05-03.友達を探して。
まだ朝日が昇り切らない広場には、所狭しと露店が並んでいた。店も多いが……客もかなりのものである。
(なにが〝宿で休んでろ〟よ! 旅で知らない街に来て、あんな何もない宿でホテルステイもないでしょうが! イリスのばか)
街を歩くエミリアは少しの憤慨をしつつも、朝市の店先に目を輝かせ、しげしげと眺める。
「おじさん、これ一つ」
途中エミリアは野菜売りの店先で止まり、きゅうりを指さした。小柄な男性がじっとこちらを睨んで。
「坊主、この国のもんじゃねぇな?」
どこか訝しげに尋ねてきた。なおエミリアはいつかにイリスの母、レッカが間違えた時のような旅装である。髪を帽子にしまい込んだパンツルック、ダボッとした茶色っぽい装いは、どうも必要以上にエミリアを幼く、また中性的に見せるようだった。
「外国人でも、ここはものが買えるって聞いたけど?」
低い声にエミリアが返すと、店主は顔の前で手を振る。
「ああわりぃ、そうじゃねぇんんだ。できれば帝国通貨以外がよくてよ」
「オレン銅貨でいいなら」
「釣りが出せねぇな」
「じゃあ、銅貨一枚で買えるだけ、各種一つずつ」
エミリアは銅貨を取り出し、店主に投げてよこした。受け取った店主は、代わりにきゅうりを一本、エミリアに向かって差し出す。
「なんだ、お使いか?」
「違うよ、まずは味見」
もらったきゅうりを、エミリアは両手でもって二つに割る。少し太めの身は、中が瑞々しい。種も見えるが、問題はなさそうだ。
「へぇ、料理人の徒弟か? 豪勢な目利きだな」
「…………そんなとこ。よければまとめて買うから」
「色を付けろってか?」
「違うよ。他の店紹介して。野菜だけじゃ、料理出せないでしょ?」
「なるほどね、抜け目がねぇ」
言い訳を適当に投げ、エミリアはきゅうりを豪快に一口。
「うまい……!」
しゃくしゃくと噛んで飲み込んでから、思わず感想を漏らした。エミリアは顔を上げ。
「イリ――――っ」
金の髪、青い瞳の少女を探し……小さくため息を吐く。気を取り直し、きゅうりを食べに戻った。
(しょうがない。買って帰って、後で食べさせてあげよう)
それなりの大きさだったが、へたを残してあっという間にざくざくと食べ進む。
「ふ……六人前を一日分ほど。品は任せるから、詰めてくれない?」
食べきってから、エミリアは改めて願い出た。二人前三日分と言おうとしたが、そこは飲んで言い直す。イリスと二人の滞在であるとは、あまり知れ渡らない方がいい。
「予算足りるのかよ?」
「そりゃもう。おいくら?」
エミリアが聞き返すと、店主は片手を広げて見せた。
「5枚だな」
「はい、5枚。安いね。王国なら16枚は取られる」
「そうかね? こっちじゃ普通だ。味見分も詰めておくぞ」
銅貨を注文通りに寄越すと、男は機嫌良さそうに、せっせと紙袋に野菜を詰め始めた。いくつか果実も詰められて、当面の食卓に期待が持てそうである。そのみずみずしさだけで食べきれたきゅうりを思い起こしつつ、エミリアは満足げに笑みを浮かべ――――。
(おじさん、今の惚けたわね…………これ、本当はオレン王国通貨が、もっと高く扱われてるわね? となると帝国通貨が信用を失って、暴落してるんだわ。両替商にぼられる前に見に来て、正解だったわね)
内心では、別のことを考えていた。帝都封鎖にもつながるような気がして、僅かに暗澹とした気持ちになる。
「坊主。あっちで食べてきな。仕入れはこの市だ。品の被りはねぇから、店を回ればどこで売ってるかはわかるだろう」
紙袋を寄越してきた店主は、通りの奥を指さした。その先を見れば、火と煙。どうも、店先で鉄の鍋を振って調理しているようである。朝食を求める客の姿が、ちらほらとあった。
「なるほど、助かるよ。今後もしばらく、いい買い物をさせてほしいね」
「生意気言いやがって。また来い」
笑顔の店主に手を振って、エミリアはそっと鳴りそうになる腹を手で押さえた。
(イリス。朝食あれだけで、お腹空かせてないかしら……)
☆ ☆ ☆
(食材の鮮度はいい。油や塩も悪くない。香辛料も使われてて、美味しかった。宿の食事と大違い。庶民の暮らしには、むしろ豊かさを感じるのに……通貨信用はない、か。民が文明の恩恵を受けて発展、中央集権型の政治はそれに敗北しつつあるのね)
温かく、柔らかく、美味な食事に舌鼓を打ち、買い物を済ませた後。人目につかない裏路地で、エミリアは精霊車の〝積載〟スキルを使用する。紙袋にぎっしり詰め込んでもらった豊富な食材を〝中〟に取り込み、また別の通りを目指して歩き出した。
(さっきの市、たぶん平民……非スキル保持者向けね。張り出しの値段が二重価格になってないし、外国人でも取引可。むしろ外国通貨の直接取引が喜ばれる、か。帝国、ほんとに政変したんじゃ? ちょっと分断が、シャレになってないでしょう。これ)
宿と食堂の値段は「外国人向け価格」だったことを思い出しつつ、エミリアは裏路地をうねうねと歩く。すえた臭いを幾度か感じながら、袋小路を避けつつ、すいすいと進んだ。上下や曲がりの多い道は、王都では見られなかったもので目新しい。帝国とは土質が違うのか、どこを見てもレンガが真っ赤だ。
(この辺、高級宿の裏なのに。スラムみたいな空気になってる。帝国はスキル持ちを優遇し、彼らが無才の平民を率いるという社会構造だったはずだけれども……)
お題目と実際の社会の差を目の当たりにし、エミリアは深く頷く。今後帝国で長く活動することを思えば、それは障害にもなりそうではあったが……彼女としては、興味が勝った。
(それで文明が発展した結果、数の多い庶民の生産力の方が勝り、豊かになってしまった。けれど、それを数で劣るスキル持ちたちが集約できるほどには、文明発達してない。通信や流通が未熟だから、富が集中しないんでしょうね。集まる前に、消費されてしまう。歪な国ねぇ。面白い)
食料増産、鉱物資源採取、工業化……産業は発達する一方で、電気や通信技術が発明されていない。精霊車などの精霊を使った動力に社会の目は向いており、蒸気機関などもまだない。魔物という人類の天敵がいて、人間同士の争いが少ないという事情もあって、この世界はエミリアの知る社会とはまた違った発展を遂げていた。
少しワクワクしてきて、エミリアは誰かと、話したくなったが。
「イリスと回りたかったな……あの子の意見も、聞いてみたいのに」
いない友を思い、ぼやきながらも、さらに歩く。主要な通り、そこを繋ぐ裏の構造を把握しつつ、奥へ奥へ。十分な食料とちょっとした情報は手に入ったので、今日のエミリアはあとはぶらつく構えだ。まずは何かあった時のためにと、道を覚えることに腐心していた。
(殿下に連れ回されてた頃、不安で道を覚える癖がついちゃったのよね。何かあっても、一人で帰れるようにって。そうしないと殿下に万が一があったとき、助けを呼んだりもしてこれないし……この曲がり方だと、あっちは行き止まりね)
ジークのことを思い出すと、少しだけ胸が痛む。だがブローチを握るエミリアが考えているのは、彼のことではない。王子を捨ててでも、その手を掴んだ……友達のこと。
(ひょっとしたら、イリスも見つけられるかも……って思って歩いてるけど。会わないわね。まぁ街は広いし、会える可能性は低いけど……)
早朝、宿を出て行ったきり、イリスの姿はない。
「せっかくだから、あの子と一緒がいいのに。これじゃあ……つまんないわ」
エミリアは三叉路で少しだけ足を止め、深くため息を吐いた。周囲にひとけはなく、ただ細い路地だけが奥に続いている。ここを彼女の手を引いて歩けば、それだけでどれほど楽しかったろうか――――そんなことを思って手を握り、また開く。
(外を歩いてるわけじゃない、とか? いやいや。ほとんど来たことがないはずの街で、何の用事があって――――)
いよいよ彼女の行き先が気になってきたエミリアは、ふと左を振り向き、路地の奥を見た。
ふわりと、風が吹いたような。
気がして。
(…………ま、会ったら聞いて見ましょ。こんなところにいるわけも、ない、し)
前を向き直り、歩き出す。
二歩、三歩と進み。
「――――――――イリス?」
顔を上げ、目を見開き、呟いた。
引き返し、エミリアは再び路地を覗き込む。道の奥に、確かに彼女がいる。肩までのふわっふわの金髪、青い瞳。小柄で、今朝見た格好のままだ。彼女は誰か……どうも少年らしき人影と、何か話し込んでいて、こちらに気づく様子もない。
「イリ――――」
まだ距離がある。エミリアはイリスに近づこうとして。
彼女の視線の、先で。イリスが。
その相手の手を。
とった。
心臓がどくり、と跳ね上がる。
「…………え?」
自分の声が、呟きが、他人事のように聞こえた。
胸の奥で〝もやもや〟が冷えたように固まる。
手を引かれる彼女の顔は、笑顔で。
そんな穏やかなイリスの顔は。
最近まったく――――見た覚えが、なかった。
「う、そ」
イリスと少年が、角の向こうへ消える。
エミリアは立ち尽くして。
唇をわななかせて。
涙を一筋、零した。




