第十二章 南大陸の探究少女 19話 今日でおわかれ
よろしくお願いします
何かが違う。
そう、あたしが知ってる【竜人型魔獣】はこんなのじゃない。
見た目のどこかが違うとか、そんなんじゃなくて。
確かにこれまでも『人間じみた動き』とか『知性があるに違いない』とか『普通の魔獣とは違う』って感じはあったけど、今あたしの視界の真ん中に佇む存在には『あれは魔獣なんかじゃない』と言う確信めいた思いが浮かぶだけ。
只『だとしたらいったい何なんだ?』って訊かれても答えようが無いんだけど。
そんな事を考え込んでる自分とは別に『どうしたらいい?』に頭脳をフル回転させているもう1人のあたしが居る。
あいつが魔獣であろうがなかろうが【グリュムヴァル】メンバーとは段違いの強さで、誰が襲われたとしても秒殺--流石にそれなりの探究者達なので瞬殺とは思いたくない--されるのは間違いない。
これまでの【竜人型魔獣】と同レベルならあたしに倒せない事は無いけど先に誰かが襲われて混戦になった場合に守り切れる保証はないし、今感じてる違和感の通り『似て非なる物』だとしたら倒せないどころか負ける可能性も考えなくちゃいけないのよね。
負けるのが勘定に入るなら何を差し置いても『逃げるが勝ち』なんだけど、悪い事にどこから湧いてきたのか知らないけど戻る道筋に立ち開かってる。
この辺りは決して狭くない洞窟だけど相手に【竜人型魔獣】の反射速度があるなら、何事も無くその脇を擦り抜けられそうなのはあたしぐらいでしょ。
先手を取られて取り返しがつかなくなる前に【グリュムヴァル】の退路を確保しなくちゃならない。
そうと決まれば善は急げ、立ち開かる相手目掛けて踏み出し、一気に加速した。
幸い【グリュムヴァル】5人の視線は新たに現れた存在に釘付けで、あたしを気に掛ける者は居ない。
彼等が気付いた時にはあたしはもう相手に迫っていて、そこまでどうして移動したかは問題にならない筈。
踏み出しと共に抜き放った三連粒子剣で、物は試しと目前に迫った相手に斬りつける。
魔力の刃が刀身の数倍まで一気に伸び、避ける術の無い相手を一刀両断……。
そんな風に思った瞬間、その姿が掻き消えた。
いぃぇ、消えたんじゃなくてあたしにはそんな風にしか見えなかっただけ。
多分、相手は攻撃を普通に避けたのよね。
その動きが予備動作も含めて全く見えなかった。
これはヤバいわぁ……あたしも含めて全滅の予感しかしない。
避けるのに相手が下がってくれたのが不幸中の幸いで、踏み込まれていたら相手のどんな動きもあたしへのカウンター攻撃になって瞬殺の憂き目が待っていたに違いない。
あたしの動体視力が完璧に置いてけぼりなのだから、【グリュムヴァル】メンバーについては言わずもがな。
何故か相手が攻撃を仕掛けて来なかったから今も息をして、こんな風に考えたりできる。
『無理だわぁ、こりゃ』とあたしは眼を閉じた。
*
波の立ち上がりを【天鳴】が捉えた。
無意識に感じ取ったのは反響定位に似て異なる力。
理屈なんてどうでもいいけど、冥界との関りが【天鳴】を変えたのか、現実の距離感を無視した音速も光速も無い伝達。
相手の動きが直接【天鳴】で認識され【魔法野】内での情報処理も『時の制約』を超越たみたい。
波を起こしたのは【竜人型魔獣】っぽい相手。
跳び退った分だけ、あたしへの猛進。
さっきと同じで、目で追えば動体視力の埒外よね。
瞑目の脳裏、魔法野に【天鳴】が捉えた波がセル画のように相手の切り絵を重ねて行く。
それは完全にロスの無いリアルタイム。
それへの対応は……天地流?
冥界に取り込まれた【魔法野】と【天鳴】の連係が『天地流の最適解』を弾き出し、最適解の行動を実行するための【神経伝達物質】生成を促す【活動電位】を波として肉体の活動部位へ直接送り届ける。
要は『考える時間も決める時間も伝える時間もゼロで体が最適な動きを取る』って事。
但し、この最適解はあくまでもあたしの中の天地流が出す答えだから、あたしの能力を超えた物を引っ張り出したりはできない……らしい。
なんてのは全部、冥界で時の狭間に閉じ込められたあたしの欠片が暇に飽かせて捻り出した小理屈に過ぎないから聞き流してくれればいい。
実際には避けた場所からあの瞬間移動的な勢いそのままに肉薄する相手が居て、それを見極められないあたしは鋭く巨大な鉤爪に切り裂かれるのを待つばかり。
観念して死を覚悟する事すら敵わないのだけど、何故か何の脈略も無く身体が反応して揃えた両前腕で鉤爪を送り込む相手の手首を受け流していた。
ふいに視線がガタンと落ち、気が付けば大きく開脚したあたしの頭上を頑強な肘が擦り抜ける。
開いた肢が旋回して上半身の軌跡も弧を描き相手の巨体そのものをやり過ごす。
動きを止めた相手の背中をようやく視界が認識すると同時に、回転エネルギーを乗せた足裏が厳つい腰を蹴り、その反動でトンボを切った。
勢いよく跳ね退いたとは言え、巨大な背中とそれを見詰めるあたしの距離はほんの七八メートルで、この相手にすれば零に等しい。
振り向く爬虫類じみた顔に不機嫌そうな表情が浮かぶのは見えたけれど、それ続く踏み込みと下段--あたしにとっては胸の高さ--の蹴りはやっぱり認識らない。
襲い来る蹴りを横倒れに躱したのに気付いたのは、蹴り終わった相手と躱したあたしの体勢が移り終えた後だ。
不機嫌な顔が訝し気な表情に変わる。
爬虫類を人に置き換えての事だから見当違いなのかも知れないけど、何だかそんな感じ。
表情は読めてもその後の攻撃は見切れない。
恐らく来るだろう攻撃が手なのか脚なのかも分からないまま、あたしは後ろへ数メートル設定跳躍した。
掴みかかった鉤爪の手が空を切ったのが目に入る。
何故か知らないうちに攻撃を躱したけど、そんな訳の分からないものに任せ切るのは嫌だった。
冥葬系移動なら一気にこの場から逃れ去る事ができるかも知れないけど、【グリュムヴァル】の皆を置いては行けない。
そのまま設定跳躍を繰り返して【グリュムヴァル】から離れて行くと、4度目には攻撃でなく移動して待ち構えた相手の拳が後頭部を打ち抜くところだった。
またも前屈した背筋をそのまま何の意思も無いうちに倒しこみ、通り過ぎる衝撃をやり過ごすと同時に全力の後ろ蹴りが相手の鳩尾へ伸びた。
破壊出来ない魔窟素材の塊を蹴ったような感触が伝わってようやく起きた事の結果だけが理解ったけれど意識の伴わない動作は続き、鳩尾への蹴りを意に介さない相手が蹴り上げた膝で狙うあたしの股間を、身体全体の前傾でギリギリ躱せる位置までズラして、空を蹴る膝にさっき蹴った脚をからめた。
膝の勢いで引き上げられる脚に続いて浮き上がる全身。
鉤爪の拳が握られ、相手の腰の高さに浮かぶあたしの頭にアッパーフックが撃ち込まれた。
視認跳躍までもが意識の外で発動する。
視線の先に在った天井が急に目の前に現れて驚いたけれど、何とか浮遊で高さを維持して体勢を下向きに変えた。
巨漢の相手にすれば、今のあたしもそう遠くは無い。
あの瞬発力なら簡単に手が届く位置なのよね。
訳も分からないまま死神の鎌を逃れ続けてはいるけれど反撃に転ずる機会なんてやって来そうにないし、どんな攻撃だって通用するとは思えない。
逃げ回るあたしに業を煮やして【グリュムヴァル】の5人を彼等を質に取られたらもうそこで万事休す。
この世の何もかもと『今日でお別れ』が避けられない。
なのに!
逃げ出す算段を考える時間なんて、どこにあるのよ!
次の更新は5/11(月)前後の予定です




