第5話 不穏と不安
グラットンベアの凄惨な事件が起きてから二日が経過した。
起こる前の町は明るく賑やかそのものだった。
誰もがヴェン音楽隊のことを思い出し、笑い合っていた。
しかし、グラットンベアが男性を喰い殺したという話は瞬く間に広がり、その明るい雰囲気は消えた。
街に残されたのは恐怖だった。
「あなた……
その、気を付けてね」
「お、おいおい……
そんなに念を押すなよ……
ちょっと怖くなるだろ」
「ご、ごめんなさい」
こんなふうにエルニアを出て外で仕事をする人は心配と不安を口にしたり、行商人は金は掛かるけど、命を失うよりはと、護衛依頼を出す人も増えている。
少なくとも、ヴェン音楽隊のことを話す人はいなくなっていた。
冒険者の間の空気も変わっており、事件に興味がない者、気持ちを切り替え黙々と依頼をこなす人は護衛依頼を受け始める。
そうじゃない人は事件が気になってギルドの追加の報告を待っている。
「よぉ、ティーナ……」
「アルベルト」
アルベルトもティーナもどちらも浮かない顔をしている。
「……浮かない顔だな」
「えぇ……
ちょっとね……」
「お前でもそんな顔をするんだな。
いつもは済ました顔で冷静そのものだったし……」
「失礼ね。
私でもそういう時はあるわよ」
「悪い悪い。
俺も人のことは言えねえか」
「……そうね。
少し寝不足気味?」
「まあな。
他はもう切り替えているのに、どうしてもな」
「しょうがないわよ。
私達当事者だし」
「そうだな。
メリッサも食欲は減っているし、メルヴィンも顔に出していないが気にしているし」
「……大金を手に入ってもこれじゃ、使う気になれないわよね」
「原因わかれば良いけどな」
「解決してくれないと嫌よね……
デートで使う気にもなれないし」
「ん?
何か言ったか?」
「何でもないわ」
その時、マリナと上級職員がやってきた。
「……これより、グラットンベアの件の報告をする。
興味がある者はここに集まるといい」
アルベルト達はもちろん、カナイチやアドランもやってくる。
他にも何人かの冒険者が興味があるのかやってきた。
「……まず、グラットンベアに襲われた男性についてだ」
アルベルトはゴクリと喉を鳴らす。
「……はっきり言おう。
この二日間、全力で調査をし、町民達にも知らせたが、あの男に関して何の情報も得られなかった」
「……!」
「……しかも、この件、ただの事故として処理することができなくなっている」
「ど、どういうことなの?」
「被害者が一番触るだろうと思われるものである、財布、靴……
それらの指紋を調べたが、出てこなかったよ」
「……え」
「生きていれば財布くらい触る。
靴も履く。
なのに、そこで出る筈の指紋は検出されなかった。
綺麗好きならあるいは磨いているかも知れないが、被害者の所持品である財布も靴も丁寧に大切にしているとは思えないほどだった。
それに綺麗好きでも、財布に触る機会は何度でもある筈。
それがなかったと言うことはーー」
「誰かに指紋を拭き取られたってこと?」
「その可能性が大いにある」
周囲はザワザワと騒ぎ出した。
ただの事故かと思えば誰かが意図的に置き去りにしたという事実が芽生え始めたからだ。
そう思わなかった者は隣の者や親しい人と一緒にざわつく。
そうならなかった人物はただ一人だけだった。
「……やっぱり」
カナイチだった。
「やっぱり?」
「……報告の続きを聞こう、アドラン」
「え……
う、うん、そうね」
「また、あの男性の死体を検分したが、グラットンベアに襲われた時にできた傷は確認できたが、殴られたりなどして拉致され、縛られ、あそこに放置されたという痕が一つもなかった。
つまり、被害者は無理矢理あそこに連れ込まれ、酒を飲まされて置かれた訳ではない」
「抵抗せずに、あそこにいたってことなの?」
「そして、あの森を丁寧に調べたが、そこで彼の身元を証明するものが見付からなかった。
それどころか、あの男があの森にやってきたという足跡を見付けることもできなかった」
「それじゃ、あの男はどうやってあの森まで?」
「それはわからない。
何せ、仕方がないとはいえあそこで戦闘が起きた以上、現場は荒らされてどうやって運んだかわからなくなっていた。
そもそも、あの森は隣町の通り道だから足跡や馬車の跡が残っていても不思議ではないのだ。
グラットンベアの方も詳しく調べたが、あれは野良の魔獣で、魔獣使いが扱う魔獣ではなかった」
「グラットンベアに主人はいなかったってことか」
「そして、二日間、我々はこの男について、どんな小さなことでも良いから知っていることがあるのなら教えてくれと町の人に声明を出したが、好奇心などで聞きにくるだけであの男を知っている者はいなかったよ」
「そんな……」
「次に我々は酒の出所を探ったが、これも成果があるかと言われたらないと言わざるを得ない。
と言うのも男があそこに運ばれたであろう日はヴェン音楽隊が来ていたからだ」
「そうか……
そこで酒を飲む機会はいくらでもある。
珍しい酒を売ることもあるし、酒は買っておいたものを飲んだかも知れないからな」
「ヴェン音楽隊が来る前に酒場で飲んでいたと言う可能性もあるから、一応酒場で聞き込みをしたが酒場で酒を飲むのは普通。
そして、店員がいちいちそんな客を一人一人全員覚えている筈もない。
酔って出て行く人も普通のことだ。
そして、客も基本酒に酔っているから相手のことを覚えている筈がない」
「酒場では情報収集は無理か」
「一般人もあの時は酒を飲む機会はたくさんあったからね」
「書き入れ時だから誰にどの酒を売ったのか覚えている筈もねえか」
「あたしも場の雰囲気に流されて珍しいお酒飲んじゃったから……」
「俺なんて普段飲まない酒を飲んだぜ」
「……りんごも普通にどこにでも売っているものだから、聞いても覚えてないわよね」
「……そうなるな」
住民に聞いてもダメ。
指紋を探ろうとしてもダメ。
酒の出所を探ろうとしてもダメ。
りんごも当然ダメ。
どう調べても男性がどのような人物なのか全くわからない。
そして、この件が誰かの意図的に起こされたものだと言う事実にギルド職員はもちろん、冒険者達の顔は悪くなってくる。
誰が、何のために、あの男をあの森に置き去りにしたのか。
あの男の正体は何者なのか。
アルベルト達にはまるで濃い闇が霧となって漂う錯覚に陥る感じがした。




