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清流橋の掟  作者: 竜田
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第二話 旅の始まり

 レイが目を覚ますと、そこは大きな木の下だった。

 木陰が風を冷まして心地の良い空気が頬を撫でる。そして葉の間から透き通る太陽の光が暖かい。


「ここは…」


「森の端だ。お前のせいで後戻りする羽目になった」


「…っ」


 旅がここで始まるというところで早速足を引っ張ったらしいレイは飛び起き、状況を整理し始めた。


「そうか、魔物退治で…」


「貧弱な奴」


「うるさい」


 相変わらずの二人の軽口は草原から来る風に流され、溶けてゆく。


「ちゃんと倒せたのか、僕は」


「力の加減ってもんを知れ、お前は」


 呆れた顔でレイの頬を軽く叩いたのは他の誰でもなくノアだった。


「確かに、あんな一発で気絶してたらこれから先が思いやられる」


 ノアが鼻で笑う音がしたが、ツッコミは入れずに真剣な顔で思案していた。


 まず、力加減。ここはレイ自身がやって覚えるしかできない範疇である。それさえ分かってしまえば、ここからはただひたすらに鍛錬となるだろう。


「とりあえず行くぞ」


「…それにしても、ごめん。これから沢山練習するから。また、教えてくれ」


「…急に湿っぽくすんな。お前がこのままだと俺の足も引っ張るからな、面倒臭いが光術を叩き込んでやる。優しいものだと思うなよ」


「あぁ、分かってる」


 レイは目を伏せて微笑んだ。ノアの時々出るその人の良さに薄々気づけるようになっていたのだ。


「早くついて来い」


「あぁ」


 先を歩き始めたノアにレイは小走りで隣に並んだ。

 これから始まる旅に、様々な思いを馳せながら。


 その瞬間、隣から生温かい液体がレイの頬にへばりついた。


「…は?」


 即座に隣を見ると、


 ――ノアの頭はひしゃげて、原型を成していなかった。紛れもなく、そこに力無く倒れているのはノアその人だ。


「な、ん…」


 状況を飲み込めないレイを差し置いて空から唸りを上げて閃光が地上に降り注ぎ、地面を抉って轟音を複数立てていく。


「あぁぁっ…!!」


 逃げるでもなく隠れるでもなく、その場に蹲ったレイは手で顔を覆った。頬を濡らしていくのが涙とも気づかない。ただ叫び声をあげていると、そこで意識が途切れた。



――



「おい、聞こえてんのか」


「…は?」


 そこは、風に靡く黄緑の草が地面を覆って、辺り一面を染める大草原。

 レイには見覚えがあった。そこはノアと魔物退治をした場所で、美しい景色を焼き付けた場所であったから。


 そもそも――。


「なんで、ノアが…」


 生きているのか、レイは頭を抱えた。その場に座り込んで、そのまま意識を失った。


 

「――。」


「起きたか」


 レイが目を覚ますと、眼前にはノアの顔があった。


「っ…!!」


 飛び起きて、手でなんとか地面を這いながらノアから後ずさる。


「なんでそんな怖がってんだ。魔物はお前がさっき消し飛ばしたろ」


 ノアは呆れた様子で怯え切って凍えたように歯をカチカチと鳴らすレイを見ていた。


 ――違う。そうじゃない。なんでさっき死んだはずなのに生きてるんだ。おかしいだろう。


「…っ」


 おかしい。おかしい。


「ノア、ノア…」


 レイは壊れたように今度はノアに縋りついた。頬に触れた。顔がある、目もある、口もあれば首もある。真っ赤にひしゃげていない。


 ――あぁ。ここにいるじゃないか。


「…っ気持ち悪ぃ!何してんだ!」


 そんなレイの様子を伺いもしないノアはそのベタベタと触ってくる手を振り払った。


 乾いた音がした。


「…え」


 レイの頬が赤く腫れていく。ノアが平手打ちを喰らわせたのだ。


「正気に戻れ!何いつまでウジウジしてんだっ」

 

 ノアの怒声がレイの耳から脳に響き渡った。


「――」


 ――そうだ。戻らなければ。ノアを、守らなければ。


「……」


「もう一回叩くぞ」


「……いや、いい」


 レイの頭から霧が晴れていくようだった。やらなければいけないこと、自分が成し遂げるべきものがはっきりと浮かぶように。


「ノア、光術って防護とかできるのか」


「…あぁ」


「今から言うタイミングでそれをして欲しい…信じられないかも知れないけど、今から死ぬような目に遭う」


「…見当違いだったら今日の晩飯は抜きだ」


 そう言ってノアは袖を捲って臨戦体制を取るように立ち上がった。


 ――今。


「やれ!!」


「っ!」


 空から降り注ぐのは白く光る閃光。まるで二人だけを狙うかのように集中した攻撃を、ノアの張った結界が一心に受ける。


「なんで、こんなことに…」


「随分と、耐えてくれたじゃないか」


 低い聞き心地の悪い声がレイの耳に届いた時、閃光は止んだ。


「お前…っ!」


「ヤァ、掟破りの青年よ」


 森の奥から姿を現したのは中年ほどの紳士服を着た男であった。


「……貴方、なんだな…僕たちを攻撃してきたのは」


「アァ、そうだよ…その通りである」


 男は微笑んだ。まるで二人を小馬鹿にするような、そんな笑みを浮かべていた。


「こいつはこっち側の橋の番人だ」


「番人…」


「オォ、自己紹介が遅れてしまった。私はクロード。以後、お見知り置きを」


 「クロード」と名乗った男は被っていたハンチングを片手に持ち、所作は完璧にお辞儀をした。しかし、ノアに向けた視線は感情の色そのものが抜け落ちていた。


「エェ、そこの少年、君は下がっていなさい。私はその掟破りの青年に用事があるのです」


「聞いてやる。用事ってのはなんだよ」


 レイが口を開く前にノアが前に出ていった。


「ノア…っ」


「下がってろ」


 短い一言でレイは牽制された。


「アァ、青年よ、君は何をしたのか、何が掟破りなのか分かっているだろうね」


「結界破って橋を渡った。森を出たってとこか」


 クロードはにこやかでいながら、やはり目には光が宿っていない。それでいて、ノアの答えを聞いて拍手を披露した。


「オォ、ご名答。賢い青年よ、私は君を抹消しなければならないことに、悲観せざるを得ない」


「じゃあ殺さなけりゃいいだけじゃねえの」


 ノアが拳を握る。それはレイにだけ見えた。そして、震えている。


「ウゥム、それはならない。私まで掟破りになってしまうだろうに」


 声が一段と低くなり、クロードが傘を構える。


「エェ、お話は楽しいが、時間である」


 傘が天を指す。するとまた閃光の矢が地上に降り注ぎ、地面を抉っていくが二人はノアの瞬時の結界によって脅威から防がれている。


「レイ、お前は俺に光力を送れ。十秒間、少しずつだ」


 ノアはレイを一瞬だけ振り返って咄嗟の指示を下す。その間も閃光の矢は止むことを知らぬように降り注ぐ。


「アァ、やはりこれほどに光術師に死なれるなど、嘆かわしい。私について来るのなら、その命、救って差し上げよう」


「はっ、ごめんだな。そんな老耄に助けてもらうほど弱っちゃいねえ」


 片方の空いている手をクロードに向けたノア。鋭い葉が顕現し、反撃を開始した。


「オォ、重い。重い攻撃である」


 しかし、いとも簡単に葉たちは薙ぎ払われ、傘の端から顔を見せるクロード。このままでは押し負けるなど誰の目でも明らかであった。


「だが、及ばない」


 その瞬間に、その葉たちは押し返され、光を纏ってノアを襲う。


「ノアっ!」


 レイはできる限りの光力をノアに送り続ける。


「ぐぁぁぁっ!!!!」


 防御結界を何重にも張ってノアは攻撃を受けるが、一枚づつ、光を帯びた葉の集団が破って二人に迫る。


「アァ、終わりだ」


 ぐしゃり、と、何かが潰れる音がした。


「…っ!ノアっ!!!」


 葉はノアの腹部を貫き、後ろに控えるレイに届く前に霧散していった。レイにとってなんと屈辱だろうか。


「アァ、その友情に免じて少年は見過ごすとしよう。…健やかに」


「待てっ!!」


 クロードは森の奥の暗闇へと身を溶かしていった。

 今ここに残るのは腹部を貫かれ、赤黒い血を地面に吸い込ませていくノアと、クロードへの憎悪とノアを失う恐怖に塗れたレイのみだった。


「殺してやるぅぅぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 ――そうして、また時は巻き戻る。


――


 二度目、結界と光力不足により、ノアが死亡。

 ――巻き戻る。


 三度目、閃光の矢を受け止められず、ノアが死亡。

 ――巻き戻る。


 四度目、五度目、六度目。 

 回数を繰り返すごとにレイの精神は削れていった。


――


「おい、聞いてんのか」


「…うん」


 この会話もレイにとって何度目であろうか。そして、あの番人に挑むのも何度目なのか数えるのもやめてしまっていた。


「何ぼーっとしてんだよ」


「……クロードが、くる」


「はぁ?てかなんでお前がその名前を…っ」


 レイの手に温かく熱い液体がまたも飛んでくる。赤黒くてそこで脈打つような。


「オォ、お連れの少年君。君は殺さない。安心したまえ」


「…うるさい…うるさい、うるさい…っ!」


「初めてだと言うのに、棘があるものだな」


 レイの腕の中へ倒れ込んだノアの胸部から、血が溢れて止まない。

 その瞳が虚ろになって、そしてまた巻き戻――


「…正気に、なれ…」


 弱々しくレイの胸を叩いたのはノアの血に塗れたその拳だった。


「……逃げろ…お前だけでも…っ」


 血だらけのノアがもがいてレイの腕から落ちていく。


「もう、許して…っ、誰か…助けて…」


「貧弱な、奴…っ…」


ノアが地面から顔を上げ、レイの頬に手を伸ばす。


「…泣くな、喚くな…お前が、心に決めたこと…忘れんな…っ」


 そして、力無くノアの腕は地面へと落ちた。


「…決めた、こと…」


 ――ノアを、守らなければ――


「っ……そう、か…結局…」


 ――巻き戻る。


――


「結局、ノアに救われてばっかりじゃないか」


 ――もう失いたくない。悲しみたくない。悲しませたくない。


「何言ってんだ、お前。って、は…?」


 レイはそっとノアを抱きしめた。離さないように、しっかりと。


「…っ頑張るからっ…協力、してくれ…っ」


 涙を流しながら、そう訴えることしか今のレイにはできなかった。


「気持ち悪ぃ。離れろ」


 そう言いながらノアはレイを引き剥がした。


「何をそんなに怖がってんのか知らねえけど、とりあえず全部吐け。いつまでもそうされると俺まで湿っぽくなる」


 ノアはレイの表情を窺って呆れたように視線を流した。


「これから、番人が、くる…っ」


「…それで、お前はどうするつもりだ」


「…っ倒したい…」


 涙ながらにノアに訴えかけた。どの二人の間に流れる空気は澱みなかった。


「…お前が俺に協力しろ」


「…え」


「当たり前だろ、お前より俺の方が強いんだから」


 ノアはようやくレイを引き剥がして目と目を合わせた。


「――っ確かにな」


「何がおかしい」


 前となんら変わりないそのノアの調子にレイは心を徐々に解されたらしい。涙を流しながら笑っていた。壊れたような笑みはもうやめた。


「…やるぞ、俺らで」


 ――まだ怖い。まだ手足は震えるし、脳裏から植え付けられたあの男の恐怖は消えない。でも、立ち上がらなければ。ノアと、このループを抜け出さなければならない。


「もちろん、やるよ」


 ――このループはノアが死ぬことで歯車が巻き戻る。そしてノアにはループ間の記憶がない。なら僕にできることは――


「全力でノアに協力する」


 とてもではないが、今のレイにクロードへ対抗する能力は持ち合わせていない。なのなら、応戦できるノアをどれだけ支えられるかが、勝負の命運を握るのだ。


「――来るっ!!」


 ループしてから何分の猶予があるか、レイは毎度数えていた。

 そしてそれは三分と誤差が無い。


「っ…!!」


 ノアが瞬時に防御結界を張る。緻密で、それでいてクロードも褒めるほど完璧な。


「オォ、よく、受け止めたものだ」


森の奥から姿を現したのは黒い紳士服とハンチングを深く被った白髪まじりの男、クロードだ。


「アァ、掟破りの青年とお連れの少年よ、少年は下がっていたまえ」


「…できない。僕は、ノアの支えになるんだ」


「オォ、感涙ものの友情…素晴らしい」


 聞き心地の悪いその声は高く高揚していた。


 クロードはハンチングを片手に取り、深く頭を下げる。


「私はクロード。掟破りの青年を殺しに来た者である」


 その場が凍りつくような低音に殺意が滲んでいた。

 クロードは傘を開いて身を隠すように構える。


「参る」


「来いよ。化け物」


 その言葉を合図にノアは防御結界の外に円形の光る円陣「光術陣」を作り出し、クロードの閃光の矢に応戦する。

 戦いの最中、レイはノアに光力をありったけ注ぎ続ける。


「気絶すんなよ」


「…っうん、わかってる」


「少年に構う暇があるとはこれは私の力不足…失敬」


 途端に閃光の矢が数を増し、ノアを糾弾するように集中的な攻撃が始まる。

 ノアはその猛攻に反撃の余地が見つからず防御一方になっていく。


「ノアっ」


「うるせぇ!絶対勝つから黙ってろ!」


 時々防御結界を掻い潜ってくる矢が二人を襲い、ノアは鼻血を垂らす。


「…これで終わりである」


「誰が終わりにするっつった」


「ホウ?」


 ずっと二人に足りなかったもの。それは時間が作る信頼関係からなる連携。しかし、今、その時間という壁を超えて二人は連携を果たしたのだ。


「おい、貧弱。やるぞ」


「貧弱って言うな」


 二人の前に現れるのは木の一本ほどある大きさの光術陣。

 唸りを上げてそれはどんどんと大きさを増し、光を増していく。


「ロイターウングス・プファイルッ!!!」


 二人の詠唱が重なった時、その光術陣から現れるのは無数の矢。二人の光力が合わさってクロードの閃光の矢をも凌駕し、迫っていく。


 「ウゥ、アァァァァァァァ!!!!」


 耳障りな呻き声を上げるクロードに容赦なく打ち付けるそれは光の矢。

そこで決着がついたかは、言わずもがなである。


「はぁっ…はぁ」


 二人して地面に手を付き、あらい息遣いがその場に響く。


 一方のクロードはその場に力無く倒れていた。


「殺すのもいいが、これからこの掟破りの俺と貧弱に負けたっつー称号背負って生きてもらうのも、悪くねーだろ」


 疲労の色を顔に濃く見せるノアは、口の端を上げて悪い顔でケラケラと笑っていた。


「本当、性格悪いな」


「お前、気絶しねーのな」


「…あぁ、あの一回でこの感覚には慣れた」


 あの一回。それはレイが繰り返した数十回の始まりのこと。

 これからもこの現象に付き合っていくことになるであろう、それはレイが直感的に理解していた。


「立てるか」


「もちろん」


 二人はふらつきながら立ち上がる。


「手、貸してやんねーからな」


「知ってるよ」


 そう軽口を叩きながら二人は歩いていく。

 

 旅の始まりに、掟破りの青年と、それを共に背負い支えると誓った少年は共に歩いていく。この大森林を、救うために。

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