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05:娘との

 マゼンダと別れた後、私は少し遅れて宿を出てそのまま屋敷に戻ることにした。太陽はもう西に傾きはじめていて、のんびりと貸し馬車に揺られているとすぐに着いた。朝帰りならぬ夕方帰りの私を使用人達は呆れたように、それでも心配しながら迎えてくれた。チクチクと小言を言いながら私の世話を焼く執事とメイド長に頭の上がらない思いだった。帰ってすぐ隅々まで身を清められて、洗濯したての心地良い部屋着に着替えさせられた。部屋でお茶を飲みながらのんびりしていると、同じような格好にガウンを羽織ったシンディーレイラと食事が運ばれてきた。

「これは?」

 私の質問に執事は感情を出来るだけ込めないで静かに答える。

「本日はお嬢様のご希望によりお部屋でのご夕食を用意いたしました」

 その言葉にシンディーレイラを見ると、少し緊張した面持ちながらにっこりと笑った。

「あぁ…ありがとう」

 私の口からはポロリとこぼれた言葉に、皆の空気が少し柔らかくなった。


 私室には大きめのテーブルが運び込まれ、そこに様々な料理が所狭しと置かれていた。全て取り分けに手間がかからず、冷めても味の落ちないようなメニューだ。料理が置かれたテーブルの横にはこの部屋に備え付けてあるテーブルが並び、そこに2人分のカトラリーやグラスが並べられた。テーブルを整えると何かあったら声をかけるよう言い残して使用人達は皆、部屋を辞した。

「お父様、まずはスープを頂きましょうか?」

 湯気を立てているスープの前に立ち、シンディーレイラがそう尋ねる。娘の声を聞くのは久しぶりだと思った。

「あ、あぁ、そうしようか」

 私が頷くと、彼女は嬉しそうに頷きを返し、個別の皿にスープをよそった。細かく刻んだ野菜とベーコンが沈んだ透明なスープは甘く優しい匂いがした。昨日散々酷使した胃も癒されそうだ。少々ぎこちないながらも危なげなくスープをとりわけ、シンディーレイラは席に着く。私の皿には少し多めによそってくれたようだ。普通の3倍くらいだろうか……ほんの少し多いのは彼女の労わりや思いやりとして、おいしく頂くとしよう。短いお祈りをしてからゆっくりとスープをすする。色々な野菜の旨味が溶け出していてとても深い味がする。ごてごてと味付けはされず、さっぱりとした塩味が食欲をそそるような気がした。少し無言で食べ進めてからふと顔を上げると、シンディーレイラが心配そうにこちらを見ていた。

「ごめんなさい、お父様。少し多すぎた?」

「いや、今日のスープはおいしいからね、丁度いいくらいだよ」

 私の言葉に娘は微笑んで小さく頷いた。

「いつの間に、取り分けができるようになっていたんだい?これは……」

 クロエッツアの仕事だっただろうと言いかけて言葉を呑んだ。鼻の奥に小さな痛みを覚える。遅く起きた休日の朝食、遠駆けをしたときの昼食、茶会に呼ばれた日の夕食…いつもよりも軽めに食事をとる場合は、今みたいに使用人に給仕をさせない事があった。そんな時はきまってクロエッツアが取り分けをしてくれた。普通貴族は料理などしない。給仕も使用人に任せる。何かそれらしい事をするとしても、女性は茶を振舞うことぐらい、男性は酒を振舞う事ぐらいしかしない。だからシンディーレイラに給仕の仕方を教えているとは思わなかった。

「お母様は、私がやりたがる事はほとんど何でも教えてくれたわ」

 私の飲み込んだ言葉を正しく理解して、シンディーレイラは小さな声で答えた。寂しいのを必死に隠そうとしているのか、その顔には苦い微笑みが浮かんでいる。

「すまない。思い出させてしまったな」

 私の言葉に必死で首を横に振る。その様子がクロエッツアそっくりで私は密かに息を呑んだ。

「ごめんなさい。思い出したかったの。お母様と楽しかった事」

 その小さな呟きを聞いて、私は思わず席を立ち、シンディーレイラを抱きしめていた。

「…お父様?」

 私を呼ぶ声は震えていて、娘が泣いているのが手に取るように分かった。こんな小さな女の子が母親を亡くして平気で居られるはずがないのだ。それなのに、私は色々と言い訳をして彼女をほったらかしにした。父親として何も出来なくてもそばに居てやるべきだったのに。程なくするとシンディーレイラは我慢するのを止めたようだ。私の肩に顔をうずめ、声を上げて泣き出した。

「…お母様いないの、寂しいわ」

「そう、…そうだな。そうだな」

 私は謝ることも出来ず、上手い言葉を見つけることも出来ずに、娘の髪を撫でた。それはクロエッツアと同じ蜂蜜色をしていて、驚くべき事に香りや感触までほとんど一緒だった。いや、同じ使用人達が同じ道具を使って手入れしているのだからそうなって不思議は無いのか。しばらくそうした後、ひとしきり泣いてシンディーレイラは落ち着きを取り戻した。少しだけ腕の力を緩めて互いの顔を見る。

「お母様の事思い出すと、お父様はつらい?」

 腕の中からの質問に私はぐっと息を詰める。

「そう……かもしれない。けれど、忘れるのはもっと辛い……」

 私は胸の内を正直に話した。シンディーレイラは腕の中でもぞもぞと動くと私の背中に腕を回してゆっくりと背中を撫でた。

「一緒ね。お父様、私も一緒よ」

 娘の言葉に今度は私が我慢が出来無かった。娘を抱きしめる腕に再度力を込める。こうすれば私の目から流れるものを彼女に見られずに済むだろう。しばらくそうして娘を強く抱きしめていると背中を撫でていた手が腕を叩き始めた。

「ぐ…ぐるじぃ…。」

 搾り出された言葉に慌てて腕を解くと、シンディーレイラは椅子にぐったりともたれて息を整えている。

「すまない。大丈夫か?」

「はい。あぁ~くるしかったっ」

 シンディーレイラは大きく深呼吸して息を整えると恨めしげに私を見る。そのわざとらしさに、彼女が雰囲気を変えようとしているのが分かった。私はそれにあわせて、もう一度今度は情けなく聞こえるように謝った。今、これ以上悲しみに浸るのは私たちの流儀に反する。親子らしくこの辺りの感覚は似たものがある。私たちは道化のように一旦悲しみを隠すことにした。互いを慰める為に、悲しみを増幅させないために、下手な芝居を精一杯うつのだ。

「お父様、私お腹すいちゃったわ」

「そ、そうだな。どれが食べたい?」

「それと、それ」

 娘の指差した皿をとって差し出す。

「こんなにたくさん食べられないわ。お父様、取り分けて?」

 可愛らしく上目使いで小首を傾げられて、私は慌てて給仕の真似事をする。初めての事でなかなか難しく、不恰好に皿に盛られた料理はなんだかとてもおいしくなさそうだった。しかしシンディーレイラは嬉しそうに礼を言い、大きな口で頬張っている。本来なら窘めるべき行動だが、彼女がワザとやっているのが分かって居るので何も言わない。使用人の目もないのだ。そして、私は自分の皿に骨付きの肉を取り、手に持ってかぶりついた。その様子を娘は目を丸くしてみている。

「うん。たまにはこんな山賊みたいな食べ方もいい。肉が美味い」

 私の勧めにシンディーレイラは恐る恐る真似を始めた。そうやって、なんともお行儀の悪い食事を終える頃には何をしていたか分かるくらいテーブルの上は汚れていた。明日辺り、メイド長や乳母に私が叱られるかもしれない。一度使用人を呼んでテーブルを片付けてもらい、シンディーレイラはデザートを、私は酒をゆっくりと楽しむ事にした。それまでの賑やかさが嘘の様に2人ともおとなしく食後の余韻を味わった。

「お父様も無理してはダメよ」

 ポツリと娘がそういった。その顔は先ほど泣いた痕跡で、少しまぶたが腫れて目が赤くなっている。

「あぁ、互いにな」

 私はそう返事をして娘の頭をガシガシと撫でた。乱れる髪の毛を気にしながらも、娘はなされるがままだ。私はこみ上げてくる涙を乱暴に拭った。私にはまだ守るべき者が居る。その考えに至るまでに、少々遠回りをしてしまった、シンディーレイラに寂しい思いをさせた分の償いはきちんとしたいと思う。今度こそちゃんと守ろう。彼女が私の守護を必要としなくなるまで…。クロエッツアの陰を追うのはその後でも遅くはない。私は胸の中でそんな決意をした。そう考えられるようになったのはマゼンダのお陰だと思う。彼女との一夜が私に前を向かせたのだ。直接何か言われた訳では無い。励ましてもらったわけでもない。ただ同じような境遇の彼女の言葉はクロエッツアを失って固くなった私の心を少し溶かしたのだ。私はもう会う事のないだろう彼女に、心の底から感謝した。


 それから数日、私達親子はクロエッツアの不在をようやく2人で悲しむことが出来た。共に食事を取り、久しぶりに同じベッドに入ったりもした。そこに大事な人の不在があることをまざまざと感じたが、それでも2人であれば何とか耐えられた。寂しさも悲しさも私たちの絆をより深いものにする為に利用した。事あるごとにクロエッツアの話し、泣きながら笑い、笑いながら悔いた。もっと優しくしておけばよかった。もっと言うことを聞いておけばよかった。もっと一緒に居ればよかった。もっと、もっと…そんな言葉ばかり出てきた。それでも、2人で過ごす時間は不思議と心の傷を手当てした。それまでとはまた別の穏やかな日常を作ろうと二人で手を取り合い、試行錯誤し始めたのだ。

シンディーレイラ10歳の設定ですが、少ししっかりしすぎていますね。成人が早い分子どもの成長も早い時代だったとご理解いただけると嬉しいです。

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