エピソード18 選ばれし者、津村宗一郎
下宿先の天井を見上げるAIグラスの視界の中で、A.I.D.A.の青いプロンプトの光が微かに明滅した。
蓄積された膨大なデータベースを高速で検索し終えると、A.I.D.A.は静かなトーンで蓮に語りかけた。
「蓮、コンタクトすべきターゲットについて、様々な角度の分析を行い、最適な人物の選定が完了しました」
「本当か? 一体誰を狙うべきなんだ、A.I.D.A.」
蓮は急かしながらA.I.D.A.に問い返した。
「ターゲットの名は、津村宗一郎。現在、陸軍省軍務局に所属する将校です」
「津村……? 一体、どんな人物なんだ?」
A.I.D.A.は静かに解説を続けると同時に、AIグラスのホログラムディスプレイ上に未来のアーカイブデータを展開した。
視界の端に、二〇四五年の太平洋戦争100周年事業で発掘された古びた個人文書のデジタルスキャンと、幾重もの解析グラフが浮かび上がる。
「彼は二〇四五年に行われた太平洋戦争100周年事業に於ける壮大な史実調査・研究が行われた際、存在が確認された人物となります。その事業が行われる前までは歴史の表舞台や既存の公的記録には一切その名が残っていなかった――つまり、それまで誰にも発見されていなかった人物となります。」
「しかし、その徹底的な調査により、民間の奥底から遺された微細な個人文書や、非公式の走り書きの覚書が発掘され、はじめてその名前や、極めて先見的な考え方、そして当時の動向が現代に発見されることになりました」
ホログラムに浮かぶ黄ばんだ覚書の文字を見つめながら、蓮は息を呑んだ。
「歴史の闇に埋もれていた男が、100周年事業の調査によって初めて光を浴びたってことか……?」
「はい。彼は極めて聡明で徹底した現実主義者であり、陸軍省内においても数少ない対米講和論者の一人でした。当時の主流派である強硬派からは完全に無視され、まともに取り合ってもらえなかったため、戦後も長く歴史の片隅にすら登らなかった『幻の人物』と言えます」
津村という人物の背景を聞いた蓮は、胸の奥で強く頷いた。
「……なるほど。誰にも知られず、歴史の隙間で孤独に正気を保ち続け、現実を見据えていた男か。俺たちが協力する相手として、これ以上ない人物だと言えるかもしれない」
A.I.D.A.は青い光を穏やかにまたたかせ、さらに言葉を重ねる。
「この事業による調査の結果、著名な歴史家や専門機関等の間では、この人物がもし戦火を生き延び、やがて陸軍のトップに立つことができていたならば、無謀な拡大路線は回避され、日本の運命そのものが大きく異なるものになっていたはずだと言われるほどの『歴史のifを担う偉人』として評価されています」
その説明を耳にした蓮は、静かにその重みを受け止めるように腕を組んだ。AIグラスの向こうで視線を細め、淡々と思考を巡らせる。
「……なるほどな。特攻や精神論ばかりが持て囃されたあの組織の中で、もし彼が上に立てていれば、組織そのものの致命的な暴走を防げたかもしれないってわけだ。派手な英雄じゃないが、この狂った時代をまともな方向へ引き戻すためには、確かに一番理にかなった選択肢だな」
蓮は納得の色を浮かべながら、小さく息を吐き出した。
「歴史の歯車を正すために必要だった『失われた歯車』が、ちょうどそこに見つかったってことか。」
だが、蓮はふと冷静さを保ったまま、A.I.D.A.に慎重な意見をぶつける。
「待てよ、A.I.D.A.。未来の歴史のデータベースにようやく発見されたとはいえ、今の現実の彼が、本当にその記録通りの人物なのか、それともすでに絶望して諦めてしまっているのかは分からない。実際にどんな行動や考え方をしている人物なのか、事前にしっかり調査した方がいいんじゃないか?」
A.I.D.A.は即座に肯定の光を返す。
「おっしゃる通りです、蓮。歴史上のデータと、現在の本人が一致しているかを確認するためにも、まずは日々の動向調査と発言内容の分析を徹底的に行いましょう」
「よし、決まりだ。一週間、彼の動きを徹底的に観察しよう」
それからの一週間、蓮は「蒼莱」の技術を応用した超小型のリフレクターを駆使し、隠密裏に動いた。
重苦しい空気が漂う陸軍省の廊下。
タバコの煙と怒号が充満する緊迫した会議室の片隅や、津村が通う往来の影へと、肉眼では捉えられない微小なリフレクターを誰にも気づかれないよう極秘裏に設置、追尾させていく。
リフレクターを介して、緊迫した会議室での津村の発言や周囲の冷ややかな反応、さらには日常の様子を、A.I.D.A.は漏れなくリアルタイムでキャッチし、データベースにデータとして集積・解析していった。
会議室に響くのは、大言壮語と精神論ばかりの強硬派たちの怒号だった。
物資の枯渇も、工業生産力の圧倒的な差も無視し、ただ「大和魂」を叫ぶ者たち。
その中で、津村宗一郎だけは擦り切れた軍服の襟元を正し、冷徹なまでの数字を突きつけ、静かに、しかし鋭く異を唱えていた。
「――このままの兵站計画では、半年ももたぬ。数字を見ろ。戦争とは気力ではなく算術だ」
周囲から浴びせられる冷ややかな視線や、「非国民」と囁く陰口にも、津村は微動だにしなかった。
孤立しながらも、彼は現実の数字から決して目を背けなかったのだ。
また、仕事場を離れた自宅での姿もA.I.D.A.のデータは捉えていた。
家族の前では穏やかでありながらも、日本の将来を憂い、夜遅くまで灯油ランプの微光の中で机に向かってペンを走らせるその背中には、揺るぎない誠実な生き様が刻まれていた。
データを通じて、津村が単なる不満分子ではなく、狂気の時代の中で孤独に真実を見据え続けている本物の知性人であること――その確たる証拠が次々と積み上がっていった。
一週間の調査期間が終わり、深夜の静まり返った神崎家の自室にて、蓮とA.I.D.A.は最終的な検討を行った。
「A.I.D.A.、どうだ? この一週間集めた彼の発言や行動のデータを振り返って、結論を出してくれ」
AIグラスのディスプレイに、津村の行動ログと2045年の歴史データベースの照合結果が幾重ものグラフとなって浮かび上がった。
「解析を完了しました、蓮。結論を申し上げます。未来の歴史調査の内容と、現在の津村宗一郎本人の思想、行動、そして倫理観の間に、一切の齟齬はありません」
A.I.D.A.のトーンに、微かな確信の色が混じる。
「彼は、歴史の記録通り、あるいはそれ以上に『自らの意志で現実を直視し、組織の狂気に抗おうとしている数少ない逸材』です。これほどの適格者は他に見当たりません」
「……そうか。データがそれを証明しているなら、もう迷う必要はないな」
蓮は深く息を吸い込み、拳を握りしめた。
「彼こそが、この狂気の時代に共に日本と国民を守るための、信頼に値するパートナーだ。いよいよ、コンタクトを実行しよう」
一週間の密かな調査を終えた蓮は、すべての確信と決意を胸に、静まり返った夜の東京の闇へと足を踏み出した。
冷えた夜風の中、目的地である津村宗一郎の自宅へと向かう。
周囲の家々が眠りにつこうとする中、懐に秘めた未来の情報と、変えるべき歴史の重みを感じながら、蓮は迷うことなくその静寂な邸宅の木の扉の前に立った。
緊迫した空気を吸い込み、蓮は意を決して、静まり返った夜気を切り裂くように木の板戸をノックした。
(コン、コン――)
夜の闇と冷たい夜気に響いた乾いたノックの音が、歴史の歯車を大きく動かす合図となっていた。
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