05-02.旅のヒロインがアンニュイ。
「ん、そんなことは……」
イリスは首を振っているが、明らかに様子がおかしい。どう見ても、元気がない。落ち込んでいるというふうでもないが、気が乗らない様子だ。エミリアはそれが、どうしても気になった。もちろん、おかしいのは自分も同じだとは……わかっている。イリスを見ていると胸が高鳴るし、目が合うとどうしても頬に熱が昇る。なぜそうなるのか、自分でもよくわからない。
だからこそ、イリスがなぜ変なのか、知りたいのだ。彼女のことを知れば、自分の気持ちもわかる――――そんな、気がして。
イリスといると胸の奥から湧き上がる、この〝もやもや〟の正体が、わかるような気がして。
(イリスと二人きりでも、感じる。そりゃあ、私が何もできてない甘ちゃんだから、自分にムカついてるってのもあるかもだけれど。なんかこの間から、変っていうか……)
パーシカム公爵家に帰って……なぜか24時間以上寝てしまった、あの日から。「嫉妬」だと思っていた〝もやもや〟が、実は違うものなのではないか? とエミリアは思い悩んでいた。その悩みは、ジークと決別したこともあって……非常に強くなった。
「私といるの、つまんなかったりする?」
どうにも煮え切らないイリスと、おさまらない〝もやもや〟にイラついて、エミリアはぶっきらぼうに漏らす。
すると。
「断じてそのようなことはございません」
非常に早口で、一息に返事があった。上がった彼女の視線を捉え、エミリアはじっと見つめる。
「じゃあなによぅ」
だがすぐに。
目が、逸らされてしまった。
服を持って抱きしめ、もじもじとしている様子のイリスは可愛らしいが、それはそれとしてエミリアは不満であった。
「悶々とする、といいますかー……エミリア様とずっと一緒で、その。こんな、お泊りまで」
つっかえながら答えるイリスの言葉は、何か言い訳のようで。顔の赤い彼女の声は、小さくて消え入るようで。エミリアはため息を吐き、寝台へ歩み寄る。
「車中泊ずっとしてたじゃない。確かにお宿に泊まるのは、初めてだけど」
「それとこれとは、別というやつです」
「そぉ?」
イリスには何やら、こだわりがあるらしい。譲れないものがあるらしく、少し語気が強かった。
ベッドの端に座り、エミリアは布団をそっと撫でた。寝台は非常に大きく、二人がゆうに眠れるだけの広さがある。ただ、それ一つきりだ。二人部屋に、一つのベッド。
「ベッド、大っきい。というか、一つだけの部屋に案内されるなんて。私たち、どういう関係だと思われたのかしら」
「っ――――」
苦笑いして顔を向けると。
イリスが息を、飲んでいた。
顔が、耳まで真っ赤で。
「イリス?」
「わ、わたし。お風呂入ってきます! 湯舟あるみたいですし! せっかくですし!」
彼女は背を向け、服を掴んで奥の扉に歩き出した。
「ん。お湯もったいないし、一緒に入る?」
その背に、冗談めかして声をかけると。
「ダメ絶対! 失礼します!」
彼女は浴室へと消え、ばたん、と勢いよく扉を閉めてしまった。
「なによぅ、ケチ」
一人残されたエミリアは口を尖らせ、不満を漏らす。
「…………イリスはあまり、私と仲良くしたくないのかしら」
理由もなく、避けられている――――そんな、気がして。胸の〝もやもや〟が、大きく広がり、うずく。思わず胸元のブローチを握り締め、エミリアは深く息を吐き出した。
「せっかく追手もなくて。二人きりの旅行、なのに」
自分のため息で、空気が悪くなりそうだった。
☆ ☆ ☆
翌朝。
朝日が朧な時間に目覚めたエミリアは、しばし「ここどこ……?」とぼんやりと悩んだ。暗い部屋を見渡し、ベットの反対側の膨らみを見つけて。
(ちゃんと寝てる……というか遠いわね)
ようやく、見が覚める。丸くなっているイリスの横顔は、当然に瞳が閉じられていて。エミリアは、小さくため息を吐いた。
(車中泊の方が、よかったかしら)
窓を開けようとして、店主の忠告を思い出し――開けた。ガラス窓を完全に、鎧戸を少しだけ。多少の音が、静かな朝に響く。ガス灯は消えており、朝日はまだ遠く、2階から眺める街はほの暗かった。確かに少しの煤を感じる空気を吸い込み、また窓を閉じる。
「さて、今日はっと」
明かりのない部屋に戻り、エミリアはテーブルの上の紙を取り上げた。昨夜ズライトから届いていた、返事の文言である。〝帝都閉鎖〟については、向こうでも広め、情報収集してくれるらしい。またアビリスの街にも烈火団――イリスの母がリーダーの大冒険者団――の者がいるので、接触を持つことが勧められていた。顔はイリスが知っているそうだ。
「烈火団に接触。来春までに大学に入学しないとだから、なんとか帝都の様子を把握しないと。閉鎖の理由、中の状況……場合によっては、市壁を乗り越えて、潜入しましょうか」
着替えながら、エミリアは呟く。
(〝万才の乙女〟……輝かしいイリスを、私は相応しい活躍の場に連れていきたい。ただ押し上げるのではなく、そこで共に、並んで。帝国大学がその場所とは限らないけれど……まずは入学できないとね。招待状があっても、帝都に入れないんじゃ意味ないわ)
この旅路は、エミリアの不信から始まった。婚約者のジーク王子の愛が、信じられなくて。そんな後ろ向きな理由で始まった旅ではあったが……エミリアは今、前向きだ。イリスの手を取った自分の選択に、誇りを持っていた。
「あなたと一緒にいるためには……私ももっと、努力しないと。イリス――――」
適当に旅装に着替え、エミリアはまだ丸くなって眠るイリスに近寄る。寝台脇から手を伸ばし、彼女の頬をそっと撫でた。丸く、柔らかで、張りがある……頬を緩めながら、イリスの耳たぶを指で挟んだ。イリスは、眠りが浅い。こうして触れていると、案の定、目が開き始める。エミリアは顔を近づけ、イリスの瞳が開くのをじっと待った。
「――――――――ぁぅ?」
「かわいい。やっとあなたの目が見れたわ」
エミリアは両手でイリスの顔を挟み、瞬かれるイリスの青い瞳を見つめる。胸の〝もやもや〟は大きくなり、心臓は早鐘のように鼓動を刻んだ。それでもエミリアは満足そうに、イリスを覗き込んで――――。
「にゃああああああ!?」
また、離れられてしまった。イリスは猫もかくやという動きでベッドの向こう側まで跳ね渡り、その端から真っ赤な顔を半分出して、エミリアの方を見ている。
「残念。おはよう、イリス」
「……………………オハヨウゴザイマス、エミリア様」
緊張とも威嚇ともつかない挨拶を、返された。
☆ ☆ ☆
「パン、固ッ!」
直接噛むと歯が立たない黒いパンを、エミリアはやむを得ずスープに浸す。そして再び噛んだが、やはりまだ固くて……エミリアは喉の奥で笑った。
「だからわたしが作るって、言ったのに……」
横から不満そうな、あるいは少しの寝ぼけを感じる声がした。イリスは粛々と、固いパン、具の少ないスープ、塩気のきつい干し肉を腹におさめている。宿の一階には食堂があったものの、どちらかというと酒場向きのところのようで、モーニングの質はお世辞にもよくなかった。
「お寝坊さんに任せるのも悪いわよ。市場で食料が十分手に入るなら、次からそうしましょ? まだ買えるかもわからないんだし」
「さすがに外国人でも、売買そのものはできると思いますよ……?」
食料自体は持ってきているが、当然に旅用である。あまり減らしたくないので、エミリアは補給ができるなら自炊もいいか、と考えていた。
「だといいわね。今日買い出しに出て、それから考えましょ。朝市、やってるって」
「ぁ――――っ!」
食事を終えたイリスが小さく呟いて、椅子を引き、そのまま止まる。どうも、立ちあがろうかどうしようか、悩んでいるようだった。どこかを見ているようだが、彼女の視線の先には……何もなさそうである。労働者……というより冒険者風の他の客がいるはいるが、それだけだ。
「どうしたの? イリス」
エミリアは小首を傾げて尋ねる。パンの浸り具合も気になるが、唇を噛んでいるイリスも気になった。
「今日わたし、一人で回ります」
「……………………はい?」
エミリアは眉根を寄せ、首を大きく傾げた。だがイリスは何やら肩を震わせ、怒ったような泣きそうなような、よくわからない顔をしている。
「女二人連れの夜歩きはまずいって、言っておきながら。知らない土地で単独行動はどうなの?」
エミリアはイリスが心配になり、婉曲に止めた。しかし。
「ほんっとーにごめんなさい! エミリア様はこのまま宿で休んでてください!」
イリスは勢いよく立ち上がると頭を下げ、そのまま振り返って宿の外へ出て行ってしまった。
「え、ちょ、イリス!?」
エミリアも思わず立ち上がったが、イリスはもう出てしまった後。足音高く去った、強い不満を感じさせる彼女の背中を思い起こし、エミリアは困惑する。
「…………なんだっていうのよ」
椅子に座り直し、固いパンにかじりついた。だが今度はワクワクすることもなく。〝もやもや〟することもなく。
何か、イライラが強く、募った。




