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一一章前節

 

 今はない景色を重ねる──。

 目の前に広がるは寒夜(さむよ)の砂漠。元来、死の大地と表せられよう地の一角に、深い緑が根差している。凍える夜の砂漠でも、汗も干上がる昼の砂漠でも、朽ちぬ緑。

「貴様はどう観る」

「さあ。バルァゴア様は、この森がそんなに気になるんですか。ただの森でしょう」

「観りゃ判んだよォ、そんなこたァな。砂漠だぜェ」

 バルァゴアの配下である女は、長い脚を砂漠に突き立てる。

「……ワシも何も感じません。不自然といえばそうですか」

「そういうこった。森を育むはずの大地の魔力を感じねェ。それがねェのに育ってやがるのはなんでだァ。貴様の住んでた場所と似たようなもんかァ」

 育つはずのない植物が育ち、流れるはずのない川が流れる。女の生まれ育った場所はそんな場所だった。

「ワシが調査するんですか。また最初の命令から逸れますが」

「パァス。オレサマの命令に従うっていったよなァ」

「無論です、完璧に従いますとも」

 女ラヴェイトパァスィア、愛称パァスはバルァゴアにお辞儀した。「なんなりと」

「なら頼んだぜェ、オレサマはオレサマで暇潰しに行ってくる」

「おや、」

 この地に潜んだ外来の魔物は自分とバルァゴアの二人のみであるから、単独行動が目立つ彼にパァスは一応待ったを掛けておく。

「ワシを独りにするんですか」

「独りでやれるだろォよ。遊んでる暇があるんだからなァ」

「罰でしたか。では理不尽なる独りでも我慢しますとも。バルァゴア様もお独りで寂しかろうことと思いますが何卒怺えてくださいね」

「オレサマはもとから独りでいいっつってんだろォが」

 パッと姿を消したバルァゴアに今一度お辞儀して、パァスは砂漠の森を見やる。

「さて……」

 調べろとの命令だが調べるということはあとあと破壊する可能性が高いということ。

 ……手間は省くに限るでしょう──。

 

 燃え盛る植物群、と、聞いて野焼きや山火事を想像することはあっても、植物の生態として生きていることを想定する者は少ないのではないか。そのすぐ脇を水が流れていれば、熱気に温められていることを想像すれども、まるで氷のように冷たいとは想像しがたい。人間ならばここには住めまい。パァスは、そこで暮らしていた。特に何をするでもない。燃え盛る枝を食べて氷のような水を飲む暮しだった。空はいつも暗く、植物群が星のように明るく、川水は赤く煌めいていて、不自由や過不足なくただ息をしているだけだった。

「来いって言ったのが聞こえなかったかァ」

「配下になれとまたぞろ仰る」

 岩のような大男を食べてやろうかとパァスは思った。何百回と訪れるものだから煌めきが黒く淀んだようで鬱陶しかったのである。

「あなた様は、ワシをここから追い出したいんでしょう」

「だなァ。ここの植物群を刈りてェんだよォ」

「させません、と、申し上げましたがご立派なとんがりお耳では聞こえませんで」

「必要なことしか入ってこねェんだよォ」

「ご迷惑なお耳ですねぇ。煩わしい岩男ですよ」

「岩男は別にいるから被せんなァ」

「類を呼んだんでしょうどうぞそちらと仲良くしてくださいさようなら」

「貴様こそ枝みたいな細ェ体しやがって。ちゃんと食ってんのかァ」

「ご迷惑なお耳と連動したお眼で変なとこ気にしますね」

「貴様は食ってねェからそんな体なんじゃねェのかァ、と、思ってよォ」

「食べてはいますが恐らくあなた様ほど雑食じゃありませんとも」

「じゃあどんなもん食ってんだァ」

 大男は、言った。「ここら一帯のもんが貴様の食いもんってことは判ってるァ。けどよォ、それだけでもねェんじゃねェのか」

「……」

「貴様に取ってここはなんだァ。ただの食いモンか。住処か。それとも別のもんか」

 魔物である自分にその概念があるか。いつの間にかここにいて、息をしていた。ここを手放せない。何を満たしているのか、パァス自身が判らないが、ここは確かに何かを満たす。

「だんまりでもいいぜェ。オレサマは何回でも来てやる」

 言葉通り、そのあとも大男は何回も訪ねてきた。くだらない雑談を一方的に持ちかけることもあれば、何も話さず帰ることもある。彼には圧倒的な力があるのに、パァスを葬って植物群を強奪しようとはしなかった。その行動は不気味だが、パァスは心地よくもなっていた。身を焼くような炎と胸を凍えさせるような冷水。どちらも他者を退けたためパァスはずっと独りでいて、言葉を交わした他人は彼が初めてだった。

 凍える胸に火が点いたようだった。

「──、一つ、訊きましょう」

「なんだァ」

 パァスは、大男の真意を知りたかった。

「ワシはあなた様より弱いと認めましょう。ワシからここを奪うこと、ワシを捕食すること、いずれの行いもあなた様にすれば児戯に等しい。なぜ、それをしませんか」

「貴様の強さが知りてぇ」

「ご迷惑なお耳ですね、ワシの話を聞いていなかったんですか。ワシはあなた様より弱いと申し上げたんです」

「だったら貴様はなんでオレサマに従わねェ。おかしいじゃァねェか、オレサマの力を認めてるんだろォ。なら従えァ」

 強い者に従う。弱い者は虐げられる。魔物の世界は極めて単純明快である。それゆえに、大男の思考はそこいらの魔物より複雑でもあるようだった。

「従わねぇのは、貴様が強ぇからだぜ」

「……ワシは弱いですとも」

 パァスは何度か魔物を捕食したことがあった。あまりのまずさに吐き捨てた。湧き出した嫌悪感が粘膜をのたうつような味だった。森林を口直しとした。

「貴様の質問は終りかァ」

「ええ。力を求めるのみのあなた様の配下になりたいとも思いませんし、ここを明け渡す気もやはり湧きません」

「さっきの質問でそこまで見定められるもんかァ」

「ワシには充分でした」

 自己完結だがもとより独り。他者に答を求めては息もできない。

「こっちからも訊くぜ」

「なんです」

「貴様は強ぇ。それを認めねぇのはなぜだ」

「独りなだけですよ。それを強さというなら、あなた様は弱いということにもなります」

 強引であろうと大男は配下をつけている。それがなぜパァスに判るかといえば、長い孤独、外敵を気取る感覚が鋭敏だったからである。パァスのもとを去った大男は他者を従えて何やら事を起こそうとしている。

 が、大男も一つ、孤独ではあったのかも知れない。

「オレサマも独りだぜぇ。ちょっと触れりゃ、消えやがる──。どいつもこいつもオレサマを見りゃビビりやがって、つまらねぇ」

「(消える……。)そんな爪を伸ばして触れられたんじゃ皆皆さん大変でしょうね、恐ろしいこと請け合いですとも」

「勝手に伸びるもんにビビってんじゃねェよ。オレサマは頭も搔けやしねェで面倒くせェったらねェ」

 一〇本の爪をパキパキ割った大男。

「ポイ捨てしないでくれますかねぇ」

「貴様はよぉ、ここにいるから強ぇ」

「あなた様は、はぁ……」

 パァスの言葉を無視した大男の話は、先程の答の補足であった。

「そうだって解るからよ、奪わねぇ」

「こちらの考えはとうに伝えましたが」

「問題ねェよ。オレサマは奪うと決めてる。貴様をオレサマの配下にしてやる」

「断ります。いうことがちぐはぐになっていますし、そのような聞く耳持たずでは皆が恐れるのも致し方ないですとも」

「そうかァ」

「そうですとも」

「そうかァ……」

 それで何が変わるでもなかったが、そのときの彼は熟考するように瞼を閉じていた。

 次に彼が来たとき、様相が変わった。

 植物群が凍え、川水が蒸発したのである。パァスが見ぬうち、ほんの一瞬に起きたことであった。姿を現した大男がその鋭い爪に雫を凍らせていた。

「……何をなさいました」

「手間は省くに限るぜェ」

「手間、とは」

「強者を従えるには屈服させる。それだけのこと。難しく考える必要はねェよなァ」

「……申しました通り、ワシは弱い。ここを引き渡す気も湧かないとも。ご迷惑なお耳が過ぎますとお命が危ういですよ」

「やっとやる気になったかよぅ」

「消え失せなさい」

「ッ!」

 大男の胸に一穴。では、済まない。その体躯に無数の穴が空いて散り散りになった。パァスの前から消え失せた大男が、──後ろにもいた。

「まァ、その力は読んでたんだがなァ」

「……やはりいますか。ご迷惑なお耳のはずですよ」

 一部魔物は自分の分身を作れる。パァスが斃したのは大男の分身でしかなく、本体ではなかったということ。

「分身は複雑な思考が苦手なんでしょう。スライムなどを観ればよく判りますとも、本能しかない、──あなた様もそうであることにもっと早く気づくべきでした、ワシの隙を狙っていたということでしょうからねぇ」

「隙だァ。んなもん狙う必要もねェだろォ、触れりゃ消えちまうんだろうからよォ」

「……そうでしょうとも」

 消える。光の粒子となって。「ならばとっとと消してもらえますか……」

 体が傷ついたのでもないのに、胸が重く、苦しい。

「もう、息をするのもつらいんですよ」

「心臓取られたみたいなこというんじゃねェよ。貴様は生きてるじゃねェか」

「……ここを離れて生きる術などありませんとも」

 パァスは、燃える枝も、凍える川水も、食してきた。どちらも体を満たしてくれた。いや、魔物の自分にあるか定かでない、心というものがあるならば、きっとそれこそを満たしていた。

 大男がなぜ突然に強行手段を採ったか、パァスは疑問に思った。燃える植物群を求めていた彼が、その植物群を台無しにし、刈りもしないことが大きな違和感である。

「あなた様の本当の目的はなんですか。植物は見ての通りですが」

「燃えてもねェ植物なんざ土塊同然、無価値だなァ」

「……穴を空けますよ。目的は」

「貴様がここを離れたくねぇみたいだったからよぉ」

「なくなれば離れると。そして、あなた様の配下になるとでも」

「いぃやぁ」

 大男が、発した。「いつでもオレサマを食え。ここの代りだ」

 パァスはまじめに首を傾げた。

「何を仰っているんですか」

「大まじめだぜぇ。貴様は失われるものに重きを置いていた。んなことして自分の可能性を狭めてどうすんだぁ」

「……」

 可能性。「ワシに、どんな可能性があると」

「配下として、貴様はオレサマの前から消えるんじゃねぇぞ」

「──ご迷惑なお耳ですねぇ」

 今の大男からは感ぜられない胸のうち。そこには煌めくような機微があるのかも知れない。だからパァスは、

「いいでしょう。あなた様が全てを失うさまを横で見られるよう、ついて参りますとも」

 大男バルァゴアの配下となることを選んだ。

 

 ──乾いた大地と、潤った緑。

 ……次は、ワシの手で。

 配下でなかったとしても、パァスは、バルァゴアの命令に副ったと断言できる。

 ……さあ、新たな可能性を、見つけに参りましょう。

 両手を合わせて出現させた流動的な二つの速球を、森に差し向けた。

 

 

 四五年間の努力の結晶がたった一夜で失われるとは、大神凰慈は思いもしなかった。

 砂漠県に根づいた緑が枯れ果てた。事態を聞き、遠見で確認してから三日間、大神凰慈は全土の八百万神社への通達や現地視察に忙殺された。森林の中にいくつか設けた詰め所には緑化の関係者が交代制で寝泊まりしていたが、たった一夜の出来事を目撃した者はおらず、奇跡の緑化から逆戻りの砂漠化だった。

 ……何が起きた。

 みんな、同じ言葉を口にした。

 事が発覚した朝、原因を推定した。

 ──植物は熱湯をかけると枯死しますよね。

 とどのつまりそういうことらしい。寒暖差の激しい砂漠の気候に耐え、想定される冷水・熱水への厳しい耐久テストをクリアした植物で成り立っていた緑地だった。急激な豪雨や暴風、巻き上げられた海水で起こる塩害、増水による堤防決壊、吹き飛ばされた自然物・人工物による二次被害など、自然相手にまま起こる想定外が起きたのだろう。想定外の熱水が緑地に流れ込むことも起こり得ないわけではないだろう、と、専門家が一番に疑って水路の水を確認したが想定内の温度で、想定外の熱水の痕跡をつけられなかった。また、全植物を枯死させるには熱水の量が足りないと推察され、量があっても地中全域を流れなければならない。そんな現象が起きたら気温・湿度の急上昇を観測できるはずだが目立った異常はなく、詰め所のひとびとも環境変化を感じていなかった。

 だから、原因は推定できたのに何が起きたか判らない。

 一夜で全滅したことがさらなる謎であった。範囲が広く人為的だったとしても国家レベルの組織的犯行でなければ一夜で終えられる仕事ではなく、視覚妨害や幻影の魔法を用いても魔力反応が大規模となり目立つためこれはあり得ない。無論、熱水以外、例えば灯油や除草剤、塩水などを用いた枯死も疑われたが一夜で全滅させることができたとしても痕跡の分解や除去を行う時間が全く足りない。

 ……レフュラルどころかテラノアですら今は穏やかなものだ。

 他国への破壊工作を行うことが自国の利益になるとは、両国現国王がもはや考えていない。先代までの戦争思考はとっくに消え去っているのである。

 休みなき日曜日。同じことが起きたら働きが無駄になると考えて、大神凰慈は竹神音を訪ねた。二週連続で訪ねたのは初めてかも知れない。立場を隠して接触するには日を空ける必要があったが今回はそうもいっていられない。

 竹神羅欄納が微笑で迎え入れてくれたのはよかったが、今日は竹神音羅、竹神納雪ら揃って出掛ける様子がなく、大神凰慈は竹神音に対して何を言葉にしていいか迷った。竹神音以外、大川雛子と信じているからである。

「ボランティアのみんなはどうしとるん」

 と、竹神音が機転を利かせてくれたから、緑化活動に参加している体の大川雛子として、内心は大神凰慈として口を開くことができた。

「ええ、まあ、最低よ、最悪よ……、ぼろぼろで」

「八百万神宮のお偉いさんが種を見つけてあれだけになるまでに四五年やもんね。ニュースで観て俺もびっくりしたわ」

「あたしも天地がひっくり返ったような気分。あんなことになるとは思いもしなかったもの」

「控えの種苗はあるんやろ」

「研究所のほうでサンプルとして保存してあるものや次に植えるものを用意していた。そういう意味での絶滅はしていないけれど、育った土壌や微生物の生態が崩壊したはず。振出しは、やっぱりショックよ……」

 幸せが逃げるとよくいわれるがどうしても溜息が出る。これ以上ないほど深深と。

「羅欄納、ちょっと買物お願いしていい」

 と、竹神音が唐突に言い出して、キッチンの竹神羅欄納が顔を出した。

「昼食のご要望ですか」

「デザートかな。どうせ相末君も来るやろうし、雛子さんとほかのボランティアにあげる手土産を作ってくれへん」

「おや、大量のご注文ですね」

「一〇〇〇人前とはいわんが一〇〇人前くらいなら二人で持ちきれるやろう」

「オト様が運ばれるのですね」

「音羅と納雪に買物や調理を手伝わせて家庭的経験値をプレゼントしてね。作らん俺が届ける役回りってことで分担やよ」

「畏まりました。雛子さんの予定もあるでしょうから早いうちがよろしいですね」

 予定にない訪問も嫌な顔ひとつせず受け入れてデザートまで作ってくれようとしている竹神羅欄納に、大川雛子は頭が下がる思いだ。

「いいの。作るの大変そうよね」

「お任せください。新鮮な野菜のデザートを作りましょう」

「ベジスイーツっ。(栄養への気配りまで、)さすが羅欄納サンね。是非お願いしたいわ」

 心持のみならず大川雛子は頭を下げた。ここに侍従がいようものなら頭ひとつ下げることも許されないが一人のときなら構わない。

 竹神羅欄納が娘二人を連れて買物に出掛けると、竹神邸は竹神音と大神凰慈の二人きり。家族を見送った竹神音が本棚から落書き帳を取って席に戻り、テーブルに置いた。

「そちらは」

「お前さんのほしそうなものを描いてある」

 竹神音が頁を捲ると、少しダーティな美女の絵が現れた。

「……備考がびっしり。字形からして、夜月さんですか」

「夜月の見かけた妙な子を描き起こしたんよ」

「羨ましい脚ですね」

「短足の多いダゼダダで雛子さんのは嫌みっぽいよ」

「であればいっそ、幼婆(ようば)などといわれない上体の恰幅も手に入れたいです……」

 大川雛子として働いていると突き刺さる目線が多多ある。それに対する侍従の殺気を悟られても困るので大神凰慈として平静を保つが。

「童顔のせいやないの。体が若いのはいいことやよ。こうしてグータラしとってもある程度は体が動くし得することも多いやろう」

「女性受けが悪すぎて……」

「同性が好きやったか」

「進んで嫌われたくはありませんよ。余談はさておき、この女性は誰ですか」

「名前不明。正体不明。やけど、捜索してほしいんよ。この子は魔物やと考えとるから」

「それすなわちバルァゴアと繫がっている魔物ということですね」

「そう」

 竹神音はやはりいろいろと知っている。遠見や侍従を使ってダゼダダ全土のありとあらゆる情報を集めている大神凰慈ですら知らない情報をいつの間にか手に入れていた。

 記された文字の一部に大神凰慈は目が留まった。竹神音の字で〔別働隊〕と。

「本隊でない理由を聞きたいです」

「戦闘能力で本隊・別働隊を分けとる前提での推測やよ。どちらも強いが比較すればバルァゴアのほうが上」

「潜伏するような活動であれば知力が問われるでしょう」

「その点でもバルァゴアのほうが上やと思うがね」

「そうなんですか」

「ま、それは勘だが」

 本隊・別働隊の違いはこの際たいして違わない。なぜならどちらも行動が摑めておらず、目的さえ不明だ。

「臨機応変に行動しやすくなるから、本隊・別働隊の区別はなく二人で一つのチームと考えたほうが無難かも知れんね」

「二人以外に魔物はいないと仰る」

「一応」

「一応」

「ほかにおらんこともないが、そっちは俺を狙って来とるから気にする必要はないよ」

 そんな魔物がいたのか。

「来たる防衛に差支えは」

「あっても俺がないことにする」

「魔物同士で結託する危険性はないと」

「それはないな。今のあの子は沼に嵌まっとるから」

「沼……」

 なんのことか定かでないが、あの子という他称は聞捨てならない。

「知性ある魔物とあなたは以前から知合いだったわけですね。それで、テスムナなどの情報も得ていた」

「知合いというのは否定せんが情報は別ルート。手脚と一緒にするな」

「……申し訳ございません」

 手駒にしたいわけではない。ましてや持っている情報を彼が明け渡すことは当然などとも大神凰慈は思っていない。が、彼の意志を無視したような言い分を含んでいた。彼がそれを指摘したのは、そんな言葉を受けて怒り心頭に発したというより大神凰慈の無自覚の姿勢を正している。だから、

「見通しの悪い展望では国は動けん」

 と、彼は言った。

「あなたは、先の見えない暗闇ではありません。私に取っては」

「お世辞までにしときぃ。一時的に協力しとるだけやし、国の命運だの存亡だのに巻き込まれるのは願い下げやよ。兵器みたいやからな」

 気を害したからでもなく、彼はずっとその立場であるから改めてそう言ったに過ぎない。社会的立場や観測と自己の立場や信条を分けつつ同時に話しているのが彼であるから発言が複雑だが、要するに、「大神凰慈が個人に頼る状況はなかった」と今後も主張し続けることを明示してくれているのである。

 彼の話の要点を信ずるなら、こちらが必要ならバルァゴアと絵の女性以外の情報もくれるだろう。彼との協力態勢は信頼第一。大神凰慈は積極的に魔物の調査をしてゆく予定があるので今は彼がくれた情報に集中する。

「この女性は、魔物なんですよね」

「俺の勘ではね」

 その勘と同じものだろうか、大神凰慈も勘が働く。

「ひょっとすると、この女性は過日のモデル殺害の犯人、いや、被疑者ですか」

「事件を知っとったか」

「あらましは」

 事件の猟奇性と異質さを知っていたから、同じ勘が働いた。

「警察官も犯人をまともに観ていなかったはずです。夜月さんはどうやってこの女性を」

「事件の日、駅近くのスーパ脇で見かけたらしい。お前さんも感じた通り体のバランスの違和感や、実際に目にしたときの感覚で印象に残ったんやろう。そのとき被害者岡畑真奈は接触しとらんかったがマークされたんかもね」

 岡畑真奈はA級の魔力を持っていたと大神凰慈は聞いている。F・E・D……と、下から数えればA級も高等に感ずるが、上にはS級がおり、S級にもピンからキリまで存在する。

「A級有魔力を襲うなんて妙ですよね。しかも右腕だけ奪っていったなんて。これまではS級の有魔力が狙われていましたし」

「魔力レベルは人間本位の見方やから魔物側は大して差別化しとらん可能性が高い」

「だとしても、事実を捉えれば遺体のないS級有魔力はまるまる捕食されたはず。岡畑さんが奪われたのは右腕のみ。結果として魔力も一部しか吸収できない……。これまでの犯行と岡畑さんへの犯行、同一の魔物によるものとは考えにくいです」

「実際そうやね。俺が遭遇したときバルァゴアは誰かを捕食したあとやったし」

 敵性分子の目的を摑むためその悪行を看過することを敵性行為とまでは言えないが、

「なぜそれを仰らなかったのですか」

「自然淘汰やから」

 果ては星の生き死にまで及ぶ自然環境の循環。そんな広い視野があるなら彼のような考え方に行きつくのだろうが大神凰慈の視野は惑星アースの上の人間とその生活が限度だ。

「前回は佳乃さんがいたのでいえませんでしたが、バルァゴアやこの女性などがずっと前から動いていたなんてこと──、ありませんよね」

「当時の、葛神(かつみ)()次期当主のことやね」

 竹神音はやはり知っていた。

 大神家を支える巫女家系の一つ、葛神家。その次期当主が三〇五〇年に行方不明になった。国内で発見されず、渡航履歴がなく、大神凰慈の遠見でも見ることができなかったため、どこかで亡くなっていると推察できた。

「バルァゴアやこの女性による、第一被害者かも知れません」

「行方不明って点で結びつけるなら年間数万人規模で被害者が増えるね」

「……強引でしたか」

「遠見を試した上やからそう思ってまうのも無理はないけどね」

「理由が別にあるということ──」

「原因を掏り替えたいくらい重いことは、解るよね」

「……はい」

 葛神家などの巫女家系が一二〇〇年ものあいだ守ってきたものがある。ダゼダダ国民なら常にその恩恵に与っている日照緩和の魔法〈遮陽〉だ。誰に褒められることもなく何千万人という人間の日常を密かに守ることのプレッシャは同じ立場にならなければ理解できまい。巫女家系に連なる竹神音は役目と責任の重さを、捉えている。

 葛神家次期当主は、恐らく自死。そういうことだ。

「(これは、大神家が負うべき責任だ……。)脱線して申し訳ございません。八人を捕食したのがバルァゴア、岡畑さんの右腕を奪って恐らく捕食したのがこの女性ということですか」

「俺の勘違いで人数違いなら逆もなくはない。状況変化に対応して二者が行動をともにしとるなら、夜月がこの子を見かけた日にバルァゴアも側におったはずやから。まあ、推定魔力量から察するにバルァゴアのほうが大食いと観ていいやろう」

 大神凰慈はうなづいた。前の八人をバルァゴアが、岡畑真奈をこの絵の女性が、獲物としたと考えるのが妥当である。

「被害者ですが、今のところ九人にとどまっているのが救いです。今後増えないとはいいきれませんが今のうちに手を打ちたいです」

「そのためのこの絵やよ」

「最初に仰っていた捜索願いに、ここで繫がるわけですね」

「遠見で追えへんかな、とね」

 あれからバルァゴアは追えず終いだったが、この女性も加えれば単純計算で二倍の検索率。大神凰慈は早速、絵の情報を基に遠見を開始した。

 ……っ。

 見えた。

 日差の強さからしてダゼダダ国内だろう。傍には誰もいないようだが絵に酷似した女性が瞼に見えた。足下は砂地。砂漠県か。

「見えました、絵の女性です」

「場所は」

「影の角度から、砂漠県の西部から北西部でしょう。視界の隅、何か来ますね」

 遠見を継続して、竹神音に伝える。「バルァゴアです……」

「現れたか。この子は魔物で確定かな」

「現段階では〈魔人(まじん)〉とも考えられますが」

 魔物の穢れに汚染されて魔物化してしまった人間をそう称する。魔人をもとに戻すことはできず、魔物と同様に凶暴性を持つため、世界の法が討伐を許している。広域警察と連携する運びの大神凰慈達はこの女性を討伐する方向で考えることになる。

「バルァゴアが何か話しかけています」

「読み取れる」

「やってみます」

 遠見の範囲内なら視点を変えられる。背中を向けている女性は除外してバルァゴアの口許をクローズアップ。

「〔──から、やりすぎだ。ふざけているのか〕

 ですかね……、仲間割れでしょうか」

「続けて」

「はい。……、

〔まあ、いい、ここにはないらしいとは判断がついたからな。もっと広げるか〕

 何かを、探しているようですね」

「それがバルァゴア達の主眼か」

 潜伏活動で探す何か。それは強力な有魔力個体ではなく別のものだ。有魔力個体が目当なら捕食に加えて拉致するなど手段が増える。その結果、ダゼダダでの行方不明者がもっと増えていたはずである。

 視点をやや引いて女性も視界に入れると、大神凰慈は竹神音を窺う。

「いまさらですが、魔物が私達と同じ言語を有しているのは不思議ですね」

「神話の延長線上が現代なのかもね」

「『創造神話』における、創造神アースによる言語の統一ですね。ひとびとの交流を活性化させ文明発展を促す説、言葉を同じくしているがゆえに明確化する行き違いによって争いを根深くする説など、解釈はさまざまですが、原文には理由は書かれていませんね」

「理由はどうあれ今は助かる」

「ええ」

 言葉の意味が解れば目的を摑むこともできる。

 大神凰慈はバルァゴアの言葉に注目する。

「『やりすぎだ』とは、植物群のことでしょうか」

「目立った活動は捕食とそれくらいやし、場所が砂漠県ならその可能性は高いな。緑化地帯に目的のものがある可能性を見出し、バルァゴアがこの子に探らせ、『ないことが判った』。咎めたのは、破壊の痕跡が目立ったことやろう」

「意味は違えども咎める点は私も同じです。いったい何を探しているのでしょう。魔物がダゼダダで探すものなんて想像がつきません」

 明け渡せるものであるなら即刻明け渡して退場を願う。が、肝心のモノが判らない。ひとを捕食する魔物が相手であるから、「モノ」が無機物か有機物かすら不明である。

「うまく口走ってくれないでしょうか……」

「俺が接触して喋らせるって手はどうかな」

「賛成しかねます。二者とも魔力を潜めている」

「遠見でも判るん」

「現在のことであればありんこ一匹の魔力でも観えますよ」

 魔力を捉える眼が遠見に反映されているからそれが可能だ。「周囲に誰の気配もない。接触すれば、こちらに二者を探る手段があることをみすみす伝えるようなものですよ」

「雛子さんが危険やもんね。控えることにしよう」

「解っていて仰っている。おひとが悪いですね」

「話は続いとるん」

「……ええ。聞きますか」

「なんのための遠見なん」

「本当に、おひとが悪いです」

 大神凰慈は読唇術が得意というわけではない。バルァゴアと、横向きになった女性の言葉をできる限り読み取り、口に出す。

「〔──から、バルァゴア様について参りますとも〕

〔ひとりで行け。貴様はいつもべたべたしすぎだ〕

〔そんなことありません。ワシ──〕

 儂って」

「こら、こら、ツッコミ不要やよ」

「失礼しました……。

〔──ワシだってひとりでいたいこともありますし、命令を受けてのことですとも〕

 彼女は単独行動なのでしょうか」

「みたいやね。それと気になるのは、バルァゴアを仰ぎつつもバルァゴアとは別に命令を受けた立場。指揮系統が定まっとらんのか、もとから複数の命令があるのか。この子が現場指揮者なのか、結構な三下って可能性もあるかな。『魔力の強さイコール立場』って単純な階級社会ならこの子が現場指揮者とは考えにくく、三下と判断できる。また、そういった組織の成員に組み込まれとるならこの子は魔人じゃなく魔物と観ていい」

「そうですね、可能性の段階ではありますが……。続けます。

〔──て、ますので、とりあえず、別に動きますが、おひとりで大丈夫ですか。ワシはひとりで寂しいですよ、ええ〕

〔ぱーすー、いい加減にしろ──〕

 ん、パースー、ぱぁすぅ、ってなんでしょう」

「名前かもな、この子の」

 竹神音が指でトントンと絵をタップ。「バルァゴアは銅鑼声で語尾が間延びする癖があるみたいやったから、備考には『パァス』とでも加えておこう」

「お願いします。──」

 引続き遠見をしたが魔物側の現勢力が二人のみということ以外に大きな情報はなかった。仮称パァスとバルァゴアがぐだぐだ話すばかりであったから、魔物も他愛のない雑談を交わすことがある、と、異文化交流的な情報が手に入ったといえなくもないが、

 ……いったい何が目的だ。

 肝心なことには靄が掛かっているようだ。

 肝心な、こと。

 難解な謎を解く刑事や探偵とは真逆だろうか、現代の靄との些細な同期をきっかけとして目に留まることがあった。

 ……五〇年、靄が掛かったままのこと、いや、靄を掛けていたことがある。

「どうかしたん」

「私の靄を、見つめ直していました」

「ふうん」

 ……。

 八百万神社の巫女家系による封印を竹神音が退けたとの報告が、桜神(おうみ)(いたし)からあった。

 ──あやつの憶測は姑息なれど神通力に通うもの。危うく、また、価値もありましょう。

 当時一〇〇歳に迫っていた桜神甚が竹神音の一側面を認めていた。別の側面では、古い約束事が筒抜けであることに、恐れをいだいてもいた。

 桜神甚は敵を作りやすい性格をしているが大神家を支える者の一人だ。竹神音との対面から約五〇年、次代の育成にも積極的な彼女が安心して働ける、あるいは、安心して旅立てるダゼダダにしておきたい。

 大神凰慈は席を立ち、頭を下げる。

「音さん、申し訳ご──」

()()、」

 竹神音が遮った。「と、主語をはっきりさせん辺りに驕りを感ぜんわけじゃないが、その話は五〇年前封印と一緒に粉粉にしたよ」

 察しのよさに甘えてしまう前に大神凰慈ははっきりさせようと顔を上げるが、彼のほうが早い。

「雛菊鷹押じゃないが力を持つと狙われる」

「──はい」

「ここまで察しとって水に流すと言った。この話は、もうやめよ」

「……、……はい」

 大神家はかつて言葉真家の持つ力を欲して政略結婚を企んだ。巫女家系である竹神家から言葉真家に血を分けて企みを遂げた。それが、竹神音の母竹神銓音が言葉真家へ嫁いだ理由だ。それがなければ竹神音はこの世に生まれることがなかった。少なくとも〈言葉真音〉として言葉真新家の夫婦が授かることはなかった。自分に纏わるあらゆる出来事の起源がそこにあるがゆえに、竹神音はその件を怨んでいる。五〇年も前にその話は終わったというのが彼の言い分だが、そうだろうか。

 ……私の話を遮るなんて、急ぎでもなければないのに。

「謝らせて済むなら謝らせるよ」

 竹神音が微笑した。「ただね、これはもう、俺だけの問題やから」

「……心の、問題」

「過去を消すことはできん。かといって善行を積もうとする意欲があるわけでもない。そんな俺を求めてくれるひとがおったから。起源は大事やけどそれに固執するのは脳足りんやん」

 大神家の企みを水に流し、巫女家系の封印を意に介さなかったのは、竹神音が着実に歩んでいるからだった。

「大神家系も固執から脱する日が来るといいね」

「……ありがとうございます」

 起源に苦しみ、家族に苦しみ、死を求めたことすらあった彼の言葉を、大神凰慈は重く受け止めた。ひょっとすると葛神家次期当主を竹神音が、と、疑ったこともあったが、

 ……甚さん。私達はとっくに危機を乗りきっていたようね。

 竹神音を危険視する必要など皆無だった。五〇年前のあの日、いやそれ以前、竹神音が、聖羅欄納と結ばれた日から。

「納雪の気配がするからもうすぐみんな帰ってくるね」

 大神凰慈は右眼でバルァゴア達を捉えつつ、竹神音に左目を向けた。

「観察を続けます。庭から出てそのまま緑化活動に戻りますね」

「ん。デザートはあとで俺が届けよう」

「ありがとうございます。情報の件も、改めて感謝致します」

「俺が仇をどうにかする。娘との約束やからね」

「そのときもよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 大神凰慈はうなづき、玄関の靴を持ってきて南の大窓を開いて庭に出た。

「失礼致します」

「ん、またね」

 手を振る竹神音にお辞儀して大窓を閉めた大神凰慈は、家族の帰宅に合わせた竹神音の合図で立ち去った。

 ……パァスが植物群を。

 パァスを捕まえれば同じことは起きないと推測できる。バルァゴアも遠見で捉えることができたのでこれからが大仕事。バルァゴアとパァス討伐または放逐のための準備と緑化活動を併行する。先日の協力要請に応じてくれた広域警察本部署長天白和にバルァゴアの人相は既に伝えたが、パァスの人相と魔物側の現勢力を伝えておかなければならない。同時に、八百万神社全体にも人相書きを共有する。防衛に協力的な相末防衛機構開発所にも天白和から一報を入れてもらおう。

 見つけたもの・見つめた状況を一つ一つクリアして着実に歩んでゆかなければ、緑は本当に絶えてしまうだろう。

 ……守るために、育てるために、また歩き出そう。

 

 

 

──一一章前節 終──

 

 

 

 

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