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Desafinado(調子はずれ)  作者: カワヤマソラヒト
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III 6月(3)-6


      *


 田中の耳に広瀬の声が聞こえた。


「おはよう」

「……ん?」


 恵子と六人組も近くの席にいたので、笑いが起こった。

 恵子も苦笑していた。


「朝来たときから眠そうだったからね、田中は」

「どうもな、今ひとつな感じだ」

「まだ風邪気味?」

「イヤ、それはない。ちょっと疲れてんだろうよ、昨日予定変更でバイトしちまったから」


(桐山と恵子に驚かされたせいだとは言えねえが、な)


 213教室から立ち去るべく、田中はいちおう机の上に出しておいた教科書やらの類を青いバッグに突っ込んだ。

 ひと呼吸置くと、田中は言った。


「自分ではどうすることもできねえことって、けっこうあるもんだよな」

「本当は高熱でもあるんじゃない、田中? なんかおかしいよ」


 広瀬の突っ込みはとてもいいタイミングだった。

 もし土井がここに立ち会っていたら、「今日はもう帰った方がいいんじゃないか、田中は」などと言っただろう。

 広瀬と土井のタッグは侮れないからだ。

 現在の全日本プロレスの世界タッグ王者である、ジャンボ鶴田&谷津嘉章組に匹敵するコンビネーションと言ってもいいくらいだ。

 土井が登校して来た現在、田中は警戒を緩める気はなかった。

 一方、六人組がそれぞれ移動の準備を終えて立ち上がった。

 恵子は心配そうに田中を見ていた。

 距離をおいたところからヒデカズまでそわそわしている。

 桐山は恵子の様子から何かあったのかと考えたが、静観しているらしい。

 田中のすぐ側で広瀬が言った。


「田中、ねごと言ってたよ」

「は?」

「なんでだ?、って感じの。もう少し何か言ってたけどはっきりとは聞こえなくて、ニュアンス的にってだけ」

(そうだ、夢っつうか……)


 田中はぼんやりとついさっきまでの頭の中を思い出してきた。


      *


 夢を見ていた、気がした。

 そう感じたのは、思い出していたと言ってもいいくらいだったからだ。

 心の森の奥にある湖に沈んでいる記憶にかなり近いと思えたのだった。


(2年前、午後から雨が降ってきた日、部活を休みにしてとっとと帰ったら、オレの部屋で何故かハルちゃんが大泣きしてたんだよな)


 だが、なんでそんな場面を夢に見なくてはならんのか?

 その原因は陽美から渡されたあの立派な傘にあるに違いない。

 田中はそう断定した。


(実際あの日は、オレが玄関の鍵を開けてみるとハルちゃんの靴があって、なんでこんな平日にわざわざ帰省して来たのか不思議に思ったもんだ)


      *      *      *


 オレは傘なんぞ用意してなかったから雨に濡れるままで、濡れながら帰宅した。

 早いとこ風呂にでもと思って2階の自分の部屋に行った。

 4月から兄貴がいなくなっちまって、オレひとりでは広く感じてたもんだ。

 靴下は玄関で脱いだが足が乾いてたんじゃねえから、階段には足跡をつけながらペタペタと部屋へ急いだ。

 が、階段を上がり切る前に気がついた。

 何故か部屋のドアが開いていて、ハルちゃんがオレの机に突っ伏して泣いているのが見えたし、声まで聞こえた。

 このまま部屋に入るのはイカンと感じて、オレは1階に戻って、とりあえず居間のいつもの場所に腰を下ろした。

 ふうって感じで。

 着替えを用意するにも部屋に入んなきゃできねえから、まあいいかと思いつつ。

 そのうち2階からハルちゃんが降りてきて、何事もなかったかのように「お、マアくんお帰り」と言った。

 オレはハルちゃんに何か言うべきかどうか迷った。

 迷ってるうちにハルちゃんはオレがズブ濡れなのに気がついて、オレは風呂場へ引っ張って連れてかれた。

 バスタオルやら着替えやらはハルちゃんがテキパキと用意してくれた。

 田中家のどこに何があるかは全部バレてたからハルちゃんは機敏なもんだった。


── しっかりあったまってから出てきてよ、シャワーだけでもいいから。

── おお、そのつもりだ。

── 風邪なんかひいちゃダメだぞ。

── オレだってひきたかねえよ。

── 私をお嫁さんにしてくれるんなら、いつも健康でいてくれないとね。


 とかなんとか言われた気がする。


── はあ? なんじゃそりゃ?

── ええっ?! マアくん、忘れちゃったの?


      *      *      *


 ……というところで広瀬に「おはよう」と言われたらしい。


(「忘れちゃったの?」、ってのは、なんだったんだ?)


      *


 2限終了とほぼ同時に土井は教室から出ていった。

 広瀬いわく、「原田先生より先んじていた」そうだ。


「土井はおそらく学食へ行って、もうそろそろB定食を頼んでる頃だよ」


 広瀬が言った。


「悪いが今日は先約があってな」


 田中が言うと、広瀬の反応は迅速だった。


「あ、加藤くん?」

「そのとおりだ」


 さっきから少し離れた場所でこちらの様子をうかがっている加藤の姿は、田中からもよく見えていた。

 広瀬から離れた位置に待機しているとしか思えなかった。

 広瀬も加藤がそこにいるのは気がついていたようだ。

 すぐそばまで来ないのはぼくのせいなんだろうな、と苦笑いしていた。


「ぼくは加藤くんに怖がられてるみたいだから先に出るよ。で、土井の向かいの席を狙う」

「すまんな、広瀬。またあとでな」


 それにしても、ヒデカズが広瀬を怖がる理由はいったいなんだ?

 田中はこのあとついでに訊いてみようと思った。

 広瀬の背中を見送り、完全にその姿が見えなくなってから、そそくさと加藤が田中へと寄ってきた。


「あのう、田中くん……」

「オレは約束は守る男だぞ、ヒデカズ」

「はい、承知してます。ただ」

「なんだよ?」

「いえ、その、田中くんがお疲れ気味なようなので無理にとは」

「気にすることはねえぞ。ひと眠りしたオレは快調だ」


 加藤の表情が明るくなった。


「えっ、恵子じゃなくて加藤くんとデートなの?」


 田中は桐山に突っ込まれた。

 恵子はなんだかソワソワしているようだった。

 他の四名、倉田に白浜、今度こそ覚えたつもりの佐藤と島田は特にどうということもなかった。


「これはだな、男の約束だ」


 そう言って田中は加藤を促した。


「3号館だよな、行くぞ」

「はい」


 田中が加藤よりも先に歩きだしていた。

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