2,掘り返し
今日はとことん自分の思い通りにいかない日だ。
川原井はそう思った。
自分が、ずっと志村の取り調べをしていると思っていたのに、結果的にはそうではなくなってしまったのだ。
事の発端は、無差別殺人事件の被害者の写真を志村に見せたことにより始まった。
スマホに送られてきた現場の写真を志村に見せた。
志村の反応を見ようと考えたのだ。
川原井自身も、現場の死体には異質さを感じられずにはいなかった。
というよりも、現場を見た全ての警察の人間が異質さを覚えなければおかしい。
そんな死体だった。
被害者は背中を何ヶ所も刺され、大量出血により死亡。
ここまでなら、普通というのもおかしいが、一般的にありふれたものだ。無差別殺人と見ていいと言えるもの。
しかし、前回の殺人の時と同じように、死体には不可解な部分があった。
顔に般若のお面をつけさせられていた。
ここは渋谷。
色んな人間がいる。
見た目が派手なギャルがいたり、爪が長すぎて折れてしまうのではないかと思える人がいたり、酒に酔い潰れ、そこらで吐いて迷惑をかける人間だっている。
裏社会に通じる怖いお兄ちゃんだっているかもしれない。
話しかけられ、暗い路地裏で何をされるか分からないのだ。
どんな人間がいても不思議ではない場所なのだ。
だとすると、般若のお面をつけて歩いている人もいるかもしれない。
だが、そんな人間を犯人が狙うだろうか?
圧倒的に目立つ人間を殺すだろうか?
見つかれば、逃げ切らなければならない。
リスクを犯してまで、そんなことをするだろうか?
極めつけは、般若のお面には被害者の血が着いていた。
犯人が殺した後に、仮面をつけたと考えるのが妥当だろう。
最初からつけていて、外そうとしたが、何らかの理由で出来なかったという可能性もなくはないが。
志村に写真を見せた時の反応はどうだったのか。
川原井の観察眼が育ってきただけの可能性があるが、過去一の動揺を見せた気がした。
目が見開き、眉間に皺を寄せ、唇が少し震える。
見つけることができたはいいものの、志村の反応が何を意味するのか、それは川原井には分からなかった。
「川原井さん」
写真を見たすぐ後に川原井に向かって話しかけてきた。
眼光が凄まじく、狂気、憎悪、恐怖などとたくさんの感情がごっちゃになった目で川原井の方を見つめている。
見たことのない表情だった。
途中まで彼の表情は余裕が全面に現れ、明らかに何かを企むサイコパスそのものだ。
今は怯えた子犬のように映る。
あまりにも格差が凄まじい。
本当に同一人物なのかと疑いすらかけられそうである。
「なんですか?」
希薄に押され、いつの間にか、使いたいなんて微塵も思っていない敬語になってしまっていた。
「僕のこと、サイコ野郎って言いましたよね?」
「だからなんだっていうんだ?」
最初に志村の口から放たれた言葉と同じ感覚に陥る。
コイツは一体何を言っているんだと。
今更、自分が言った言葉を掘り返してくるなんて思っていなかったのだ。
それに、反論するなら、自分が言葉を発した直後が筋だろう。
だが、志村は今だったのだ。
最初から分かっていたこと。
志村という男が何を考えているか分からないということ。
「確かに、他の人から見れば、僕はサイコパスかもしれません。
でも、僕からしたら、あなたたちの方が狂ってますよ。
自分の欲求を法律っていう人間が正義面するために作ったものに縋って抑え込むなんて。
結婚と同じです。
人間は一途な動物じゃない。
それを無理やり、一途にさせようとするから浮気や不倫なんて言葉が出てくるんです」
「おい、なんなんだ急に」
べらべらと淡々と話す志村に押され、一度彼を落ち着かせようと試みた。
志村はそれを無視して話を続ける。
「僕は生まれた時から、人を殺したいという衝動を持って生まれてきた。
それを抑えて生きるのがどれだけ辛いことか、あなたには分かりますか?
他の人間たちは自分の欲求を法律の範囲内で行うことに満足できている。
でも、僕にはそれはできない。
生まれ持った性は誰にもどうしようもできないんです。自分でさえもね」
「何が言いたいんだ?」
「川原井さん。
あなたは僕のことをサイコ野郎と言って、普通の人間でないように扱った。
今でもそう扱うんですか?
抗えない性を背負った、こんなに可哀想な僕のことを」
「実際、お前は人を殺してる。
そんなやつを俺は普通と呼べはしない。
俺だって、よく手が出てしまうほうだ。
でも、我慢してるんだよ。
あんただって分かってるはずさ。
法律ってのに従っていきなきゃいけない、みんなそうしてる。それが正しい生き方だってな」
志村の眼光が更に不気味さを増す。
彼の目の中に憎悪が滲み出しているように最初は見えた。
途中で志村は何かを恐れているかのような、怯えた目をしているように見え始めてしまう。
憎悪だとしても、言った直後はそんな目をしておらず、むしろ楽しんでいるように見えていた。
が、今はどうだ?本当に同一人物か?
未だに、志村が「サイコ野郎」という言葉を掘り返してきたのかは謎だ。
ものすごい勢いで話す志村の言葉を石井がパソコンに打ち込んでいる。
後ろからものすごい音が聞こえて来るのだ。
物好きには刺さりそうなASMRにでもなりそうな程の速さと音だった。
「残念です。川原井さん」
「どういうことだ?」
「僕、あなたを気に入ってたんですけどね。
だから、あなたになら殺した描写を話してもいいなと思ったんです。
でも、どうやら僕の見当違いだったみたいですね」
「は?」
話が全く見えてこなかった。
思考が停止してしまったに等しい感覚。
志村の目から急に不気味さが消え、呆れたような表情を川原井の前に出した。
「川原井さん、もうあなたとは一言も話したくありません。
さようなら」
「おい、ちょっと待て、どういうことだ?」
返答はない。
志村は川原井の方を見もせずに、そっぽの壁をジッと眺めている。
川原井が机を叩こうが、近寄り、胸ぐらを掴もうが、気にする様子は微塵もない。
目を合わせようとしても、絶対に目を合わせてはくれないし、話に返答してくれることもなくなった。
「サイコ野郎って言ったのが気に触ったのなら、謝罪する。
だから、会話を続けてくれ」
もちろん、謝罪の気持ちなんぞはこれっぽっちもなかった。
だが、結果を出せずに終わるのだけは避けたいという気持ちから発せられた言葉だ。
頭を下げるなんてことはしなかった。
どれだけ言っても、志村は反応1つ示してくれなくなってしまったのだ。
石井の方を見ると、もう潮時だろうという顔をしている。
川原井はムカついた。
もう何もできないというのを石井は悟っているのだ。
おそらく心の中では自分も悟っているに違いない。
現実を受け止めることがこんなにもムカつくことだとは、と取り調べ室の椅子を思いっきり蹴り飛ばしたい気分だった。
堪え切れそうにない怒りを拳を握りしめることで緩和させる。でなければ、何かに八つ当たりしてしまいそうになるから。
深呼吸とも、ため息とも取れる息をした。
仕方なく、川原井は上に状況を伝えることにした。




