第22話 闘い終わって
大羆の肉体は、その日のうちに地元の猟師達の手で解体され、その多くの部位は仕留めた五月の物となった。
が、五月はそのような物を貰っても処分に困るだけなので、山小屋への宿泊費代わりに喜十郎へ受け渡すことにした。
最初、喜十郎は、「こんな高価な物を貰う訳にはいかん」
そう言って受け取りを拒んでいたが、五月が、「でも只で泊めてもらう訳にはいきませんから」
再三、受け取るよう勧めるので終には折れて、「では豪勢な熊鍋を御馳走しよう」と相成った。
その夜は二人して彼の山小屋で熊鍋に舌鼓を打つことになった。
その甘味と旨味の乗った熊肉の食感は、五月が今までに体験したことのない味であり、激闘で疲労した肉体を癒すのに十分な栄養価を秘めていた。
何度もお代わりをした挙句、膨れたお腹を擦る五月を横目に、喜十郎は煙管を吹かすと、遠い目をしながら、食材に成り果てた大羆゛熊神"との過去を語り始めた。
「あの熊が熊神と呼ばれたのは、何も身体がでかいからじゃないんじゃ。ある神話を作ったからなんじゃ」
「……神話?」
「うむ、そう、あれは十年以上も前のことじゃったか」
その口から語られた事実は容易には信じ難いものだった。
獲物を求めて森林を彷徨う喜十郎の前に、何と熊神は、その背中に年端も行かぬ幼女を載せて現れたのだ。
「……」
「まっ、疑うのも無理はないが。わしだって、未だにあれが夢だと思うことがある」
その幼女は民話の主人公金太郎を気取っていたのか、肩に鉞ならぬ玩具の金槌を担いで……、
「ほれ、何と言ったかのう。あのピコピコ音のする金槌の玩具」
「も、もしかしてピコピコハンマー!?」
「そう、それじゃ!」
喜十郎が興奮気味に語ったところによると、その後熊神は幼女を背中から降ろすと何処ともなく立ち去ったという。
「でも、何でそんな幼い女の子が大雪山の山中に?」
「うむ、それがのう」
そこから先の話は十分に信憑性のある話だった。
その幼女は母親と共に大雪山に登ったのだが、途中天候が急変し、嵐に巻き込まれ下山出来なくなったのだ。
何とか洞窟に逃げ込んだものの、急激に低下した気温のために、母親は低体温症で死亡。彼女の衣服に包まれた娘だけが奇跡的に死を免れることが出来たのだ。
翌日、母親の遺体に縋って泣いている幼女の傍へ、あの熊神が現れて、ーーさあ、乗りなさい。と優しく自身の背中へ誘った。
「スト~~~~~ップ! いくら何でもそれは」
「まあ、そう思うのも無理はないが。熊は神様の使いじゃから、幼子の言ったことはあるいは本当かもしれん」
その後喜十郎は地元の警察に連絡、幼女は無事保護され、翌日の捜索で母親の遺体も発見された。
「熊神の話をしたのは、あんたが初めてじゃ。なんせ、だあれも信じてはくれまいと思ったからのう。ハッハッハッ……」
幼女だけは、警察の取り調べに対して、熊に助けられたと主張したらしいのだが、無論まともに取り合う者はいなかった。
後に五月はその遭難事故が事実であることを、父晴夫の口から聞くこととなる。
■■■
五月は救急搬送先の病院のベッドで目を覚ました。
薄ぼんやりした視界の中に、母親の浮子、背広姿の晴夫、春代、洋子、そして満面の笑みを浮かべたイクの姿を認めた時、五月はようやく自身が命拾いしたことを知った。
イクが一転、大泣きしながら五月の胸にしがみ付いた。
「五月~、ごめん、ごめんねえ~」
「イク……」
「私が、私が、五月を嗾けて……、こんなことになるなら止めればよかった」
仇討ちを安易に煽った自身を責めて、イクはポタポタと大粒の涙を零した。
そんな彼女を五月は確と抱き締めた。
「気にしないで、イク。私、今回の決闘、やってよかったと思ってるから」
「……?」
意外な言葉に、イクは涙に暮れた顔を上げた。
「私ね、今回の決闘を通じて、生涯を薙刀と共に歩む決心が付いたの。今までは冥王への入学も、薙刀の稽古も、取り敢えずだったけど、退院したら身を入れて稽古に励むつもりだから。そしてイクと同じAクラス、いえ、イクが目指すSクラスを目指して、私も頑張るから」
「五月……」
イクが涙を拭った。
五月は満足気に微笑むと、再びベッドに横になった。
「でもまさか、イクと一緒の病室だなんて。お蔭で入院中も暇せずに済みそうだわ」
その後医師が呼ばれ、検査の結果五月は軽い線状骨折であり、精密検査の後、異常がなければ三日で退院できる所見が告げられた。
両親が安堵に胸を撫で下ろした。
洋子と春代も互いの顔を見て頷き合った。
イクが呟いた。
「あら、偶然。私の退院予定日と同じだ」
五月の退院予定日はイクの退院予定日と重なっており、奇しくも二人は揃って退院できる見通しとなった。
そうして早期に退院できるのも、嵐子が手心を加えてくれたお蔭なのだが、五月はそれを屈辱とは思わなかった。
■■■
翌日クラス代表として関佐馬之丞が見舞いに訪れた。
生憎イクは検査のため不在であり、また佐馬之丞は話題性を持ち合わせぬ朴念仁であるため、見舞いの花束を手渡すと二言三言、級友から託された励ましの言葉を述べて、早くも病室から退出しようとする始末。
呆れた五月が「関君、イクに会っていけば?」と声をかけると「佐藤とはこの前面会したばかり。必要ござらん」そう言って歯牙にもかけない御様子。
それって十日も前のことなのに。男はどうしてこうも女心が分からないのかしら? 等とぼやきの一つも入れたくなった五月。
どうしてもイクに会わせたい彼女としては、この際気になっていた話題、洋子や春代が努めて避けようとした話題、決闘の事後について尋ねてみることにした。
「実は一番合戦さんのことなんだけど」
「うむ、何と言えば良いのか」
佐馬之丞が腕を組んで押し黙った。
普段から寡黙な人物なのだが、質疑には的確に答えるだけの理論性を有している。その彼が大凡一分ほども黙して語らなかったのだ。
五月は息を殺して次の言葉を待った。
「実は信じ難い話なのだが」
そう前置きして語られた佐馬之丞の話は、一応知識としては知っていたものの、目の前の現実としては大凡受け入れ難いものだった。
負傷した五月が救急搬送された後、嵐子は「もう少し娑婆の空気を吸っていたかったんだけど」
そう言うや自身の頭をピコハンでひっぱたいて、その場で失神。気が付くと元の嵐子に戻っていたという。
「あれ~、私の髪、なんで伸びてるんだろ? この前、切ったばかりなのに」
嵐子は不思議そうに自身の長い髪を撫でまわしていたが、やがて打ち捨てられた熊の毛皮に気付くと、
「あぁぁぁぁぁ~~~~~~! 熊ちゃん!」
そう叫ぶや熊の毛皮を確と抱き締めて、幼児のようにわんわん泣き出してしまったのだ。
「二重人格という噂が立っている」
「二重人格?」
「正式には解離性同一障害というらしい」
やはり……。
対戦中に目撃した嵐子は目の錯覚などではなく、誰が見ても別人格の人間だったのだ。
嵐子自身も人格が交代したことや、決闘に勝利したことなどは覚えておらず、本人に自覚がない分、大変厄介な病気といえた。
「解離性同一障害は、幼少期の辛い体験が因子となる場合が多いそうだ。あるいは彼女も」
「あら、関君じゃない!」
そのとき病室のドアが勢いよく開いて、イクが姿を現した。
一番合戦嵐子に関する話題はそこで途切れたが、微笑みつつ二人の会話に耳を傾ける五月の胸に重い痼を残した。
七月某日。
学校側より、関佐馬之丞と一番合戦嵐子のSクラス昇格が発表された。




