聖夜のエクソジェン其の三
今朝、マリアが孤児院へ贈るプレゼントの名前書きを終えると、
業者たちはそれらを次々とトラックの荷台へ積み込んでいった。
赤や白の包装紙で丁寧に包まれた箱の中には、
ひとつだけ汚い字で「久遠優」と書かれたプレゼントも紛れ込んでいたが、
誰も気に留めることなく作業は進んでいく。
孤児院《天》。
国内最大規模を誇り、約百五十人の身寄りのない子どもたちが暮らしている。
四日後に迫るクリスマスオに向けて、施設は朝から活気に満ちていた。
高学年の子どもたちは飾りつけを任され、
色とりどりの紙飾りや星形のオーナメントを壁に貼りつけていく。
低学年の子どもたちは、
来訪する天宮マリアのためにダンスや歌の練習を始めており、
元気な歌声が廊下に響き渡っていた。
その中で、藤正則は誰よりも大きな声で歌っていた。
彼の所属するグループは五歳から十歳までの子どもたちで構成された十人のユニットで、
全体では六十人ほどが参加する大規模な合唱隊だ。
正則は鏡災で家族を失った経緯から、
メディアの前でマリアから直接プレゼントを受け取る“代表役”に選ばれている。
同じカテゴリーで選ばれたのは、正則を含めて四人。
歌の練習が終わると、先生に呼ばれた四人は別室に集められ、
プレゼントの受け取り方や、
受け取った後にマリアへ伝える感謝の言葉など、
細かいマナーの練習を繰り返していた。
四人の子どもたちは、それぞれ個性豊かだった。
最年長の九歳、藤正則。
体は大きいが心は繊細で、責任感が強い。
自然とこの班のリーダー役を任されている。
八歳の矢上カンナは、大人びた口調で少し“おねえさんぶる”女の子だ。
面倒見がよく、年下の子たちから慕われている。
特にエリーには懐かれており、
カンナの後ろをいつも小さな影のようについて歩く。
同じく八歳の野村光郎は、眼鏡をかけた少し病弱な男の子。
体力はないが頭の回転は早く、歌詞を覚えるのも誰より早い。
緊張すると眼鏡をクイッと上げる癖がある。
六歳の小野アベルは、練習中によくぐずる甘えん坊。
だが歌声は澄んでおり、
先生からは「本番に強いタイプ」と言われている。
そして五歳のスミス・エリー。
恥ずかしがり屋で、カンナ以外とはほとんど喋らない。
しかし歌になると、小さな声で一生懸命ついていく。
笑うとえくぼができる可愛らしい子だ。
練習室には、期待と緊張が入り混じった空気が漂っていた。
正則は胸に手を当て、
(……マリア様に、ちゃんとお礼言えるかな)
と、小さく息を吸い込む。
クリスマスオまで、あと四日。
孤児院《天》は、静かに、祝祭の準備を進めていた。
クリスマスオの二日前――蒼穹殿に、とんでもない事件が起きた。
宝物庫の門番たちが、政務室へ駆け込み、汗を垂らしながら叫ぶ。
「アイリス様!! サタンクロースの箱が見当たりません!!」
本来、宝物庫では毎日欠かさず点検を行う義務があった。
だが最近は怠慢な門番が増え、検査は形骸化していた。
今日はたまたま真面目な門番が担当だったため、
ようやく異変が発覚したのだ。
アイリスは顔色を変え、すぐさまマリアのもとへ駆け込んだ。
「サタンクロースの箱が消えたですって?」
政務をこなしていたマリアは、手にしていた資料を静かに机へ置いた。
「はい。どうやら門番の中にサボる者がいたらしく……これは……」
マリアは眉間を押さえ、深く息を吐く。
「急に人を入れすぎたのがまずかったかしら」
鏡災で二つの有力貴族が壊滅した影響で、宮中の人材は不足していた。
その穴を埋めるため、後ろめたい経歴の者まで宮殿に採用せざるを得なかった。
今回の門番たちも、危険リストに入っていた者たちだ。
「彼らの身柄は?」
「はい、すでに拘束中です。
尋問も行いましたが……どうやら“ある人物”に買収され、
決まった時間に持ち場を離れるよう指示されていたようです」
「なるほど……毒は毒、ね」
マリアは宮殿内の人事に頭を悩ませながら、アイリスの次の言葉を待つ。
「彼らが消えていた時間に、宝物庫へ入り込んだ人物がいます」
「それは誰?」
アイリスが映像端末を操作すると、宝物庫の監視カメラ映像が映し出された。
そこに映っていたのは――見慣れた小さな影。
マリアは即座に命じた。
「優を連れてきなさい」
その頃、優は自室のベッドのど真ん中で、大の字になって爆睡していた。
アイリスに首根っこを掴まれたまま、
ずるずるとマリアの部屋へ運ばれていく。
頬をペチペチ叩かれても、優はまったく起きない。
怠惰のヴァッサル――久遠優。
彼はほとんどの時間を寝て過ごし、一度寝ると中々起きない。
ついに我慢の限界が来たのか、アイリスが優の耳元で叫んだ。
「起きろおおお優ううううう!!」
「ひゃーっ!」
優は飛び起きた。
自分の体が宙に浮いていることに気づき、眠気眼のまま呟く。
「いつの間に俺、浮遊魔法使えるようになったんだ……?」
ただ首根っこを掴まれているだけなのだが、
優はキョロキョロと周囲を見回す。
やがて視界に入ったのは、険しい表情のマリアと、
息を荒げて怒っているアイリス。
「え、俺なんかした?」
マリアは無言で映像端末を優に見せた。
「これはどういうこと?」
その声は低く、怒気を含んでいた。
優は一瞬で青ざめる。
「わーーー! 箱なんて盗んでない! 知らん知らんぞ!!」
「箱? 一言もそんなこと言ってないわよ」
マリアの冷静な指摘に、優の顔はさらに青くなる。
「そ、そうだ! キノコ野郎だ!
アイツが持って行ったんだ! 俺は盗んでないぞ!」
「キノコ野郎?」
マリアは首をかしげる。
映像には、男など映っていない。
ただ――
アイリスが映像を拡大し、眉をひそめた。
「……おかしい。優が、
誰かと“手をつないで”歩いているように見えるのに……相手が映っていない」
「まさか……レギス能力?」
レギス能力者――
ヴァッサルの魔力を契約によって使えるようにする“バイパス”のような存在。
アブレーション封じの領域術を扱い、中には特殊能力を持つ者もいる。
優は映像を見ながら叫んだ。
「あれおかしいぞ! キノコ野郎がいたはずだ!
そいつが箱を持ってたんだ! 俺の箱!!」
優は姿の見えない“キノコ男”に腹を立てていたが、
マリアは静かに呟いた。
「……映像にいない男」
マリアはすぐに、密かに信頼を置く者たちへ指示を飛ばした。
宮殿を出入りする全ての人間の足取りを洗い直し、
同時に“箱”の捜索を開始するよう命じる。
四日前――。
一羽の鳩が、天華の外れにある廃ビルへ舞い降りた。
その鳩を、小柄な影が素早く掴み上げる。
足に括りつけられた紙片を開いた瞬間、男の顔に歓喜の色が浮かんだ。
男は紙を慎重に精査し、場所の特定を始める。
二日後、ついに全ての情報が揃うと、男は大量の鳩を空へ放った。
廃ビルに、男の笑い声が不気味に響き渡る。
天華に巣食う闇組織――「煙突屋」
盗み、強盗、誘拐、なんでも請け負う盗賊団だ。
薄暗い裏道を、ひょろ長い影がふらふらと揺れていた。
ノッポの男――ジェフ。
間の抜けた顔に、洗濯という概念を忘れたような汚れたジャケット。
歩くたびに埃が舞いそうなほど不潔で、近づくだけで臭気が漂う。
その隣を、ずんぐりとした影がずかずか歩く。
ギョロリとした目が特徴のトムソン。
頭はつるりと禿げているが、身なりは妙に清潔で、
ジェフが近づくたびに露骨に顔をしかめた。
「キタねーんだよジェフ! 寄んなっての!」
「そんなこと言うなよトムソン……
近い方があったかいんだぁ……寒いんだぁ……」
ジェフが喋るたび、白い息がふわりと漏れる。
秩泉エリアの冬は雪こそ降りにくいが、肌を刺すように冷たい。
北風が吹くたび、ジェフの体はぶるりと震えた。
「うるせぇ! クセぇし!
お前いつ風呂入ったんだよ! 近づくなって言ってんだろ!」
怒鳴りながらも歩みを止めないトムソン。
二人は寒さに肩をすくめながら、裏道をとぼとぼ進んでいく。
「もうすぐクリスマスオだぜ……いいよなガキどもはよ。
親にいいもん買ってもらってよ……」
トムソンの愚痴は止まらない。
ジェフも同調するように、ぽつりと呟いた。
「チキン食いてぇ……」
その瞬間、ジェフの肩に一羽の鳩が舞い降りた。
右足には小さな紙片が結ばれている。
「おっ、依頼か?」
ジェフが紙を取ろうとするが、目を細めて首を傾げる。
「……俺、字読めないトムソン」
「わぁってるよ! 貸せ!」
トムソンが紙を奪い取り、読み上げた瞬間、顔色が変わった。
「げっ……幹部からの依頼だ! 行くぞジェフ、早い者勝ちだ!」
「トムソン、なんて書いてあったの?」
ジェフが慌てて追いかける。
「箱だよ箱! サタンクロースの箱だ!
これを手に入れりゃ、年末はいいもん食えるぞ!」
「うぉおおおお……チキン……チキン……!」
二人の叫びが、裏道に虚しく響き渡った。
そして――
天華の闇が、静かに動き始めた。
《聖遺物・サタンクロースの箱》
それは、12月25日の“クリスマスオ”の日にだけ開くことができる、
不思議な聖遺物だった。
冬の季節になると、ネオフィムのどこかに毎年ランダムに出現し、
「願いが叶う」
と噂されている。
ただし――
その力を実際に見た者は、誰一人としていない。
箱は封印され、厳重に保管されてきた。
なぜなら、その“願い”がどのような形で叶うのか、
あるいは本当に叶うのかすら、誰にも分からないからだ。
マリアは窓の外に目を向け、静かに息を吐いた。
「……よりによって、この時期に消えるなんて」
クリスマスオまで、あと二日。
孤児院への訪問も控えている。




