油断大敵
「なっ……」
玲は、その光景を前にして息を呑んだ。
数多の銃弾でも振ってきたかのように、小さく穴の開いた地面。そこには、おびただしい量の深紅の液体が流れている。まるで、人間から全ての血液を抜き取ったようだ。血液が穴の中に落ちているのか、ポタポタという音が規則的に聞こえてくる。
そこには、一人の男が立っていた。
と言っても、年のころは十歳前後といった少年だろう。平均と比べても同等か幾分か小さいくらいの低身長である玲からしても、胸下程にしか届かない身長。短い手足に、可愛い童顔。一見するだけでは、人畜無害そうな少年。
だが、玲の見る少年の状態がそうは思わせなかった。
ファンタジーチックな衣装はボロボロになり、地面に空いているものと同じくらいの大きさの穴が無数に空いている。色は、深紅一色で、血の海にでも浸かったかの如く血液で染まっている。しかしながら、破ける服から覗く素肌は、白く綺麗だ。どこにも傷など見受けられず、服とは対照的な白が目立っている。いや、玲から見える少年の横顔には、頬に赤い一線が走っている。そこだけが、血色の服からは想像もできな程綺麗な肌に唯一刻まれた傷だった。
「セピア……」
玲は、声を低くして少年の名を呟いた。
そこに立っているのは、間違いなくセピアだ。玲の体感的にはたった数分前に会ったばかりの人物、間違えるはずもない。しかし、そのセピアには玲の記憶とは違う点が一つ。もちろん、セピアの服の状態だ。その姿を見れば何かがあったのは明白。……そして、セピアの足元で寝そべる少女を見れば何があったのかは明白だった。
玲は、セピアの足元で倒れる少女に視線を送る。
スラリと長く綺麗な金髪も、セピアや玲以上に白くしなやかな肌も、今となっては毒々しい血の色に染められている。間違いなく、エルその人だ。
そして、エルがセピアのそばで倒れているこの状況。
そこから導き出される答えは、たった一つだけだ。
エルはセピアと戦い、敗れた。
「くっ……」
遅かった。もっと早く駆け付けるべきだった。玲は強く歯噛みする。
玲がリィと別れてから、今まで十分程。派手な爆発も音も聞こえなかったため、二人を見つけるのが遅くなってしまった。
ゾクリ。
瞬間、全身を寒気が走る。
……地面に流れるおびただしい量の血液は、エルのものだろうか?
もし、もしもだ。あの血がエルのものだとするならば、エルが生きているとはとても思えない。であれば、死……?
「……」
玲は、一瞬全身の血の気が引いていくのを感じた。
口から小さな声が漏れ、自然と顔を俯かせてしまう。
「――いや」
が、玲は再び頭を上げ、エルの方を見やった。
エルから聞いた話によれば、彼女の異能は自他の血液を自在に操れるという能力だったはずだ。そんな彼女が、出血により死ぬとは考えづらい。
いくら即死の攻撃を受けようと、その瞬間に意識を失うわけではない。もし死ぬ程の攻撃を受けたとしても、少しの間であれば意識を保っていられるのだ。それは、つい先程心臓を握りつぶされたばかりの玲がよく分かっている。そして、それだけの時間があれば血液操作の異能を発動させることもできる。血液操作はその性質までも操作することができる。つまり、血液を凝固させて傷口を塞ぐことだって可能なはずだ。
意識を命とともに断つならば、体ごとぺしゃんこに潰したり眠っている間に殺すなどの方法があるだろうが、それならばあれ程綺麗な形でエルの体は残っていないし、あそこまで血を流す殺し方をする必要もない。
少しばかり楽天的かと言われれば否定はできないが、それでもエルはまだ死んでいない可能性がある。
玲は今一度エルとセピアを見やると、ぎゅっと拳を握った。
「っ……!」
瞬間、玲は地面を蹴り、セピアとの距離を一気に駆ける。
「ぁ?」
さすがに気づいたかセピアが横目をこちらに流す。
しかし、すでに彼我の距離は一メートル。玲は躊躇うこともなく、驚愕に目を見開くセピアの顔面目掛けて右拳を繰り出す。
「っ!」
ゴキッという鈍い音が腕を伝ってきた。
見ると、セピアは驚きの反射神経で玲の一撃を顔面ギリギリの位置でガードしている。しかし、玲の拳を受けるクロスされた両腕は、とても細く華奢で、『身体能力向上』により大幅に強化された玲の一撃は受け止めきれていない。白い腕にめり込み、恐らくは骨にひびが入ったことだろう。
「お前は……!? 何で!?」
「これで終わりじゃないぞ……!」
痛みに歪められたセピアの顔は、玲を正面からとらえるなり先程以上に驚嘆の色を覗かせる。
しかし、玲はセピアの疑問に答えることも、拳を受ける腕を労わることもせず、間髪入れずに左拳をセピアの腹部に叩きこむ。
「ぐはっ……」
玲の左拳はセピアの腹部に深々とめり込んだ。
玲は一度、ライラックの一撃をもろで喰らったことがある。玲よりも二回りは大きな体躯で筋肉質なライラックの力は言わずもがな。細身の玲は殴られただけで死に至る程の重傷を受けた。
玲には無論ライラック程のパワーなどあるはずもない。だが、『身体能力向上』の異能により負けず劣らずの力であるはずだし、ましてやセピアは玲以上に小柄で華奢だ。セピアが受けたダメージは計り知れない。
セピアは地面に四つん這いになると、ゲホゲホと嗚咽交じりにむせ返る。
その様は外から見れば高校生が子供をいじめているようにしか見えないだろう。無論子供好きの玲が子供をいじめるなど考えられないが、このセピアからはとてもじゃないが可愛さなど欠片も感じられない。純粋な狂気と恐怖だけだ。
「エル……」
セピアの様子をチラリと伺うと、玲は足早にエルに駆け寄った。
本来セピアを探した目的の一つは、セピアの能力の秘密を探ることだった。しかし、今となってはエルの生死の確認、そして治療が最優先事項だ。
玲はゆっくりとしゃがみ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。自然と手が震えてくる。
震える手を必死に抑え込み、玲はエルに向かって手を伸ばした。そして――。
「――息が、ある」
そのことを認識した瞬間、全身から力が抜け、その場にへたり込みそうになるのを必死でこらえる。安堵するのは仕方がないが、今は一刻も早くこの場から離れるのが先決だ。今はセピアもこちらに意識を割く余裕はないようだが、いつ復活するとも限らない。
「早くここから離れないと……」
玲はエルを背負うと、足早にセピアから離れる。本当はここでお姫様抱っこでもできればかっこいいのだろうが、生憎自分より高身長のエルを持ち上げられる程玲に力はない。異能を使えばそれも可能だろうが、視界前方が塞がってしまうのはこの状況好ましくない。玲は、微かに聞こえるエルの吐息を耳元に感じながら、精一杯力を込めて歩く。
「リィと合流することが理想だけど……どこから来たか覚えてないしな」
エルとセピアを探しているうちにあっちへこっちへと走りまくり、正直どの方向から来たかは覚えていない。玲とリィは魔法でつながっているはずなので、そう遠くへは離れられないはずだが……。
「まぁ、とりあえず適当に歩けば――」
それ程焦っていたということではあるのだが、それでも我ながら計画のなさにため息が出る。とりあえず、と玲が右脚を上げた瞬間――。
「――ねぇ」
悪魔のような声が、玲の耳を捉えた。
一瞬、玲の全身を寒気が走る。それは酷く細々としていて、今にでも消え入りそうな声だったが、そんなことを微塵も感じさせない程、粘っこく全身を嘗め回すような異質な声だった。
玲は、恐る恐るその声の方向を振り向く。
声の主、セピアはやはり未だに地面に伏したままで、嗚咽を繰り返している。だが、今は酷く濁って見えるその瞳はまっすぐ玲を捉えていた。
そんなはずはない。
玲は頭の中でそう否定するも、脳は勝手に動き、あってほしくない現実を作り出す。満身創痍のセピアは今までのダメージが嘘であったかのように、ゆっくりと、だがしっかりと立ち上がり、ニヤリと笑みを浮かべて見せる。
あくまで想像のはずなのに、それが酷く現実感を帯びていて玲は身震いを止められない。
そして――。
最悪の想像は、現実に変わる。
「……嘘、だろ」
玲はそれを見て、両の目を限界まで見開く。
今まで玲が想像したことを正に体現するかのように、セピアはゆっくりと立ち上がって見せた。そこにはもう、先程までの嗚咽はない。
その細々とした両脚でしっかりと体を支え、上体を起こす。すると必然、セピアの顔が露になるわけで……。
「ふふふ、はははははははははははは!」
ニヤリと、そして豪胆に高笑いをするセピアがそこにはいた。
「はぁあ……いやはや、驚いたよ。まさか一撃でやられるとはねぇ。それに物凄く痛かった。うん、あれは痛かった。冗談抜きで内臓とか破裂してたよきっと」
割とマジなことをケラケラ笑いながら冗談めかして言うセピアに、玲は驚きを隠し切れない。
今のセピアからは、もはや先程のダメージは全く感じられない。むしろ、玲が見た時よりも元気になってさえいるように見える。
玲はセピアを見据えながら、ずっと一歩下がった。
「ん? 意外だねぇ。今の僕を見て動けるなんて。大抵の人間は驚いて固まるはずなんだけど。いやぁ、その反応がまた傑作でさぁ」
確かに、今玲は無意識的に後ずさった。それは、セピアを危険だと判断できるだけの冷静さがまだ残っているということになる。玲自身、自分がそれ程冷静さを保っていられることに驚いている。
しかし、一方で理由も分かっていた。いつもの玲であれば、驚愕で脚が固まっていたであろう。
それはひとえにエルだ。背中から伝わってくる吐息が、命が、温かさが、不思議と玲を落ち着かせてくれていた。それと同時、どうしても守らなくてはという意思もはっきりと感じている。
しかしながら、状況が最悪なのは確実だ。
言うまでもなくセピアは逃がしてくれないだろうし、エルがいる以上戦闘ではこちらが圧倒的に不利だ。ただでさえ、勝てるかも分からない未知なる相手なのだから。
玲は額に汗粒を浮かべ、また一歩後ずさる。と――。
「――」
「……!」
玲は、軽く目を見開いた。しかし。
「でもさぁ、びっくりしたよ」
後ろから伝わってきた確かなものが、セピアの耳障りな声によってかき消される。かすかに吊り上げた玲の眉もまた、訝し気にセピアへ向く。
「君、さっき殺したよねぇ? 確かに心臓を握りつぶしたはずなのにさぁ、何で生きてるわけ? 見たところこっちの世界の人間見たいだけど……」
と、興味深げに玲を見やるセピア。
その嘗め回すような視線に、男である玲も怖気を感じ思わず身構える。
「はははっ、まぁいいや今度は確実な方法で殺せばいいだけだしねぇ。その金髪メイドを助けるってことは、知り合いってことだもん、っね!」
「ちっ……!」
瞬間放たれた殺気に、玲は右へと飛んだ。見れば、数舜前まで玲がいた場所を一本のナイフが恐るべき速度で通り過ぎていった。
ほぼ感覚的にだが、間一髪回避……いや、わずかに間に合わず、玲の頬を一筋の血が流れ落ちる。しかし、気にしている場合ではない。玲はセピアの周りをまわるかのように、斜め右に走り出す。自分より大柄なエルを背負いながらではまともに移動などできないが、『身体能力向上』によりどうにかこうにか走れている。
「ふぅん、なかなかやるんだねぇ。さっきは一瞬すぎて分かんなかったけど」
セピアは感心するように声を漏らした。しかし、その態度からは並々ならぬ余裕がひしひしと感じられる。恐らく、玲などいとも簡単に倒せると思っているのだろう。……まぁ、玲もそう思っているからこそ不用意に近づけないわけだし、事実そうだろう。
しかし、周りを走る玲を視線で追わず、背中をがら空きにさせるのは調子に乗りすぎだろう。玲はセピアの丁度真後ろにつくと、一気にセピアへと駆け寄った。
「がら空きだ……!」
「甘いよ?」
だが、セピアは玲がこう来ることなど想像の範囲内とでもいうかのようにスッと視線をこちらに寄こすと、玲を掴むように右手を突き出してくる。
「っ……!」
しかし、玲の異能によって強化された脚と感覚によ、どうにかセピアの腕に到達する前に体にブレーキをかけ、一歩後方に下がる。
頬を、一筋の汗が流れていく。……もしも、もしもあの手につかまれていたら殺されていた。そんな確信が、玲の中で生まれていた。
「なるほど。良い感をしているねぇ。そうだよ、僕に捕まったら終わりだといっていい」
「く……」
舐め腐るようにして肩をすくめるセピアに、玲は歯噛みする。
『身体能力向上』によって強化された玲程ではないにせよ、セピアの身体能力や感覚は玲に迫るほどだ。そのうえ、年齢に見合わず戦闘経験が豊富らしい。正直玲よりも戦闘面では何枚も上手だ。そんな状況下で掴まれたら終わりなど、何という無理ゲー。攻略方法があればぜひ教えてほしい。
まぁ、そんなもの当然誰も教えてくれるはずもなく、玲はコクンと喉を鳴らす。
近接戦闘はダメ、遠距離技は玲にはない。
そもそも、セピアの異能が判明しない今では、むやみに手を出すこと自体愚策。もはや、どうしようもなく絶望的な状況だ。そんな状況の中で、玲は自身の手を見やった。
上手くいく確証はない。むしろ、失敗する確率の方が高いだろう。しかし、今、この状況で使える手段はこれしかない。
玲はゆっくりと、右手を掲げる。
「ん? どうしたんだい? まさかリタイアでもするつもりじゃ」
「そんなわけないだろ……見ろ」
玲は、掲げた右手に力を込める。すると、手のひらの皮膚にチリチリと焼けるような感覚が伝わってくる。そして。
「『黒炎の覇王』!」
羞恥心などかなぐり捨てて、玲は声高らかに叫んだ。すると同時、玲の手のひらに一つ、爛々と燃える火の玉が出現する。その色は赤やオレンジという一般の炎ではなく、ましてや高温の青でもない。全てを無に帰してしまうような、虚ろな漆黒だ。
「おぉ、何だいそれ? すごいねぇ……」
と、セピアは素直に感嘆の声を漏らす。驚きに眉を吊り上げるその様は一見普通の子供の様だが、決して騙されてはいけない。
漆黒に燃える玉。
セピアが感心するように、圧倒的なヤバさをひしひしと感じさせる見た目をしている。まるで燃やされた瞬間、灰に帰ってしまいそうな……。しかし、だ。
見た目だけ。そう、すごいのは見た目だけなのだ。灰に帰すどころか火傷すら負わせることのできない、生暖かいだけの見せかけ炎。琴吹には悪いが、この『黒炎の覇王』、はっきり言って戦闘において需要はこれっっっっっぽっちもありはしない、見た目だけの異能だ。
では、なぜこの異能を使ったのか。
理由は単純、牽制だ。前述でも述べた通り、この異能、見た目だけは最強だ。玲自身、何も知らない状態で漆黒の炎など掲げられれば間違っても近づこうとなど思わないだろう。玲でなくともそうなる。そんな、常人とセピアの思考回路がどこまで同様かは分からないが、むやみに手は出せなくなるだろう。
「この炎に触れたが最後、お前は灰になる。それが怖かったら近づかないことをお勧めするぞ……」
そう言って、玲は炎を揺らめかせる。
正直恥ずかしいことこの上ないが、この作戦のミソはまさにここにある。そう、どれだけ『黒炎の覇王』が恐ろしい異能か分からせることだ。そのためには、玲の演技がとても重要になってくる。多少大袈裟なセリフを、どれほど不自然なく盛り込めるか。
玲はゴクリと生唾を飲み込む。しかし……。
「へぇ、それはすごいね。そう言われると試してみたくなっちゃうなぁ……」
「なっ……」
セピアは恐れる様子などみじんもなく、ただただ興味深そうに炎を眺めている。
玲は表情をどうにか取り繕うも、内心慌てふためいていた。どうやら、この作戦、セピアには逆効果だったらしい。このままでは本当にこのダメ炎を使う羽目になる。そして、それでは絶対に勝てない。
「く……いいのか? 本当に危険だぞ?」
「うん、まぁ、その時はその時だねぇ。それよりさ、早くその炎の力を見せてよ」
「え、いやぁ……」
「うーん、そっちが来ないならこっちからいっちゃうよ?」
「え……」
とうとうしびれを切らしたのか、セピアは言うが早いか玲の炎を左手で払うようにして玲に接近してくる。そして、炎はもちろんセピアを燃やすということはせず、わずかな温かさだけを伝えて吹き消えた。そのあまりの呆気なさに、セピアは少々驚いたような表情を見せる。
「ありゃ、消えちゃったよ。っま、いいか」
しかし、セピアはターゲットを玲自身に移すと、引かれた右手を勢いよく突き出した。
「ぐっ……!」
拳は玲の腹部をしっかりと捉え、奇しくも先程とは逆の立場になってしまった。
玲は『身体能力向上』により強化された体で踏ん張り、どうにか飛ばされることだけは防いだ。しかし、あまりの衝撃と痛みに嗚咽を漏らす。
「ははは、いいねぇ君」
セピアはまるでおもちゃで遊ぶような表情で玲を見やった。童顔をぐしゃりと歪め、狂気に染まった顔。 しかし、そんなセピアには、明らかに油断の色があり――。
「油断大敵だ、セピア」
「ぐ――!?」
瞬間、玲の頬から伸びる深紅の刃が、セピアを貫いた。




