05-04.追っているのは私だ!
少年と思しき人影と、イリスが、仲良く手を繋いで談笑しながら……道の奥へと消えた。
「――――しぃ」
エミリアは。
一度冷え固まった〝もやもや〟の下から。
炭のように燻ぶる……どす黒い炎が燃えさかるのを、感じた。
「妬ましい…………!」
呟くが早いか、涙を振り切って駆けだす。
「私を差し置いて、イリスと! 私のイリスと! おのれッ!」
あっという間に奥に辿り着き、角を曲がろうとして――――。
「行き止まり!?」
そこは、袋小路だった。エミリアは上や左右を見渡すが、高い壁があるだけで、何も見当たらない。二人の姿も、なかった。
(――――違う)
エミリアは奥の壁の前に、しゃがみ込む。
「私は誤魔化されない、見間違えない……イリスはいた。確かにここにいた。そして移動した……否、消えた。スキルか、それとも」
さっと石畳を撫でた。砂の感触があり、僅かに模様が見て取れる。
(ここ。ここだけ、砂がずれてる。足跡もある。仮にこの壁が、手前に開くのだとしたら……こういうこすれが石畳に残るわね)
顔を上げ、立ち上がる。壁にノブや取っ手は見当たらない。触れてみるとざらりとした感触がするだけで、押し込んでもびくともしなかった。
(扉だとすれば、引き戸。内側から開ける形……なら)
エミリアは手の甲で、壁を叩こうとして。
(……………………ダメだ。合言葉とかを聞かれたら、さすがにヒントがなさすぎる。聖剣で切って、強引に押し入ることはできるけど……中のイリスの様子がわからない。迂闊に入れないわ。それに)
手を引き、あたりを見渡した。
(ここ。周りは高級宿だけれども、この壁の向こうは建物がない。壁向こうに出たとしても、二つの宿の隙間に出るだけ。そんなところに、なんで秘密の入り口があるの? 何のため? どこに出る? この先に建物が、ないとしたら、それは――――ハッ)
エミリアは二歩、身を引き。
(――――――――囲まれ、てる)
息を呑んだ。汗が一滴、首筋を伝う。ただの勘だったが……その勘が「間違いなく包囲されている」と告げていた。確かに複数の視線を感じるし、にじり寄るような足音もする。エミリアは躊躇なく、後ろを振り返って駆けだした。
(……こいつらを撒いて、イリスが連れていかれたところに潜入しないと。たぶん、別のところにも出入り口がある)
元の三叉路に近くなって――二人、ならず者か冒険者かといった風貌の男が、飛び出してきた。
(場所はおそらく――――よっと)
二人の間を軽々走り抜ける。エミリアを捕まえようとする手は、すべてすり抜けた。元来た道に数歩駆け込んで、エミリアは首だけ振り向かせる。目の端に、陽光を受けた金属光沢が見えた。
「刃物とは、遠慮がない。だがとろいね」
挑発的に言って、口の端を上げる。
「待て!」
(待つもんですか)
男たちが周囲の壁から飛び降りたり、奥の路地からもやってくる。彼らには目もくれず、エミリアは最初に来た道をひたすら駆けた。
(訓練はされてる……けど荒い。冒険者? 街中で山賊ってこともないでしょうし)
走る先、奥に巨漢。道は狭く、左右は塞がれている。股下は短く、背は高い。
ならば。
(王宮で襲ってくる賊どもは、手ごわかったわねぇ。アレに比べればッ!)
エミリアは胸の奥の〝もやもや〟を。
右手から、吐き出した。
「〝斬〟ッ!」
短く宣告。腕を一閃。光の剣が煌めく。斬りたいと思ったものが斬れる。巨漢の手前の壁が、抉れて崩れた。僅かに土煙が立ち込め、男が顔を腕で庇う。エミリアは駆け込み。
「ちょっと失礼!」
一歩。崩れたレンガを足場に、華麗に跳ねる。
二歩。彼女の跳躍は、男の頭まで届き、伸びた足が肩を踏み台にする。
三歩。壁を蹴る。二度蹴って――――巨漢の後ろ、五歩ほどの位置に着地した。
さらに二人、長剣を持った少年が立ちふさがって。
エミリアは構わず、走って間合いを詰めた。
「この、止まれ!」
「イリスをッ!」
二筋の銀閃が払われた。
(コイツ、イリスを呼び捨てに――――ッ!)
エミリアは目を血走らせ、横の一つ目を伏せて避ける。そのまま少年の懐に潜り込んで、後ろに押した。後から来た縦の一閃は、押し込まれた少年の体によって横に逸れ、石畳を打つ。耳障りな音が、響いた。
エミリアは縦に振られた刃が戻る前に、その腹を蹴りながら前に出る。帽子を手で押さえながら、金髪の少年たちの隣を駆け抜けた。
「早いッ!」「くそっ!」
悪態を背に、次の角を右に曲がる。先には誰もおらず、呼び止める声が後ろからだけした。
(よし、包囲を抜けた。思ったより数が少ない。それより――――)
エミリアの胸の奥で。
黒い炎が、うずく。
(やはりあいつら、イリスを知っているッ! 早く、早くイリスの元へ行かないと! まずはこの先、川沿い……)
大通りに出た。午前の光の中、人や台車が行き交っている。精霊車はなさそうだが、馬車は遠くに見えた。エミリアは身を低くし、通りをまず渡る。90度右に曲がって、道を下っていく。目の端に、戸惑う追跡者たちが見え、ほどなく悲鳴が聞こえた。
「やべ」「散れ! 散って追え!」
(武器ぐらい仕舞いなさいよ……けど)
金髪の二人組が、指示を出している。背格好、それに顔もよく似ていた。他の者たちが、左右に分かれて駆けだす。
エミリアは僅かな呆れを、吐き出してから。
(――――――――好機!)
さらに90度右に曲がり、金髪二人組に向かって駆ける。人の腰ほどに身を低くし、人影に隠れて。ほどなく二人に近づき。
「あなた、イリスの何なの?」
先ほどイリスの名を口にした方の少年に言葉と……憎悪のこもったような、血走った眼を向ける。答えを待たず、右手を一閃。少年二人の持つ直剣が、割れた。
「なっ!?」「お前こそ!」
「うるさいわね。アイテール!」
エミリアは左手を突き出す。そこから精霊車がにゅるっと出て――――。
「おわっ!?」「ぐあっ!」
少年二人を押し込んだ。エミリアは衝撃を感じたところで、また精霊車を手の中に戻す。質量に押し出された少年たちは、建物の壁に背中から押し込まれ、膝から崩れ落ちた。
(あの二人。司令塔だと自分からばらしてくれるんだから、楽なものだわ)
取って返し、エミリアはまた通りを駆け始める。驚く人々の間を縫い、指揮官が倒されて慌てふためく追跡者たちの脇を抜けて。
(…………追ってはくるわね。でも3人だけ。回り込んだりはしてこなさそう)
角を曲がり際、追跡状況を確認する。川沿いに走り。
(見えたッ! イリス、今行くわ!)
エミリアが目指していたのは、橋――――否、水門だった。
迷うことなく。
欄干を乗り越え。
川に、飛び込む。
『なに!?』『追いかけろ!』『泳げねぇよ!?』
そんな揺れる声が、遠い。エミリアは透明度の高くない水の中を、薄目で見ながら進む。ほどなく格子に辿り着き、これを右手の光の剣で、斬った。
(この奥……息が続く間に)
元現代人のエミリア、水泳もお手の物である。格子の奥は下に深く水が流れていて、彼女は身を任せながら水中を進んだ。
(目が、あけられ、ない。イリス、イリス……)
流れが早く、暗く、ほとんど周りが見えない川底を。
薄目を無理やり開け、光の剣を掲げて進み。
その暗い中に、自分が追う者を幻視する。
(この上、のはず! もう息が――――!)
口が開きそうになるのを、必死になって堪える。
イチかバチか水底を蹴って、浮上。
左手で水をかいて。
足をばたつかせ。
上へ向かっていると、信じて。
「ぷあっ! はぁ、はぁ…………」
急に水の圧力が、なくなった。
「イリス、イリス……」
うわごとのように呟きながら。
エミリアはもがくように、手を伸ばした。
息ができ、川面に出たことを理解したエミリアは、肩で息をする。酸素があることに、深く感謝した。
(地下水路……やっぱりあった)
淀んだ空気であったし、まったくの暗闇であったが……右手の剣を掲げると、周りは多少見えた。広さはかなりあるようだ。天井は高く、幅も広い。水の流れに抗い、端へと泳いで寄る。ひんやりとする石の岸が、あった。
「街の外の川から引き込んでる、用水路ね」
反響する声や、「チュ」というネズミらしき声を聴きながら、エミリアは岸に上がる。水を吸った服は重かったが、なんとか体を引き上げられた。まずは体を振って、少しだけ水気を飛ばす。光の剣をそのままにしても……と、〝積載〟のスキルの中からランタンを出した。次いで、小さなマッチ。先端が濡れる前に、近くの壁に強くこする。
(これだけで火がつくのって、結構危ないわよねぇ)
エミリアはマッチの火をランタンに移し、炎を消す。ランタンの蓋を閉じ、光の剣を仕舞った。小さな炎の、丸い光だけが、残る。
「イリスが連れていかれたのは、たぶん地下。こっちの方に……」
エミリアはランタンを掲げ、差し向ける。少し先に、脇道が見えた。
「あった、この先だわ。地上に直接つながるだけじゃなくて、部屋だかアジトだかがあるんでしょう。そこに――――」
小さく呟き、エミリアは息を整える。
「イリス…………」
その先には、きっといるはずである。楽しそうに少年と連れ立っていたイリスが。彼女と同じ髪、同じ目の色をした少年が。あるいは、少年の仲間たちもいるのかもしれない。このままいけば、正面から戦闘になる可能性が高かった。
(私は。自分の過ちで、大事な人と別れて)
胸元のブローチを、ギュッと握り締める。桃色の差した貴石〝竜鳥の涙〟がはまったそれは……エミリアにとって、愛と裏切りの始まりの証。
(それを乗り越えてでも、イリスの手をとったというのに)
そして大事な、絆の象徴。同じブローチをした金髪碧眼の彼女が、その姿が。
網膜に焼き付いて、離れない。
――――彼女を連れて行った、少年のことも。
手を繋ぐ二人。笑顔のイリス。誘拐とか、そんなふうにはまったく見えない。けれど。
「イィィィィィィィィ――――――――ッ!」
エミリアは歯を食いしばり、悶え、体をよじり、頭をかきむしった。笑顔。イリスの笑顔。自分以外に向けられる、彼女の可憐な顔。そして嬉しそうな、青い瞳が。
頭を、狂わせる。
「どうしてポッと出のあいつが! 私のイリスをッ! 許せない許せない許せない妬ましいッ!」
激昂が反響し、地下に響き渡る。敵に見つかるかも、という意識が脳裏にちらつく。だがどす黒く燃えさかる〝もやもや〟が、感情を止めることを許さない。噴き出す。溢れる。激しい想いが脳の芯を焦がす。
「イリスは――――!」
水を滴らせる、エミリアの。
言葉と体温だけが。
「返してもらうわよ……必ず」
刃のように、冷たかった。




