第五十二話:東海道富饒の大路
第五十二話:東海道富饒の大路
境川の対岸に集まった三千の民兵が、刈谷の城門を閉ざしたまま三日間を耐えた今川軍の前から退き去ってより、半年。
永禄十一年、秋。
東海道には、かつて見られなかった賑わいが広がっていた。
三河の岡崎から、遠江の浜松、掛川を経て、駿河の府中――駿府へと至る道。その街道を、荷を積んだ牛馬や荷車が、朝から晩まで行き交っていた。
かつては道ごとに土地の領主が通行の銭を求め、領境を越えるたびに荷を改められることもあった。戦乱の折には野盗や落ち武者が旅人を襲い、商人たちは護衛を雇い、損失を見込んで品の値を定めねばならなかった。
それが、今川領の街道では少しずつ変わり始めていた。
道の崩れた箇所は人足を出して修繕され、雨水が溜まる場所には溝が掘られた。宿駅では馬を替え、旅人は休み、荷を運ぶ者は次の道程を確かめることができる。道沿いの井戸や宿も、通行人が増えるにつれて整えられていった。
何より、商人たちの顔つきが違っていた。
「道を空けてくれい! 伊勢から運んだ木綿じゃ。駿府で荷を下ろさねばならぬ!」
「こちらは京からの小間物よ! 荷を濡らすでないぞ!」
馬子の掛け声、車輪の軋む音、牛馬のいななきが街道に絶え間なく響く。
伊勢の木綿、美濃の紙、近江から運ばれる米や雑穀、若狭の海産物。さらに堺を経由して入る異国の品々まで、商人たちはそれぞれの荷を携え、東海道を行き来していた。
東から西へ向かう荷には、遠江の塩や駿河の茶、各地で集められた工芸品がある。駿府や掛川で荷を替え、別の商人へと売り渡される品も少なくなかった。
荷は一つの町で売り切られるとは限らない。ある土地で買い付けた品を別の土地で売り、その代金でまた別の品を仕入れる。商いが幾度も繰り返されるたび、道沿いの宿や馬借、荷役の者たちにも銭が落ちた。
街道の賑わいは、ただ商人だけを富ませていたのではない。
その変化を生んだのは、尾張の織田信照が広げた通商の道と、今川軍の武威を背景に鍋蓋翔次が整えた領内の市場であった。
信照の保護圏では、盟約を結んだ土地や街道において、従来の関銭や通行の妨げとなる取り立てが抑えられつつあった。土地ごとに事情は異なり、すべての道が同じ仕組みに従っているわけではない。それでも、以前より少ない負担で遠くまで荷を運べる道が増えたことは、商人たちにとって大きな利であった。
その道を通り抜けた商人たちが、次に目指す場所の一つが今川領だった。
駿府、掛川、岡崎などに設けられた公認の会所では、商人たちが取引の場を得ていた。今川家は、会所の管理や荷の扱いについて定めを設け、争いが起きれば役人を通じて裁定した。商人の身体や荷を守ることも、領主の務めとして徹底されつつあった。
もちろん、今川領に入れば何もかもが無償になるわけではない。会所の利用や荷の保管には定められた費用がかかり、取引に伴う負担もある。だが、何者がどれだけ取り立てるか分からぬ道に比べれば、あらかじめ定められた負担の方が、商人にとっては計算しやすかった。
さらに、駿河の茶や遠江の塩といった品々が、遠方の商人たちの関心を集めていた。駿府で荷を売り、帰り荷として茶や塩を仕入れる。あるいは、別の土地で売る品を求めて、掛川や岡崎へと足を延ばす。
商人たちは、戦の勝敗ではなく、どの道を通れば利益が増えるかを考えるようになっていた。
「信照殿の道で余計な取り立てを避け、駿府で荷を売る。帰りには茶や塩を仕入れて、また別の土地で売る。道中が無事であれば、それだけ商いの手が広がるというものよ」
駿府の会所で、堺から来た商人が満足げに語った。
「戦が起きれば、道は塞がり、荷は失われ、品の値も乱れる。商いをする身には、敵味方の名分より、明日も道が通れることの方がありがたいわい」
その言葉に、居合わせた商人たちが頷いた。
信照の通商圏と今川領の市場は、同じ仕組みではない。片や盟約を通じて通行の自由を広げ、片や領主の責任で市場と治安を整える。だが、その違いがかえって互いの不足を補い、東西を結ぶ商いの道を育てていたのである。
神無月の半ば。
駿府の今川館、奥御殿。
太守・今川治部大輔義元は、机の上に積み上げられた出納帳や市の記録に目を通していた。広間には、翔次をはじめ、岡部元信、三浦上総介、朝比奈泰朝ら重臣たちが顔を揃えている。
義元は一冊の帳面を閉じ、白扇で表紙を軽く叩いた。
「……翔次よ。この秋、駿府の会所をはじめ、遠江、三河の市や宿駅から納められた銭は、出兵を重ねておった頃に比べて大きく増えておる。市の記録を見ても、荷の出入りは年々増すばかりじゃ」
「ありがたきことでございます」
「しかも、商いの増えた分だけ、宿や馬借、荷を扱う者たちの稼ぎも増えておる。市に集まる品が増えれば、町の者が商いを始める機会も増す。銭が動く場所が、駿府ばかりでなく、掛川や岡崎にも広がっておるのじゃな」
義元は、満足げに目を細めた。
「以前は、尾張へ兵を出すたび、兵糧を集め、馬を揃え、武具を整えねばならなんだ。戦が長引けば、蔵の銭は減り、百姓は田畑を離れ、商人は道を避けた。勝ったところで、得た土地を治めるために、また銭と兵を要する。……戦とは、まことに銭のかかるものよ」
その言葉に、元信が重々しく頷いた。
「前線でも、それは身に沁みておりまする。かつては兵を動かすたびに、兵糧の手配や道の確保に追われておりました。今では、境川を挟んで尾張の者たちと槍を交えることも、ほとんどございませぬ」
元信は、思い出すように笑った。
「刈谷や逢妻の近くでは、今川の領民と尾張側の商人が、互いに荷を持ち寄って売り買いしておりまする。国境の見回りに出ても、以前のように互いを敵と決めつけて睨み合うばかりではござらぬ」
「それは、よいことじゃ」
義元は短く応じた。
「されど、国境の備えを怠ってよいという話ではない。商いが盛んになろうと、領内の安寧を守る責めは、我ら今川にある」
「はっ」
諸将が一斉に頭を下げた。
朝比奈泰朝が口を開いた。
「太守様。力をもって他国を奪わずとも、領内を治め、道を整え、民が安心して働けるようにすれば、国は富む。翔次殿が説いてこられたことが、ようやく形となって見えてまいりました」
「形となったのは、そなたらが守り抜いたからじゃ」
義元は翔次を見た。
「翔次。そなたの策だけで、ここまで来られたわけではない。予が不戦と富国の大略を選び、諸将が血気にはやる者を抑え、兵を無用に損なわぬよう耐えてきた。その積み重ねが、今の東海道を作ったのじゃ」
翔次は深く平伏した。
「その通りにございます。太守様が大方針をお定めくださり、諸将の皆様がそれを支えてくださったればこそ。商人が道を通り、民が田畑を耕し、町の者が商いに励む。その営みを守ることが、国を富ませる何よりの道と存じます」
義元は満足げに頷き、白扇を閉じた。
やがて床几から立ち上がると、広間の縁側へ歩み出た。
秋晴れの空の下、駿府の町には瓦屋根が連なり、市の方角からは人々の声がかすかに届いてくる。遠くに望む富士の峰には、季節の移ろいを告げる初雪が見え始めていた。
「……翔次よ」
「はっ」
「予はかつて、己の才覚と今川の名門たる血筋をもって、国を富ませた後、いずれは京へ上り、足利将軍家を支え、天下に覇を唱えようと考えておった」
義元は富士の峰から目を離さず、静かに語った。
「尾張を制し、国力を上げるとともに、更には美濃を従え、その後、幾万もの兵を率いて都へ至る。それが武家に生まれた者の大望であり、天下人を目指す者の道であると、疑いもしなかった」
翔次の胸の奥で、桶狭間の記憶がよみがえった。
永禄三年。あの戦で、彼は自らの知識と一言によって歴史を変えた。信長は死に、義元は生き残った。そこから先の道は、翔次が知っていた歴史とは異なるものになった。
義元は振り返った。
「されど、あれから八年。そなたと共に東海道を治め、戦を避けるために知恵を絞り、民の暮らしを見てきた。……その間に、予の考えも変わったものじゃ」
義元の声には、過去を悔いる響きも、今の道を誇る響きもあった。
「天下とは、ただ他国を奪い、広い領地を持つことを指すのであろうか。力をもって人を従わせ、戦に勝つたびに新たな敵を作り、得た土地を守るためにまた兵を出す。それを繰り返すことが、果たして国を治めるということなのか」
広間の諸将は、息を潜めて聞いていた。
「予は今、駿府の町を見下ろし、商人が笑い、民が飯を食らい、将兵が無用な戦で命を落とさずに済むことを、何より誇らしく思う。百万の軍勢を率いて京の都を歩くよりも、この東海道を豊かに保つ方が、予には大きな務めに思えてならぬのじゃ」
義元は白扇を開き、諸将を見渡した。
「信照が西でどれほど勢力を広げようと、予はその道をそのまま真似るつもりはない。あの者はあの者のやり方で、土地ごとの盟約を結び、通商の道を広げておる。今川には今川の務めがある。駿河、遠江、三河。この三国を治め、民を富ませ、外からの脅威には備え、戦を避けられる限り避ける。これが、我が今川家の進むべき道じゃろうて」
義元の言葉には、太守としての揺るぎない矜持があった。
「領土を広げることのみを天下の証とする時代であるのであれば、予はその競い合いから降りよう。されど、国を治め、民を守り、豊かさを長く保つことまで放棄するつもりはない。東海道を安寧の地とし、他国がそれを認めざるを得ぬほどに栄えさせる。……それこそが、今川家の成すべき大業であると、予は今、確信しておる」
「太守様の御意、まことにありがたきことにございます!」
三浦上総介が深く頭を下げた。
元信も泰朝も、義元の言葉を受け止めるように平伏した。彼らにとっても、長く戦場を駆けてきた歳月は、決して軽いものではなかった。兵を失い、領民を疲弊させ、得た土地を守るためにまた兵を出す。その繰り返しの果てに、今の静けさがある。
戦を避けることは、臆病になることではない。守るべきものを見定め、守り続けるために力を使うことなのだ。
翔次は畳に額をつけたまま、目頭が熱くなるのを感じていた。
歴史を変えてしまった、あの桶狭間。信長という天才を死なせたという思いは、彼の胸から消えたことがない。自らの知識が一人の命を奪い、知っていたはずの歴史を狂わせた。その罪悪感は、勝利を重ねても、国が豊かになっても、心の底に残り続けていた。
だが、目の前の義元は、ただ生き延びただけではなかった。
自らの大望を問い直し、国を治める意味を考え、民が安心して暮らせる東海道を築こうとしている。
(義元公……。あなたは、あなた自身の答えを見つけてくださったのですね)
翔次は胸の内で呟いた。
(俺が知っていた歴史とは違う道だ。けれど、違う道だからこそ、救えるものもある。誰かが知っていた筋書きに従うことだけが、正しい未来ではないのかもしれない)
その夜。
翔次は一人、今川館の庭先へ出た。
秋の夜空には星々が瞬き、天の川が白い帯となって空を横切っていた。夜気は冷たかったが、戦場の血臭も、泥濘に満ちた陣中の悪臭もない。庭の土からは、昼の陽を蓄えた大地の匂いがかすかに漂っていた。
翔次は西の空を見上げた。
尾張の彼方には、織田信照がいる。
信照は、土地を奪うことだけを目的とせず、盟約と通商の道を通じて人々を結びつけている。だが、その保護圏に加わる理由は、土地ごとに異なる。商いの利を求める者もいれば、隣国からの脅威を避けたい者もいる。旗を掲げることが、必ずしも同じ思想に従うことを意味するわけではなかった。
一方、今川は領主としての責任を手放さず、領内の道を整え、治安を守り、農と商いを支えることで国を富ませようとしている。
異なる道を歩む二つの勢力が、いまは戦を避け、互いの存在を認めながら、東西に広がっていた。
(信照……。お前が西で築いているものと、俺たちが東海道で築いているもの。形は違っても、戦に頼らず人々が生きていける道を作ろうとしているのかもしれないな)
翔次は、夜空を見つめたまま静かに息を吐いた。
軍勢を率いて相手を打ち破ることだけが、戦国の勝利ではない。相手が攻める理由を減らし、争うよりも商う方が利になる道を作ること。それもまた、国を守るための大戦略であった。
だが、東海道の平穏が完成したわけではない。周囲には、今川にも信照にも従わぬ勢力が残っている。商いが盛んになれば、それを妬む者も現れよう。通商の利を巡って争いが起こることもある。いまの均衡が、明日も同じ形で続くとは限らなかった。
だからこそ、この平穏を一時の幸運で終わらせてはならない。
そのためには、互いに相手を敵と決めつけず、話し合う道を見つける必要がある。
そして――。
その新たな局面を告げる使者が、畿内の商都・堺から駿府へ向かおうとしていた。
茶人にして豪商、堺の有力な商人である今井宗久。
彼が東海道へ足を運ぶ理由は、ただ新たな商いの場を求めるためだけではない。信照の通商圏と今川領の市場が結びつき始めたいま、堺の商人たちもまた、東西の勢力がこれからどのような関係を築くのか、見定めようとしていたのである。
その対談が、不敗の軍師・鍋蓋翔次と、見えざる魔王・織田信照の行く末に、いかなる変化をもたらすのか。
翔次はまだ、その答えを知らなかった。




