08-02.懐かしの朝市。
王国へ向かう途中、宿をとり、三部屋に別れたエミリアたち。エミリアはイリスをなんとか引っ張り込み、眠そうな彼女をとりあえずベッドに寝かせる。カバンを適当な隅に寄せて置いた。
(お。ここ二重窓だ。鎧戸はないのね)
エミリアは窓を開けようとしたが、少ししか開かなくて諦める。そのまま、外をガラス越しに眺めた。強めの日差しが街を照らしており、まだ活気が見て取れる。
(時間的に、朝市はまだやってる……けど)
カーテンを引き、小さく息を零して、振り返った。
「昨日の夜、ちゃんと寝かせてあげたのに……どうしたのかしら、イリス。今朝ずっと、半分寝てたし。車中でも起きなかった」
エミリアの胸の奥に、不安がよぎる。イリスの体調不良には、一つ心当たりがあった。それは。
(まさか……スキルの使い過ぎ? 心の限界が来ている? 精神を病むと、眠りに影響が出やすいというし)
イリスのスキル〝才能〟は、あらゆる限界を突破させ、無限に成長することができる代物だ。先日はこのスキルの力により、彼女は精霊竜を一人で倒している。人間の限界をはるかに超えた力の発揮を、エミリアは心配していたが……しばらくは、影響が見られなかった。
(元々この子は、睡眠や呼吸すら鍛え上げていると言っていた。肉体的には、ほとんど眠らなくていいはず、なのに)
寝息を立てはじめた恋人に、エミリアは近づく。ベッドの端に腰かけ、体を捻った。彼女の額に、そっと手を当てる。
(熱……とかは、ない。呼吸も規則正しいし、詰まりもなさそう。顔も穏やかで、うなされているような様子はない。なら、どうして……)
額から頭頂部へかけて、すっと撫でる。少しの湿り……汗をかいているのだと理解したが、気温を思えば異常なことではない。向き直り、彼女の服に手をかける。上着のボタンを、いくつか外して。タオルと水の入ったボトルを〝積載〟スキルの中から取り出し、露わになったイリスの首筋を濡れた布で拭く。彼女の口元がむにゃむにゃと気持ちよさそうに動き、頬をエミリアの手に摺り寄せ、それから……また穏やかな眠りについた。
エミリアは、布とボトルを仕舞い。口元に手を当てて。瞳を潤ませて。
(めっっっっっかわ)
息を荒くした。ちらりと覗くイリスの鎖骨に、視線が吸い寄せられている。白い肌が透き通って、輝くようであった。
「こ、ここのところ、お預けだったし……でも、まだ昼間で……それに実家が危機の今、こんなことしてる場合じゃ!」
エミリアは目を血走らせ、息を漏らさないように唇を噛み、しかし鼻息荒くイリスを見つめ続ける。最近はヘリックの皇帝就任もあって、イリスは忙しくしていた。やっと落ち着けると思ったら、ディアンから公爵領の火急を報せる手紙が来た。その時だって、キスしようとしたらスライムに邪魔されて。
(あー…………もうだめ。脱がせたい。キスしかダメというのなら、せめて全身余すところなく――――)
不満が、溜まっていた。
エミリアは元々、王子に恋して婚約していたくらいには、いわゆる異性愛者な性質である。イリス以外の同性に惹かれたことなど、前世を振り返ってもまったくない。だがイリスに対してははっきりと魅力を感じており、そしてその好意の昂りと共に、強い欲求もまた覚えていた。イリスはずいぶん貞淑で、「首から下へのキスすらNG」と宣うほどである。それが逆に、エミリアの欲に火をつけていた。
ありていに言って、そろそろ限界である。
「うあぁぁぁ……せ、せめて同意をぉ……でもねてるとこかわいい……ほぉぉぉぉぉ」
悶絶し、ぷるぷると震える両手を伸ばす。イリスが身じろぎし、それに驚いてびくりと体を震わせ、息をひそめて彼女を見つめる。
再びイリスが、可愛らしい寝息を立てはじめたのを、確認して。
「――――これは同意と見てよろしいな?」
エミリアは彼女の胸元に、手を伸ばした。そのボタンを、さらに外そうとして。
『エミリアー?』
扉から聞こえたノック音と声に、総毛だった。
「にゃい!?」
『…………ちょっと。まだ日が高いわよ?』
続く声に、エミリアは右往左往する。慌ててイリスの服に手を掛け、首元まで閉めようとし……なぜかぷちぷちとボタンを外しだした。
「ハッ! 欲望のあまり、手が勝手に!?」
『あら? なに、鍵も掛けてないのね――――』
がちゃり、とノブの回る。
「車の中であなたが話してた朝市、終わっちゃ…………」
「あの、これは」
衝立を使うのを忘れていたため、開いたドアからは部屋が一望でき、当然にベッドのエミリアとイリスの様子も丸見えである。マナの動いた視線には、きっとイリスの胸元が映っていることだろう。
「汗かいてるから、その。ね?」
マナがじっと、エミリアを見つめてくる。彼女の肩口からスライムがにゅるんと出て、そちらからも視線のようなものを感じた。
緊張で、嫌な汗が出るのを、感じ。
「…………寝てるとこに手を出すのはやめなさいよ、せめて」
ため息のような一言を浴びせられ、エミリアは思わず立ち上がった。手をわたわたと振りながら、弁明を始める。
「ちがう、違うのぉ!? これは手が勝手に!」
「最悪の言い訳ですわ……友達やめたい」
「のぉぉぉぉぉ! 未遂! 未遂でござるから!」
エミリアはさらに、錯乱した。
☆ ☆ ☆
(恋人に欲情したところを、友達に見られました……しにたい)
魚のようなどよんとした目のエミリアは、マナと並んで通りを歩く。朝市はそれなりに店が閉まり始めていたが、売れ残りを買い取って食事を提供する屋台は、ずいぶん人が訪れているようだった。
「おう、いつかの坊主……なんだ、前とは別の女を連れてるのか?」
声を掛けられ、エミリアは顔を上げる。いつぞやかの、小柄な野菜売りの店主だった。
「そんなんじゃないよ、久しぶり」
「おう。料理修行はうまくいってるのか?」
前にこの辺りをうろついているときは、料理人の弟子と誤解させて回っていた。そのことを思いだし、エミリアは笑みを浮かべる。
「まぁまぁだよ。今度は王国の方へ行くことになってね。明日早くに発つんだけど……残り、買ってもいい?」
「まとめてか? なら二割引いてやろう。オレン銅貨なら二枚だ」
「はいはい。ジーナ通貨はまだ信用が戻らないの?」
エミリアが銅貨を渡すと、店主が野菜を袋に詰め始めた。話を振りながら、エミリアは大人しく待つ。隣に来たマナが、その様子をしげしげと眺めていた。
「若い皇帝陛下だって話だが、どうかね。というか、他所が安定してんだよ。特に王国だな……こっから近い公爵領は独立するって話だが、ありゃ随分前からだ」
「争いとかはないの?」
「あるわけねぇ。どっちかっていうと、西だな。投機だ先物だって、荒れて商売にもなんねぇらしい。はるばる向こうから行商に来る奴も稀に要るが、ありゃダメだ。ガラクタしかねぇ……あれはまずいことになるぜ」
(変ね……公爵領の危機って、戦争とかじゃないのかしら)
思案しながら紙袋を受け取り、ちらりと隣のマナを見る。どこか不安そうな彼女の瞳が、こちらを向いた。
(ああ、今の話。皇女で、かつレモーナのセラフ王子が婚約者のこの子としては……複雑そうね)
笑みを浮かべ、軽く頷く。
「ありがと。また縁があったらよろしく」
「おうよ、色男」
エミリアは店に背を向け、好いてそうな屋台を探して歩き出した。マナが並んで歩きながら。
「わたくしたちって、そういうふうに見えるのかしら?」
(さっき気にしてたのそこぉ!?)
こそっと、そんなことを聞いてきた。エミリアは笑みに表情を隠し、肩を竦めて見せる。
「どうかねぇ。ボクじゃあ釣り合わないよ」
「っ。その喋り方、ちょっと癖になりそうですわ……かっこよくないです? エミリア」
「君のお姉さんほどじゃ、ないでしょ?」
「――――そうでも、ありませんわ」
マナが何か言ったように聞こえ、しかしそれは雑踏に消えた。
「何か言った? マナ」
「いいえ、なんでも」
「そう……ところで、そろそろ聞きたかったんだけど」
席の空いていそうな店を見かけ、エミリアは近づく。いくらか持ち帰りを包んでもらうことを考えながら、自分の腹具合と、皇女マナに食べさせていいかを思案した。そのままさりげなく、マナに尋ねる。
「どうして急についてきたの? しかも最初隠れてたし」
「……理由が思いつかなかったからです。ちょっと、信じてもらえなさそうで」
隣のマナを見れば、どこか困惑した顔だった。エミリアは席に着き、店主に注文をする。料金を払って、待つ彼女の脇で。
「このスライムが、なぜかエミリアについていけって……そう言っている気がして」
着席したマナが、そう零していた。彼女の袖口からは、透明なゼリー状のものが覗いている。なんとなくだが、目のようなものがついている、気がした。
(不思議スライム……明らかに意志や思惑がありそう、だけど。私についてけって? なんでだろう)
以前スライムを取り込んだとき、一瞬見えた、謎の女性のことが頭をよぎる。黒髪黒目、どこか自分に雰囲気の似た彼女。ゲームでは名前だけしか登場しておらず、現実でも似姿のない……皇女かもしれない、あの姿。
(あの時の、声。変な言い方だった。私に、イリスを祝福しろって、そう言って……それじゃあ、まるで)
自分が精霊みたいだ。そんな言葉を。
胸の奥深くに、飲み込んだ。




