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08-06.願いを自ら掴み取るために。

 翌朝、公爵邸。まだ日が昇ったばかりの頃。



(できなかった――――ッ! 一睡もッ!)



 迎えに来たメイドに朝食の席へ案内されているエミリアは……目を血走らせ、らんらんと輝かせながら、しずしずと廊下を歩いていた。足取りはしっかりとし、背筋はぴーんと伸びていたが……徹夜、二日目である。


(あのイリスがどんなふうに乱れるか想像したら! 眠れるわけがないッ! というかイリス分が足りなくて禁断症状出るッ! あっ、イリスの匂いがしてきた気が……)


 そして極度の欲求不満であった。


(ああ、イリス分、イリス分がどこからか補給されている……血が滾るぅ、力が高まるぅ)


 〝もやもや〟とした、湿度が高そうな妙なオーラをまき散らし、歩くことしばし。食堂へとたどり着いた。中には。


(イリス――――ッ! 今日も実にかわいいッ!)


 エミリアはイリスしか目に入っていなかったが、彼女の家族……兄サイクル、母クラリス、そして公爵メンターの姿もあった。

 黙って薄く笑みを浮かべ、エミリアを眺めるイリスの隣――といっても十分離れていて、手が届かない――に座り、エミリアもまた穏やかにほほ笑んだ。


(イリスの眩いオーラがふわっと香る……魂が清められていく……)

「昨日は出迎えてやれなくて、済まなかったな。エミリア」


 メンターに声を掛けられ、エミリアは弱く首を振った。


「いえ、お父さま。ディアンたちが来てくれましたし」

「彼らはよく働いてくれている……朝食の後、改めて話そう」


 公爵の一言を皮切りに、皆静かに精霊に祈りを捧げる。エミリアは。


(…………前は。私、お父さまを見ると目がハートになってた、と思うのだけど。今はそうでもないわね……?)


 内心首を傾げていた。前世のエミリアは、父メンターの容姿がたいそう好みであった。転生に気づいた時にはもう親元を離れた後であったが、たまに会えた時には歓喜し、目を輝かせたものである。だが今の彼女の、意識は。


(イリスの香りを胸いっぱいに吸い込みたい……なのにああ、なぜこんなにも遠いの? 家族みんながいる前とか、さすがに粗相ができない……スープの香りで、イリス臭が薄れてしまう……このキノコおいしいわね)


 朝食が静かに進む中。イリスが9割、食事が1割を占めていた。



 ☆ ☆ ☆



「待たせたな」


 当主メンターに、改めてエミリアとイリスは応接室に呼び出された。他に、ディアンとガレットもまた同席している。一同ソファーに座ったところで、メンターが切り出した。

 エミリアは。


(イリスの手、にぎにぎしちゃダメかしら……隣から体温感じてあったかい……意識飛びそう……)


 深刻に色ボケていたが、キリッとした表情を見せてメンターを見つめた。


「お父さま。まずは、急な訪問であるにも関わらず、私の友……マナ第二皇女をお受け入れいただき、ありがとうございます。それから、ジャクソン・ベル教授についても」

「構わない。教授については、そうさした施設はご用意できないが……」

「今はそれで。彼の研究の有用性について、後に私からご説明いたします。それから――――危険性についても」


 エミリアが声のトーンを落とす。メンターの赤い瞳が、すいっと細まった。


「その後どうされるかは、お任せいたします。私としては、彼の研究は必ずや、公国の発展に寄与するものとお約束しても良いくらい……ではありますが」

「わかった。いずれにせよ、まずは公国樹立という難事を乗り越えてから、だ」


 エミリアはすっと背を伸ばす。隣のイリスをちらりと見て――青い瞳と視線が合い、満足そうに頷いた。


「ディアン殿に聞いていると思うが、記念式典の招待に絡んで、王国と行き違いが起きている。少なくともこちらには、領境に兵を並べられる謂れはない」

「承知しております。私を使者に……とのお話でしたが。勘当されて公爵家の人間でもない私に、それが務まるのでしょうか」

「であるからこそ、だ。まず、非公式の接触を持たねばならないが……信用し、任せられる人間が少ない。ああ、私は信用しているが」

「国王陛下がどうか、ということですね。確かにその点では、ディアンら〝才の庭(スキルガーデン)〟は不適格。お兄さまでは非公式の接触とは言い難い。そこで私、ですか」


 エミリアは少しだけ視線を逸らし、顎に指を当てる。


「そうだ。お前ならば、国王陛下や王妃殿下は会ってくださるだろう、との見立てだが」

(アイード陛下……カメリーナ様)


 妃教育で長く王都にいたエミリアにとっては、国王と王妃は育ての親と言ってもいい。直接指導を受けていたことも、多々あるのだ。特にジーク王子と婚約してからは、ずいぶんよくしてもらった。


「正しい見立てであると存じます。少なくとも、お会いして言伝することは可能です。お返事を持ち帰るところだけ、保証いたしかねます」


 なおあえて説明はしないが、エミリアの発言は「居室に潜入して伝言することまではできる。無事帰ってくるが、返事が聞けるかは別」という意図である。隣のイリスはどうもそれがわかっているのか、少しだけ胡乱げな目をしていた。


(あっ。その目、いい……もっと睨んでくれないかしら、イリス)

「それでいい、十分だ……やってくれるか、エミリア」


 色ボケしているところに、父の声が刺さる。エミリアはキリッと表情を整え、朗々と謳い上げるように述べた。


「条件がございます。ありていに申し上げまして、報酬の要求です。私は今、パーシカム公爵家の人間では、ありませんので」

「何が要り様だ」

「私を公爵家に、復籍させていただきたい」


 一瞬、間が空く。公爵が眉根を寄せていた。意図が分からない、という顔のようだ。


「公国樹立の暁には、そのようにするつもりだが……それだけではないということか?」

「公国運営に携わりたく思います。現時点で、あまり多くは申しませんが」


 エミリアは少し、深く息をした。昨日のレッカとのやりとりを……思い出しながら。


「この国を、法治国家にしたいのです。帝国を参考に」


 ディアン、ガレット、イリスが僅かに息を呑む。そしてメンターの瞳が、鋭く細くなった。


「現在の王国は人治主義であり、領主の裁量が非常に強いです。ですがそれゆえに、諸国と取引している帝国とは、うまくいっていません。帝国経済への参入障壁ができてしまっている」

「確かに、主に規制の面で帝国とはやりとりできないことが多い。この点の改善は、公国にとってはメリットがある。だが対王国においては、デメリットだ」

「しかし、オレン王国の承認を受けた国家であるなら、帝国などの諸国よりは公国の方が優位です。ですが同時にこのままでは、属国扱いを免れないでしょう」


 歯に衣着せぬ物言いで、エミリアが斬り込む。メンターは苦笑いを浮かべていた。


「だから広く他国と付き合えるよう、法治主義を導入すべき、か」

「はい。王国と違って、導入に当たって貴族間折衝は必要がありません。そして導入そのものについては」


 エミリアは視線を流す。果たして。


「我が〝才の庭(スキルガーデン)〟を当てにできる、か。確かにな」


 ディアンが深く頷き、にやりと笑顔を見せた。


「公爵閣下。俺からも、この件は理があると進言させていただきます。実現も、可能な範疇です。王国法と帝国法……両方に精通しているエミリアがいれば」

(おっとそうきたか。まぁそのつもりだったけれど……助け舟を出されてしまったわね)


 意図したところではあったが、それ以上に意を汲まれ、エミリアは舌を巻く。一緒にいたのはそう長い時間ではないが、頼りになる仲間であった。


「…………わかった。ここから先の話は、無事に公国樹立に向けて歩めるようになってから、だ。報酬として約束できるのは、エミリアの公爵家復籍までとなる。それでよいのか?」

「十分にございます、閣下。では早速ですが、イリスを連れてまいりますので……」

「それについてなのだが」


 すぐに出ようと構えたエミリアだったが、メンターは手を掲げて止めた。小首を傾げて待つと。


「ガレット嬢にも同行してもらう。親書は書き換えられる恐れがあるから使えぬが、こちらから伝える情報に漏れがあってはならない」


 父に告げられ、エミリアは息を呑んだ。


「っ。ガレットのスキルを使わせる、ということですか? お父さま。しかし」

「私がそうしたいのです。エミリア」


 ガレットが静かに述べる。涼しげな緑の瞳が、強い決意を秘めてエミリアを見ていた。


「今こそ。恩義に報いるとき」

「ガレット……」


 ガレットは一度、スキルを使い過ぎて心を壊している。ディアンによって救われたとは言っていたが、エミリアとしては心配なところで。


「そんなこと言われたら、断れないわ」

「大丈夫。そこまでやわなつもりは、ないのよ?」

「知ってるわ」


 しかし彼女の決意を、無下にはできなかった。強がるようなガレットの言葉に、小さく笑みを向けて答える。


「方法の委細は任せる。問題は領境に展開している、王国軍だが……」

「大丈夫です、お父さま。領境といっても」


 友の覚悟に応えるかのように。


「すべてに人が配置されているわけでは、ないでしょう?」


 エミリアはそう言って、不敵な笑みを見せた。


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