08-03.幸せな未来を、二人で願って。
朝市で一食食べ、エミリアとマナは宿に戻ってきた。その手には持ち帰りで包んでもらった、ケバブのようなサンド。ジャクソンとイリスの分だ。野菜の紙袋は、すでに〝積載〟スキルに放り込んである。
(街の様子は穏やかなものだし……これなら、今日のうちに強行軍で出発する必要は、なさそうね)
「そういえばイリスさ……イリス。やたら寝ていたけれど。寝不足?」
〝様〟と言いかけたマナが、言い直している。思案している最中だったエミリアは、首を振った。
「昨日は早くに寝たの。でも朝からどうも眠たそうで」
「そう。手ぇ出しちゃダメよ?」
「…………出さないから」
マナが、ジャクソン教授の部屋のドアをノックしている。エミリアは廊下を進み、自室のドアにカギを差し込んだ。鍵を開け、ノブを回し、そのまま入る。扉を閉め。
『――――』
『――――』
(ぉ。マナたちの声が聞こえる。意外に、壁薄い……?)
そんなことを考えながら、部屋を見渡した。
そして。
「イリス! もう起きて大丈夫なの?」
起き上がってベッドの端に座り、ぼーっとしているイリスを見つけた。早足で近寄り、彼女をじっと見つめる。
「あー……はい。ご心配、おかけして……もうすっきりしましたし、へいき、です」
「まだぼんやりじゃないの。はい、お水。朝市でサンド買って来たけど、食べる?」
「ん、いただきます……いいにおい」
水の入ったボトルを取り出し、エミリアは包み紙と共に渡す。受け取ったイリスは、まず水に口をつけていた。
「すごい疲れてない? ちょっと心配だわ。どこか具合悪い?」
「いえ、ちょっとスキルを――――」
言いかけて。
イリスはなぜか口を手で押さえ、顔を真っ赤にした。しかもベッドに上がり、膝と尻で器用に後ずさっている。エミリアが呆気に取られているうちに、イリスは寝台の反対側まで移動してしまった。いつだったかこの街で――同じように、端と端で向かいあったことを、思い起こさせる。
「…………ナンデモアリマセン」
片言のイリスが少しおかしくて、可愛らしくて。エミリアは微笑みを浮かべ、肩を竦めて見せた。
「そう? あなたがしんどいのでなければ、まぁ。でもスキルの使い過ぎで、心を消耗してたり、しない? 自覚が難しいかもしれないけれど」
「ぁ。エミリア様が前に仰ってた? スキルの使い過ぎで、心を病むかも、と」
「うん」
スキルの使い過ぎが、精神に影響する――そんな通説は、実はない。だがエミリアがこれまで見てきた感じ、スキルそのものも、その使い過ぎも、確実に人の心に影響を与える。自分自身ですら覚えがあった。おそらくは、スキル自体の強さにより、消耗に違いがあるのだろう……エミリアはそんなふうに、考えていた。
(そしてその考えに基づけば、ダイヤランクに認定されるイリスは、最も消耗が激しく……病みやすいことになる。その性質上、常時スキルを使っているようなものだし。油断、できない)
「心配ありません。そんなこと、なった覚えが…………」
エミリアの不安をよそに、イリスは明るく言いかけて、急に言い淀んだ。目が泳いでいる。
「イリス?」
「…………あんまりありませんし」
彼女を見て、エミリアは少し息を吐き出した。
「私は、覚えがあるわよ。スキルを使って、心に負担を感じたことは」
「ええぇ!? でもエミリア様は、〝無才〟で」
「たぶん、馴染んだ精霊具を使った影響」
エミリアは手の中に、一本の白銀の刃を出した。元は王国国宝の剣。ジーク王子が持ち出したものを、エミリアがそのまま使用している。この剣には精霊が宿っており、すべてを斬れるスキルが備わっていた。
「特に、聖剣の〝斬〟ね。〝もやもや〟がすごく強くなって……嫉妬でおかしくなる。あなたのために何かできないと、変になりそうで。あなたを受け入れられなければ、狂ってしまいそうで」
「エミリア様……」
何度も感じた、おかしな嫉妬。聖剣を使う以前からあった、エミリアの〝もやもや〟。だがそれは、スキルを使い始めてから、大きく膨らむようになった。血よりも全身を沸騰させ、時折エミリアを暴走させた。危うくそうとは知らず、イリスの兄弟に手を掛けそうになったことすらある。
エミリアが剣を仕舞い、当時の身を焼くような衝動を思い出し、悔恨と恐れに目を伏せていると。
「わたしも、そういうことは、あります」
イリスがぽつりと、零した。
「ほんと言うと、エミリア様に嫌われないか、でも誰かにとられないかって、ずっと不安で。頭、変で。でも、スキル使ったからって、ひどくなったりは、しないです。そこは本当です」
「そう、なの?」
「ええ。あ、でも」
答えるイリスは。
「男女問わず、エミリア様が他の人と仲良くしてると、控えめにいって発狂しそうです」
どこか、晴れやかであった。
「…………よく話してくれたわね、イリス。こっち来て?」
エミリアもまた、笑顔で応える。だが、イリスはベッドから降りて影に身を隠し、しゃがみ込んだまま出てこない。
「いまちょっとその。こうふん、しそうで。その」
「それは私もだし。嫌いになったりしないわよ」
エミリアはため息を吐き、ベッドに座って、横になった。天井を見ながら、大きく息を吐く。
「というか私があなたを嫌ったりしないって、そろそろわかってくれない……?」
「理解はして、ます。エミリア様はわたしを必ず受け入れてくれる、って。でも」
「信じられない?」
「信じています。それと、甘えるのは別だと思うんです。節度を持つといいますか、なんといいますか」
「甘え、か……」
ぽつりとつぶやき、エミリアは目を閉じる。彼女が喋るのをやめたのを見て取ったのか、しばしイリスが飲み食いする気配があった。渡したサンドを食べ、水を飲んだようで……しばらくし、ベッドが揺れた。目を開いて横を向けば、寝台の端に座って背を向けている、イリスの姿があった。
その背中が。
どうしてか、とても煽情的に、見えて。
「甘えてほしいんだけどな。じゃあ、もうちょっとあなたと仲良くできるようになるのは、いつになったら? 結婚したら?」
エミリアは口を尖らせ、瞳を潤ませ、少し上ずった声で訴える。
「んっ、その……はい。責任、とれるようになったら、で」
だがイリスには、照れた様子で断られてしまった。
「何よ責任って。子どもができるわけでも、あるまいし」
エミリアはさらに拗ね、だが頬を緩める。女同士で子どもなど、できるはずもない。いくらファンタジーな乙女ゲームの世界と言えど、無理があるだろう。そう考えて……でもそうできるなら。
きっと素晴らしい、と。目を閉じ、想いを馳せて。
「わたし、は。エミリア様と結婚、して。子どもも、ほしいです」
イリスの、真剣な声を、聴いた。
「どうやって作るのよそれ……まさかイリス、コウノト……精霊鳥が運んでくるとか、そういうの信じてるクチ?」
「そんなおとぎ話、信じてませんって」
あまりに清楚な彼女が、実は知識がない可能性を考慮したが、どうもそうでないようだ。
「ちょっとまぁ、考えてる方法はあります。まだ言えませんけど……」
(えぇー…………ほんとにぃ?)
しかも方法があるという。エミリアは「ちょっと冗談では済まなくなってきた」と感じ、眉根を寄せて目を開いた。〝万才の乙女〟たるイリス。精霊車を自分で作り、怪獣をその手で山ごと真っ二つにした彼女が言うのだから、ちょっと説得力がありすぎる。
「言えないってのは、なんで?」
「恥ずかしいです……」
(何をする気だというのか)
イリスが耳まで真っ赤になっている。エミリアも少々あれこれ想像し、顔を赤くする。そして、小声で質問を重ねた。
「その場合、産むのはどっち? イリス? 私?」
「エミリア様に、まずはお願いすることになるかな、と」
「まずは? 逆もありってこと?」
「ダメってことは、ないはずです」
「なんでもありねぇ」
正直呆れた。だが胸の奥に、つかえがとれたような心地よい感触が満ちた。かつて遠い世界のアイドルのようだと思った……イリス。あまりに眩くて、手が届かない人で。それが今、自分の目の前で。自分と子どもを作る、話をしている。そんな馬鹿なと、笑うことができない。その未来はいつ来るんだろうと、むしろ期待してしまう。
声に笑みを乗せて、エミリアは弾むように続けた。
「何人くらい、とか。考えておかないとね」
「男の子ふたり、女の子ひとり……ずつとか?」
「嫌に具体的だし、合計六人ってこと? 子育てしてたら、おばあちゃんになりそう」
「ま、孫もほしいですね」
「そうね。本当にそう」
眉尻を下げ、穏やかにイリスを見つめる。柔らかくたくましい彼女の背中を、目にしながら。
(そんな日のためにも……そうね。お父さまに真面目におねだり、しよう。何か必要ならば、努力して)
胸元のブローチを、握り締めて。〝もやもや〟と胸の奥から湧き出る想いを。
(私、イリスの――――お嫁さんに、なりたい。この子を、お嫁さんに、したい)
大事そうに、しかと抱きしめた。




