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文永の役 炎上

 

 夕方になり武士たちが麁原の陣を解いて博多に戻っていく。


 五郎はその後も牛飼いたちと行動を共にしていた。


 彼ら牛飼い集団は敵将の突撃を目の当たりにしてすっかり腰が引けていた。

 そこで彼らを安心させるために五郎がついてのだ。


 矢が何本も刺さり、刀は折れ、すでに満身創痍である。

 しかし皆を安心させるために顔に出さずにいた。


「皆は疲れていないか」


 五郎は土地を治める者――御家人として皆を気遣っていた。


「あっしらは大丈夫です。それより五郎の旦那のほうがお疲れでしょう」

「そうだよ。五郎さんも少しは休んだ方がいいよ」シノも含めて皆が心配していた。


「多少傷を負ったが、武士にとって矢傷手負いは勲功だ。問題ない」

「五郎よ、あまりヤセ我慢をするな」


 三井三郎には義弟のそのような見栄っ張りな所を見透かされていた。


「う、義兄上少しは察してくだされ」

「ダメですよ。五郎の旦那は見張ってないとすぐ危ないことを始めると、野中様にきつく言われていますのでね」

「うぐ、籐源太もかっ!」

「はははっ」皆が笑いその場が和んだ。





 それから冷泉津を船で渡り住吉神社に着いたたあたりで異変に気が付く。


「お、おいあれを見ろ」

「そんな……」



 五郎も胸騒ぎを感じながら人々をかき分ける。


「――っ!?」


 その目に映るのは黒煙と燃え盛る筥崎宮だった。

 そして足元で声がした。


「おっと…………」


 シノだ。牛飼のシノがその光景を見ていた。


「――っ!!」


 彼女はそのまま走り出す。


「やだやだおっとー!!」


 彼女は走り出した。


「はぁはぁ……――きゃっ」


 五郎はそんな彼女を掴んで馬に乗せた。


「筥崎宮まで乗せていく。いいな」

「う、うん。お願いします。おっとーがおっと……ぐすん」


 町に残っていた町民たちで博多はごった返していた。

 唯一の逃げ道である大宰府を目指して移動を始めている。


「そこをどけ!」

「うわっ! 騎兵だ!?」皆が五郎を避けるので道が開けた。


 赤々と燃え広がる筥崎宮へと突入した。






 ――――――――――





 秋の乾燥した時期、大量に運び込まれた米俵に干し草などの物資がよく燃えていた。

 火の手は一気に広がり、筥崎宮周辺の町々にも広がっていく。


「火だ。火の手が上がっている!」

「〈帝国〉だ。奴らが攻めてきたんだ!」

「海の警固はしていたが船一隻来てない! 少弐だ、少弐が乱心して火をつけたんだ!」

「祟りじゃ、祟り神の仕業じゃ!!」


 あまりの出来事にどれが正しいのか全く分からない状態だ。


 博多に戻ってきた少弐たち武将は為すすべなくそれを見ることしかできなかった。


「なんということだ……」

「まさかこれが敵の次の手か!」


 撤退していた少弐たちは戦慄した。

 筥崎宮には兵糧米以外にも博多防衛のために必要な武器や垣楯が集積していた。


「野田ぁ! 答えろ、筥崎宮の物資なしでどこまで戦える!」

「住吉神社の物資はすでに底を尽いて、残りは太宰府のみ…………」


 野田は最後の兵站拠点である大宰府と、その大宰府軍が動かないだろうことを見越した。


「全滅を覚悟したとして一晩のみ……」それが答えだった。

「くぅ……どうするべきか」

「大友殿、筥崎宮の兵糧米が無くなった以上、大宰府から物資と兵を集めなければなりません」

「景資、しかしお主の一門は信用できんぞ」

「わかっています。ここは博多の民を含めて兵の大部分を大宰府に移します。そのあいだ私が住吉と息の浜で敵を防ぎますので大友殿は退避する人々の警固をお願いします」


 少弐景資は最悪の事態を想定した。


「何を水臭い、我ら二人で敵を迎え討とではないか――住吉の方は任せよ!」


「……わかりました。共に戦いましょう!」

「おうよ。皆の者我に続け!!」

「うおおぉぉぉぉ!!」


 博多の町から人々が大挙して避難していく。ある者は牛馬を連れて、ある者は家財を持ち出して。

 とにかく南へ大宰府へと避難する。


 武士たちは三方どこから来てもいいように陣を敷く。


 夜闇を赤々と燃える筥崎宮が照らす。ただじっと敵が来るのを待ち続けた。








 ――――――――――





 燃え盛る筥崎宮を一騎の騎兵が少女と共に駆け抜けた。


 シノの家の方はまだ燃えていなかった。だが煙が充満して視界が悪い。


「けほけほ、おっとう!」シノは泣きながら小屋へと入っていく。

 五郎も馬を降りるが、煙を嫌って馬が逃げていった。


「なっ!? ええい仕方がない」


 足に激痛が走るがそのまま小屋に入る。


「与作殿! 大事ないか!」


 小屋の奥で前から弱っていた与作が目を覚ます。


「……おお、シノ。無事だったか……」

「うん、うん……すぐに連れてくる」

「与作、今連れ出すからな」


 だが与作の様子はどこかおかしかった。


「ああ、五郎の旦那。そちらの馬の世話をすればよろしいのですね。この子は息子の……」

「しっかりしろ与作! ――すまぬが馬を連れてきてくれすぐに連れ出す」

「う、うん」


 与作の目は焦点が合わず、話もとりとめのないものだった。


「ああ、なんと可哀そうな。川辺に捨てられていたのか――しかしウメよ川辺に子を捨てるのは死を嫌う貴族様のような、やんごとなき方々だ。育てるのはどうかと……」

「与作、気をしっかり持たぬか!」


 五郎が叫んだ時、与作の目に生気が戻る。


「ああ、五郎の旦那……彼女を……娘のシノを…………」


 そこで与作の目からすっと生気が抜けるのを感じた。


「五郎さん、馬を連れてきた!」

「……………………」

「五郎さん?」


 その日、博多に来てから世話になっていた与作が亡くなった。彼の娘であるシノはずっと泣き続けていた。

 五郎はそっとしてやりたいところだったが火の手がすぐそこまで迫っていた。


「与作殿をちゃんと弔ってやらねばならん。すぐに発つぞ」

「う、うん……ぐす」


 シノは五郎に連れられて筥崎宮を後にした。


 途中で牛飼集団と合流して与作を彼らに引き渡した。

 牛飼いたちは家財や怪我人そして被害者たちを牛に乗せて大宰府近くの寺を目指した。


「五郎殿! 探しましたぞ!」と籐源太資光が馬に乗ってきた。

「籐源太か、敵はどこにいる!」

「それですが少弐景資様に竹崎の者は怪我人が多いので大宰府まで後退して治療に専念、もしもの時は途中にある水城にて矢戦で敵を撃退せよと言われました」

「そうかわかった。ならば皆で大宰府を目指そう」


 怪我人ということもあり戦線に加わることはなかった。そのまま大宰府を目指す。

 筥崎宮からそして博多から多くの人が合流して、街道が人と牛馬で埋め尽くされた。


「うっく、ひっく……」


 傍らで泣いている彼女を見ながら与作の言っていたことを考えていた。


 川辺に死にそうな子供を捨てるのは死を極端に嫌う京の貴族たちの風習と聞いたことがある。病人が屋敷で亡くなると屋敷が死で穢れるというのが理由だ。


 五郎はその極端なまでに死を嫌う貴族たちの価値観を理解できなかった。五郎だけではない。

 鎌倉武士は基本的に貴族たちの考えが理解できなかった――だからこそ彼らの中心は鎌倉なのである。


「シノ安心せい。お主の父との約束だ。立派になるまで竹崎で面倒を見よう」

「ぐすん……うん」


 彼女は泣きながらただ五郎に強くしがみつくだけだった。







 ――――――――――





 大宰府は混乱していた。

 少弐経資は大量の難民を見ながらつぶやく。


「大宰府の――いや、北九州が止まる……」


 博多および北九州一帯の兵站拠点はこの大宰府になる。

 そこが機能しなくなると、影響は多岐にわたる。


 平時では物流は沿岸沿いの街道が中心となる。しかし沿岸はすべて〈帝国〉に破壊された。

 もう一つは水軍を使った水運になるがこちらも〈帝国〉のせいで止まっている。

 そうなると物流は内陸の大宰府や菊池氏、日田氏の所領のような内側の領地が担うことになる。


 その大宰府の物流が一時的であっても止まる。

 そうなると馬や牛のエサが止まり輸送と戦闘に支障が出る。

 兵糧が無くなれば兵も動けなくなる。

 避難民の食糧を確保できなければ年を越すこともできない。


 飢え死にしてしまう。


 何より問題なのが大宰府に豊富な兵糧があることを前提に南九州や鎌倉から武士団が来ようとしている。

 兵糧がないとわかったら飢えをしのぐために周囲で略奪が始まるだろう。

 侵略阻止のはずが自ら略奪をするなど本末転倒である。


「ど、どうすればよいのだ……」


 少弐経資はただ茫然と人の群れを見ているだけだった。



 皆が大敗北を予感した。


 しかし翌日、予想に反して〈帝国〉は忽然と姿の消したのだった。



この辺の勲功に関係のない出来事は史料がほとんどないんですよね。ざんねん。

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