悪魔は嗤う
「ふぅーん、呆気なかったなぁ」
セピアはつまらなそうに言い、地面に転がる死体――玲を一瞥する。
心臓がなくなれば、当然人は死ぬ。殴るよりも、斬るよりも、刺すよりも、人が生きるために必要不可欠なものを根本から奪い取る。これほどまでに確実な殺人方法などそう存在しないだろう。とはいえ、そこに至るまでの過程に一アクションあってもいいかとも思ったが……。
「ま、所詮はただの一般人か。それなら何で僕の邪魔をしたのか分からないけど」
そう、セピアにとってはそれだけが不可解だった。
セピアの『力』は強力だ。
それは、条件さえ満たしてしまえば、どれだけ屈強な大男でも有能な異能者でも天才でも一瞬で殺すことができる。故に、死んだこと自体にさして疑問は抱かない。
しかしながら、こうもあっさり死んでしまったところを見るに、ただの一般市民なのは明白だ。異能とは遠い世界に住む、セピアにとっての異世界人。だが、その一般市民が何故セピアに歯向かったのか。これだけ派手な爆発をお見舞いしてやっているのだ。セピアが危険人物であることは容易に理解できただろうに。
「馬鹿なのか、それとも馬鹿なのか……うん、馬鹿でいっか」
と、セピアは考えることを放棄した。
たとえ玲がどこの誰で、どんな目的を抱いてセピアに接近してきたのかは分からないが、死んでしまったものはもう覆らない。気にするだけ、時間の無駄なのだ。
それよりも、今の自分にはするべきことがある。
それは、一刻も早く元の世界へ帰ること。しばらくこの世界にいれば、恐らく仲間が迎えに来るだろうが、それでは任ぜられた任務を遂行しないまま、組織へ戻ることになる。それは、イコールセピアの死を表しているわけで……。
「早く見つけないとなぁ、あの金髪メイド」
忌々し気に呟き、セピアは脳裏に一人の人物を思い浮かべる。
それは、セピアをこの世界に飛ばした張本人である、金髪のメイドだ。たが、ただのメイドではない。戦闘能力もさることながら、奴は魔法を使えた。一介のメイドには教えられるはずもない、王国の秘術を。
そして、奴もこの世界に来ている。セピアを道連れにしたのだから、当然だ。それに、あの傷ではすぐにもう一度魔法を行使することは難しいだろう。奴が魔法を扱えるまでに回復するよりも早く、見つけ出さなくてはならない。
「最悪もう死んでる可能性もあるけど……それは考えたくないなぁ」
セピアの『力』は万能だ。発動条件に少しばかり面倒なものがあるが、まぁそれも戦闘でなければさして気にするほどの物でもない。故に、放っておけば最悪死に至るような負傷も治療することは容易だ。
だが、エルは違う。
セピアは身をもって知ったが、エルの異能は回復系のものではないだろう。であれば、エル自身に怪我を治す手段はない。この世界の病院で怪我を治してもらうこともできるだろうが、如何せんエルはこの世界の通貨を所持してはいないだろう。しかも、この世界の人間に異世界について知られてはいけないため、奴らからすれば極力接触は避けなければならないはずだ。恐らくは、人目につかない場所でひっそりと息をしていることだろう。
この世界の人間がエルを介抱する、ということも考えられない話ではないが、ボロボロで傷だらけの金髪メイド。誰が好き好んで自分から接触するだろうか。どう見ても面倒ごとに巻き込まれるのは明白だ。その線は薄い。
よって、エルに大怪我を治す方法は限りなくゼロだろう。
まぁ、セピアにとってはそちらの方が都合がいいのだが。死んでさえいなければいいのだ。たとえ死ぬ寸前だとしても、セピアがエルを見つけることができれば怪我を治してやることもできる。そういう意味でも、一刻も早くエルを見つけなくてはいけないわけなのだが……。
「これだけやっても来ない、か……」
セピアは辺りの惨状を見回しながら嘆息する。
建物は壊れ、崩れ、あるのは瓦礫の山。地面はところどころ抉れており、そこには赤い液体がこびりついている。
エルは正義感の強い人間だ。それは、セピアが襲った王都での立ち回りや振る舞いから察せられる。
故に、セピアがこうして無関係の人間を巻き込み暴れていれば、この世界に連れてきてしまった責任を感じてセピアの前に現れるだろうと思っていたのだが。
「やっぱり動ける体じゃないのか、この騒ぎが伝わらない程遠くにいるのか、見て見ぬふりか‥…。まったく、面倒だなぁ」
思った以上に難航しそうなエル探しに、セピアはため息をつく。
と。
「――うぇぇえええん!」
土煙に紛れて、近くでそんな慟哭が聞こえた。
声からして、女だろう。しかも幼い。セピアの神経を逆なでするような耳障りな声は、治まる様子がなく、むしろ時間が経つ程に大きさを増していく。
「……」
それに対し、セピアは激高する――のではなく、ニヤリと口元を吊り上げた。
十歳前後の幼い顔つきからは想像もできないような、邪悪な笑み。
セピアは、ゆっくりと声のする方へと歩っていく。
「やぁ、どうしたんだい?」
やはり、予想通り幼い幼女だった。
年のころは六歳くらいか。セピアも相当に幼い容姿だが、目の前の少女はそれ以下だ。茶色い三つ編みを揺らし、薄汚れたウサギのぬいぐるみを抱くその手は、涙の流れる瞳を覆っている。
セピアは、できるだけ紳士を意識し優しく声をかけて見せる。とはいっても、セピアの声が幼いため、紳士とは程遠いが。
「う、ううわぁぁぁぁぁあああ!」
「な、泣かないで! 僕は怖くないよ?」
セピアの顔をチラリと覗くなり、更に声を大にして号泣する少女に、セピアは柄にもなく慌てて宥める。人の話を全く聞かないし自分勝手だし、これだから子供は嫌いなのだ。
「うぅぅぁあ……だ、だれぇ……?」
と、宥めたかいあってかようやく泣き止んだ幼女は、不安げに眉根を寄せながら、自分より少しばかり背の高いセピアを見上げる。
セピアは、思わず笑みがこぼれそうになるのをこらえた。
ここもセピアを子供が嫌いたらしめる理由の一つなのだが、子供は妙に勘がよすぎる。セピアがどれだけいい外面を取り繕っても、本性を見抜いてくる。子供には、大人には見えない何かを感じ取る力でも備わっているのだろうか。それ故、少しでも本性を見抜かせないために少しでも怪しい行動を見せてはいけないのだ。
「僕はセピアさ。優しいお兄さんだよ?」
「やさしい……?」
「うん。それで、どうしたのかな?」
「……おかぁさんが、いなくなっちゃったの……」
目を伏せる幼女はぎゅっとウサギのぬいぐるみを抱きしめ、目じりに大粒の涙を浮かべている。
どうやら、セピアの起こした爆発の混乱で母親とはぐれてしまったのだろう。それで、一人取り残された幼女はどうすることもできず、不安感に慟哭していたということか。
まったく、こんな状況下で子供とはぐれるなど母親のすることではない。母親たるもの、いつ何時も子供を気にし守ってあげなくては。まぁ、その原因は完全にセピアであるのだが。
「泣かないで。ほら、僕が一緒にお母さんを探してあげるから」
「ほ、ほんと……?」
「うん」
そう言うと、セピアは少女の小さな手をぎゅっと握ろうと手を伸ばし――。
――その瞬間、大量の何かがセピアに向かって飛んできた。
「っ!?」
セピアは間一髪、後方に大きく跳んで攻撃をかわす。
見ると、飛んできた何かは先程までセピアがいたところを深々と抉っている。地面に空いた穴の大きさは一センチ程度で、雨粒一つ分くらいだ。それが、銃弾のように三十四十という数飛んできたのだ。
――来たね。
セピアは内心口元を吊り上げ、ゆっくりと『そいつ』のいる方向に向き直る。
「……セピアっ!」
目を見張るような金色の長髪をなびかせ、同じくゴールドの瞳を怒りに細めるのは、間違いない。セピアをこの世界に引きずり込んだ張本人――エルローレ・G・スワロ・シェイリアだ。
セピアは探していた人物を前に、意図せず口元が歪んでいるのを感じた。
「やあぁやぁ、君のことを探していたんだよねぇ、金髪メイド」
「……」
言うと、セピアはゆっくりとした足取りでエルに接近する。
しかし、エルは右手をセピアに向け、セピアの進軍を制する。次いで、エルはセピアを油断なく意識でとらえながらも、もはや街とは呼べない周囲を見回す。
「セピア……貴様、なぜこんなことを……!」
どうやら、エルはセピアが起こしたこの惨状が気になっているらしい。
怒りに歯を食いしばり眉を寄せるエルに、セピアは軽く肩をすくめて笑った。
「なぜって、言ったろ? 君のことを探していたんだよ。正義感の強い君なら、この惨事に駆けつけるだろうってね」
「何!?」
「事実君はこうして来たしね。そして……」
セピアの言葉に驚愕するエルに、セピアはなおも笑う。
「責任感も強い君は、この惨事が自分のせいだと知り、どう思うのかなぁ?」
「っ……」
セピアの挑発的な言葉に、エルは反論もなしに苦鳴を漏らす。
普通の人間であれば、この惨事はセピアが起こしたものであると割り切ることは簡単だろう。事実として、この惨状を生んだのはセピア本人で間違いない。
だが、責任感の強いエルからすれば、この惨事は自分がセピアをこの世界に招いてしまったからだと考えるだろう。自分の主を守るために取った行動が、こうして関係のない人々を殺す結果になってしまった。今のエルの内心を想像するだけで、セピアは腹がよじれるほどに笑いが溢れる。
「――それにしてもさぁ、いいところで邪魔してくれたよね」
自身を苛む罪悪感と、セピアを倒すべき使命感に板挟みにされ、葛藤するエル。そこに、セピアは嬉々として追い打ちを入れる。
視線の先は先程の幼女。エルが放ったであろう攻撃は、セピアだけを狙ったようで、上手く幼女のいる位置に被害はない。幼女は、状況がつかめていないのか、もはや涙すら流さず茫然と二人を見ている。
「彼女、親とはぐれちゃったんだって」
「それがなんだ……」
「だからさ、僕は親のところまで連れて行ってあげようとしたんだよねぇ」
「何を……」
セピアの言いたいことが掴めず、エルは眉根を寄せた。
「可哀想だとは思わないかい? こんな小さな女の子が一人で危険な場所にいるんだよ?」
「貴様がやったことだろうっ……!」
「まぁまぁ。で、連れて行ってあげようとしたわけよ。連れて行って、親と合わせてあげてさ。感動の再開って、お互い涙ながらに抱きしめるのさ。『幼女、心配したのよ……!』『お母さん!』ってさ」
無駄に熱をもって演技するセピアを、エルはただ冷ややかに見ていた。が、そんな視線もセピアが気にするわけはない。
「嬉しいだろうねぇ。胸いっぱいに渦巻く不安感から解放されて。ただひたすらに真っ暗な視界が光に満たされて。地獄から天国に昇るような気持ちだろうねぇ。だからさぁ――」
そこで、セピアは言葉を区切る。
ニヤリと、今までこらえていた邪悪な笑みがべったりと童顔に張り付いた。
思わず背筋が凍るほどに底冷えした笑み。エルはもちろん、遠くで茫然と見つめる幼女すらも、全身を走る寒気に身震いをした。
「――そんな気持ちで、目の前で、母親が殺されたらどんな表情するんだろうねぇ!」
もう我慢ならない、と言った様子でバッと両手を広げるセピア。
その姿には、もはや十歳程の少年の幼さなど、微塵もなかった。あるのはただ、ひたすらに恐怖を覚える邪悪さだけ。幼い少年の皮をかぶった邪悪な本性。
その様はまさしく――悪魔そのものだ。
「貴様ぁぁぁぁぁぁああああああ!」
セピアとはまた別の意味で我慢ならない、と言った様子のエルは、いつもの冷静さからは想像もできない程怒りに顔を染め、鬼のように声を荒げた。
一方、セピアを見る幼女の目は、ただただ虚ろに光を失っていた。
さしもの幼女も状況を掴めていないわけではない。状況を理解したうえで、セピアの残虐性に茫然自失となっているのだ。
「あは、あははは、あははははははははははははははっ!」
二人の様子を見て、セピアは狂ったように嗤った。
「いいね、いいねぇ、いいよぉ二人とも! 母親の死に絶望する表情が見れなかったのは残念だけど、これはこれですごくいい! 怒りに狂う人間と、現実に絶望する幼女。あぁ、あぁ、今君たちの心の中はどうなっているんだろうねぇ! 怒りと絶望で染め上げられているのかなぁ!? それともいろんな感情でぐちゃぐちゃになってるのかなぁ!? あぁ……僕に心をも知ることができたならなぁ……!」
異常、としか思えない。
言葉では抑えきれない感情を狂ったような嗤いと、身振り手振りで表している。もはやそこいいるのは悪魔以外の何者でもなかった。
今まで、何人を絶望に叩きこんできただろうか。今まで、どれだけ絶望する表情を見てきたことだろうか。今まで、どれほど絶望を嗤ってきたことだろうか。セピアは嗤い、嗤い、嗤い、嗤った。
「……」
――心がどういう感情におかされているのか。エルは、それをはっきりと感じることができていた。
それは、純粋な怒りだ。目の前で嗤う異常者に対しての、このうえない怒り。まだ幼い幼女を、絶望に叩き落したことへの怒り。
――リィ。
エルは、茫然自失とする幼い幼女を見て、その名を思い浮かべた。
今の幼女と、リィの姿が、エルには酷く重なって見えたのだ。今は過去となった、昔の話。だが、それは確実にリィの『傷』として残っており、エルの『記憶』として残っている。
思い出すだけで全身の身の毛がよだつ程、酷く不愉快で神経を逆なでされる、酷く悲愴な記憶。
故に、それを思い起こさせるセピアに、エルはこれまでに覚えたことのない程大きな怒りを抱いた。
エルは、刃を強く噛みしめ、わなわなと震える手を血がにじむ程握りしめた。リィのことも、幼女のことも、今は邪魔になるだけだ。今考えるべきことはただ一つ。
――こいつは絶対に野放しにしてはいけない……!
「セピア、貴様は、ここで死ねぇ……!」
叫び、エルは地面を蹴った。




