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文永の役 美髭の武将


 牛飼いのシノは五郎と別れた後に目まぐるしく動き回った。

 武士たちが馬を連れ、牛飼いたちが牛を連れて兵站拠点である住吉神社から物資を持ち運んでいった。


「牛飼い共さっさと荷を運べ!」

「わかっていますよ!」


 牛飼いたちのまとめ役がせっせと運び出す荷物の仕分けをしていく。


「シノ坊は次の連中と一緒に矢の束を運ぶんだ」

「うん、わかった」


 それはいつもの仕事と同じだと思っていた。




 赤坂峠を渡るまでは――。





「ひぃ……し、死体がそこら中に……」

「南無阿弥陀仏……」

「ほ、ほら早く先に行こう……」シノは震える声でそう言う。


 赤坂山のいたる所に死体が、首なしの死体が転がっている。

 行列となって血でぬかるんだ峠を越える。


 その赤坂を越えると朱色に染まった鳥飼潟が見えた。干潟の端では今まさに〈帝国〉との矢戦をしている。


「ふーふー」落ち着こうと深呼吸をするが手足の震えが止まらない。


 シノの心の中は恐怖で埋め尽くしていた。

 これからあの激戦地に矢を届に行く。


「み、皆の衆ゆくぞ」

「お、お、おお!」


 ちょうど先発として矢や垣楯を運んでいた牛飼いたちが帰るところだった。


「痛てぇ~」

「ぎゃはは、手負いの功でよかったな。それがしはついでに雑兵の分捕りじゃ」


 そのついでに怪我人を運んでいた。生首を片手に持ちながら牛馬に乗せられている。


 そうだ、この怪我も死も平然としている異様な集団が武士だ。

 つい昨日まで笑っていた人たちが死体になっている。それだけで目から涙が止まらなかった。


「うぐ、うぐ……この中に五郎さんも……」そう考えただけで恐ろしくなる。


 鳥飼潟を迂回して麁原山まで来ると、そこは数千の異国の兵がズラリと守っている山城となっていた。攻め入ると矢の雨が降り、それでも果敢に攻めると火柱が出現する。


 そのありえない光景に足がすくんだ。


「ぼさっとするな! 矢戦の場所は麁原の北に移動した。そこまで矢を運べ!」

「よ、よしみんな早く運んで帰るぞ」牛飼いたちのまとめ役がそういう。

「お、おうぅ……」


 そのとき、『ガシャ、ガシャ』と音がした。


 目の前を全身血だらけの騎兵が十騎、麁原の北を目指して移動している。その背中には無数の矢と槍が刺さり、顔には死相が見えた。


「日田どん、あと少しで大友殿のいる百道原です!」

「ひゅーひゅー……」

「日田どん。しっかりしてくだされ!


 フラフラになりながらも騎兵たちは北を目指した。


「ひぃ……」

「恐ろしや怖ろしや……あれは大友様の部下の日田永基様じゃ」


 牛も含めて全員が恐怖で足がすくんでしまった。

 傷だらけの武者が進む先、百道原へ続く道は矢雨が降り、死体が転がる――死地だった。


「だ、大丈夫だからいこう……」

「お、おいシノ坊!」


 牛飼いたちが動かない中、シノは勇気を振り絞って牛を引っ張る。

 恐怖と戦いながら一歩また一歩と進む。



 ――その時、声がかかった。



「おお、牛飼いくんじゃないか……それに皆さんも来ておられたのですね」


 振り向くと竹崎季長が馬に乗ってきた。


「た、竹崎のだんな、ご無事でしたか」

「五郎さん……ぐす」


 五郎は恐怖で怯える牛飼いたちを見渡した。


「よしわかった。拙者がお主らに同行しよう。なに武士が一人ついていれば心強いだろう」

「う、うん!」

「竹崎のだんなが付いてくれるのなら――」

「ああ、そうだな良し行こう」


 五郎を先頭に牛飼いたちは矢を百道原へと運んでいく。









 その百道原では最大規模の矢戦が行われていた。

 敗走した〈帝国〉兵を追って少弐と大友の兵力を集中させていた。


「弓引けー、放てぇ!」

「おお!」


 敗退していた〈帝国〉兵たちはそこからなぜか盛り返して守りを固めていた。


「野田殿、どう見ますか」

「そうですな。急に頑丈な陣地ができたのが解せませぬ」


 〈帝国〉は近くの漁村などから板を剥がして垣楯に張り合わせていた。


「ううむ、最初からここで迎えうつつもりでなければこうも堅い守りができるとわ思えませぬ」

「たしかに違和感がありますね」


 〈帝国〉の鳥飼潟の敗走からこの戦はすぐに勝負がつくと思われていた。しかし百道原に入ってからは一向に敵が引く気配がなかった。


「ふん、攻め続ければいずれ敵陣を打ち破って包囲できるだろう」大友がそう断言した。


「至急! 西側よりさらに敵の援軍およそ八千!」

「なんじゃと!?」

「なお、日田率いる騎兵が勇猛果敢に突撃して敵の進攻は愛宕山付近で止まりました!」


 その伝令に大友の顔が青ざめた。


「なんと!? 日田はあ奴はどうなった!」

「はっ突撃後に敵陣を突破して戻り、今は……傷だらけでこちらに向かっております」

「ならばそこの松山神社に連れてまいれ、しばし離れるが構わぬな」

「ええ、こちらは任せてください」

「かたじけない。そこのお前、すぐに薬院(やくいん)へ駆けて薬草と薬師を連れてこい」

「ははっ!」


 大友の郎党が薬院へと駆ける。そこは赤坂にある異国の薬草を育てる薬草園のある場所だった。

 その騎兵の後ろ姿を見ていると、牛飼いの群れが目に入る。


「あの者たちは……」

「あれは牛飼いたちですな。矢束をここまで運んでおるのでしょう」

「なぜあのような危険な道を通っているのでしょうか?」

「ふむ、鳥飼潟には塩田があり、それが道幅を狭めてるのでしょうな。ちょうど鳥飼潟に……潮が満ちはじめ…………」


 そこまで言った時に野田の全身から汗が噴き出る。隣にいる少弐景資も同じく顔が青ざめていた。

 拍子が抜けるような敗走、異様に硬くなった敵陣、干潟を通らなくなった味方。


「景資殿、これは敵に一杯食わされましたな」

「つまりこれは罠ということですね」

「ええ、そうですとも。我らは包囲しようとして逆に百道原にいる我らが包囲されようとしております」



 麁原と鳥飼潟までの僅かな通。そこを敵に塞がれれば退路がなくなる。

 少弐の頭には包囲された後に荒津山で籠城、その間に博多が燃やされる様がありありと浮かんだ。



「主力が包囲された上に西からさらに増援が来れば――博多は落ちる」

「直ちに兵たちを南へ退避させましょう!」

「伝令! 全員撤退せよ!」

「はっ!」


「撤退! 全員撤退せよ!」


 その下知に武士たちは混乱する。


「何じゃなぜ撤退せなならんのじゃ」江田又太郎は眉間にしわを寄せながら口をへの字にした。

「肥の大将の決定です。ここは下がりましょう」と焼米五郎が諭す。

「ええい、者共退け! 退け!」


「退け! 退け! 退け!」




 矢戦が唐突に終わり、徐々に兵たちが南へと向かおうとしたその時、銅鑼の音がガラリと変わった。



 少弐景資が、大友頼泰が、竹崎季長が、その場にいた全員が麁原の山城を見た。




『喝―ッッ!!』


 先頭を駆ける敵将は顎ヒゲが腰まで伸びるほどの大男だ。

 緑錦を覗かせる薄片鎧に身を包み、その美しい髭をなびかせながら先陣を切る。

 それは騎兵十余騎と後続に七十名ばかりの歩兵を連れた突撃部隊。


 まさに少弐たちが懸念した通り鳥飼潟へと突き進んだ。






 ――――――――――





 牛飼いのシノはその日、麁原の北部に矢を運んでいた。

 隣に竹崎五郎がいるので少しだけ安心していた。



 その時、銅鑼が鳴った。少女は音の鳴る方を見る。


「あ……」


 〈帝国〉の軽騎兵たちが坂を下りまっすぐこちらへやってくる。


 彼らは垣楯の陣に矢を放つ。


 反撃は少ない。


 包囲するように垣楯を並べ、多くが百道原に向かったせいで弓兵が少なかった。


 軽騎兵が至近距離から矢を放つ。


 少数の弓兵が射抜かれていく。


 武器を持たない楯持ちが射抜かれたとき、垣楯線が崩壊した。


 逃げる楯持ちたち。


 少女は恐怖のあまり、その光景が非常にゆっくりに見えた。



『喝―ッッ!!』と長髭の大男が怒声をあげる。


 軽騎兵の代わりに重騎兵十騎ほどが穴の開いた前線に流れ込んできた。


 武士がその重騎兵に弓を放つ。


 金属と金属がぶつかり合い火花が散った。


 かすっただけだ。


 敵将が手に持った鎚矛(つちほこ)を振り上げる。


 そして去り際に弓兵の頭に叩きつけた。


 兜が宙を舞う。


 次は自分の番だ。


 そう思った、その時――。


「牛飼いこの弓を持っていてくれ」


 そう言って五郎が手に持った弓を渡す。


 矢のなくなった騎兵ができることはただ一つ、得物の打ち合いだ。



 五郎は得物である太刀を抜いて重騎兵の真っただ中に一人駆ける。



「五郎さん!」



 牛飼がそう思った時には後ろ姿が小さくなる。


 太刀とは馬上で駆けながら切ることを想定している。


 だからこそ反りが強く、長大な物になる。


 太刀と鎚矛、一見得物の長さから太刀が有利に見える。


 しかし太刀による斬るという動作は懐に飛び込むぐらいまで接近しないとできない。


 五郎はその場合は鎚矛を叩きつけられて確実に吹き飛ばされるとわかっていた。。


 例え切り込めたとしても分厚い鉄に食い込んで太刀を手放してしまう。


 だから五郎は少しだけ距離を取り、切っ先が当たるようにした。


 得物の差を利用して長髭の大男の頭部を狙うように打ち込む。


「うおおおお!」

『喝―ッッ!!』


 だが、大男はその太刀を狙うように鎚矛を振り落とした。


 その瞬間に火花が散った。


 シノはその火花が目に焼き付いた。


 そのまますれ違う二騎。


 五郎はそのまま後ろの重騎兵にも打ち込むが決定打にはならなかった。




 ――止まらなかった。



 その日、牛飼のシノは自分の死を確信した。





 そして〈帝国〉の重騎兵たちは勝利を確信した。


 楯では重騎兵の突破力を止められない。


 弓では重騎兵の薄片鎧を貫けない。


 槍や太刀でも重騎兵は止められない。


 一度出撃した重装騎兵を止めることは不可能だった。












 たった一つの兵科を除いて――。





 シノの横を百余りの騎兵が過ぎていく。


 紅の大鎧をまとった騎兵たち。


 その蹄は大地を踏み、躍動する。


 それは日の大将、少弐影資率いる「重装弓騎兵」の突撃だ。


 彼らの得物は長弓。


 鈍器や刃物、薙刀よりもはるかに長い射程で大鎧を貫くための武器。


 〈帝国〉重装騎兵は最初の一騎に目を奪われて、視野が狭くなっていた。



 対応が遅れたその時――。



 重装弓騎兵たちがすれ違い際に矢を放つ。


 薄片鎧と矢がぶつかり合い無数の火花がほとばしる。


 一方的な騎射が〈帝国〉重騎兵を襲う。


「グオオオォォ!!」


 長髭の大男が叫んだ――矢が刺さったのだ。


 突撃してきた〈帝国〉歩兵たちは慌てて敵武将を担いで麁原へと撤退した。


 シノは思う。


 これが戦場、これが武士、彼ら武士(もののふ)たちの世界。



 シノは武士たちの姿に憧れた。


矢戦の激戦地に建てられた弓田神社がどこにあるのか分からない……。もしかして取り壊された?

とにかく、麁原の北側では後世に弓田町とか弓田神社と伝わるぐらいの矢の応酬があったらしいです。

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