5
高く伸び上がる滑らかな枝、日射しを浴びて温かそうに輝く幹に触れながら、ユーノを振り返った。
「ぼく、習ったことあるよ、2年に1度、赤い花をつけるんだ」
深い緑の、僅かに丸みを帯びた肉厚の葉の隙間から、木漏れ日がレスファートの髪を淡いクリーム色に光らせる。
「ボクは違うことを知ってるよ」
笑ってユーノは手を伸ばし、葉を1枚ちぎり取った。軽く表面を服に擦って唇に当てる。薄く開いた唇から息を吹き出すと、微かなまろい音が零れるように響いた。
「わ」
レスファートが顔を輝かせた。
目を伏せて、ユーノは幼い頃に聞き覚えた素朴な曲を吹いた。単純な音律が繰り返し、微妙な揺れをまといながら空気を震わせ広がっていく。繰り返し、そしてまたもう一度。
「すごいや。どうして? ね、どうして鳴るの? どうして鳴らすの?」
レスファートがわくわくとユーノの手元を覗き込んできた。
「うん、ほらこうして、ね」
ぴちりと音をたてて、ユーノはもう1枚、レスファートに合う大きさのものを選んで、ジェブの葉をちぎった。アシャの与えた痛み止めが効いているのだろうが、脚の痛みを忘れたように目を輝かせてユーノを見上げるレスファートの口に、葉の表面を擦ってから当ててやる。
「ここを押さえて」
「ん?」
「そうそう、そのまま息を吹き込んで」
ぶひゃあっっ。
「ふえ!」
「ふふっ、もう少し鋭く吹き込まないと」
ぷふーっ……ぴぃーっ……ピューっ…。
「うん、その調子」
『ユーノさま、お上手ですぞ』
ふいに声が耳の底に蘇る。
(ゼラン)
嬉しそうに笑った鬚面、見上げるとさすがはユーノさま、何でも覚えが早くておられる、と目を細めて見下ろした。
『ゼランも誇りに思っております、よい方に仕えられた、と』
葉笛を教えられながら、ゼランの望むことを為せたのが嬉しくて、ユーノも誇らしく笑み返した。施政に忙しく、安定を深く願う父親は、ユーノの成長をどこか離れた距離でしか見ていない。その代わりのように、ユーノに戦い方を教え、人の従え方を教え、統率することを教えてくれたゼランはまた、心を慰めるものも教えてくれた男だった。
「……」
胸に広がる冷え冷えとした傷み、あの笑顔も優しいことばも全ては幻だったのだろうか。ユーノに葉笛を教えた時さえも、ゼランは何かを秘めてユーノの命を狙っていたのだろうか。
(でも、もういない)
なぜかゼランを恨む気にはなれなかった。
静かに葉笛の旋律を繰り返す。
今はただ哀しい。
何が悪かったのかわからないまま、隔てられて失ってしまったものが、懐かしく愛しい思い出にも繋がっているとわかって。
「きれいだね……ユーノ…」
溜め息まじりにレスファートが呟いて我に返る。
「ん?」
自分を見上げる素直な目の色に瞬きする。
「何が?」
ジェブの葉は確かにつやつやと美しい、そう見上げた耳に、
「なにもかも………音も……曲も…………ユーノもとってもきれい……」
「っ」
思わず振り向くと、レスファートはうっとりとした表情で繰り返す。
「ユーノがとてもきれい…」
「あ、ありがとう」
耳のあたりまで熱くなった気がして、まいったなもう、と呟きながら、ユーノは幹にもたれていた体を起こした。
「お礼に何か楽しいのを吹こう」
急いで頭の中から拾い出したのは明るい舞踏曲、簡単な動きを繰り返す、夜会によく使われるものだ。
(そういえば私)
この踊りの男役しか知らないんだっけ。
まだ夜はだめだと制されてむくれるセアラの相手を勤めて、広間から離れた庭で踊った。
『姉さま、もっと』
セアラがねだる。
『もっといっぱい踊らせて』
広間の不細工な男より誰よりも姉さまがいい、だってこれほど見事に踊らせてくれる。
セアラの紅潮した笑顔がレスファートに重なる。
(無事でいて)
どんな危険も引き受ける、だからどうか。
(笑っていて)
大事な大事な愛しい人々。
どさどさどさっ!
「!」
レスファートがびくっとして、物音に振り向いた。
葉笛を止めてそちらを見ると、手にしていたらしい包みを見事に全部、玄関に続く石畳に落としてしまったらしい娘が突っ立っている。よく見ると、さっき商人と『サークを織って』いた娘だ。
「あ」
「ご、ごめんなさい! もう、私ったら!」
娘はユーノの視線に真っ赤になって、慌てて散らばった包みを拾い上げ始めた。
「あんまり綺麗な音だったから」
つい見愡れてて、そう言いながら、もっと多くのことを言いたそうにユーノを見つめる。
「あの」
君はひょっとしてここの。言いかけたユーノのことばを遮るように手を振って、娘はくるりと薄紫のドレスの裾を翻した。急ぎ足に玄関に向かい、はっとしたように肩越しに笑みを零す。
「あの、ジェブの葉、お好きなだけどうぞ!」
それだけ言うと、ますます赤くなって家の中へ駆け込むように入っていく。
「ユーノ、あれ」
「うん、アオクの妹って……あ」
今家の中には、アシャとイルファが。
「まずいな、今」
「きゃああああっっ!」
何よあんた達、ここを近衛隊長アオク・デシュランの家と知ってるのっ!
悲鳴に続いた罵倒とがしゃんっ、と何かが投げつけられたような音に、ユーノは思わず首を竦めた。




