帝国 突撃公 劉復亨
〈帝国〉が建国したばかりのごく初期の時代、耶律楚材という文官が初代皇帝に仕えていた。
この男は皆から「ヒゲの長い人」という意味のウト・サカルと呼ばれていた。
その名の通りサカルは立派なヒゲを貯えているので、遠目で見てもサカルだけはよく目立った。
彼が皇帝の目に留まったのもそのヒゲによるところが大きい。
二代目皇帝の時代、略奪以外の生業を知らなかった〈帝国〉に官僚式の税制を導入したのがこのサカルになる。
戸籍制度による新税制は定住者たちから安定して高い収益を生み出した。
皇帝の信用を得たサカルは学問の重要性を説き、教育に力を入れるようになる。
そのおかげで多数の官僚を供給する体制を整えることに成功し、〈帝国〉を国家へと変貌させた。
それと同時に本質的に暴虐の限りを尽くす騎馬民族から弱者たちを守りぬいたともいえる。
そのサカルの下に一人の麒麟児が預けられた。
名を劉復亨という。
千戸長である父――劉通に武官になる前に学問を学ばせるために送られた。
〈帝国〉は拡大する一方なので千戸長の数が常に不足していた。
そこで征服地の武官文官をそのまま採用することが通例となっていた。
漢人軍閥に属する劉通は息子に領地経営ができる武官になってもらいたかったのだ。
――二十年後。
劉復亨は立派な武将となり、四代目皇帝の遠征軍として出陣した。
いくつもの戦場で華々しい功績をあげる彼は師に倣って立派なヒゲを貯えた。
その存在感は〈帝国〉軍の中でもひときわ目立つ存在だった。
四代目皇帝が亡くなり、五代目継承戦争が始まると彼は現皇帝の配下になり親衛軍として活躍した。
彼は戦乱の中で兵たちが困窮すると私財をなげうって彼らを助けた。
その行為に感動した皇帝に報奨金を与えられてもそれを固辞して貧しい者たちに分けた。
彼はヒゲだけでなく生き方も師であるサカルのように振舞うことを心掛けていた。
齢六十をすぎて老齢を迎えたころ、東方遠征軍の征東左副都元帥――つまり大将軍クドゥンの副将として参戦した。
麁原の山頂に二人の巨漢の男が立ち並んだ。
大将軍クドゥンと副将劉復亨の二人だ。
クドゥンは常に笑顔であるが、その目には冷酷な光を宿している。
対して劉復亨は顔面が傷だらけで威圧的なこわもてだが、その目だけは優しさの色を帯びている。
その劉復亨が立派なヒゲを撫でながら麁原の東を見る。
「つまり我にあの干潟まで突撃して北に集結した敵を一網打尽にせよと言うのだな」
「ええ、そうなります。ぜひ劉さんにお願いしたいのです」
劉はしばし考える。
そして口を開いた。
「いいだろう。しかし我が失敗したときは――」
「ええ、もちろん逐次投入などという愚かなことはしませんよ」
「ならばよい」
王某を含めた隊長格たちはこの二人の会話に衝撃を受けた。
あの劉復亨が負ける前提で話を進めるだと!?
それはあり得ない話だった。
この遠征軍の中で武勇のみで言えばクドゥンをはるかに上回る武人の中の武人。
その劉復亨が重装騎兵で突撃すれば負ける可能性があると言っているのだ。
突撃の準備に入った劉に王某が話しかける。
「劉将軍、あなたの様な方がなぜ負けると思うのです?」
「某よ。我は負けると思ってはいない。しかし個人の力が軍の力に勝てないように重騎兵では勝てない、相性の悪い敵がいるものだ」
「それが〈島国〉だと」
「実のところ我でもわからぬのだ。だから某が上から見て、どうすれば勝てるのかよく観察してくれぬか」
「わからないのなら別の誰か――」
「某や、あのクドゥンは未知の敵を知るためなら若者を湯水の如く死なせてもなんとも思わない恐ろしい男だ。我はすでに老兵の身、ならば先の長い若者を使い潰すより、いつ死んでもおかしくない我が行く方が理にかなっておるだろう」
「劉将軍――ハッ、わかりました」
「うむうむ、では行って参る」
王某は実は劉復亨が苦手だ。
会話をしているとなぜか孫に話しかけるかのような態度になるので、どうにもむず痒くてたまらなくなる。
しかし好き嫌いで言えばサカルの門下生として恥じぬ武人だと好ましく思っている。
そんな劉復亨の出陣を皆が見守った。
重騎兵は本来なら弱った敵に対して最後の突撃をもって止めを刺すのが役割だ。
まだまだ余力のある敵とぶつかると生存率が低くなる。
それでは潤沢な資金を投じてそろえた薄片鎧と鎧馬をまとった重騎兵が死に過ぎて、損失が多大になってしまう。
天下の大将軍は敵の力量を知るために、あえて初戦でぶつける価値があると判断した。
だからすべての将校が彼を見守った。
『喝―ッッ!!』
彼の大喝が天に響いた。それと同時に銅鑼が彼に勇気を与えるかのように大音響で出陣を後押しする。
劉は垣楯線目がけて一直線に駆ける。
その突然の奇襲に弓兵たちが矢を射る。
何本かは鎧にぶつかり火花が散る。
それでも止まらず劉は目の前の垣楯を破壊した。
遠目に輜重隊が見える。
牛を引く青年――まだ子供に見える。
――そこから南へ逃げてくれ。
そう思った時、一騎の騎兵が正面からきた。
――そうだ弱者をいたぶる趣味はない。百の敵に恐れず立ち向かう勇敢な戦士と戦いたいのだ。
劉は鎚矛を敵は刀を振るい、両者がぶつかり合う。
その細身の刀は鉄塊と言っていい鎚矛にかなうはずがなく、折れるのがわかった。
騎兵同士なら打ち負かせる。
そう思った時――。
「劉将軍! 前です!!」
「――っ!?」
重装弓騎兵が左から駆けてきた。
そしてすれ違いざまに無数の矢が放たれる。
「なるほど、得物が違い過ぎるわ」
その時、無数の火花が散り、一矢が劉に刺さる。
「グオオオォォ!!」
劉将軍の咆哮に部下たちが叫ぶ。
「劉将軍ーーっ!!!」
彼らは将軍を担いで麁原へと撤退してく。
彼らにとって将軍は恩人であり憧れの人物。
鉄の規律を有する〈帝国〉であっても、例え命令違反であっても。
彼らはとっさに劉将軍を助けることを選んだ。
「将軍っ!」
「劉将軍!!」
皆が涙を流しながら将軍の下に駆けつける。
「バカ者、我ではなく与えられた任務をまっとうせぬか」
「我々はどうなっても構いません! それより将軍の治療が先です!」
こうして〈帝国〉による最大の計略は失敗に終わった。
表向きは――。
「んっふっふ、劉さんは素晴らしい仕事をしてくれました。彼の功績に免じて部下たちの背任行為は目をつぶりましょう」
クドゥンは山頂ですべてを見ていた。
彼らの兵装を、彼らの戦術を、彼らの補給を、彼らの指揮系統を、自らが仕掛けた計略にいつ気付くのかを、すべて見ていた。
「王某さん」
「ハッ!」
「船の手配をして劉さんを先に乗船させてください」
「先に……ですか?」
「ええ、それから敵は包囲を解いたので、金蝉脱殻。兵たちを密かに乗船させてください」
「え、それはつまり」
「ええ、これ以上戦っても損害が増えるばかりです。帰りますよ」
「ハッ!」
金蝉脱殻――兵法三十六計の一つで、強敵から撤退する時に追い討ちを受けないようにするための計略となる。
この計略ではセミの抜け殻のように、あたかもその場に軍勢がいるかのように見せて、実は主力を撤退させている目くらましの一種となる。
王某は命令を下す。
「船から旗をできるだけ運び出せ! その積み出しに紛れて負傷兵から順に乗船せよ!」
麁原を中心に大量の旗を立てていき、あたかも大軍が上陸したかのように見せかける。
だがその旗に隠れて主力を含めてほとんどの兵を乗船させることにしたのだ。
「どれほど時間がかかる?」王某が百人隊長に問う。
「ハッ悟られないようにするため夕方までかかると思われます」
「それまで戦いが起きないことを祈るとしよう」
その祈りが通じたわけではないが、その後〈島国〉側から攻勢に出ることはなかった。
包囲殲滅を警戒したのだろう。
王某は思う。
もしや、この撤退までの流れを作るためにあえて突撃をさせたのか……。
もしそうだとするなら、クドゥンという男はどこまで戦況の先読みをしていたのだ……。
味方でありながら敵よりも恐ろしい男。
それが王某のクドゥンの評価となった。
アンゴルでモアな作品では若々しくなってますが、ホントはおじいちゃん。それが劉将軍。
(漫画アニメ映えを考えると若くなるのはしょうがない)
もうそろそろ帝国サイドの紹介が終わるので、そしたら弘安の役の始まりです。




