゃん」
愛美さんが……オレに声を掛ける。
「……はい?」
「あのね……お姉ちゃんも…恵ちゃんに一つ、お願いがあるんだけど……!」
……この上、まだ?!
「……な、何ですか?」
これまた地獄行きか……。
これ以上の地獄って、あるのか……?
「さっきのお祖父様とのお話で……恵ちゃん、うちの学校に転校してくることになったわよね……!」
……ああ、そんな話があった。
同じ学校へ通って……愛美さんの送り迎えのボディガードをしろって。
恥ずかしいけれど……。
中学を卒業するまで、後、半年だし……。
それぐらいの期間だけ、ガマンするのなら別にいいかと思っていた。
「はい……天覧学院に転校するんですよね、オレ」
……えっと。
今から転校するとしたら……。
七月末までは、緑郎左衛門先生の『付き人』はしないし、家にも行かないんだから……。
やっぱり、二学期からになるよな……。
夏休みが明けてからだ……うん。
「それなんだけれど……あたしは、今すぐ転校して来て欲しいのっ!」
……今すぐ転校?!
……だって。
もう、七月に入るし……。
一学期のこんな変な時期に、わざわざ゛転校しなくても……。
「いや……それは……」
「恵ちゃん……お姉ちゃんのお願い、聞いてよっ!」
愛美さんが、真剣な顔で……オレを見る。
……えっと。
「でも……ほら、天覧学院て、すっごい名門校じゃないですか。そもそも、オレ……転校させて貰えるかどうかさえ判らないのに……!」
保護者はいないし……。
オレ……成績悪いし。
……チビだし。
「そんなの平気よ!できるだけ早く……絶対に、夏休み前に転校して来て欲しいの!」
……あの、何で?」
正直……意味が判らない。
えっと……。
もしかして、本当にボディ・ガードが必要な状況とか……。
ストーカーに追いかけられてるとか……。
悪いやつのイジメに遭っているとか……。
……いや。
愛美さんの表情を見る限り……そういうことでは、無いみたいだ。
とにかく……一刻でも早く、オレに転校して来て欲しいらしい。
「……わたしが、伯母に話してみようか?」
綾女さんが、助手席からそう呟く……。
「……わたしの伯母、天覧学院の理事だから」
……え?!
「そうなのっ!お願い、綾女さんっ!」
愛美さんが……お願いしてしまう。
「……判ったわ」
綾女さんがは、そう一言だけ答えた。
「よかったわね、愛美ちゃん……!」
「うん……これで、問題解決よ。加奈子さんっ!」
問題解決って……何の?!
「恵ちゃん……これでお姉ちゃんと一緒の学校だよっ!」
……こうして。
またしても、オレの意志は完全に無視されたまま……。
オレの転校は、半ば自動的に決まってしまった……。
「何よ!……嫌なの、恵ちゃん?!」
愛美さんが、オレを睨んでいる。
「いや……そんなことは無いですけれど」
とにかく……。
オレの頭の中は、『???』でいっぱいになっていた。
そして……オレたちを乗せた車は、夜の東京の街を疾走していく……。
もうすぐ……オレのアパートに着く。
今夜は、バァちゃんに報告しなければいけないことが、たくさんある……。
さてさて、そろそろ終局に向かいます。
では、また明日。




