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二十一.まぼろし(その1)




 七月の半ば過ぎ……。

 夏の光線が、眼に眩しい……。

 まだ、早朝だというのに……ムッとした熱気が、すでに町を包んでいた……。


 あの夜から……三週間が、経った。

 オレはまだ……ボロアパートに一人で暮らしている。

 と言っても……引っ越しの準備は、終わっている。

 オレは……段ボール箱、三つ分の荷物だけ抱えて……。

 今月の終わりに……緑郎左衛門の家に行って、住み込みで働くことになる。

金沢のお墓への納骨は……七月の三十日に決まった。


 先週、愛美さんのお祖母さん……撫子先生にも会った。

 緑郎左衛門先生から「……『付き人』として働く前に、打ち合わせしておきたいことがある」と連絡を貰ったので……指定されたホテルまで行ったら、撫子先生と愛美さんも来ていた。

 撫子先生は……上品そうな、白髪のお婆さんだった。

 紫色の和服を着ていた。

 痩せているけれど……さすが、日本舞踊の家元らしく、背筋がスッと伸びている。

 優しげな表情で……オレのことを見ていた。

 それで……緑郎左衛門先生が、「たまたま家族で集まることになった。これから、みんなで夕食を食べる予定だから、恵介も付いてこい。ご馳走してやる」と言うから……。

 オレは……なぜか、皆さんと一緒にホテルの中のスペイン料理のレストランへ入ることになって……。

 オレ……お店のメニューの中で、一番安い料理を頼もうと思ったんだけど……。

 どういうことだか……店員さんは、メニューを持って来てくれなかった……。

 何じゃこりゃ……と思っていたら……。

 愛美さんが、「今日はコースだからねっ……!」って、言う……。

 「『コース』って何ですか?」って、オレが尋ねたら……。

 「お料理は全部、『シェフにお任せ』ってことよ!」と、笑われた……。

 ……うん。

 ……凄いよな。

 ……お店の料理人に全部『お任せ』なんて。

 お客が、その時食べたい物を注文できないのに……。

 そんな商売の仕方で、よくお店が繁盛しているよな。

 なんて、思っていたら……。

 ……これがなんと。

 ……美味い。

 とにかく……そのお店は全ての料理は、最初から終わりまで……。

 もう、とんでもなく美味かった……!

 おれの頭の中の『この世の中で、一番美味いと思う料理』が、『海老フライ』から『イベリコ豚』に変わるぐらい……。

 『海老』よりも美味い『豚肉』が、この世にあるなんて……!!!

 オレ……何か、イベリコ豚を食べているうちに涙が出て来た……。

 こんなの……死んだバァちゃんにも、食べさせてあげたかった……。

 そんな、オレに……。

 撫子先生が、「そんなに気に入ったんなら、私の分もあげるわ」と言って、自分のイベリコ豚をオレにくれた。

 それから……小柄なオレの体格を心配して……。

 「たくさん食べなさい。私には量が多くて、食べきれないから」って……どんどん、自分の料理を勧めてくれた。

 撫子先生は……とっても、良い人だった。

 この人が……オレの父親の母親。

 つまり……オレのもう一人の祖母に当たる人……。


「……恵ちゃん、まだぁ?!」


 アパートのドアの向こうからの声に、ハッとする……。

 そうだ……今朝は、これから……!


「……今出ますッ!」


オレは、バァちゃんの遺影に手を合わす……。


「じゃあ、行ってくるね……バァちゃん」


 遺影のガラスに映る……天覧学院の夏の制服を着た、オレ……!

 玄関で……真新しい革靴を履く。

 この靴は……ベルトと一緒に、一昨日、愛美さんと買いに行った。

 革靴は、一万二千円。

 ベルトは、三千二百円だ。

 愛美さんときたら……いきなり、オレにブランド物の五万八千円の革靴を買ってくれようとするから……必死に頭を下げて、カンベンして貰った。

 オレは……生まれてからこの方、三千円以内の靴しか履いたことが無いんだから……。

 五万八千円なんて、このアパートの家賃より高い……。

 自転車だって、五台くらい買えちゃうじゃないか。

 「通学用にそんな高価な物を買うなんて、おかしい」と主張するオレと……。

 「そんなことないから、お金のことは気にせずに良い物を買いなさい」という意見の愛美さんの対立がしばらく続き……。

 二人で小一時間ほど協議した結局……。

 最後は、愛美さんの「恵ちゃんが変な格好をしていたら、お祖父様やあたしがみんなから笑われるのよ!」と言う一言で……オレが、折れた。

 それで……一万二千円の靴を買うことで落ち着いたのだ。


「……もう、置いてっちゃうわよっ!」

「あ……すみません」


 玄関のドアを開けると……あの美しい笑顔がある。

 オレよりも背が高い……大人っぽい顔をした、ちょっとだけ年上のお姉さん……。

 愛美さんは……オレの姿を見ると、シャツの裾の辺りをちょちょいと直して、


「ん……これでいいわ。恵ちゃん、その制服似合うねっ!」


 と……言ってくれた。


「……さあ、行こうっ!」


 アパートから少し歩いた大通りに……ロールス・ロイスが停まっていた。


「すみません、わざわざ迎えに来ていただいて……」


 オレは……運転席の清香さんにお礼を言った。

 今日は、オレの転校初日……。

 愛美さんと清香さんが、特別に車で迎えに来てくれたのだ……。

 というか……清香さんは、地方興行中の緑郎左衛門先生の代わりに、オレの事務手続きの書類なんかを預かって来てくれている。

 撫子先生は……お仕事で、パリに行っているらしい……。


「気にしないで下さい……今朝は、愛美さんと朝稽古を少し早く切り上げてきましたから」


 清香さんは、そう言ってオレに微笑んでくれた。


「……朝稽古?」

「ほら……あたしの家には日舞のお稽古場があるんだけど……昼間から夕方に掛けては、毎日、お教室があるでしょ?自由にお稽古できないから、内弟子の清香さんたちやあたしは、夜遅くと朝早くに自主練習をしているのよ!」


 愛美さんが、笑って説明してくれた。

 ……そうだよな。

 この人たちは、日本舞踊の鍛錬を中心に生活しているんだっけ……。


「……さあ、参りましょうか?」


 車が……走り出す。

 清香さんの運転するロールス・ロイスは、朝の道をスイスイと走っていく……。


 綾女さんの伯母さんの理事の口添えがあったおかげで……。

 オレの転校は、すぐに許された。

 と言っても……一応、転入試験とかもあったし……。

 緑郎左衛門先生と撫子先生に来て貰って……理事長との面接もあった。

 何だかんだ色々とあって……。

 結局……実際に編入ができるのは、今日からということになったんだけど……。


「なあに……恵ちゃん、何か心配なことでもあるの?!」


 愛美さんが、オレの表情を見て……そう言う。


「だって、愛美さん。今日はもう、終業式の日なんですよ!一学期の終わりの日に転校して来るなんて……何か、オレ、マヌケみたいじゃないですか?!」


 ……そうだ。

 オレは何で、終業式の日に転校しているんだ?

 これなら……夏休みを挟んで二学期から、編入しても問題は無いと思うんだけど……。

 愛美さんが……「どうしても、一学期中に転校して来なさい」って言うから……。


「……気にしないのっ!しょうがないじゃないっ!一学期の内に転校を済ませとかないと、恵ちゃん、夏休みの間は天覧学院の生徒になれないでしょ?!」


 愛美さんが、なぜかそんなことを言って怒り出す。


「……そんなの当たり前じゃないですか?!」

「天覧の生徒じゃなかったら、恵ちゃん、お姉ちゃんと一緒に『臨海学校』に行かれないじゃないのっ!」


 ……臨海学校ぉっ???


「そ……そんなもあるんですかッ?!」

「あるわよぉっ!」


 愛美さんは、ニッ!と微笑んだ。


「天覧の臨海学校は、中高合同で沖縄のホテルを借り切って開催するから……凄いわよ!海は綺麗だし……ご飯は美味しいし……!」


 そんなことを言われても……。


「いや……でも、オレ……夏休みは、もう緑郎左衛門先生の『付き人』の仕事がありますから……!」


 お金持ちの子供ばかり学校の『臨海学校』なんて……!

 行くのは嫌だよ……!


「あれ……恵ちゃんのお仕事には、あたしの『ボディ・ガード』も含まれていると思ったけれどなあ?」


 愛美さんは、悪戯っ子っぽく……オレを見る。

 ……はぁ。


「……恵ちゃんも、臨海学校へ行って夏休みのうちにお友達をたくさん作っておけば、二学期から学校生活が楽しくなるでしょ?」


 愛美さんは……そう言うけれど……。

 オレは正直……天覧学院で友達ができるなんて思っていない。

 今まで、普通の中学でも……オレだけ貧乏すぎて、周りのやつらと話が合わなかったのに……。

 金持ちと芸能人の子供しかいない学校になんて通ったら……。


「心配しないで……あたしもいるし。加奈子さんや綾女さんもいるんだから……!」


 でも……みんな、高校生じゃ無いですか。


「それに……加奈子さんのお父さんも参加するわよ!」


 ……え?!

 洞口文弥が……何で?


「前に言ったでしょ?洞口さんは、学校の行事には必ず参加なさるって」


 それは、聞きましたけれど……。

 娘の『臨海学校』に……男親が付いてくる?


「毎年、天覧学院の夏の臨海学校には……洞口さん、必ず、お仕事を休んでいらっしゃるわ」


 ……仕事を休んでまで?


「洞口さんの後輩の俳優さんや……事務所の方とかもみんなお連れになってね。洞口さんの会社の慰労旅行も兼ねているらしいわ」

「まさか……同じホテルに泊まっているとか」


 オレの言葉に、愛美さんは笑った。


「そんなわけないでしょ」


 ……はあ。

 そうだよなあ。

 さすがに、そこまではしないか。


「ちゃんと、お隣のホテルにお泊まりになっていわ……」


 ……と、隣?


「それでね……あたしたちに危険が無いように、双眼鏡でこちらのホテルの様子を監視して下さっているの。夜は、洞口さんの事務所の若い人が、あたしたちのホテルの内外をサーチライトを持って巡回して下さるから……本当に、危ないことなんか一つもないのよ……!」


 ……いや、危ないですよ。

 加奈子さんのお父さんが、一番危ない!

 洞口文弥……恐るべしっ!


「だから……恵ちゃんも、お姉ちゃんと一緒に臨海学校に行きましょうねっ!」


『ね!』って……愛美さんっ!!

 ……はぁぁぁぁ。

 溜息しか出ない。

 ……と。

 突然、オレの携帯が「ジャンジャカ」鳴った……?!

 ……あれれ?

 ……この電話の番号って、愛美さんと緑郎左衛門先生しか知らないはずなんだけど……。


「……恵ちゃん、電話出ないの?」


 愛美さんが、オレを見る。

 ん……何か緊張している?


「愛美さん……これ、誰からの電話か判っているんですね?」

「当たり前でしょう……それ、元はあたしの電話だったんだから。着メロで判るわ」


 カバンから、携帯電話を取り出す。

 携帯の画面を見ると……。

 

 『着信:洞口加奈子』の文字……。

 ……加奈子さん?

 加奈子さんが、何で朝から電話を掛けてくるんだ?

 ……オレは。

 とにかく、電話に出てみることにする……。


『おはよう、恵介さん……!』


 朝から、加奈子さんは元気だった。


「お、お早うございます……!」


 オレも、挨拶を返す……。


『恵介さん、突然だけど……今朝は、何かビックリするようなことはあった?』


 ……はい?!


「いえ……特には、何も」


 加奈子さん……何が言いたいんだ。


『えっと……恵介さん、今、どこにいるのかしら?』

「どこって……愛美さんと、緑郎左衛門車先生の家のロールス・ロイスの中ですけど?!」


 電話の向こうで、クスッと笑う声がする。


『じゃあ……愛美ちゃんに伝えて下さる?全部、あたしが引き受けるから心配しないでって……!』


 ……何だか、よく判らないけれど。


「愛美さん……加奈子さんが『全部引き受けるから、心配しないで』って言ってますけれど」


 とにかく……言われたまま伝える。

 すると……愛美さんは、ホッと溜息を吐いて……。


「恵ちゃん……『ありがとう。よろしくお願いします』って伝えて」


 ……えっと。


「加奈子さん……愛美さんが、『ありがとうございます。よろしくお願いします』って、言ってますけれど……!」


 電話の向こうの声は、いよいよ楽しそうに笑っている。


『……いいわ。恵介さん……。今日は色々と驚くようなことが起こると思うけれど、あなたは絶対に表情に出してはダメですからね……!』


 ……え?!

 ……オレが驚くようなこと?!


『詳しいことは、学校に着いてから教えてあげるから……また後でね!それじゃあ……!』


 そして……電話が切れた。


「……加奈子さん、何ですって?」


 愛美さんが……探るように、オレの顔を見る。


「何か……びっくりするようなことが起こっても、絶対に驚くなって……!」

「……そう」


 暗い顔をする……愛美さん。


「愛美さん……何が起きるのか、知っているんですね?」


 と……オレが尋ねると。


「あたしは加奈子さんにお任せしたから……教えてあげられないわ」


 と……力なく答えた。


 ……えええーっ!


 天覧学院で……何が待っているんだ?!

 加奈子さんのことだから……きっと、オレを驚かせるためのイタズラを用意しているんだろうけれど……。

 転校初日には付きものだもんなあ……そういうの。


 ……はぁ。





 後、1回でおそらく完結です。

 やっとここまで来ました。

 かなり改稿したので、元の原稿とは随分変わってしまいましたね。

 それでも、こうやって投稿しながら、みなさの反応がうかがえるのはとても勉強になりました。

 もうちょっとだけ、お付き合い下さい。

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