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暗躍する御内人

 叡尊(えいそん)さまは八幡宮にて、戦いの報告を聞き終えました。


 そのあまりにも壮大な出来事に天下属静謐――辺り一面が静寂に包まれたのです。


 叡尊(えいそん)さまは次のようにお言葉を述べられました。


「八幡宮にて音が鳴りしとき、それは大風が吹いた時と同刻なり、つまりあれこそが御託宣(ごたくせん)、風を吹かせて滅亡させんと西国の馬より早くお告げになられた、神のお告げに違いないでしょう」


「おお!」

「あれが御託宣でしたか!」


「いいですか皆さん。

 賊徒の大将軍は海上に青龍が出現するのを見て逃げ去りました。

 文永では猛火を出しました。

 弘安では大風を吹かしました。

 これすなわち水火風の三災いです。

 末世でなくとも「三災害」を起こせる、これこそ神の意思が自在である、ということです」


 叡尊(えいそん)さまは遠くを見ずとも何が起こっていたのかすべてわかっていたのです。


 これこそが八幡さまのお力であると、あの方にはわかっていたのです。


 さて、この未曽有の危機を目前にして、私たちはこの神々の霊験をのちの世にも正しく伝え、残さないといけないと悟りました。


 そこで細かいことを全て漏らさず、この「八幡愚童訓」に書くことにしたのです。



 ――――――――――



「これで弘安の合戦も終わりました。最後にこの書には平家と通じる素晴らしい一説で締めくくっていますのでそれを読みます」


 そう言って和尚は背をぴんと伸ばしてから、厳かな雰囲気でその一説を読む。


「盛者必衰ノ理ハ有為無常ノ習也」


 それは平家物語にも書かれている有名な一説をあげて、〈帝国〉もやはり同じ道を歩むのは世の習いと言っている。


「……?」


 とはいえ、童たちはそこまで学がないので、意味を理解できていない。


「ほっほっほ、いつかわかる日が来ますよ。さ、今日で八幡愚童訓に書かれている『むくりこくり鬼』の襲来とそれを撃退した八幡菩薩さまのお話は終わりです。次からは別の章である神功皇后さまによる異敵降伏の話でもしましょう。それまで八幡菩薩さまへのお祈りを欠かさないでくださいね」


「はーい!」

「和尚さよならー!」

「巫女のお姉ちゃんバイバイ!」


 そういって童たちはお寺を飛び出した。

 まだ幼くも若く体力にあふれる彼らは飛ぶように駆け抜ける。


「なあなあ、八幡さまってすげーな!」

「なに言ってるの。あれはウソだよ。ウソばっかりよ」

「えっ!? 巫女さんウソなの!?」


「違うよ。最後の話がウソよ」

「最後の話ってどこだよ!」

「つまり、和尚が言ってた――実はこの真相はこうだったのだ。って部分からね」

「うーんと、文永の水城の手前で少弐が矢で敵を倒したあと辺りかな」

「そうそう、それから弘安はなんとかって僧侶が祈祷した後に伝令の話を聞いてからね」

「よかった。武者巫女さんはいたんだ」


「じゃあ、お前は八幡さまや白い神兵それに龍や妖怪がウソだっていうんだな!」

「そう、そんなのいないに決まってる」

「わかった。なら次から夜中に厠へ一緒に行ってやんない! ふん!」

「えぇ……。ちょっと待って、待って……ヤダよ怖いよ。妖怪なんていないけど一緒に来てよ……」


「わっ引っ付くなって、いないなら別に一人で行けるだろ」

「ぐす……わかったよ。いるよ信じるから、龍も妖怪も信じるから、おにいちゃん意地悪言わないで!!」


「……あれ、八幡さま信じるのなら別に一人で行けるんじゃないかな」


「むーー、巫女に鼻の下伸ばした助平もきらいっ!」

「おい、妹をいじめるな」

「そんな理不尽なっ!!」


「仲直りに俺んちまで競争な!」

「おっ先!」

「あ、ずるい!」

「まってー!」

「あはははは」

「きゃははは」

「ひ~~~」


 童たちは八幡愚童訓に多少の疑問を持ちつつも、大まかな内容は正しいと信じた。

 そして深くは考えずにそれぞれの家へと帰っていった。



 そして童の一人がまた夢を見る。



 ――――――――――



「はぁはぁ……何とか異賊たちに勝てた」

「竹崎の旦那、戦いは終わりました、帰りましょう」

「うむ、共に帰還しようではないか」

「ああ、そうだな。しかし………………なぜ巴さまはあちらの世界に帰らないのですか?」

「それなのだが、どうも叡尊(えいそん)さまのお力が強く、現世に定着してしまったようなのだ。仕方ないのでお主の里でしばし現世を満喫しようと思ってな」


「いやいやいやいや」

「いやいやいやいや」


「それから、ワシらを運んだ天狗三人も羽を休めたいと言っておる」

「よろしくお願いします」

「ちなみに天狗は元僧侶なのですが、私たちは尼天狗になります」

「……別に襲ったりしないのでご安心を」


「なんだと!?」

「そうなの!?」


「妖怪であっても元とはいえ朝廷側の関係者じゃないと、その大合戦に不釣り合いですから……」

「こちらもいろいろ事情がありまして……」

「……服装も陰陽師服だったり御子服だったり、いろいろな影響受けちゃうんですよ」


「いやいやいやいや」

「いやいやいやいや」


「お主らいつまでワイワイやっておるのだ。わしゃ疲れたから早う行こうぞ」


「え、だれ?」

「巫女さん? なんで巫女さんが??」

「あ~籐源太殿、そちらが青龍さまになられます」

「うむ、せっかく九州まで来たのだから、ちょいと百年ぶりに昔馴染みに顔を出しておこうと思ってのぅ。そのあいだお主の里にワシも厄介になるぞ」


「いやいや、こんな異類異形の大所帯で里に帰ったら、何を言われるか……おおぅ、どうしよう」

「旦那ぁ、ヤバいですよ。こんな女性ばかり連れて帰ったら、ヤバいですよ……」




 み、みみみみみみみみ――――



 ――――――――――



「――――巫女さんだー!!」


 童はそこで目が覚めた。

 あたりを見渡すと父親がきょとんとした顔をしている。


「どうした? 怖い夢でも見たのか?」

「……ううん。昨日、八幡菩薩さまの活躍を聞いて、なぜか夢に巫女さんが――あれどんな夢だっけ? 僕どこかおかしいのかな?」


 童は子供から大人へ、その間にある変化に戸惑っていた。

 父親は神妙な面持ちから、ふと穏やかな顔になる。


「そうか、やっぱりお前は俺の息子だな」

「!?」


 父は我が子の成長をただ純粋に喜んだ。

 そして八幡愚童訓を聞いて同じ道を歩んでしまったことに、喜んでいた。


「――それじゃあ、父ちゃん!」


「ああ、――武者巫女はいいぞ。最高だ!」


「うん!」


 ――ガシッ!


 こうして、徐々にしかし確実に、世代を越えて八幡愚童訓の内容が人々に浸透していく。








































 お寺の和尚は閑散とした敷地内で一人涼んでいた。

 彼は若かりし頃、門外不出の蔵書を乱読したことがあり、たまに昔のことを思い出す。

 それは八幡愚童訓に関連すると思われる不思議な書だった。


 それはある高僧の日記であり、弘安の合戦後に書かれたものである。



 ――――――――――



 今日は関東御使である合田五郎殿が参られた。

 顔に傷があり、凄みのある男だ。


 風の噂によると異賊襲来以降、鎌倉の御内人と呼ばれる者が何やら動き回っていると聞く。

 叡尊(えいそん)さまが弱っている今こそ、私どもが鎌倉に対して毅然とした対応をしなければいけない。


「これはこれは合田殿、わざわざこのような山奥へ参られて疲れましたでしょう」

「ご存じの通り私ども関東御使は鎌倉殿、そして執権殿のために東西の情報収集、交渉、ときには各守護代への命令などを行っております。お寺へ伺うぐらいで疲れたりしません。そして、今回は執権殿の直々の意向と思っていただきたい」


 合田はそう言って、自分は執権の代理だと言い切った。

 しかし北条時宗殿はすでに伏せられ、次代は十二歳で就任した貞時殿。

 さらに今の最大権力者は安達泰盛――あの噂は正しいようだ。


「それでどういったご用件か伺ってもよろしいでしょうか?」

「二件あります。文永の筥崎、そして弘安は六月九日の件で……」


 筥崎とは筥崎宮炎上のことだろう。

 それから六月の九日――その日は朝廷側の武士と僧兵を中心とした兵が志賀島に果敢に攻め込み、そのほぼすべてが討死した日、と聞き及んでいる。

 この二件について何やら話したいことがある、という。


「もしや……我々寺院が有する僧兵と朝廷に対する恩賞が決まったのですかな。何せ預けた兵およそ二万そのほぼすべてが討死の功にあずかれるとなれば、その恩賞はどこかの国一つほどでないと釣り合いませんからな。はははははは」


「ふふふふふ、いやはや手厳しい。まさにそこが問題なのですよ。此度の戦は外敵からの防衛戦争、初めから恩賞など無きに等しいものになる。残念ですが、どれほど被害が出ようと恩賞を支給することはできません。本当に残念です」


 彼は、恩賞はないと言い切った。

 しかしこの御内人の手の者が九国一帯の土地の所有関係を、それも安達氏を中心に調べているのはわかっている。

 そもそも土地の利権は起請文による神仏立ち合いのもと成り立っている。

 彼らが安達と少弐に何か仕掛けようとしているのは明白だ。


 普通なら鎌倉内の権力争いに関わらないのが通例となる。

 しかし気が付いたら、朝廷だけが貧乏くじを引く、それだけは避けなければならない。


「ふむ、しかしそうなると朝廷に仕えた武士たちの家族が不憫でなりませんな。さすがに京の都も食料の供給が乏しく、これでは子が育つ数年も養うこともできないでしょう。まさか戦った者に何ら手当をしないというのは問題になりますぞ」


「なるほど、確かに京の混乱ぶりはこの目で見て参りました」

「ええ、そうでしょうそうでしょう。――ここはやはり()()殿に相談するべきでしょうか?」

「…………」


 合田に僅かであるが、心の揺らぎが見て取れた。

 やはり鎌倉で何かが起きようとしている。


「本当によろしいのでしょうか?」と合田が訊ねた。

「何が、ですかな?」


「信仰心篤い僧兵たちが全滅した、というのが流布されて困るのはそちらもでしょう。それでは八幡さまの御威光が地に落ちたも当然となる。今は次の〈帝国〉との戦いを見据えて、あなた方朝廷は見向きをされていません。が、時がたちいろいろ噂話が出ますと、どうも信仰では〈帝国〉を倒せない――そう気づく日が来るかもしれません」


 まさに朝廷にのしかかる問題がそこだ。

 朝廷の権威は風前の灯火、それどころか合戦で足を引っ張って無能を晒している。


「ふぅ、……筥崎宮の炎上に志賀島敗北、信仰が揺らぐ問題がいくつも起きているのは事実です。それでわざわざお越しして懸念を伝えたということは、何か案か取引があるということですね?」


 我々は何らかの恩賞がなければ苦しい、しかし大々的に討死の功を得るわけにはいかない。

 彼らは恩賞をできるだけ少なくしたい、しかし安達奇襲の際に横やりが入らないようにしたい。

 さて、彼はこの問題をどう解決してくれるのだろう?


「取引、たしかにその通りです。少々長くなりますが――」


 合田が持ち掛けた内容は驚くべきものだった。

 まず筥崎宮と志賀島の件を後世に残らないようにする。

 つまり新しい物語をつくり、朝廷が率先して流布するというものだ。


 そして、その物語から恩賞は討死の功による個別の配給ではなく、神威を知らしめた朝廷の祈祷に対して配給するというものだ。


「それではくれぐれも、叡尊殿には内密に進めてください。私の方も内密に恩賞地やあるいは徳政令について考えておきます」彼はそう言って去っていった。


 そう、これは口約束にすぎない。

 できるだけ内密に進め、そして表向きは八幡菩薩さまの御威光の物語を作る、という建前でないといけない。


「誰かいますか?」

「はい、何か御用でしょうか?」

「すぐに遣いの者を派遣しなさい。内容は各寺院に対して弁の立つ者を八幡宮に集めること」

「弁の立つ者……ですか?」

「ええ、特に言葉巧みに御家人から土地を奪った実績のある僧侶たちです」

「はぁ……わかりました」


 その後――。


 弁の立つ者、つまり詐欺師の素質が高い僧侶を集めさせる。

 そして彼らに試行錯誤させて二冊の本を作らせた。

 その本の名は「八幡愚童訓」である。


 その本の前半はおおよそ戦いの推移を述べながら、失火や僧兵の討死が印象にのこらない物語。

 そして後半は誰が読んでもウソだとわかる八幡菩薩、その活躍の物語。


 こうすることで後半を信じない者ほど、前半はそのすべてが正しいと誤認する。

 さらに鎌倉幕府に敵対的な菊池、海賊の河野、本書の制作途中で起きた「霜月騒動」で没落した少弐を活躍させることで、潜在的に彼らは朝廷側という印象を与える。


 ――まさに天下を欺く物語と言えよう。


 最後に私に僅かに残っていた良心から、この一連の出来事をここに記載する。


「ふむ、この本のカラクリに誰が気づくだろうか?」



 ――――――――――



「――和尚、私どもはそろそろ休みます」

「ええ、わかりました」


 手伝いの巫女たちの声で、和尚ははるか昔に読んだ――そして後に焚書として燃やされた本について考えるのを止めた。



 かつて鎌倉幕府が存在し、そこでは権謀術数が渦巻く権力争いと、族滅という一族郎党根絶やしが横行していた。


 その鎌倉は滅び、〈帝国〉も〈王国〉も滅んだ。


 そのあと権力の座に返り咲いた朝廷も結局、南北に分裂した。


 室町の世も長くは続かない――。


 和尚はそこまで考えを巡らせてから、一言つぶやく。


「まさに諸行無常と言いましょう」


恐ろしいほど用意周到な奇書。俺じゃなかったら見逃してたね。


冗談です。この死亡フラグからわかるように、本小説内での八幡愚童訓の位置づけであって、史実と混同すると死ぬほど恥をかきます。ご注意を。


ただ最新の元寇研究では八幡愚童訓を宗教本とかオカルト本とこき下ろすのが流行りですね。

しかし筆者的にはむしろ700年前のご先祖様もやっぱり日本人だったというサブカル史で取り上げるべき重要書物だと思っています。

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