弘安の役 御厨半島の戦い
――閏七月七日。
鷹島に軍を進めた少弐景資の軍勢と撤退の準備を進める南宋兵たちのにらみ合いが続く。
少弐の軍勢は松浦党と合流して二手に分かれた。
一つは鷹島の東側、その対岸に位置する松浦半島星賀を中心とした漁村。
ここに松浦党のほとんどの水軍が集結している。
もう一つは鷹島の南西にある御厨半島。
ここにマハマド将軍の部隊と対峙するように展開している。
御厨半島の部隊はマハマド将軍の帰りを待ち、そのまま取り残されていた。
マハマドも出航数日目に兵を置き去りにして撤退するとは思ってもみなかった。
しかしそれが幸いして御厨半島強襲上陸用の船団が残っていたといえる。
南宋兵たちは打ち上げられた小舟を修理し、半島の部隊と連絡をとり、道具がない中鎖を取り除く作業をしていた。
南宋兵たちの最後の希望――最後の船がこの連環船になる。
この御厨半島を半包囲する集団に藤原資門という御家人がいる。
彼は肥前国の御家人であるが、本職として黒尾社で宮司をしている。
つまり武装宮司という異色の御家人になる。
そうは言っても、この時代の御家人とは将軍の下に仕える身分のことであり、宮司、仏道さらには陰陽道や医道の文官も将軍に仕えるのであれば広く御家人ではある。
彼は神職としての業務もあり鍛錬量で言えば五郎を含めて他の御家人より一歩劣る。
普通以下の御家人だった。
そういうこともあり、体格は他の者より一回り小さい。
「資門殿、いつ動きます?」
「そうですね。相手の出方が見えませんので少し待ちましょう。時が経てば博多湾の船がこちらに来て海と陸から一気に攻撃できましょう」
「おお、さっすが社仕えの方は頭の良い方だ」
「それならもう少し待ちましょうや」
「しかし攻め時というのはいつか訪れましょう。ですのでいつでも戦える準備だけは怠らないでください」
「応っ!」
資門は他の御家人より劣るがそれでも職業柄の雰囲気から皆のまとめ役のようになっていた。
両者がにらみ合う中、『カン! カン! カン!』、と鎖を壊す音が鳴り続ける。
この音がなくなるとき、均衡が崩れるのだった。
「鎖が取れたぞ!」
「!?」
その歓喜の混じった声が響き渡る。
だが兵たちの脳裏によぎったのは――この数十隻程度で志賀島の万の兵を乗せて帰ることができるのか?
――否である。断じて否である。
陣地を守っていた兵たちが互いに顔を見合わせる。
そのこわばった顔には信頼という文字は書かれていなかった。
特に御厨半島の兵は〈帝国〉、〈王国〉、南宋の兵が入り混じっていた。
一人の兵が持ち場を離れて駆け出した。
「どけ! 俺が先に乗る!!」
その兵が皮切りとなり、雪崩を打って逃げ出した。
「うわあああああ!」
「どけどけ、どけ!」
「ふざけるな! 持ち場を離れるな!!」
もはや陣形は乱れ我先にと駆け出す。
藤原資門は攻め時が来たと判断する。
「今が好機! 全員かかれぇ!」
「おおぉぉ!!」
藤原資門を先頭に、縦列騎馬突撃が始まった。
「弓引けぇ!」
崩れた敵に追い討ちをかける。
もはや城山に造った強固な陣地に人は居ない。
そのまま逃げ惑う敵の後ろに矢を射る。
「放てぇ!」
「応!」
「ぎゃああああ!」
浦に殺到した兵たちを打ち取っていく。
この御厨半島の石築地から脱出したことから、この地は「逃げの浦」と呼ばれるようになる。
何人かは打ち取られたが船に乗り込むことができた兵もいる。
藤原資門はその沖へと出航した最後尾の船に馬でかけて乗り込む。
「ぎゃあ!?」
「終いです!」
藤原資門が乗り移った船は一番小さな小舟で敵兵が一人と水夫が一人乗っているのみだった。
「破ぁぁぁぁ!」
「どりゃぁぁ!」
すぐさま至近距離での打ち合いになる。
何度か得物を叩き合った末に競り勝ったのは資門だった。
その刀で首を切り落とし見事首を分捕る。
「ひっぃぃ……」
〈帝国〉の水夫は非戦闘員なので降参の意思表示として早々に手をあげた。
「そのまま動くな!」
「コクコク……」
藤原資門はこの日、敵首一つと捕虜一名を得た。
他の武士たちも船に乗り込んでいき、敵兵を打ち取っていく。
何隻かは討ち漏らしたが、あとは松浦党が仕留めるだろうと判断する。
「はぁはぁ……雑兵の首一つに捕虜一人か……ちっ」
資門は矢が一本胴に刺さっていた。
深くはない。まだ戦える。
資門は損得勘定を始めた。
雑兵の首一つと、捕虜では恩賞としては不足だ。
そう考えていたら、東でも動きがあった。
銅鑼の音と怒号がここまで届く。
まさに鷹島の東にて上陸作戦が始まったのだ。
「おい、そこの水夫」
「ひぇぇ……」
「あれを見ろ。あそこへ――行け」
指さす方を見て水夫も何を望んでいるのか理解する。そして首を縦に振り、櫓を手に持つ。
「皆の者、雑兵の首では功績にならない。私はあの戦場に行くが皆はどうする!」
「いやはや宮司さまがそういうなら俺たちはもっと戦わないと評価されないんだろうな」
「さっすが大宮司はオラたちとは頭の出来が違いますな」
「よしさっそくもっと首を分捕るために行くぞ!」
「おお!!」
御厨半島で戦っていた武士たちは分捕った船で鷹島へと向かう。
彼らは薙刀の先に分捕った首を掲げて、鷹島へと上陸していく。
彼らの後には首のない南宋兵たちの死体が横たわっていた。
のちに地元の住人たちが弔うために千人塚がもうけられる。
それはほぼ一方的におびただしい数の死者を出したことに他ならない。
御厨半島の残党全滅。 最後の船団壊滅。
この御厨半島の戦いから辛うじて逃げ出せた兵もいた。
南宋兵が三人、そして〈王国〉兵が十一人となる。
彼らは鷹島には寄らず、そのまま船をこぎ続け、そのまま脱出した。
後年、彼らは仲間を見捨てた恥ずべき行為から黙して何も語らなかった。
そのため周りの人々はこう結論付けた。
鷹島へ上陸した十万の兵は全滅した、と。
黒尾社大宮司藤原経門申状「於千崎息乗移于賊船、資門乍被疵、生虜一人分取一人了、将又攻上鷹嶋棟原、致合戦忠之刻、生慮二人了」
大まかな訳、「千崎沖(現:津崎鼻)で賊船に乗り移った。そこで資門怪我する。捕虜一人分捕り一人。鷹島へも上陸して、合戦して、捕虜二名得た」
普通の御家人(鎌倉比)より弱い、殺伐系武装宮司・藤原資門。普通ってなんだっけ?
ちなみに通説は――特にありません。




