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Desafinado(調子はずれ)  作者: カワヤマソラヒト
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III 6月(3)-17

 自室に戻った田中は、両手を枕代わりにしてベッドの上に寝転がっていた。


(なかなか落ち着かねえもんだな……)


 昨日の日曜日は急な代役で忙しく働いてしまったが、田中は今週の月、火のアルバイトは休みにしてあったのでその分のんびり過ごせるはずだった。

 が、しかし。

 月曜日の今日はヒデカズの相談に乗る気満々であったのに、突如現れた佐野に予定をひっくり返されてしまった。


(ヒデカズは自分から佐野に譲っちまったから、オレにはどうにもならん)


 ヒデカズは何をオレに話したかったのだろう?

 田中には想像もつかないことなのですっきりしない。

 その上さらに。


(あのタイミングで佐野が現れたのはどうなってたんだかな……広瀬なら「縁」とでも言うのかもしれんが)


 昼食をヒゲさんの店でごちそうしてもらったのはヨシとしても、あろうことか佐野から恋愛について意見を求められてしまった。

 まともに答えられた気はしないし、佐野が自分に相談してきたことは不可解だし、腑に落ちないことばかりが思わぬ疲労感を田中にもたらしていた。

 おまけに、午後の必修をサボってしまったことはかなりの気がかりであった。


(恵子は、またルーズ・リーフをオレのために用意してくれてんのだろうか……)


 だとしたらとてもありがたいことだが、そう何度も世話になりっぱなしでは次第に顔を合わせづらくなりそうである。

 どうにかしてお返し、イヤ、お礼をしないことには気が休まらない。


(でもな、何をどうすれば恵子にお礼ができるんだ?)


 田中には具体的なプランがひとつも浮かんでこなかった。

 こんなときは陽美に相談するといいのかもしれない。

 兄の鷹雄はほぼ役に立たなかったので、田中は従来、何かあると陽美にお伺いを立ててみることが多かった。

 が、しかし。

 午後の必修をサボったことが、広瀬あたりから陽美に伝わっているかもしれない、気がする。

 陽美には迂闊に連絡しない方がよさそうに思える。

 陽美を外すとなると、他に誰がいるだろうか?


(いくらオレでも直接恵子には訊けねえぞ)


 なら、近頃バイトの件を通じて桐山と話すことが増えているから、桐山に意見を訊くのはどうか?

 桐山なら恵子にとても近い存在だし。

 これはなかなかの名案ではなかろうか、と思ってみたものの、田中には桐山と連絡を取る手段がなかった。


(名簿があったのは覚えているが、A4サイズの、うすい黄色の封筒、だったよな、それごとどっかに行っちまってるからな……)


 この件では心の森の奥にある湖は静まり返ったままだった。


(探したのに見つからんのは何故だ)


 となれば、最後の砦は今回も広瀬になりそうであった。


(土井はさっぱり当てにならんしな)


 そもそも土井に連絡をする手段もなかったが。


(早いとこ手を打たねえと顔を合わせらんねえぞ)


 田中は広瀬に電話してみようと考えた。

 が、しかし。


(広瀬んちの番号、どこにメモったんだっけか?)


 田中は手帳を使っていなかった。

 いつのことだったか……4月、イヤ、5月だったろうか。


―― 田中の電話番号、名簿に載ってなかったからさ、教えてよ。


 学食かどこかで広瀬にそう訊かれて答えたとき、広瀬は田中に自宅の番号を教えてくれた。

 田中は取り急ぎ青いバッグの中から引っ張り出したノートに教わった番号をメモした。

 湖の魚たちが出るまでもなく、田中はその場面までは思い出せた。

 そのとき土井はいなかったから、土井の電話番号は知らないままになっているのだ。

 ……それから今に至るまで、田中は広瀬の電話番号を放置したままであった。


「とにかく、片っ端からノートを見るしかねえぞ」


 田中は青いバッグを引き寄せると、逆さにして中にあるものを目の前にぶちまけた。

 バッグに入ってなかった教科書やノートの類はベッドの隣に積んであったので、それらを持ってくると同じく目の前にドサッと置いた。

 田中はいちばん手前になっていた「ドイツ語Ⅰ」のノートに手を伸ばした。


「なんじゃこりゃ?」


 田中は「ドイツ語Ⅰ」のノートではなく、その下になっていた一枚の紙片に気がつくとそれを手にした。

 見ると、几帳面な感じで「佐野幸美」と書かれている。

 名前の下には住所と電話番号まで添えてあった。


「ああ、佐野がさっきよこしたヤツか」


      *      *      *


 ヒゲさんの店を出てみると、時刻は午後3時を過ぎていた。

 3限はとうに終わっている時刻だ。

 田中と佐野は学校に戻るのではなくそれぞれ帰ることにして、すぐ近所にある駅に向かって歩いた。


「田中くん、今日はつきあってくれて本当にありがとう」

「ん? ああ、役に立てなくてスマンな」


 これは田中の正直な気持ちだった。


「私ね」

「は?」

「今日みたいに男の子とふたりだけで長い時間お話したこと、これまで全然なかったんだ」

「はあ?」


 田中は佐野の嘘だと思った。

 佐野なら相手が誰だろうと普通に話せるに違いないと思える。


「あ、その表情、私が嘘ついてると思ったでしょう?」


 見事なまでに図星だったので田中は苦笑するしかなかった。


「本当なのよ、嘘じゃないよ。私、そんなつもりはないけど、結果的に……これまで男の人を避けてたことになってたのね」

「ほう」


 田中はいつもの間抜けな相槌しか打てなかった。


「だから、今日こんなに田中くんと話ができて、自信がついたかも」

「そりゃよかったな」


 田中自身は佐野に捕まって一体どうなることやら不安だったので、どうにか肩の荷を降ろせそうに感じられた。


(気の利いたことは何も言えなかった気がするが、な)


 昼飯ランチの義理が果たせたなら何よりだと田中は思った。


「ヒゲさんて、どう思った?」

「そうだな、オレが感じたのは腕がいい人ということだ」

「料理の?」

「もちろんそれも含めて、店も、働いている態度全般も、というかだな」

「意外な見方をしていたのね」

「そんなつもりはないのだが……自分が今ファミレスでバイトしてっから、やめときゃいいのに比べちまってだな……」


 佐野は笑顔を浮かべた。


「田中くん、やっぱり楽しい人だね」

「楽しいのか、オレは?」

「私から見ると、ね。ただのいい人ではないわ」

「そいつはどうも」


 田中は佐野の返事を褒め言葉と受け取った。

 気がちょっと緩んだのか、田中の口調は疲労感を隠しきれなかった。

 小さなため息をつい漏らしてしまった。


「私のせいでずいぶん疲れちゃった? ごめんね」

「イヤ、そんなつまらんこと気にすんな」

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