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「そいつ、誰なの? 月穂」
不意に聞こえた、今だけは1番絶対に遭遇したくなかった人の声。
そう、現在の婚約者である雪くんだ。
ああ、なんて怖い表情をしているんだ。
周りの子達が怯えているではないか、偶然近く居て巻き込まれて可哀想なことをした。
後で朔斗に、偶然その場に居て周りの子達の心のアフターケアを頼むことにしよう。
……それにしても、雪くんの狂気に当てられないなど、自分に自信がない割にはメンタルが強いんだな、理玖は。
変わらず困ったような表情を浮かべているだけで、恐怖を抱いているようには見えない。
さて、そんなことよりもだ。どう理玖のことを説明しようか。
下手なことを言えば、警察沙汰になり兼ねない事態になりそうだしなぁ、参ったな。
なんて、考えているとどっからその勇気が湧いてくるのか、理玖がこう言ってのけた。
「初めまして、雪夜様。
私は秘書研修をしています、佐倉理玖と言います。秘書として優秀な朔斗先輩にご指南を頂いていたのですが、月穂様のご好意で今回、実際に月穂様の秘書の仕事を研修をさせて頂いているのです」
そう言えば良かったのかと、発想の転換の早さには尊敬をする。さすがは朔斗が認めただけはある、このフォローはとても有難かった。
雪くん自体、その説明で納得したのか、怖い雰囲気は直ぐに消え、笑みが戻る。
幼い時は、この関係に心地良さを感じていた。だけど、今は窮屈に思っている。
雪くんは、私ではダメなのだ。私じゃ、彼の手を赤く染め上げてしまう。
……だから私はあなたといられない。
その一言が言えなくて。
まだ見習いな右腕にフォローをされてしまった。
私はおどおどとした彼が心配で、顔色を伺おうと顔を上げれば、目を奪われてしまった。
普段情けなさを感じさせる自信のなさが滲み出る雰囲気は最初からしていなかったかのような真剣な表情で、雪くんを見つめて……。
そして、
「月穂様は私が守ります。あなたでは月穂様を守れません。
私は月穂様を守るために生き、月穂様が望むまで共に生き、死す時まで私の主人は彼女のみ。その道を邪魔するのであれば、どんな立場で生きる者であろうと怯んだりは致しません。
あなたの殺気にも怯みません。あなたは強いのかもしれませんが、本当の戦場を知らない強者など、私は恐れたりは致しません。
私が恐れるのは月穂様のみ。
私にはわかります、私は月穂様に適うことないんだと。それは私だけではなく朔斗さんもです。
だから、そんな月穂様を守るのは、あなたではなく私です! 誰であろうと触れせたりは致しません。それが私の望みでもあり、月穂様の望みでもあります」
そう言ってくれたことが何よりも嬉しかった。
私を守る、その言葉は心からの言葉なんだと心からそう信じられた。
だからこそ、悲しかったの。
「月穂は僕のものだ」
物扱いされたことが悲しくて。
涙が溢れそうになった。
……違う。この人は違う。
あの方じゃない、あの方は私を……!
……1人の女性として愛してくれた。
……1人の人間として見てくれた。
馬鹿だな、私は。本当に馬鹿な奴だ。
彼はもうこの世界にはいないんだ。この愛は行き先を失った愛が、虚無感を埋めるために辿り着いた応急処置でしかなかったんだ。
そんな私を救ってくれたのは、
「姫は物ではありません。
姫は人です。姫は、しっかりと自分の考えをお持ちになっています。それを邪魔する方は……、どんな立場にいる方であろうと許しません」
理玖のその一言だった。
その一言に泣きそうになったけれど、何故か雪くんに泣き顔を見せたくなかったから、私は1度目を閉じて、気持ちを落ち着かせてからこう言い放つ。
「この子は私の右腕となる秘書です。
この子を否定するということは、私を否定すると言うことを覚えておいてください」
私はそう雪くんに言い捨てて、理玖の手首を掴み、引きずる勢いで早足である場所に向かう。
教室とは真逆の方向である裏庭に進むから、そんな私を心配するように名前を呼んだから……。
耐えきれず、私は理玖の方へと振り返り、勢い良く彼の懐へと飛び込むように抱きついた。
そんな私を驚きながらも、理玖は条件反射か、抱きとめてくれた。
「月穂様、あなたの重荷は私の重荷。……だって私はあなたの右腕ですから。
あなたが悪役となるならば、私は喜んで悪役の手先となりましょう。
こんな私を、認めてくれたのはあなたと朔斗先輩だけでしたから。私が失って困るものはあなた達2人と、大切な人が大切にしていることだけです。
だから、どうか私にあなたの重荷を一緒に背負わせてください。右腕となる前の私があなたに会ったのはたった1回だけでしたが、失って惜しいと思うには十分でした。
あなたに苦しんで欲しくないのです。
だけど、あなたはあえて荊な道を選ぶからそれならその苦しみを一緒に耐えさせてください。
私はあなたの右腕です。あなたが拒む時が来るまでは、私はあなたが死すまで……いえ、この世から旅立ってしまった後も永遠にあなたの右腕となりましょう」
後々怒られる覚悟だろう。理玖は私を強く、そして包み込むように抱きしめてくれた。
その温もりを感じた時、私はまたもう1つ決心した。




