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(十分、だろ?)
ユーノは揺れるヒストの背中で、溢れた涙を頭を振って落とす。
(もう、十分だよな?)
あんなに甘いキスなのだ、アシャがレアナに贈るものは。
そんな大事なものを、ユーノを助けるためにくれたのだ。
(ごめん、レアナ姉さま)
ユーノにキスなどしたがるわけはない、と『しゃべり鳥』(ライノ)は言った。そんなことを考えるのは、きっと女に興味がないからだろうと。
そこまで言われてしまうような容貌なのだと、今さらながらに思い知った。そんな自分にキスしたからと、あそこまでアシャが不当に扱われてしまうほど。
(ごめん、アシャ)
ほんとは甘えてはいけなかったのだろう。
それでもアシャはキスしてくれたから。
棘のついた籠をものともせずに腕を差し入れて、引き寄せて抱き締めてくれたから。
きゅ、と噛みしめた唇に、まだアシャの唇が触れているようで切なくなる。それが二度と触れることはないとわかって体中がずきずきする。
(頑張ろう)
頭を上げて風を胸一杯に吸い込む。
決して手に入らない夢を一瞬だけでも味わえた。
(頑張ろう)
思いもかけなかった褒美だ、許されるはずのない温もりだ、それをこの唇に受け取れたのだから。
ざああ、っと風に鳴る木立の音を引き連れて隣にアシャが並んでくる。乱れる金髪、まっすぐに前を見据える紫の瞳、細身ながら腕の確かさ、胸の厚さは体が覚えている。
(頑張ろう)
滲みかけた涙を呑み込んだ。ゆっくりと息を、体の隅々にしみわたらせるように吸う。
(先はうんとまだ長い)
伝説でしか知らない太古生物、名称しか聞いたことがない視察官の存在、得体の知れない『運命』の名を持つ敵、『銀の王族』である自分とその意味、そして。
(ラズーン)
性を持たぬ神々が住まう世界の統合府、おとぎ話のような存在は急速にユーノの前にその姿を現しつつある。
(そこで一体何がある?)
200年祭とは何なのだ?
(なぜ世界中から急に人々が集められている?)
謎は増えていくばかり、アシャについても、ラズーンの視察官らしいとようやくわかってはきたものの、なぜセレドに来たのか、なぜユーノと共に旅などしているのか、そもそも視察官とは一体何なのか、アシャはユーノに何も語ってくれない。
ふとしゃべり鳥達の嘲りを思い出す。
あれはユーノの容姿に関してだったけれど、獲物を食べずに死ぬまでおもちゃにするレガ、いきなりは襲ってこずにじわじわと這い回る範囲を広げて街や人を呑み込むドヌーなど、太古生物には共通した何か、まるで今この世界に生きている命そのものを弄び嘲笑う気配がある。そしてその底には。
(怒り?)
そう、あえていうなら、それはこの世界への怒りや妬みに近い気がする。
(でも、なぜ?)
「クエァアアーッ!」
鋭い鳴き声が空を貫いた。
前方の丘、上空にサマルカンドの白い姿、その下で馬に乗って手を振っているレスファートとイルファの姿がある。
「ユーノぉ!」
陽の光にプラチナブロンドを輝かせて、レスファートが待ちかねたように両手を振り始めた。イルファが躍り上がる少年を必死に支えている。
「レス!」
「ユーノユーノ!」
連呼するレスファートに速度を上げる。遅れるまいと側につくアシャに微笑し、目を閉じて胸の中で繰り返す。
(ラズーンへ行こう)
全ての謎が集まっていく、世界の中心へ。
(そこでこの体で確かめる)
世界に今何が起きているのかを。
顔を上げ、太陽を仰ぎ、深く息を吸う。
目を開き、腹の底から大声で叫ぶ。
「レス! ただいまーっっ!」
「ユーノっ!」
堪え切れず馬を下りたレスファートが、追いすがるイルファを振り切って転がるように駆け寄ってきつつあった。
『ラズーン』2へ続く。




