101回目の離縁――「愛していない」と言い切られたら巻き戻るので、今度は離縁届を先に出します
「君を愛していない。離縁してくれ」
夫の言葉は、銀のナイフよりもよく切れた。
結婚三年目の晩餐室である。
長い食卓の向こうに座る夫、レオンハルト・ヴァイス伯爵は、白い手袋を外しながら、まるで今夜の魚料理について感想を述べるような顔でそう言った。
私は手元のスープ皿を見た。
湯気はまだ立っている。
この屋敷の暖炉は、私の持参金で直したものだ。
銀器は、私が磨かせた。
食料品の支払いは、先月も私の実家から融通した。
使用人の給金が遅れそうになった時、帳尻を合わせたのも私だった。
それでも夫は、少しも痛まない顔で言った。
「君を愛していない。離縁してくれ」
その瞬間、遠くで鐘が鳴った。
ごおん。
低く、重く、胸の底を叩く音。
視界が白くなった。
次に気づくと、私は晩餐の一時間前、私室の鏡の前に立っていた。
侍女が同じ角度で髪飾りを差し、窓の外では同じ鳥が鳴き、机の上にはまだ開いていない家計簿が置かれている。
戻った。
それが一回目だった。
二回目、私は泣いた。
三回目、私は問いただした。
四回目、私は怒った。
五回目、私は晩餐室へ行かなかった。
だが扉は開いた。
夫は私室まで来た。
「エリス。伯爵夫人が晩餐を放棄するものではない」
夫は、私が泣いていることよりも、私が席につかなかったことを咎めた。
「逃げても無駄だ。君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
六回目、私は屋敷を出ようとした。
七回目、私は馬車に乗った。
八回目、私は実家へ帰るための外套を着た。
全部だめだった。
夫は必ず私を見つけた。
玄関でも、馬車寄せでも、裏庭でも、同じ顔で立ちはだかった。
「君は本当に妻としての自覚が足りない。話し合いから逃げるなど、伯爵家の名を何だと思っている」
話し合い。
彼はいつもそう呼んだ。
私が口を開く前に、彼が結論を告げる時間のことを。
「君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
九回目、私は食堂の時計を止めた。
十回目、私は楽師を呼んで廊下で演奏させた。
十一回目、私は寝込んだふりをした。
十二回目、私は本当に熱を出した。
それでも夫は枕元に来た。
「体調が悪いなら、なおさら早く済ませよう。君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
十三回目から二十回目まで、私は理由を聞いた。
夫には、心を寄せる女性がいるらしい。
男爵令嬢のリリア。
小鳥のように笑い、何も知らないふりが上手く、夫の話にうなずくことを愛情だと思わせる才能がある方だ。
「彼女は僕を責めない」
夫はそう言った。
「君のように帳簿を見せろとも言わない。領地経営に口を出さない。男の仕事に細かく首を突っ込んで、夫の面目を潰すような真似もしない」
「伯爵夫人として当然の確認です」
「そういうところだ」
夫は、哀れむようにため息をついた。
「妻なら、夫を信じるものだろう。君には情がない。家計簿より先に、夫の心を見るべきだった」
信じていた。
だから私は三年待った。
白い結婚でも、社交の場で隣に立たされなくても、夫がリリア嬢へ真珠の首飾りを贈ったと噂されても、私は伯爵家の帳簿を整え、使用人の給金を払い、領地からの報告を読み、冬越しの薪を手配した。
信じるとは、黙って搾り取られることではない。
妻とは、夫の浪費を愛情と呼ぶための帳尻合わせではない。
二十一回目、私は何も食べなかった。
二十二回目、私はスープを夫の前に押しやった。
二十三回目、私は白い手袋を外す前に夫の名を呼んだ。
二十四回目、私は笑ってみた。
二十五回目、私は笑えなくなった。
それでも、同じ夜は来た。
三十回目、私は家計簿を出した。
「離縁には応じます。ただし、私の持参金から支払った屋敷修繕費、使用人給金、領地借入金の肩代わり分について、清算をお願いいたします」
夫は眉を寄せた。
「こんな時に金の話か」
「こんな時だからです」
「君は本当に情がない」
「情で薪は買えません」
「伯爵夫人なら、伯爵家を支えるのが当然だろう」
「では伯爵は、伯爵夫人を何で支えてくださったのですか」
夫は答えなかった。
答えないまま、いつもの言葉だけは言った。
「君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
四十回目、私は先に離縁を申し出た。
「旦那様。私から離縁をお願いいたします」
食卓の燭火が少し揺れた。
世界が一瞬、戸惑ったように見えた。
だが夫は顔をしかめた。
「僕の言葉を奪うな」
それは、思いのほか本音に近い声だった。
「君はいつもそうだ。夫を立てることを知らない。伯爵夫人なら、夫の決断を受け入れるものだ」
「決断とは、相談も清算もなく突きつけるものではありません」
「また理屈か」
夫はうんざりした顔をした。
「君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
五十回目、私はリリア嬢に会いに行った。
彼女は、夫から贈られた真珠の首飾りをしていた。
私が支払い記録で見たものと同じ形だった。
「奥様はお強いから、大丈夫だと伯爵様が」
彼女はそう言った。
強いから大丈夫。
便利な言葉だ。
それを言われた人間は、傷ついていないことにされる。
六十回目、私は公証人を呼んだ。
七十回目、私は義母に相談した。
八十回目、私は領地代官を同席させた。
九十回目、私は夫が伯爵家管理費からリリア嬢への贈り物を払った証拠まで揃えた。
全部だめだった。
人前でも、私室でも、廊下でも、庭園でも、馬車置き場でも、帳簿の前でも、証人の前でも、夫は必ず言った。
「君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
九十九回目、私は何もしなかった。
晩餐室へ行き、椅子に座り、スープを一口だけ飲んだ。
味はしなかった。
夫が白い手袋を外す。
同じ声。
同じ顔。
同じ、私を傷つけるために磨かれた言葉。
「君を愛していない。離縁してくれ」
ごおん。
百回目。
私はだいぶ疲れていた。
泣くのにも、怒るのにも、証拠を並べるのにも体力がいる。
百回も同じ夫を相手にしていると、愛情より先に語彙が枯れる。
私室の机には、家計簿があった。
夫が読まない帳簿である。
読まないくせに、私が口を出すと怒る帳簿でもある。
革表紙は古びていた。
何度も私の手で開かれ、何度も夫の視線を避けられた帳簿だった。
私はそれを開いた。
去年の暖炉修繕費。
使用人給金の補填。
冬越しの麦。
領地借入金の利息。
真珠の首飾り。
数字の列を見ているうちに、胸の奥が冷えていった。
こんなものを、愛の代わりに抱えていたのか。
思わず帳簿を閉じると、乾き切った革表紙から細かな埃が舞った。
窓から入った夜風が、それを薄く運んだ。
私の袖にも、白い埃が少しついた。
晩餐室で、夫はいつものように白い手袋を外した。
「エリス」
はいはい。
「君を愛していな……」
その時、夫が鼻をひくつかせた。
私の袖から、帳簿の埃がふわりと舞ったのだ。
ろうそくの光の中で、それは小さな雪のように見えた。
「いな……は、はっくしょん!」
夫は盛大にくしゃみをした。
鐘が鳴りかけた。
ごお――。
けれど、そこで止まった。
私は顔を上げた。
夫はまだ「愛していない」と言い切っていない。
だから鐘は、鳴り切らなかった。
そういうことか。
私は離縁されたから巻き戻っていたのではない。
愛していないと、最後まで聞かされるたびに戻されていたのだ。
ならば、聞かなければいい。
言い切らせなければいい。
百一回目。
私室の鏡の前で目を開けると、私は髪飾りを断った。
「奥様?」
「今夜は結い上げなくていいわ」
私は机に向かった。
家計簿、領地報告、支払い記録、持参金の明細、夫がリリア嬢へ贈った宝飾品の請求書。
そして、署名済みの離縁届。
書類を重ねる手は、少しだけ震えていた。
怒りではない。
怖さでもない。
三年分の夜が、ようやく終わるかもしれないという予感だった。
晩餐室で夫が白い手袋を外すより早く、私は食卓の上へ書類を置いた。
「旦那様。離縁届です」
夫が瞬きをした。
「何だって?」
「離縁届です。こちらに旦那様の署名をいただければ、私は明朝この屋敷を出ます」
「待て。僕はまだ何も――」
「おっしゃらなくて結構です」
私の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「私はもう、あなたの言葉を最後まで聞く役目を終えました」
夫の顔が強張る。
「君は夫に向かって何を」
「夫としての務めを果たしていない方が、夫としての言葉だけを最後まで聞けとおっしゃるのですか」
私は家計簿を開いた。
「まず、屋敷の暖炉修繕費。私の持参金から支払っています。使用人三十七名の給金遅配分。これも私です。昨冬の麦の買い付け。領地借入金の利子。リリア嬢への真珠の首飾りは、伯爵家管理費から出ています」
「それは……伯爵家のために必要な」
「リリア嬢の首飾りが、伯爵家のどの柱を支えましたか」
夫は黙った。
「愛していない妻の金で、愛している方へ贈り物をなさるのは、ずいぶん器用でいらっしゃいますね」
扉が開いた。
私が呼んでおいた公証人と、義母と、領地代官が入ってくる。
夫は立ち上がった。
「エリス!」
「声を荒らげても、帳簿の数字は減りません」
義母が書類を見た。
顔色が変わる。
「レオンハルト。これは何です」
「母上、これはエリスが」
「黙りなさい」
その声で、夫は口を閉じた。
私は離縁届を夫の前へ滑らせた。
「私は離縁に応じます。ただし、私の持参金と未清算分を返還していただきます。返還できない場合、屋敷の一部と西の葡萄畑を担保として差し押さえます」
「そんなことをすれば、僕が困る」
「ええ」
私は少しだけ笑った。
「私も三年困っておりました」
夫は何か言おうとした。
私はその口元を見た。
百回聞いた言葉が、また出かかっている。
「旦那様」
私は先に言った。
「愛していない、の続きは不要です。もう十分、伝わりました」
その瞬間、どこかで鐘が鳴った。
けれどそれは、あの低い音ではなかった。
りん、と軽く澄んだ音。
閉じ込められていた夜が、ようやくほどける音だった。
翌朝、私は屋敷を出た。
馬車には、私の荷物と、家計簿と、署名済みの離縁届が積まれている。
指輪は、寝室の机に置いてきた。
夫は最後まで、私が戻ると思っていたらしい。
玄関前で、ひどく所在なさそうに立っていた。
「エリス。本当に行くのか」
「はい」
「少しは話を」
「聞きません」
私は微笑んだ。
「あなたは私を愛していない。私はそれを、もう百回以上聞きました」
馬車が動き出す。
屋敷が遠ざかる。
胸の奥は、まだ痛かった。
けれど、痛みは私のものだった。
誰かの言葉で、何度も同じ場所へ戻されるためのものではない。
私は窓の外を見た。
朝日が、葡萄畑の向こうに昇っている。
金色の光が、馬車の窓に差し込んだ。
指輪のない手は軽かった。
空いた指に、朝の光が触れていた。
愛していないと言われることなど、一生に一度でもあっていいものではない。
けれど、愛していないと言われ続ける人生よりは、ずっとましだった。
それに。
私は少しだけ、笑ってもよかった。
もう誰かの妻としてではなく、私自身として迎える朝だったのだから。
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