fragment+ (あるゲキジョウの神の役目2)
「……よし、これで仕事も終わりか」
男性は静かに筆記具を机の上に置く。
彼はかつて王都を追い出された男性である。しかし、その後いろいろな活躍をし、様々な事件、様々な危機、様々な人間関係を経て王都に戻ってくるだけの力を得た。そして、幼馴染であり、かつて離れざるを得なかった女性の下へと戻り、よりを戻した……という言い方は変だが、再び一緒に過ごすようになったのである。男性が戻るまでいまだにその女性を巡る争いが行われていたのは少々お笑い種ともいえるのだが。
そしてその後、男性は王都で仕事を得た。まあ、一度理由をつけられ追い出された男性が戻ってこれるほどの権力、能力を有していたのだからそれくらい難しくはない。むしろ、男性の重要性の高さがわかるくらいである。
《終わったのかしら》
「っ!?」
声、男性がかつて聞いたことのある、しかしそれ以後聞くこともなかった声がした。視線を周りに向けるが、周囲にはだれもいない。
「……<激情の神?>」
《ええ、そうよ。かなり前にあなたにそれだけの力を与えた神様。まあ、大したものでもないけれど……よかったわ。別に今まで見ていたから今更なんだけど、あなたがきちんと戻ってこられたのはよかったわ》
「そうか?」
《ええ、心配していたのよ。道を間違えないか、誰かを不幸にしないか、あなたが不幸にならないか。ええ、凄く凄く心配したわ! だって人間って馬鹿で愚かで阿呆なんだもの! いっつも力を与えたらその力に溺れて間違った使い方をして、誰かを不幸にしたり自滅したり時々世界を滅ぼしたり、安寧な社会を壊滅に追いやったり、魔王になったり! そんなふざけたことをさせるためにその力を与えたんじゃないっての! あんまり離れた方向に力を使い続けるなら私がぶっ殺すわよ糞野郎! ええ、そういう意味ではあなたは正当に、正しくまっすぐ善いことに力を使っているみたいだからありがたいわ、本当に!》
「…………」
苦笑いする男性。男性としてもそういう思いに駆られたことはないわけではない。ただ、男性には女性の元に戻る、取り返す、失った物を取り戻す。そういった思いがあったからこそ、間違わずにここまでこれたのである。声の言う通り、場合によっては声の言う愚かしいことになりえたかもしれない。だが実際にはそうならず、彼の人生は良いものになった。彼の側にいる女性にとっても。
「それで、何で今更話しかけてきたんだ?」
《ああ、そうね。あなたが一人になる機会を狙っていたの。念話なんて器用なこともできないでしょうから、虚空に話しかけているようにしか見えなくて悪魔でも憑いたかと思われかねないもの。ああ、そうじゃないわね。なんで私があなたに話しかけてきた、そうする必要があったか、ということでしょう?》
「そうだ」
声、<激情の神>が話しかけてきた理由が男性にはわからない。別に男性に助言をする、と言うわけでもなさそうだし、本当に今更と言う感じでもある。これまでも男性は色々な事件、危機で様々な苦労をしてきた。その時に声をかけてくるのであれば分かるが、今は男性にとっては安定した、安寧な状況である。もしかしたらこれから先の危機の予言でもするのかと思う所だが、そもそもそういうことはありえそもない。何故なら<激情の神>がしたことは彼に力を与えたこと以外にはないからである。
《理由は単純よ。私の力を返してもらう、それだけ》
「っ!?」
男性は驚く。男性が今の場所にいられるのはその力あってのもの。もし彼がいきなり力を失えばまた以前のようになる危険がある。それなのに<激情の神>は力を返せと言う。
「……それをしたら俺はどうなる?」
《ああ、ごめんなさい。別に力を返してもらったからと言って、今のあなたの力が失われるわけではないわ。今のあなたの力は私由来の物ではなく、あなた自身の力。私が返してもらうのはあなたの中に残っている、あなたを助けた力となった力の核のようなものよ》
「……ふう、それならよかった。もし今力を失ったらと思うと怖かった」
《そうね。流石に今のあなたが立場を失うようなことにはならないようにこちらも気を使うわよ》
「……だけど、力を返す必要はあるのか? 別に残っていても意味はないんだろ?」
《私の痕跡を消す、いえ、まあ、世界の記録としては残るのでしょうけど、この世界で私のやるべきことは終わったから、私は私自身とその私自身の一部を回収して去らなければならないの>
「……?」
男性にはよくわからない。行っている意味が理解できない。
《物語はすでに終幕した。舞台装置として必要とされていた神は物語が終われば舞台と共に片付けられる。まあ、舞台自体はまた世界として続けられる物語ではあるけれど、舞台において活躍すべき神は舞台が終われば去らなければならない。私は私のことを<激情の神>と称した。ええ、まあ、それもまた私。でも、<げきじょうの神>である私は<劇場の神>でもある。デウスエクスマキナ、機械仕掛けの神、物語において役割を果たすべき舞台装置の神。それが私の役割の一つ。だから私はあなたから力を回収し、舞台、物語、この世界から去らなければならない。ただそれだけよ》
「……そうなのか」
結局男性には理解の及ばない範囲出る。言っている意味は何となく理解できるが、それを語る<激情の神>には理解が及ばない。結局のところ彼等普通の世界の住人にとって神は遠く理解できない存在である。
《それでは、返してもらうわね》
「っ」
男性が自分の体から何かが抜け出るような感覚と、とても大きな疲労感を感じる。いままで自分の中に存在していた、自分の大部分を占めていた者を失ったような感覚。
「これ、ほんとうにだいじょうぶなのか」
《ええ。大丈夫。世界はあなたがあなたであるように相応しいように補うわ。そうであるのが正しいのだから》
<激情の神>の言う通り、すぐに男性の状態は復調する。
「……はあ、びっくりした」
《ふふ、ごめんなさい。では、私はそろそろ去るわ。もう二度と会うことないでしょう》
「それは寂しい感じだが……」
《そもそも私はあなたとそれほどかかわったわけではないけどね。最初に力を与えたくらい》
「それもそうか……」
お互いいなくなったところでそこまで寂しいわけではない。しかし、たった少し、僅かな時間、短い会話のみだったとはいえ、お互いの出会いは濃密で、その物語は劇的だった。ゆえに男性の<激情の神>へ想いはそれなりにあった。
《それでは、さようなら》
「ああ、さようなら」
《お幸せにね!》
そう言って、声の気配、<激情の神>の気配は消えた。
そうして、物語は完結を迎えたのである。物語が終われども、世界は続く。続く世界に物語を進める神は必要ない。<激情の神>は<劇場の神>であり、舞台装置の一種である。彼女は自身の役割、役目を理解し、その通りに動き、必要なことが終わり物語が完結すれば、彼女は去る。物語が終わった世界は順調に、普通に、当たり前の世界が広がっている。神が関わったときのような、劇的で劇場的な物語はそうそうない。ごく一般的な、幸せや不幸、喜びや悲しみが生まれる、そんな世界が広がっているだけである。




