あっちがわの仮面 4.勇者の槍
「あら、やだ、かわいい。こんな子、どこからさらってきたのよ」
というのが、六歳の健太郎を見たときの、みち子の第一声でした。
指をくわえてむにゃむにゃ眠る六歳児のほっぺたを、つんつん、ぷにぷに、つっついています。
「人聞きわるいこというな。五年前のおれだよ。おまえのときといっしょだ。こっちに迷いこんできたんだ」
いわれて、みち子は、あらためて、じっと六歳児の顔を見つめました。
それから、わざとらしく、顔をしかめました。
「なるほど。いわれてみれば、たしかに、ナマイキそうな顔してるわね」
「……さっきと言ってることがちがうぞ?」
「気のせいよ。もしくはサッカク。夢でも見たんじゃないの」
「さようでございますか……」
健太郎はため息をつきました。
みち子もさすがに無理があると思ったのでしょうか、すこし赤面して、コホン。咳ばらいひとつ。あらためて"なかったこと"にしたうえで……
「で、どうしたって?」と、ききました。
健太郎も切り替えて、ひととおりのことを、説明しました。
下校途中で過去の自分に会ったこと。六歳の健太郎は"みっちゃん"をさがしていたこと。いっしょにみち子の家に行ったこと。留守だと思ったら、あるはずのない道をみつけたこと。その道のさきにみち子の姿が見えたこと。だから、追いかけたこと。
「そしたら……なあ?」
あたりを見まわし、肩をすくめて、健太郎は、話をしめくくりました。
みち子は頭をかかえ……やがて、かきむしりました。
「あー、もうっ!」
あれで終わったと思ったのにい――そう叫んで、ジタバタしています。
(駄々っ子かよ)
健太郎はあきれました。でも、まあ、いつものことといえば、いつものことです。かるくスルーして話をすすめました。
「やっぱり、あのときのつづきか」
「そりゃそうでしょ。あんなことそう何回も……おきないとは、いえないけど」
「でも、半年もまえだぞ?」
「五年も跳んだんだもの。それくらい誤差よ、誤差。十年ずれなかっただけありがたいと思いなさい」
あんただって、あのとき、しっかり抱きついてなかったら、どこに飛ばされていたか、わかんないのよ――なんて、みち子は、コワイこともつけくわえるのでした。
半年前のおばあさんの家――まがいものの「時計塔」――でのできごとを思いだして、いまさら、健太郎はぞっとしました。
みち子はそんな健太郎を見て、ひひ、みたいに笑うと……すこし気がすんだのでしょうか。さっぱりした表情になって、
「ま、いいわ、なんとかしましょ」
あっさり、そういうのでした。
「また、あの砂時計か?」
「ここにそんなものないでしょ。あったとしたって、せっかく直した五年を、またひっくり返すわけにいかないし」
「じゃあ、どうすんだよ?」
「とりあえず、さきにこっちの用件を片付けるわよ。そしたら、そっちも、ついでにナントカなるでしょ」
たぶん、と、つけくわえながら、みち子は視線を天幕の外におくりました。
仮面の人は、そこでしずかに待っていました。
いけね、と、健太郎は、あわてて、
「ああ、そうだ。こちら、ラマサ族のムンドゥ=ラングァで――」
そう紹介して、命の恩人、と、つづけようとしました。
でも、みち子は、その健太郎のことばを、さえぎって……
「ああ、はいはい。管理人よね。あいかわらずイカレたかっこうしてるわよね」
なんて、失礼なことを、いうのでした。
そして、呪術師のほうも、気にしたふうもなく、あたりまえのように、応じるのでした。
「仕方あるまい。いまのわれわれには、これしかアクセスの手段がないのだから。――《姫》とちがってな」
「……認証ワードは?」
「青い舌で歌うトカゲ」
みち子は、うげっ、みたいな顔になりました。
あらためて、しげしげと、呪術師を見つめます。
仮面の下の表情は、うかがいしることができません。
でも、なぜでしょう。
健太郎には、呪術師が、子どもじみた表情で、ニヤニヤ笑っているような……そんな気がするのでした。
「……トカゲ野郎」
ややあって、みち子が、ぼそっと、そう吐き捨てました。
*
「ジョアナ・ゴアナの峰から雲が消えたのだ」
仮面の呪術師は、そういいました。
「そのため、乾季がおわらない。泉は干上がり、井戸は涸れた。大地はひび割れ、草木はしおれ、花は咲かず、蜜蜂は飛ばず。タネは芽吹かず、狩りの獲物は骨になった。飢饉はすでにはじまっている」
雨季と乾季の循環を取り戻さなければならない、そういうのでした。
なるほど、と、みち子はうなずきました。
「季節の停滞。時間のよどみ。それでゼンマイを巻け、と。――カギはあるんでしょうね?」
呪術師がさしだしたのは、透明感のある黒い石でした。かなりデコボコしていますが、おおまかには、ひし形といっていい形状になっています。
「黒曜石……の、矢じり?」
「勇者はジョアナ・ゴアナをこれで倒した」
「ジョアナ・ゴアナ?」
みち子が首をかしげました。
説明してやったのは、健太郎でした。
「魔女の山だよ。その昔、魔女ジョアナ・ゴアナが、雨雲を独り占めにした。日照りがつづいて人がたくさん死んだ。ひとりの勇者がジョアナ・ゴアナを倒した。魔女は岩になり、山になった。それでもまだ雨雲を手ばなさなかった。だからジョアナ・ゴアナの峰にはいつも雲がかかっている。そこで勇者は山を槍で突いた。魔女は雲を手放した。雨がふった。でも、今度はふりすぎた。そこで勇者は槍を抜いた。雲はまた山に集まった。雨季と乾季はこうしてはじまった――ってね」
どうだ、と、健太郎は、胸をそらして、知識自慢。
でも、みち子は眉をひそめました。
「なんでそんなこと知ってるのよ」
いわれて、健太郎もわれにかえりました。
こころもとなげに、呪術師を見やって……
「えーと……叡知の水を、飲んだから?」
なんですってえ――みち子が血相を変えました。
「こっちがわの水を飲んだですって!?」
そして、キッ、と、ムンドゥ=ラングァをにらむのでした。
「叡知の水って、それ、アクセス権限よね。限定版にしても。なんでコイツにそんなものわたしてんのよ」
「なぜ? 必要だろう。トカゲは太陽を追うものだ。いずれ子も産まれるだろう」
「産まないわよっ!」
「それでは因果がつながらないぞ。もう気づいているのだろう。自分がだれをさがしているのか」
「…………」
みち子はくちびるをかんでうつむきました。
呪術師はただしずかに見つめていました。
健太郎は、二人の顔をみくらべて、顔全体をクエスチョン・マークにしていました。
「なんのはなしだ?」
トカゲと太陽の神話は知っています。でも、そのたとえをもってして、ムンドゥ=ラングァが、いま、ここで、なにをいおうとしているのか――それはさっぱりわかりません。
でも、みち子には通じているみたいです。それが、なおさら、不可解でした。
みち子はなにも答えません。
(このごに及んで、かくしごともないだろう)
健太郎は、イライラして、語気を強めました。
「なあ、どういうことだってばよ」
すると、みち子は、めんどくさそうに――あるいは、いつもの調子をとりもどして――ぞんざいに、答えたのでした。
「あー、はいはい。わかったわかった。えーとね。時守は裏側から時間を管理する一族。中枢システム時計塔の暴走でいろいろ狂った。それを直す。あたし、えらい。以上っ!」
わかった?と、みち子は天使の笑顔でたずねました。
健太郎は、正直、ぶん殴りたい衝動にかられました。
「わかるかっ!」と、どなりました。
「なんでよっ!」と、みち子もどなり返してきます。
「これくらいわかりなさいよね」
くちびるをとがらせて、ぶつぶついっています。もしかして本気なのかもしれないのが、みち子という女の子のオソロシイところです。
(こいつは……)
健太郎はため息をついて、たすけをもとめるように、呪術師を見ました。
呪術師は笑いました。
「まあ、これも部族の物語だとでも思って、聞いておくのだな」
そして、話しはじめました。
*
「時守は時間を管理する一族だ」
それがいる、と、まずは思え――呪術師は、そういいました。
「だが、時間を管理するとは、どういうことか。そもそも、時間とはいかなるものか」
たとえば、時間を巻き戻して、もう一度さいしょからやりなおしてみたとする。
同じ映画を巻き戻して再生するように、まったく同じできごとが、寸分たがわず、くりかえされるのか?
それとも……
やりなおすたびに、少しずつ、ちがうできごとが起きて、その積み重なりが、ついには、巻き戻し前とはまったく異なるできごとの連鎖を――歴史を――形成するのか?
仮面の男は、そう、問いかけるのでした。
「パラレルワールドってやつか」
と、健太郎はききました。
「そうだ。時間は分岐する。可能性は無限にある」
「無限なんて、そんなもの、管理できるのか?」
「個々の分岐世界それ自体への干渉、という意味でなら、不可能だ。だが、無限の分岐世界全体をひとつの集合。ひとつの数として扱うことはできる」
呪術師は数字の8を横倒しにしたようなサインを、空中に描きました。
「もっとも、そう考えなかった者たちも、いたようだがな」
「?」
問いかけるような健太郎の表情にはかまわず、《青い舌で歌うトカゲ》は、さらに、つぎのように、つづけるのでした。
時間は存在しない、という考えもあるにはある。
だが、時間の存在を認めるとすれば、それは、とにかく、流れなければならない。
無限の分岐をうけいれるなら、なおさらだ。
凍りついた時間には、分岐もなにもありはしない。
時は流れる。世界の分岐の、それが前提。
だとすれば、時守の《管理》とは、その流れの維持、その一点にある。
時は流れる――前へ。未来へ。
逆行することも、ループすることも、もつれることも、からまることも、とどまることも、あってはならない。
時守にできるのは、分岐した世界それ自体への干渉ではなく、健全な分岐――無限の可能性の生成――それ自体を保証すること。分岐をさまたげる停滞をとりのぞくこと。
いわば、時というもつれた糸をときほぐすこと。
それだけだ。
*
「……時計塔は、まがりなりにも、それをおこなってきた。だが、あるとき、造反者があらわれた。そして、たんなる時間の整序ではない、個々の分岐世界それ自体への干渉をこころみた」
呪術師は、ため息をつきました。
ずいぶんと深いため息でした。
「結果は知れていた。時計塔は暴走し、時空に甚大な悪影響を残した。数知れない分岐世界の時間が、からまり、もつれ、引き裂かれ、逆行し、停滞し、渦を巻いた。なかには消失した分岐世界もあったかもしれない。存在しないものを、観測することは、できないが……」
呪術師は、すこしのあいだ、沈黙しました。いたましそうに。なんだか、黙祷でもするように。
「……時空の狂いを修正するのは、狂いを発生させた一族の責任だ。にもかかわらず、われわれは時計塔へのアクセスを失ってしまった。時計塔の暴走にともなって、われわれの持つアクセス端末も、すべて破損してしまったのだ。われわれは、端末の復元からはじめざるをえなかった。だが、うまくはいかなかった」
どこかの砂時計のようにな、と、呪術師は小さく笑いました。
みち子が、いわゆる苦虫をかみつぶしたような表情になりました。
健太郎は、半年前のことを思いだしました。「なるほど」
その視線に気づくと、みち子は「イーッ」と、歯をむいてみせました。
ムンドゥ=ラングァは、つづけました。
「残された希望は《姫》の端末だった。事変当時、休眠状態だったために、直接の影響をまぬがれたのだ。むろん、端末自体の力は、さしたるものではない。肝心のアクセス先――時計塔――も暴走している。制約は大きい。だが、時計塔のなかにも、まだ正常に稼働する領域は、部分的にだが、残されている。自己防衛のために封鎖されているが……その封鎖領域にアクセスできれば、時空の修復も、ある程度までは可能になる」
その結果をフィードバックすることで、システムの自己修復にも、よい影響があるはずだ……
呪術師は、そういうのでした。
*
健太郎は、しばらく、言葉を失っていました。
あたえられた情報が多すぎて、脳の処理が追いつかない感じでした。
「それで……えっと、どうするんだ?」
ようやくいえたのは、それだけでした。
みち子が肩をすくめました。
「いつもといっしょよ」
「いつも?」
「ゼンマイ、巻くの」
「ゼンマイって……あの時計の?」
そう、と、みち子はうなずきました。
「狂った流れをいったんとめて、ゼンマイを巻きなおす。ふりだしに戻す。そしてリスタートさせる。それで時間は整序される。ゼンマイがほどけるにしたがって、あるべきものが、あるべきところに帰る。昨日は過去に、明日は未来に。サナギはチョウに。冬は春に」
雨季は乾季に、乾季は雨季に――呪術師があとをつづけました。
みち子がまた肩をすくめました。
「ま、OSの再起動みたいなものね」
そして、つけたしました。
「そしたら、この子も、あるべき場所に、帰れるでしょう」
いい子はお家に、ママのところへ――
つぶやきながら、六歳児の頭をなでました。
おだやかな、いつくしむような表情をしていました。
長いつきあいですが、みち子のそんな表情を見るのは、健太郎には、はじめてのことに思えました。




