III 6月(3)-7
「桐山さん、ずいぶん思い切ったみたいですね」
「ん?」
「先週とはイメージがガラッと変わってました」
田中は先週の桐山と言われても、まだ名前を知らなかったときのことなのでイメージは漠然としたものしかなかった。
(たぶん六人のうち、いちばん背が高い痩せてる女……髪が長くてメガネはかけてなかったはず)
田中は黙ったまま2号館から外に出た。
加藤はおとなしく田中に並んでいた。
そこまではまずまず順調だった。
ところが思わぬ事態が田中を待ち受けていた。
「おーい、田中くーん」
2号館を出て3号館の方へ歩いていると、不穏な声が田中に聞こえた。
ヒデカズが一瞬ビクッとしたのが田中には分かった。
そして、田中を呼んだのが誰なのかもほぼ同時に理解できた。
(マジい、なんでこのタイミングで佐野が出てくるんだよ)
田中がそう苦々しく思っているうちに、佐野は小走りで田中の目前まで来ていた。
(よくそんなどこの国のだか分からん服装で器用に走れるもんだ)
「あら? もしかしてなんか元気ないの、田中くん?」
「まあ、ちょっとな」
オマエのせいじゃねえか、とは口に出さなかった。
「ねえねえ、紹介してくれないの?」
「はあ?」
「田中くんと一緒にいる、同じ科の人、だよね?」
田中は例によってすっかり佐野のペースに巻き込まれていたので、ため息をひとつ吐くとしぶしぶ加藤を紹介することにした。
「あー、この女、じゃねえ、こちらは佐野。で、こっちはヒデカズ。以上だ」
「うわあ、そっけないなあ。愛想の欠片もないわねえ」
佐野は呆れた様子で言った。
「は? そんなひどい感じがしたか?」
「広瀬くんを紹介してくれたときもそんな感じだったけど」
そのひとことで加藤はまたビクッとした。
(ヒロセと聞くだけでもダメなのか、ヒデカズよ)
田中はそう思うと、ため息をまたひとつ吐いた。
(佐野に広瀬を紹介したときって、いつだったか……土井もいたよな)
田中の心の森の奥にある湖の魚たちは元気いっぱいだった。
* * *
田中は広瀬、土井と共に校舎から出てきた。
ラウンジ・ブレンドでも飲もうかという話が広瀬から出ていた。
「あ、消しゴムく~ん」
田中に不穏な、よく響く声が聞こえた。
声の方を向くことはしなかったが、その声から思い当たるのはただひとりだけだった。
「じゃなくて……」
(佐野、その間はナンなんだよ)
田中は思った。
(オレの簡単な苗字ぐれえ、しっかり覚えとけってもんだ)
自分のことは棚に上げていると、田中は気づかなかった。
田中の耳にパチッと指を鳴らした音がかすかに聞こえた。
「田中く~ん」
今度は声がした方を見ると、四人ほどの女子がひとかたまりで歩いてくる。
(四人とも笑っているような……イヤ、違うな)
田中は笑われているような気がした。
四人のうち、怪しげな服を着たひとりが手を振っている。
田中は空いていた右手で両目を押さえていた。
左手は今日も肩越しに青いバッグを持っていた。
誰かの「先に行ってるよ」という声が聞こえると、田中を呼んだひとりを除く三人はどこかに行ってしまった。
「田中って、女の子のことになると素早いね」
「広瀬、うるさい」
うしろにいた広瀬に振り向いて言うと、田中はもうひとりいたはずの男がいなくなっているのに気づいた。
「広瀬」
「なんだい田中」
「土井はどこに行ったんだ?」
「分からないけど、田中があの女の子に呼ばれたときに、『お先に』と言い残してそそくさと行っちゃったな」
「なんじゃそりゃ」
「田中と反対で、土井は女の子が苦手なんじゃない?」
「止めなかったのか」
「本人の意思を尊重すべきだと、ぼくは思うんだよね」
広瀬の意見は否定できなかった。
「田中くんてばー」
田中は声がする方をちらっと見た。
怪しげな服の女、イヤ、怪しい女が近づいてくる。
青い布と白い布をずらして重ね、そのまま身体に巻きつけただけのような服。
(……服、だよな?)
田中は疑問に思いつつ広瀬へと向き直った。
「たーなーかーくーん」
その声はだいぶ大きく聞こえている。
それにしても、土井はなんでこうも人を避けるのだろう?
対人恐怖症とか、それに似た何かだろうか。
田中の疑問は深まるばかりだった。
「何回呼ばせんのよ……」
田中はゾクッとした。
佐野は田中の右肩を右手でうしろから掴んでいた。
広瀬は左向きになって肩を震わせていた。
肩から手が離れると、田中はしぶしぶ佐野と向き合った。
(立ち止まっててやったんだから、ヨシとしてくれ)
「元気みたいね、田中くん」
佐野は右手を肩の高さまで挙げて数回振ると、にこやかに言った。
今日もくすんだ緑色の平たいショルダー・バッグを左肩に掛けていた。
田中は笑顔で応えようとした。
「お、おお、おかげさまでな」
佐野は「フフッ」と笑った。
「まだ目が座ってる、怖い眉毛のまんま」
そう聞こえると、田中は自分にがっかりした。
その様子にはかまうことなく、佐野は田中に話しかけた。
「ねえ」
「なんだよ」
佐野は多少前屈みになって田中に顔を近づけた。
「紹介してよ、田中くん」
これ以上の面倒はゴメンだと思ったので、田中はおとなしく従っておくことにした。
「あー、この男は広瀬、この女は佐野」
「ちょっと」
佐野は不機嫌そうに言った。
「ん? なんだよ佐野」
「その紹介の仕方はどうなのよ」
「必要十分だと思うのだが」
広瀬は顔を逸らして「くくく」と笑っていたが、どうにか落ち着くと佐野に挨拶した。
「初めまして、佐野さん。広瀬学です」
「初めまして広瀬くん。佐野幸美です、よろしくね」
「こちらこそよろしく」
「広瀬くんは礼儀正しくて、信用できる人だね」
佐野はわざと田中に言った。
「誰かさんとは全然違うのに、なんで一緒にいるのかしら」
「佐野、うるさい」
田中は無意識のしかめっ面で言った。