第二話 パラダイムシフトと、窮猿のオッサン
王都に吹き荒れた大政変の嵐は、瞬く間に国のあり方を変えた。
王政が崩壊し、議会制へと移行した激動の時代。しかし、僕にとって真の恐怖は、政治ではなく「市場」でもたらされていた。
去年の秋ごろから流通し始めた、「エデン村のジャパイモ」。
それが、王都の食事事情に完全なパラダイムシフトを起こしていたのだ。
圧倒的な流通量と、豊かな土壌で育ったという高い栄養価。それは瞬く間に貧民層の腹を満たし、それまで主食の王座に君臨していた小麦の需要を根底から破壊した。結果、小麦の価格は例年以下の水準まで大暴落。
僕はといえば、前世の先物取引の知識を使い、「今年も小麦が不足する」と予測して大量の事前買い付け契約を仕込んでいた。
四十五年の人生で培った極度のビビリ癖のおかげで、膨大なレバレッジをかけて取引していなかったことだけが不幸中の幸いだった。おかげで破産こそ免れたものの――築き上げた資産の大半が文字通り一瞬で吹き飛ぶ、致命的な損失を出してしまった。
「な、なるほどね! 市場のポートフォリオが一時的にジャパイモへシフトしたわけか! だがこれは織り込み済みさ。サプライチェーンの根幹を叩くために、ボクが直接エデン村を視察して次なるスキームを構築する。帳簿の最適化を進めておいてくれ!」
二十歳の完璧なイケメンのガワを崩さず、僕は十九歳の経理に向けて早口のビジネス用語を捲し立て、必死に焦りを隠した。
だが、内心はガチのパニックだ。次の手を打てる手立てなど、何一つ残っちゃいない。ここにいれば恐怖で頭がおかしくなりそうだったから、原因であるエデン村へ現実逃避するために、専用の馬車を飛び出させただけだった。
馬車の前方、御者台では二十二歳の女戦士が無口に手綱を握り、車内では経理が対面に座って淡々と帳簿をめくっている。
逃げ場のない沈黙の中、馬車が進むエデン村への道は、いやに綺麗に舗装されていた。まるで前世の高速道路のように快適な旅。それが、逆に僕のビビリな心臓を雑巾のように絞り上げる。
エデン村は、王国の領地ではなかった。国境を越えた先、隣の帝国の辺境伯領にあるのだ。
国境の関所は驚くほどフレンドリーで、身分証を出しただけであっさりと通された。どうやら「ジャパイモの買い付けに来た商人」だと思われたらしい。
そこで聞いた話は、僕をさらに戦慄させた。
この大量流通を裏で一手に担っているのは、王国最大の「マルク商会」。そして、エデン村の実質の治世者であり、ジャパイモの流通の全権を握るトップは「シャルロット様」という女性だという。
シャルロット。王都でその名を知らない者はいなかった。
王宮で王太子に婚約破棄を言い渡され、辺境へ追放された悲劇の公爵令嬢。そして何より――彼女の兄こそが、王都で大政変を起こした中心人物であり、新政府の「初代首相」その人だった。
(これ、ただのヒット商品とかじゃなくて、ガチの国家転覆クーデターの資金源じゃないのか? 僕、そんなヤバい兄妹の計画に首突っ込んで自爆してたの!?)
自分だけが現代知識というチートを持つ特別な存在だと思っていた。だが、この世界の人間の中に、国家の仕組みと経済を同時に改変するような本物の化け物がいたのだ。
恐怖が最高潮に達する中、馬車がエデン村へと滑り込む。
窓の外を見た瞬間、僕は言葉を失った。
地平線の向こう、視界のすべてを埋め尽くすようにジャパイモ畑が続いていた。中世のちまちました農業ではない。前世のテレビで見た、アメリカの超大規模農業そのものの光景がそこにあった。
カンニングの知識でイキっていた元万年平社員のプライドが、跡形もなくへし折られた瞬間だった。こんな異世界のガチ天才に、勝てるわけがない。
馬車は村の中心部、交易所の隣にある、マルク商会が経営する大きな宿泊所へと到着した。
豪華な受付の前に立ち、僕は精一杯の虚勢を張って口を開く。
「へ、部屋を二つ。ボクの部屋と、彼女たちの部屋を……」
大損失を出した直後だ。宿代ですら、今の僕の財布に酷く突き刺さる。声がわずかに上擦ったのを、二人は見逃さなかった。完璧な主人を慮るように、静かに言葉を添える。
「別に一つの部屋でも構いません」
普通の男なら、美少女二人と同じ部屋に泊まれる幸運に歓喜するのだろう。
だが、二十歳の完璧なイケメンの皮を被った僕は――ただ、力なく首を振った。
有無を言わせない拒絶のジェスチャー。周囲から見れば、それは「お前たちに手を出すような下品な真似はしない」という、ストイックで高潔な主人の態度に見えたはずだった。
それぞれの部屋へと別れ、重い木扉を閉める。
鍵をかけ、完全な一人きりの空間になった瞬間、僕はそのままベッドへと泥のように崩れ落ちた。二十歳のイケメンのガワの奥から、四十五歳のくたびれたオッサンの中身が、ドロリと這い出てくる。
枕に顔を埋め、僕は消え入るような声で呟いた。
「……そういうのは、いいんだ……」
違うんだ。金を失ったからって、若い女の子たちに気を遣わせて同じ部屋に泊まるなんて、オッサンの惨めなプライドが許さなかっただけだ。
地平線まで続くジャパイモ畑の光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
明日は、あの公爵令嬢に目通りをしなければならないのだ。
資産を失い、化け物の巣窟に飛び込んでしまった孤独なオッサンは、逃げ場のない異国の夜、ただ一人でブルブルと震えることしかできなかった。




