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08-07.いつか来た道をさかのぼって。

 公爵邸玄関前。イリス、ガレットを伴い、馬車を待つ。ディアンもついてきてくれたが、彼は留守番だ。暑くなりそうな日差しを、エミリアはさっと眺め、目を伏せる。


(眩しすぎる。めっちゃ黄色い。徹夜明けに優しくない……)

「エミリア!」


 振り返って見れば、ずいぶん見送りがたくさんやってきた。声を上げたのはマナで、ジャクソン教授もいる。兄のサイクルの姿もあり、加えて〝才の庭(スキルガーデン)〟の面々や、烈火団の冒険者の姿まであった。イリスが手招きされて、レッカや三つ子の弟たちの元へ向かっている。


「マナ、それにみんなも。ちょっと見送りが派手じゃない……?」

「心配なのよ。危ないんじゃないの……?」

「怪獣はいないみたいよ?」

「あ。じゃあ大丈夫ね」


 マナが納得し、ほほ笑む。幾人か「えぇ~……」という顔をしていたが、ディアンとガレット辺りは笑っていた。


「帝城に身分を偽って単独潜入し、俺と父上の計画を暴いた女だからな……この程度、問題なかろうよ」


 ディアンの言葉に、マナを始め、幾人かがぎょっとしている。特に兄のサイクルはあわあわしていて、表情が面白いことになっていた。

 エミリアは当時のことを、思い出し、首を横に振った。


「そんな大したことしてないでしょう。イリスなんて、その間に皇帝になってたんだから」

「あれは度肝を抜かれたな……今度は国王になって帰って来たりしないよな?」

「さすがに時間が足りないわ」

「そ…………時間があればできるのか」

(そりゃ必要があればやるわよ、イリスは)


 エミリアは絶大な信頼を、胸の内に零す。母親たちと話し、なぜか顔を真っ赤にしているイリスを見て。


(…………あの可愛さ。今襲い掛かっても許されるんじゃないかしら)


 理性のブレーキが壊れようとしていた。


「エミリア!」

「サイクル……お兄さま?」


 いきなり手を掴まれ、エミリアは半歩身を引く。彼女の手を両手に包んで、兄が眉根を寄せ、瞳に僅かな潤みを見せ、口元をわなわなさせていた。


「私は……心配だ。事態が深刻化する前に、私が王城へはせ参じていれば、こんなことには!」

「そうしたらお兄さまが人質になって、もっと話がこじれたかもしれません。落ち着いてくださいませ」

「だが……」

「お兄さま」


 エミリアはそっと手を添えて、サイクルに向かってやらわかにほほ笑んだ。


「今回に限っては、私しかいないのです。最悪、国王陛下と王妃殿下は軟禁されているかもしれないのですよ? その時、お兄さまはどうやってお話されるのです?」

「いや、それはまさ……あり得るのか?」

「〝連絡が正しくとれない〟とはそういうことです。この行き違いは、すでに王国が簒奪されている可能性すらはらんでいます」


 潤み、穏やかなエミリアの瞳は――イリスしか捉えていなかったが。寝不足の頭は意外にさえわたり、その言葉は唖然とする兄を納得させていた。手が、ゆっくりと離される。


「その時は、おめおめと逃げ帰ってきますので。大丈夫です。私、精霊馬に乗ったジーク殿下からも、逃げ切りましたから」

「ぉ……名騎手と名高いジーク王子から、か。それは心強いな」

「…………状況は不透明で、予測がつきません」


 エミリアはイリスの方を向き直る。烈火団の面々から解放されたようで、彼女は赤い顔のままこそこそと引き揚げて来ていた。


「一方でどうにも周辺の商人たちの動きが、明らかに平時。非常に限られた……公爵家と王家の間だけが、はかりごとを受けていると私は睨んでいます。だからこそ」


 隣に並んだイリスの背中をそっと――どさくさにまぎれて――撫でる。ほのかな汗の感触を覚え、エミリアは満足そうに微笑んだ。


「求められるのは、確実に行って帰ってこれること。私とイリスなら、大丈夫です。ガレットもいてくれて、盤石な布陣ですよ。お兄さま」



 ☆ ☆ ☆



 王都ならばまだしも、王国内の各街中は、あまり精霊車が走るには適していない。大きな通りは馬車や馬、徒歩の人々が闊歩しているからだ。

 エミリアたち三人は馬車で市壁正門まで向かい、街の外に出てから精霊車アイテールに乗り込んだ。なだらかな山道を、車は南に向かってゆっくり下っている。特に王国内に向かうこの南山道については、平地に降り切るまでは馬車や荷車も多く、速度を出すのは難しい。

 そんな中でエミリアは。


(イリスが隣イリスが隣イリスが隣……)


 やはり限界を迎えようとしていた。運転席側で本を読み始めたイリスを時折ちらちらと見て、左ひじを窓枠に置いて頬杖をついている。その手からはほのかに……玄関前で触れた時の、イリスの汗の香りが漂っているような気がして。それが彼女の理性を、なんとか繋ぎとめていた。


(ガレットがいる前では、さすがに難しい……いえ、ここはなんとか言い訳をひねり出すのよ、エミリア)


 馬車では油断しているうちに、イリスとの間にガレットが座ってしまった。だが今、お互いの間に遮るものはない。そう思ったエミリアは、集中して本を読み込んでいるイリスを、じっとりねっとりと見つめて。


(…………あの本、法務関係? 確か帝国で買った奴だわ。もしかしてイリス、私の狙いに気づいて勉強してくれてる?)


 どくん、と胸の奥で血が跳ねるのを感じていた。


(というかこの子、灰色が入った服よく着てるけど……これもしかして、私の髪とか瞳の色? え、今まで意識してこなかったけど、ずっとそうだった……? なに、これ)


 胸元のブローチを強く握り締め、動悸を押さえこもうとする。だが血の流れはどんどん早くなり、熱を甘い震えを全身に伝えてくる。


(イリス……あぁ、イリスがここまで私を想ってくれているなら――――)


 ブローチに触れていた手が、震える。胸元から離れ、ぷるぷるしながら、運転席に向かって伸ばされて。


(人前でだって許されるでしょッ! いざッ! とりあえずおててにぎにぎから!)

「エミリア」

「ふぁい!?」


 素っ頓狂な声と共に、ひっこめられた。イリスがこちらをちらりと見るも、集中しているのか視線はすぐに本に戻った。


「ぁ……えっと。やっぱり何か、考え事をしていたのね?」

「ええ。抜け道、どこ通ろうかなって」

「そんなにあるの?」


 心は色ボケて体は寝ぼけているが、エミリアはすらすらと答える。後ろから聞こえるガレットの声は、さすがに懐疑的だ。


「ヒントは、王国と帝国の交通事情の差よ」

「事情って…………こっちでは全然精霊車を見ないけど、それくらいしか」

「そう。帝国って、橋(・)が(・)な(・)い(・)道(・)路(・)があるじゃない? 私あれ、最初なんだったかわからなかったのよね」

「そりゃ精霊車用の――――ああ、そういうこと」


 ガレットが納得したようで、少しの笑い声がした。


「精霊車は水(・)陸(・)両(・)用(・)。だから車用に整備された道は、いちいち橋なんて架けない。当然、そんな道は車がほとんどない王国には存在しないわ。つまり」

「川や湖を経由するルートなら、簡単に裏をかけるということ?」

「そういうこと。ちょっと山間の道を、様子を見ながらいきましょうか。船を警戒している可能性もあるから、水運の要衝は避けていきましょう」



「さすがですね、エミリア様」



 透明な声が、届く。いつの間にか、イリスがじっとこちらを見ていた。心臓が破裂しそうなほど跳ね上がり、エミリアは無理やりキリッとした顔を作る。


「わたし、〝噂語り(ローマートーカー)〟を使うのかと」

「あれでもいいけど……広範囲を調査しようとすると、ちょっと疲れるみたいなの」


 どもりそうになるのをなんとか堪え、するりと答えた。

 精霊具〝噂語り(ローマートーカー)〟。イリスが作った「情報収集と、そこからの検索」を行える優れものである。精霊竜に追いかけられたとき、かなり遠かったダンジョン核の位置を、この精霊具で追いかけることができた。


「魔力をたくさん食うんですかね……?」

「どうかしら。魔力ってそもあやふやだし、よくわからないわ」

「それは同感ですね」


 さらりと返事をし、イリスの視線がまた本に戻る。車内がまた、静かになって。


(…………今私、イリスに褒められた!? あっ、これちょっときつい興奮が鼻にくる……)


 エミリアは一人、悶え続けた。


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婚約は破棄します、だって妬ましいから(クリックでページに跳びます) 
短編版です。~5話までに相当します。
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新作短編、6/14(土) 7:10投稿です。
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