炉の匂い、炎の勇者
智春が医務室で目を覚ます少し前。
学園の廊下に、重い足音が幾重にも響いていた。
先頭を歩くのは、ハリス・トルマン。
苛立ちを隠そうともせず、分厚い肩を揺らして進んでいく。その背後には、獣人たちが一言も発さずに続いている。
向かった先は校舎の端、工芸室。
鉄を打つ音が腹の底まで響き、乾いた熱気が廊下へ漏れ出している。
火と油。そこに、焼けた金属の匂いが混ざって鼻を刺す。
トルマンが扉を押し開ける。
中は完全な鍛冶場へ作り替えられていた。
隣り合う二室の壁を抜いた大部屋に、いくつもの鍛冶台が並んでいる。壁には大小の工具が掛けられ、奥では炉の口が赤く唸っていた。
鍛冶台の前には、ドワーフたちが張りついていた。真っ赤に焼けた鉄をトングで掴み、叩いている。
ドワーフたちは手を止めない。入ってきた獣人の群れにも目を向けず、ただ目の前の鉄だけを叩き続ける。
幾つもの金槌が生む一定の響きが、耳の奥まで刻まれる。
トルマンも興味を示さず、部屋の奥へ進んでいく。
一番奥にある、ほかより一回り大きな鍛冶台。
その前で、一人のドワーフが葉巻を咥えたまま巨大な金槌を振り下ろしていた。
背は低いが肩幅は広く、剥き出しの腕は岩のように太い。黒髪を無造作に束ね、額には煤で汚れたゴーグルを引っかけている。
飛び散る火花を浴びながら、瞳だけは炉の熱を拒むように冷えていた。
「なんだ、また来たのか」
トルマンの足が止まる。
「あぁ、オルドナ。まだ返事をもらってねぇ」
オルドナと呼ばれたドワーフは、トルマンを一瞥すらしない。金槌を振り上げ、鉄を叩き続ける。
「前にも言っただろ。俺はこの学園の勢力争いに興味はねぇ」
「なら、なんでこの学園に来た。力だけでのしあがりてぇからじゃねえのか?」
「興味ねぇな」
葉巻の端から煙を吐き出す。
「俺はこの学園じゃなくてこの都市、ヴォルノクライに来たかっただけだ」
トルマンの目が細くなった。
「そうか……なら、力で従ってもらうことになる」
葉巻の煙が、炉から流れる熱に揺らいだ。
オルドナはようやく金槌を止め、鉄を水に沈めた。白い蒸気が立ち上がり、熱気がゆっくりと広がった。
「はぁ……わかったから帰れ。今のお前に興味はねぇ」
「あぁ?」
蒸気の向こうで、オルドナが顔を上げる。
鋭い視線が、真正面からトルマンを射抜いた。
「来るなら来いよ。こっちから仕掛けることはねぇが……同胞がやられたら黙ってねぇからな」
トルマンの口元が歪む。
「……また来るぜ」
トルマンは背を向けて工芸室を出ていき、獣人たちも黙って後に続いた。扉が閉まるのを待って、若いドワーフが声を潜める。
「親方、大丈夫でしょうか。あいつら……仕掛けてくるつもりじゃ……」
「ああ、大丈夫だ」
言葉とは裏腹に、その目は閉じた扉を睨んでいた。やがて視線を鉄へ戻し、再び金槌を握った。
廊下へ出たトルマンは歩きながら、後ろの獣人へ低く命じた。
「兵隊を集めろ。ドワーフどもを──」
言葉が途中で途切れた。
廊下の向こうから、一人の男が歩いてくる。
獣人の群れを前にしても臆する気配はない。
咥えたタバコの煙が揺れ、その向こうで空気が熱に歪んでいた。
長い黒髪は、両側を刈り上げ、後ろで高く結んでいる。
白いシャツの上には、毛皮の襟がついた上着。胸元では金色の紋章が煌めき、開いた襟から覗く首筋には、濃いタトゥーが這っている。
トルマンの低い声が廊下に落ちた。
「凱人……」
凱人はタバコを咥えたまま、軽く手を上げた。
「よぉ、トルマン」
凱人は余裕の表情のまま、煙を吐いた。
「なんだよ、どけよ」
「てめぇがどけ」
凱人は肩をすくめた。
それだけで、周囲の空気が一段熱を増した。
「……お前さ。何をそんな焦ってんだよ」
トルマンは凱人を睨みつけたまま、何も答えない。沈黙など気にせず、凱人は続けた。
「オルドナの親父を兵隊に巻き込んで、次は俺か?」
「あぁ。楽しみにしてろ」
凱人は鼻で笑った。
「俺ら2年をしめて、3年どもに仇討ちするつもりかよ」
「だったらなんだ」
「はぁ。お前つまんねーなぁ。ま、なんでもいいか。じゃあな」
凱人はトルマンの横を通り、そのまま後ろの獣人たちの真ん中へ入っていく。
自然と獣人たちが道を開けた。
それが腹立たしいほど、当たり前みたいに。
群れを抜ける寸前、凱人がふと思い出したように立ち止まり、顔だけをトルマンへ向けた。
「あとお前さ。あの異物とかいう転校生……殺さなくていいのか?」
「あぁ? あいつはもう潰しただろ」
凱人は笑みを残したまま、目だけを細めた。
「だといいがな」
それだけ言い残して、再び歩き出した。
遠ざかる背中の周囲で、陽炎のような熱がちらついていた。
トルマンは口の奥で舌打ちを噛み殺す。
「っち。どいつもこいつも……」
凱人はそのまま、自分の教室へ戻った。
整然と並ぶ机に対して、生徒の姿はまばらだった。窓の外では夕陽が傾いている。
その奥で、一人の人間が凱人を待っていた。
金色の短髪に、鍛え上げられた身体。首筋から太い腕にかけて、炎のタトゥーが入っている。
男は凱人が入ってくるなり、組んでいた腕を解いて声をかけた。
「どこ行ってたんですか?」
「あぁ、ちょっとな」
「報告があります。人間の転校生が──」
凱人は片手を上げ、続きを遮った。
「あー、聞いた。つうか、見てたぜ」
「そうですか。どうしますか?」
凱人は近くの机へ腰を乗せ、指先でタバコを転がした。
「兵隊集めろ」
「どうするつもりです?」
窓の外へ視線を向ける。夕陽に染まった校庭の先に、体育館の大きな影が伸びていた。
「あいつ、たぶん今日にでもトルマンのとこ突っ込んでいくだろ。お前ら手伝ってやれよ」
「なぜそこまでするんです? 同じ転生者だからですか?」
「そんなんじゃねーよ」
凱人は笑った。
「おもしろそーだろ?」
それから、少しして。
体育館は獣人たちの集会で埋め尽くされていた。
閉ざされた扉の向こうから、怒号と笑い声が漏れてくる。汗と煙、獣の匂いが混ざって外まで押し出されている。
その扉の前に、三人が立っている。
腹に包帯を巻いたままの智春。
分厚い身体を堂々と構えるパットン。
そして、すでに帰りたそうな顔をしているエリック。
入口を守る数人の獣人が、三人を見下ろして笑った。
「なんだお前。またやられにきたのか?」
次の瞬間。
体育館の扉が吹き飛んだ。
外に立っていた獣人が、扉ごと中へ押し込まれる。
ざわめきが消え、広い体育館が一瞬で静まり返る。中の獣人たちの視線が、一斉に入口へ集まった。
一番奥のステージに座っていたトルマンの声が落ちる。
「あぁ?」
砕けた扉の向こうから、智春が姿を現した。
包帯の下の痛みを無視して、ゆっくりと入ってくる。
「待たせたな、牛。こっちこいや、しばいたるわ」
トルマンは立ち上がらず、顎だけを上げて智春を見下ろした。
「お前がこいよ。待っといてやるから」
その横では、アイゼンが拳を握りしめていた。
掌へ爪が食い込み、銀灰の瞳は智春を捉えたまま揺れていた。
(智春……なんできた……)




