side:カルヒネン公爵家
「本当に悪趣味」
アリッサを見送った後、現れたアルーゼにギードは苦笑する。
「まあ、そう言わないで。それより、仕事は終わった?」
「ええ。そちらは?」
「大方、予想通りといったところかな」
「そう」
シューリヒト子爵家は今まで特に問題のある家ではなかった。
前子爵は堅実なやり手であったし、聡明な夫人と領地を盛り立てていた。
代替わりしてからも、時折、失策もあったが、アリッサがフォローしていたようで事なきを得ている。少なくとも、公爵家の手は必要としていなかった。
後を継ぐ男児が生まれ夫婦仲も良好、税収も滞りなく、下位貴族としてはむしろ優秀な方だったと言える。
「まさかあいつが、平民の女に手を出すとはねえ…」
「アリッサ一筋だと思っていたわ」
「それは俺も思ってたよ」
幼馴染でもあったという2人は、学生時代から仲がよかった。
2人とも人当たりがよかったし、方々から声をかけられていたのを知っている。一度として応じたことがないのも。
「浮気自体は珍しくないけど、やり方がまずかったわね」
「同感」
政略結婚が常の貴族は、他に愛人を作ることは少なくない。社交界で仲睦まじく見せていても、実情は仮面夫婦だったなど、よくある話だ。
もちろん、政略が切っ掛けであっても、アリッサたちのように、信頼と愛情で結ばれた夫婦もいる。今回の件で破綻したことはさておき。
蛇足だが、夫婦円満に見せるのは見栄もあるだろうが、隙を見せないためでもある。どんな些細なことでも弱みを利用しようとする輩はいる。
「あなたも、ばれないようにしなさい」
まるで現在進行形で他の女に現を抜かしているように、釘を刺される。
ギードは結婚前も結婚後も、不貞どころか社交以外で女性と関わってすらいないのだが。
「俺はそもそもそんな気はないよ」
「どうだか」
「信用ないなぁ」
「…自分の胸に手を当てて聞いてみなさいな」
アルーゼの呆れを含んだ言葉に、ギードはくつくつと楽し気に笑う。
まだ学生時代のあれこれを気にしているのかと。
ギードから言い寄ったりはしていないし、情報収集以上の接触はしていないのに。
「俺のことはともかく、シューリヒト子爵家は大丈夫じゃないか」
「アリッサが手綱を握ってる限りは、そうでしょうね。心配などしていないわ」
「息子も評判いいみたいだし」
前子爵の判断は正しい。
マルクにこのまま当主としてのさばらせておくより、アリッサを代行として中継ぎとした方が将来的にいい方向へ行くだろう。
一見咎めなしのようだが、飼い殺しにされることは想像に難くない。
愛する妻と息子からは白眼視され、愛人とは接触も難しく、仕事だけさせられる。
あのどこか甘ったれた思考の持ち主が、いつまで耐えられるか見物だと思うギードは、悪趣味と言われても仕方ないのだろう。
「それで? あなたの提案にアリッサは頷かなかったでしょう?」
「端から頷くとも思わなかったさ」
ギードの提案は、一度収まった事態を、わざわざ引っ掻き回すような真似だった。事態もだが、アリッサの心情的にも。
断ること前提での持ちかけだったのが、尚性質が悪いとアルーゼは言う。
「あなた、アリッサのこと相当気に入ってたわよね」
「素直で優秀な女性だからね」
「もし、彼女があなたの提案に乗っていたら、相手をしたの?」
「なんだ、妬いてるの?」
「もうそういうことでいいわよ」
「アルーゼ…」
投げやりな返答に悄然とした顔をするギード。しかしそんなギードに流されるアルーゼではない。
はあ、と溜息をついたギードは肩を竦める。
「もしそうなったら、アリッサも早々に退場させたと、君も分かっているだろう?」
「あなたが本当にそう思ってるならいいけれど」
「…俺はアルーゼしか見てないし、これでも高位貴族ですが?」
思わず普段アルーゼに使わない敬語が出てくるくらい、心外なギードである。
アリッサが感情を優先し、マルクの当てつけに自分も不貞を犯すような愚物であれば、子爵家というより、貴族として失格だと見做していた。
個人的に気に入っているのは否定しないが、それは異性として見ていることと同義ではない。
それに、最も重要であるのは、私情で判断が揺らぐようなら高位貴族など務まらないということだ。
「別にわたくしの機嫌を取らずとも、公爵家の婿という立場を逸脱しなければそれでいいわ」
淡々と返すアルーゼは、何の期待もしていないことが窺えて苦い笑いが漏れる。
機嫌を取ろうなどと思っての言葉でないことを、いつになったら信じてくれるのだろうか。
「じゃあ、わたくしはもう行くわ」
「え、もう? お茶くらい一緒に…」
「先約があるの」
「アルーゼ!」
呼び止める声にも耳を貸さず、アルーゼは踵を返す。
長居はしないとばかりに、結局立ち話で終わらせられた。
「あーー………」
意味のない言葉が口をついて出る。
子供が2人生まれてからは、以前にも増してつれない愛しの妻の見えなくなった後姿を未練がましく追いながら、特大の溜息をついた。
ギードとアルーゼも政略結婚だ。
今まで彼女を蔑ろにしたことはないし、他の女性との距離感も、優先順位も間違えたことはない。誰より大切にしてきた。
けれど、決して彼女は信じない。
どんなに、ギードが愛を囁いても、行動で示しても。
思考が、あまりにも貴族的とでもいえばいいのか。自分の感情すら常に客観的に見ている。
すべては、カルヒネン公爵家のために。
それは、高位貴族として正しい姿ではあるかもしれないが。
「……もうちょっと何とかならんもんかなー…」
10年想い続けてきたのだ。諦める気なんかさらさらない。
一筋縄でいく相手でないことは、よくよく分かっているのだから。




