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あっちがわシリーズ(仮)  作者: 七瀬みる


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あっちがわの仮面 5.豊饒の雨


「うにゃ?」

 六歳児が、目をさましました。

 寝ぼけまなこで、みち子を見あげて……

「ママさん?」

 なんて、あどけない顔で、いいました。

 それが、みち子には、どストライクだったようです。

 くーっ、と、ビールを飲んだオジサンみたいな声をだすと、

「ざーんねん。お姉さんでしたー」

 とかなんとか、健太郎が聞いたことのない、甘ったるい声で、いっています。

 六歳児が、きゃっきゃっとはしゃいで、みち子にしがみつきました。「おねえちゃん、きれいー」かなにか、オソロシイことを口走っています。

「あらー、いい子ねー」

 みち子は六歳児の頬をはさんでふにふにしました。ニヤニヤ笑って、健太郎のほうをチラ見しています。

「お、おまっ、なにしてやがる」

 健太郎は顔をまっかにして叫びました。

「こわいこわい」

 みち子は、わざとらしくおびえたふりをすると、

「だいじょぶよー、お姉ちゃんが守ってあげるからねー。そんで、みっちゃんのとこにも、つれてってあげる」

 そういって、六歳児の頭を、ぐりぐり、なでるのでした。

「ほんと?」六歳児が目をかがやかせました。

 みち子は、その目を見つめ返して、ふっと、まじめな表情になりました。

「みっちゃんに、会いたい?」

「うん」

「みっちゃん、かわいい?」

「うん」

 健太郎が横から口をはさみました。

「おい、こら、そこのおまえ、いたいけな幼児に何いわせてやがりますか?」

 でも、みち子は、なおさら、ニヤニヤするだけでした。

 それどころか、

「みっちゃん、好き?」

 なんて、悪ノリまでするのでした。

 健太郎がわーわー大声でわめきだすのと、六歳児が「うん!」と力いっぱいうなずくのと、同時でした。


「おたのしみのところ、すまないが――」

 いつのまにか姿を消していた呪術師が、また戻ってきました。

「おたのしんでねえし」

 健太郎はすっかりいじけています。

 そちらは見もしないで、呪術師は、

「肉が焼けた。腹ごしらえをすませたら、出発する」

「出発って……いまから?」

 呪術師はうなずきました。「まもなく月がのぼる。少しは距離がかせげるだろう」

 日照りの荒野。日中の旅は自殺行為。うごけるのは夕方から朝のあいだ、せいぜい午前中まで。

 闇の深さを思えば、ほんとうは夜間もあまり動きたくない。

「だが、さいわい、ここしばらくは満月がつづいている。時間が停滞しているおかげでな」

 目さえ慣れれば、それなりに歩けるだろう。

 呪術師は、そういうのでした。


  *


 そして旅がはじまりました。


 昼間は天幕でやすみました。暑くて何をする気力もわきませんでした。

 午後おそくなると、呪術師は、姿を消しました。どこからか水を手に入れてくるのでした。ときにはネズミやヘビのような、小動物をつかまえてくることもありました。

 夕方、かるく食事をすませて、それから、身じたくをととのえました。みち子と健太郎は、もともと着ていた冬仕度。六歳児と呪術師は、天幕にかけてあった布をはずして、マントのようにはおるのです。

 そして出発。

 呪術師を先頭に、黙々と歩きました。

 最初のうちは、まだ暑いのですが、日が沈むにつれて、気温はどんどん下がっていきました。

 やがて空には星がまたたき、そのうちには月も上るのでした。

 呪術師がいったとおりの、満月でした。

 月は、元の世界でみるよりも、ずっと大きく、ずっと明るい気がしました。

 しかも、それだけ月があかるいのに、なお、星もかき消されてはいないのでした。

 空気がすんでいるためでしょうか。

 町の明かりがないためでしょうか。

 満天の星、なんてものを、健太郎は、はじめて目にしました。

 月が出ていてこれなら、もしも月のない夜だったなら、いったい、どれほどの星がかがやくのでしょう。

 六歳の健太郎は、目をきらきらさせてはしゃぎました。

 五年生の健太郎は、歩きながら夜空をさして、いつかの夢で知った星や月の神話を、幼い自分に話してやりました。

 みち子も、めずらしく文句をいわず、いっしょに、ききいっていました。


 そのうちに、歩きつかれた六歳児が眠い目をこすりはじめると、呪術師がなにもいわずその子を背負いました。

 ほんとうは、健太郎が背負ってやりたかったのですが、小学生の体力では、むりでした。

 力づよい大人の背中を見ながら、負けまいと、歩きました。

 呪術師の荷物のいくつかを、無理をいって、持たせてもらうこともありました。

 みち子が、すぐとなりを、歩いていました。健太郎のへんながんばりを、べつに、冷やかしたりもしませんでした。


 夜明けごろには、また、あのまにあわせの天幕をつくりました。

 呪術師が、火をおこし、あたらしい水を手に入れてきました。狩りの獲物が残っているときにはそれで、なければ干し肉など保存食で、食事をすませました。

 健太郎もみち子も、くたくたに疲れていました。

 六歳児と三人、天幕のなかで川の字になって、何も考えずに、眠るのでした。

 そんなときでも、呪術師はまだ横にならず、子どもたちのために、魔除けや毒虫よけを準備したり……時間があると、最初に出会ったときにつくっていた細工物をつくりつづけていたりするようでした。


 そんな旅を、三日ほど、つづけました。

 ほんとうは、四日だったかもしれませんし、一日、二日だけだったのかもしれません。あるいは、七日も、十日も、旅していたのかもしれません。

 時間の感覚がおかしくなって、もう、よくわかりませんでした。

 だから、夜明けの地平線の向こうに、富士山を茶色くしたみたいな山が見えてきたときには、もう、まったく、現実のようには感じられませんでした。

 長い長い旅をしてきたような気がしました。

 それが終わってしまうのだな、と、思うと、さみしいような気もしました。

 まるで、夢のような気分でした。


  *


「あの山、のぼるのか?」

 健太郎が、抑揚のない声でききました。

 つかれはてて、感情をうごかす気力もない気がしました。

 それがなおさら夢のような気分に拍車をかけていたのかもしれません。

「いや」と、呪術師がこたえました。「ここまでくれば、なんとか、端末の作用範囲だろう。ほんとうはもっと近くに《道》がひらくはずだったが……」

 異物が二つもまぎれこんではな、と……口のなかでつぶやいたことばは、健太郎たちの耳にはとどきませんでした。

「んー」と、みち子がのびをしました。「それじゃ、やりますか」

 と、そのまえに……

 みち子は、六歳の健太郎の前に、しゃがみこみました。

「おまたせ。みっちゃんに会えるわよ。ここまで、よくがんばったわね」

 えらいぞ――みち子が頭をなでると、六歳児はにこにこしました。

「会えるの? みっちゃん? どこ?」

「もうじきよ。いいこと、みっちゃんに会ったら、まず、ごめんなさいするのよ。ランドセルからかってゴメンナサイって。それから、イモムシの件と、ナンテンの件と、それから……」

「しつけーよ!」と、これは五年生の健太郎。

 むうっ、と、みち子がくちびるをとがらせました。

 健太郎はかまわず、

「ほら、センベツだ、もってけ」

 六歳児に、ゴムのトカゲを手わたしました。

 どういうセンスよ、と、みち子がブツブツいっています。

 六歳児は、トカゲのおもちゃと、五年生の二人を、かわるがわる見比べて、

「もう会えない?」

 と、さみしそうにききました。

「また会えるわよ」と、みち子。

「腐れ縁だしな」と、健太郎。

 六歳児はゴムのトカゲをぎゅっとにぎりしめてうなずきました。

 健太郎は立ちあがり、仮面の呪術師をふりかえりました。

「あんたにも、世話になったよな」

「腐れ縁だからな」呪術師は、笑いました。顔は仮面で見えませんが、笑っていると、三人にはわかりました。

 それから、呪術師は、健太郎に「これを」と、なにか差し出しました。

 受け取って……見れば、呪術師とおなじ、トカゲの仮面。それも、あたらしく彫って彩色したものでした。

「何を彫ってるのかと思ったら、こんなもの作ってたのかよ」

「君は叡知の水を飲んだのだ。それを着ける資格はある」

「……まあ、ありがたくもらっとくよ」

 健太郎はすこしあきれながら、仮面をランドセルにしまいました。

「あんたたちって、ほんと、トカゲ野郎よね……」

 みち子があきれたように嘆息しました。それから、笑いました。

 健太郎も、笑いました。

 呪術師も、笑いました。

 三人が笑っているのを見て、六歳の健太郎も、まねをして、笑いました。


 わかれの挨拶は、それですみました。


  *


 日がのぼりはじめていました。

 東の空が明るくなっています。


 みち子――小学五年生の"みっちゃん"――は、ポケットから懐中時計をとりだしました。

 チッチッチッチッ

 チッチッチッチッ

 時計は、小さな音をたてて、うごきつづけています。

 ひっくり返すと、裏側には、二つの穴。一つが時刻合わせ、もう一つがゼンマイです。

 みち子は、ひし形の黒曜石の尖端を、そのゼンマイ穴にあてがいました。

 すると見る間に、矢じりは棒状に形をかえ、穴の中に吸いこまれます。

 あとは、いつもどおり。

 "みっちゃん"は、ゼンマイを、巻きました。

 カチカチ

 カチカチ

 いつもどおり、最初は順調。

 でも、そのうち、だんだん重くなって、それ以上、どうしたって、まわらなくなります。

「いっぱいだわ」

「では、もうよかろう」

 呪術師がいいました。

 みち子は、カギをぬきました。

 時計をひっくりかえして、ふたをあけます。

 すると、やっぱり、いつもどおり……


 チッチッチッチッ

 チチチチチチチチ

 チーーーーーッ!


 時計がふるえはじめました。

 秒針がものすごいいきおいでクルクルまわって……同時に、いつもは見えないくらいノロノロとしか動かない、ほかの二本の針も、すうーっと、目にみえるはやさで、まわりだします。

 そのときでした。

 みち子の手が、さっとのびて、健太郎の手を握りました。

「うおぇっ!?」

「ヘンな声だすな。迷子にならないようによ」

「ちっ。わかってるよ」

 二人が、赤い顔で、顔をそむけあった、そのとき――


 ボーン

 ボーン

 ボーン


 いったいどこから響いてくるのかわからない、大時計の音が、いつもどおりに、鳴りだして……

 晴れた空から、雨がふりだしました。

 やさしい雨が、夜明けの大地に、音もなくふりそそぎ……

 すると、見る間に、あたり一面、緑色の草が萌えだし、花を咲かせました。

 とたんに、


 ホホホホーーイ!


 仮面の呪術師が、奇声をあげて、走りだしました。

 そのあいだにも、草は伸び、花は咲き、実がなり、草は枯れ、種は芽吹き――

 何度も何度もくりかえして、見わたすかぎりの荒野は、あっというまに、見わたすかぎりの草原に、そして、花畑に、変わっていくのでした。

「わあ……」

「おお……」

 みち子と健太郎は、しばらく、その朝日にかがやく花畑に見とれました。

 山の上から、もくもくと、黒い雲がわきあがってきたのは、そのあとのことでした。

 黒い雲はあっというまに夜明けの空をおおいつくし、雨足はいっきに強くなりました。

 バケツをひっくり返したような、というのは、こういう豪雨のことをいうのでしょう。

 ものすごい音でした。

 たたきつけるような衝撃でした。

 あっというまに何も見えなくなりました。

 あっというまに濡れねずみになりました。

 濡れている、というより、滝のような水の流れに、のみこまれ、押し流されていくような気がしました。

 水と土のにおいのほかは、もう、何もわかりません。

 ほとんど、息もできません。

 お互いの手を、はなさないように、ぎゅっとにぎりしめているのが、やっとでした。


 ただ、そんな轟雨のなかだというのに……


 歌が、きこえました。


 歌っているのは、ムンドゥ=ラングァでした。


  南の風が吹いたら、女たちよ、タネをまけ

  風は雨をつれてくる

  かわいた大地を、雨はうるおす

  女たちよ、タネをまけ


  北の風が吹いたら、男たちよ、槍をとれ

  風は獲物をつれてくる

  濡れた大地を、日ざしは乾かす

  男たちよ、槍をとれ


  雨がふったら、子どもたちよ、歌って踊れ

  雨がやんだら、子どもたちよ、歌って踊れ

  かわいた大地を、雨はうるおす

  濡れた大地を、日ざしは乾かす

  子どもたちよ、歌って踊れ

  男よ、女よ、祝え、まぐわえ


 そんな歌をうたいながら、仮面の呪術師は、花畑のなかで、槍をかざし、跳びはねるように、おどっているのでした。

 その歌、その声、その姿だけは、肉体的な目でも耳でもない、どこか存在の深いところで、見えるような、きこえるような気がするのでした。


 そうして、歌がくりかえすにつれて、どこからか、わーっと、たくさんの男や女や子どもや老人が、わきだしてきて……

《青い舌で歌うトカゲ》といっしょになって、歌い、おどる――

 そんな光景まで、瞼の裏に見えるような気がするのでした。


 濁流のなかで、懐中時計の音が、だんだん、ゆっくりになって、やがて、チッチッチッチッ、と、ふつうのはやさに、もどっていくまで……


 その歌は聞こえつづけたのでした。


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