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碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太


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エピソード20 毒薬と羅針盤

幾重にも張り詰めた静寂の中、居間の空気が凍りついていた。


「――マッカーサーを、生け捕りにする」


蓮が落としたその言葉の重さに、部屋のすべてが押し潰されたかのように、一切の生活音が消え去る。柱時計の秒針が刻む乾いた音と、茶碗から細く、頼りなく立ち上る湯気の軌道だけが、現実の時間を辛うじて繋ぎ止めていた。


突きつけられた途方もない目的の前に、津村の右手がわずかに硬直し、膝の上でぐっと拳を握りしめる。

その微細な肉体の反応が、彼の動揺を雄弁に物語っていた。


だが、そこから数瞬の静寂を挟み、津村の脳内で猛烈な思考の潜航が始まる。


(バターン完全包囲……マッカーサーの動向封殺、そして第48師団等の南方転用)


蓮が提示した論理のピースが、頭の中で凄まじいスピードで噛み合っていく。

敵の最高司令官を「殺す」のではなく、「生きたまま手元に置くこと」。


それが何を意味するか。米国の国民的威信と精神的支柱を根底からへし折り、硬直した戦局を打開して早期講和を引き出すための、類まれなる巨大な外交の具になり得る。


その凄まじい爆発力を直感した瞬間、津村の脳裏で稲妻が走った。

津村がゆっくりと顔を上げる。蓮を睨み据えるように、低く、しかし熱を帯びた声が漏れた。


「……正気か、貴様。マッカーサーを生け捕りにできれば、米国世論を講和へと傾ける強力な外交の具になり得る。だが……」


自嘲気味に、しかし鋭く息を吐き出す。


「それがどれほど強烈な一手であろうと、今の我が軍の中枢――『玉砕』や『戦死』こそが美徳と信じ込んでいる頑迷な連中に、その真の価値が理解できるか? 具申書一枚で動くほど甘い組織ではない」


目の前の青年に対する警戒心と、その底知れぬ聡明さ。

二つの感情が混ざり合う中、津村は蓮の目をまっすぐに見据えて問いかけた。


「……お前の話が現状を打破する最適解だとしても、実際の軍部はそう簡単に動かん。では、お前は一体どうやって、これを実行に移すというのだ?」


その問いに答えるように、蓮が言葉を返すより早く、視界の端――AIグラスの内部で緑色の文字列が高速のストリームを描いて流れる。


視界の端でそれを捉えた蓮の網膜には、A.I.D.A.が津村の性格や微細な心理変化をリアルタイムで解析し、次に繰り出すべき「交渉の切り札」を算出したデータが映し出されていた。


蓮はわずかに体を前傾させ、一切の揺らぎのない不敵なトーンで告げる。


「津村さん、貴方の出番です。貴方に、杉山参謀総長へ直談判していただきたい」


その言葉に、津村の眉間が険しく寄る。彼は不快感を露わにし、鋭く言い返した。


「……何を言い出すかと思えば。仮に私が参謀総長に直接声を届ける機会があったとして、あの日和見の御仁が、私の進言などですんなり首を縦に振るとでも思っているのか? 強硬派の目もある。事態が面倒になるのを恐れる連中が、そんな生易しい話で動くわけがないわ。」


しかし、蓮は微塵も怯むことなく、むしろ冷徹に唇の端を持ち上げる。


「もちろん、ただ言葉を尽くすだけでは相手にされないでしょう。ですが、津村さん――もし参謀総長の功績として、今の日本軍が喉から手が出るほど欲しい『特大の土産話と手柄の可能性』が丸ごと転がり込んでくるとすれば、話は別ではありませんか?」


「特大の土産話と手柄の可能性……?」


津村の目がわずかに細められる。蓮は畳み込むように、計画の全貌を突きつけた。


「正面から参謀総長を説得する必要はありません。私には、今の大日本帝国が持つ技術水準を凌駕する兵器を開発・提供する能力と今後の作戦に多大な影響を及ぼす秘匿情報がある。それを杉山元に差し出す。その引き換えとして、二つの条件を呑ませるのです」


1つは、津村自身を杉山の側近、あるいは作戦中枢の「No.2」に大抜擢させること。

もう1つは、今後のフィリピン攻略戦およびマッカーサー捕虜化の作戦において、こちらの作戦計画に従い行動するよう杉山に約束させること。


そこまで聞いた津村は、突然飛び出した「参謀総長を技術と秘匿情報で手玉に取る」という、自身の理解と現実の枠組みを遥かに超えた荒唐無稽な内容に、思わず馬鹿馬鹿しそうに声を上げて笑った。


「――戯けた事を。天下の参謀総長を相手に何をほざくか。ここまで話を真面目に聞いた私が馬鹿であったわ。お前の話なぞ聞いてられるか。今すぐ帰れっ!」


激昂し、手を払うように追い払おうとする津村。


だが、蓮は微塵も動じない。冷徹かつ淡々と、こう言い放つ。


「だから、初めに信じる信じないは貴方次第だとお伝えしたはずだ」


その底知れぬ胆力に、津村は気圧され、そして呆れたように息を呑む。


だが、その瞳の奥には再び鋭い光が戻っていた。

荒唐無稽なハッタリの裏に、この青年は一体何を隠しているのか。


「……ほう。じゃあ、いったいどんな技術や秘匿情報で参謀総長を納得させるというのか。言ってみろ」


不敵な笑みを浮かべ、津村はあえてその危険な賭けに乗っかる形で、さらに蓮の懐へと踏み込んでいった。


だが、蓮は動じることなく、静かに首を横に振る。


「分かりました。ですがその前にお聞きしたい。貴方は海軍の軍令部総長と懇意にされていますよね?」


予期せぬ名前を出された瞬間、津村の眉間がピクリと跳ねる。


「……なぜお前は、私が海軍の人間と繋がっていることまで知っている?」


驚きを隠せない津村に対し、蓮は少しも表情を変えずに言葉を継ぐ。


「懇意にしているかどうかが重要です。答えていただけますか?」


津村は数秒間、鋭い眼光で蓮を値踏みするように見つめていたが、やがてふっと息を吐き、渋々といった様子で口を開いた。


「……ああ、知っている。同じ同胞の先輩だ。それに、考え方も私に似ているところがあってな。時折、海軍の動向や国家の将来について良くお話をさせていただいている」


「では――」


蓮の瞳が、わずかに冷たく、しかし確信に満ちた光を帯びる。


「海軍より、真珠湾攻撃の際に奇妙な報告は聞かれましたか? 米軍の対空砲火が光の線にて、一瞬にしてかき消されたり、あるいは向かってくるはずの対空砲火が、まるで意思を持つかのように味方機を避けて逸れていったりという……そんな、摩訶不思議な乗組員たちの証言は」


その言葉に、津村の表情から余裕が完全に消え失せた。彼は驚愕に目を見張り、思わず身を乗り出す。


「なっ……! お前、なぜそれを……!」


津村の脳裏に、軍令部総長との密談の記憶が蘇る。


「……確かに、永野さんとはよく会話している。また、その縁で連合艦隊司令長官の山本さんとも懇意にしているが……先日会った時に、確かにそんな馬鹿げた話は聞いた。海軍の中でも一部の者たちの間で話題になっておったよ」


津村は忌々しそうに首を振る。


「だが、余りに意味不明な話であったのでな。戦場の錯覚か、あるいは恐怖で乗組員たちは白昼夢でも見ていたのかと、上層部では懐疑的な笑い話になっておったわ。……それがどうしたというのだ」


津村の問いに、蓮は答えなかった。

代わりに、スッと腰を上げる。


居間の片隅、静かに佇む床の間に飾られていた一輪の花瓶に目をやり、無言のままそれを手に取ると、そのまま席へと戻り、津村の目の前にコトリと置いた。


津村が不審な視線を向ける中、蓮は静かに懐へと手を差し入れる。

そして取り出したのは、昭和の軍人にとっては、見たことのない質感と形状、異質な輝きを放つ小型の銃器――ビーム銃だった。


「っ……!」


津村は反射的に息を呑み、反射的に体を硬直させて何かを叫ぼうと口を開きかける。だが、蓮は左手を軽く掲げてそれを鋭く制した。


「大丈夫です。安心してください。貴方を撃つわけじゃない」


そう告げると、蓮は花瓶に刺さっている一輪の花に向かい、迷いなく銃口を向けた。


「A.I.D.A.、弾丸モードから光線モードに変えて出力を最小にしろ」


津村には聞こえないほどの、極めて小さな囁き。

視界の端で、AIグラスの緑の光が瞬く。


「射撃モード変更及び、出力、最小限への絞り込みを完了しました。周囲への熱影響、最小限に抑制」


直後、A.I.D.A.からの完了通知が脳裏に響く。

蓮の指が、引き金を引いた。


発光する閃光が、音もなく空間を切り裂く。


それは一瞬の出来事だった。衝撃波すら起きず、ただ眩い極小の光線が花瓶の一輪をかすめ――いや、正確には、標的となった花の一部だけが、爆発も焦げた臭いや煙もなく、まるで最初から存在しなかったかのように、文字通り「消滅」した。


「…………」


目の前で起きた、津村の知る物理法則を完全にあざ笑う現象に、彼の喉から声にならない息が漏れる。


彼は自身の目を疑うように瞬きを繰り返し、そして、ぽかんと口を開けたまま硬直した。

言葉を失い、ただ目の前の現実と花瓶の変わり果てた姿を交互に見つめる津村の背筋を、冷たいものが一筋、静かに滑り落ちていく――。

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