15 実習生
「徳山 拓巳です。約三週間の短い間ですか、お世話になります」
頭を下げたその人に女子たちが一斉に色めき立つ。溜め息と一緒に無数のハートが乱舞する。
「徳山先生は蒼智学院大学の3年生で地理の担当です。こちらの日程の調整が付かなくて修学旅行間近だけど実習に入ってもらいました。皆さんよろしくお願いしますね」
副担で地理の宇佐美先生が壇上で紹介をする。
「蒼智ってところもポイント高いよね」
「なんか育ちが良さそう」
「修学旅行に引率してくれたりして」
「地理を選んで良かったぁぁ!」
東高に入って一年半、同級生男子はもちろん男性教師にも興味を示さない女子たちがイケメン俳優を生で見たような騒ぎっぷりを初めて目の当たりにする。
…というか、本当にイケメン俳優に引け劣らないほどの爽やかイケメンだ。
ガクちゃんも爽やかイケメンだけどタイプが違う。ガクちゃんは筋肉質な男らしい体育会系の爽やかイケメンで、徳山先生は知的でやや中性的な王子様系の爽やかイケメンだ。
「よりにもよって、すげーイケメン来たな。永田姐さんや斉藤さんまで目がキラキラしてたよ」
これで永田さんの機嫌が良くなれば、浜島への態度も軟化するかも……。すると良いのにな。
朝のホームルーム後は、女子たちが徳山先生の話しで持ちきりだった。
「かっちりとスーツ、みたいなオヤジ臭いやつじゃなくてジャケットでスマートカジュアル寄りのセンスがツボ。マジで惚れそう」
岩崎さんグループの栗原さんがガクちゃんと話している。
「あれ? 栗原さん、彼氏いなかったっけ?」
「もう東堂くん、それいつの話し? 七月に言ってた彼氏なら九月前に別れたわ。その次の彼氏と最近終わったところ」
「サイクル早っ! まぁ徳山先生、確かに格好良いよな。好きなタイプとかさり気なくお訊きしておきましょうか? お嬢様」
「遠慮しとく。自分で訊くわ。他人に訊いてもらうなんて話すチャンス一回分無駄にしてるようなものだもん」
「栗原さんの爪の垢を東高男子に売ったらボロ儲けできそうだな」
楽しそうに会話して栗原さんが岩崎さんたちのところへ戻って行くと、ガクちゃんが僕に話し掛けた。
「徳山先生って少し畠中ちゃんと似てない?」
「ちょっ、ちょっと、何言ってるの!? 全然違うって」
唐突なガクちゃんの言葉にびっくりした。
似てるわけないよ、徳山先生は髪もサラサラで背も高くて笑顔も爽やかで───
「そうかなぁ? 線が細くて知性派っぽい感じとか、綺麗な顔してるのにチャラくなくて落ち着いてる感じとか」
いやいやいやいや、女子に聞かれたら大ブーイングだよ。お願いだからもう二度とそんなこと口に出さないで欲しい。僕が勘違いしてると思われて不当な口撃されるに決まってる。
聞かれていたら恥ずかしいな。さり気なく窓際前方に固まる女子たちを確認する。
久保さんや斉藤さんと一緒に永田さんの長い髪を結いながら楽しそうに笑っている彼女。どう見てもこちらで話していることなど聞こえていなそうだ。完全に取り越し苦労、というより無駄に気にしすぎ。僕はいつからこんなに自意識過剰になったんだ?
自分の感情に名前をつけてしまった瞬間から、穏やかだった僕の世界は一変した。
正確に言えば本当は何一つ変わってなどいない。
相変わらず太陽は東から西へと沈むし、恐らく時計も同じ速度で時間を刻んでいるはずだ。空気に色や味がついたわけでもなく、匂いも変わらない。
僕の中にあった彼女に対する気持ちも、名前がついたことで昨日までと別種類のものになったわけではない。
ただ名前がついたことで、輪郭ができてしまった。気持ちに形はないなんて言うけれど、名前がついた時点で形が備わったのと同じことだ。
その形が目に見えないだけ。触って確かめることができないだけ。それでもちゃんと形はあるのだ。
“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”なんて言葉があるけど、逆もしかり。
嫌いな相手に対しては着ている物まで憎たらしく見えるというが、好きな相手のことは髪の毛先も歩き方も、友人の髪を結っている指先さえも見惚れてしまう。
恋は盲目。
自覚症状が出てしまったら、それまでの世界とは別世界。
僕はきっと元の世界にはもう戻れない。
◇
徳山先生が他のクラスの地理の授業から帰ってくる度にそのクラスの女子たちがハートを飛ばす。一時限目、二時限目と行く先々で雪だるま式に女性ファンを増やし、社会科準備室も職員室も落ち着かなくて徳山先生が休まらないからと、空き時間を2年2組で過ごすように宇佐美先生から提案されたらしい。
「ゼミの助教授がここの出身で紹介されて実習が叶ったんだけど、まさかこんなに女子が多いとは」
大学でもモテそうなのに、実習先で初日からモテにモテまくっている状況に圧倒されているらしい。昼休み時間に僕たちの近くに座り朝よりもだいぶ疲弊した顔で徳山先生が苦笑いした。
廊下には徳山先生を見に来ている女子たちが黒山の人だかりを作っている。気づかないわけはないけれど、努めて意識しないよう振舞って男子の輪の中に紛れていた。
「先生、何かスポーツやってるの?」
サッカーに自信のある尾崎が訊く。
「高校まで剣道とフットサルやってた。大学に入ってからは塾講師とファミレスとボウリング場のバイトを掛け持ちして、本格的なスポーツからはだいぶ遠ざかってるよ」
「こいつ、先生がイケメンで女子たちが騒いでるから、対抗意識持って自分が勝ってそうなこと訊いてやんの」
小池がニヤニヤと尾崎を指差して冷やかし、尾崎が不貞腐れる。
「体力じゃ君たちに比べたらすっかりオッサンだよ。別にに張り合わなくても尾崎くん充分に格好良いじゃん。モテるんじゃないの?」
「中学時代まではまぁ、それなりに。告ってくれた子とかいたけど高校になったらサッパリ」
尾崎もまた東高の黒魔術の贄になってしまった一人だろうな。
すらりと引き締まった体躯や健康的にやや日焼けした顔はすっきり整っているし、真っ黒な髪がクールな印象を一層引き立てている。尾崎は東高じゃなかったら間違いなくモテ部類に属していると思う。
「女子って高校生くらいが年上に一番憧れる時期だと思うよ? 俺、高校の時、まさか自分が大学生になって教育実習で女子高生にこんなに気に掛けてもらえるなんて思わなかったから」
「先生、それ謙遜でしょ。まず俺らと先生じゃルックス偏差値が違いすぎるよ」
小池の言葉に徳山先生が吹き出す。
「それは俺が大学生だからだよ。高校の時は全然イケてなかった。ずいぶんマシになったんだよ」
「大学生になったら垢抜けるもん?」
「十代が終わったら変わってくるよ。高校の卒アルの自分を封印したくなくなるくらい雰囲気変わると思うよ」
「そんなもんかなぁ」
先生の女子人気に斜に構えていた男子たちも、なんだかんだで手玉に取られている。大学生から見たら僕たちはまだまだ子供なんだろうな。
放課後になり、女子たちの包囲網かと思えば男子たちが大学生活や恋愛観を聞きたがり徳山先生はなかなか解放してもらえないようだった。
僕はその輪から適当に抜け出して、帰り支度で進路資料室へ向かった。
隣りの相談室から聞こえてくる声。なんとなく今日は来ている気がした。彼女、昨日二者面談だったみたいだから。
中野先生の話し声が聞こえ、僕はもう一人の声の主が資料室の方の扉を通ってくれることを期待して待った。
「そうそう、実習生の徳山くん、平岡さんたちのクラスだったわよねぇ? 大変だったでしょ?」
今日は内扉が少し開いていて中の声がよく聞こえる。盗み聞きしてるみたいで後ろめたいから閉めに行った方が良いのかなと思ったけど、それも微妙に気が咎めて結局そのままにした。
「大変……ですか?」
「徳山くんハンサムだから女の子たちが大騒ぎしたんじゃない?」
「あはは、そうですね。大騒ぎでした」
平岡さんの笑い声が弾んだ。
「あれだけハンサムな大学生が実習に来るなんて、女子高生にとったらテレビドラマの世界よねぇ。いいわねぇ、徳山くんみたいな甘いマスクの大学生が実習に来るなら私も女子高生に戻りたいわ」
「そんなこと言ったらご主人とお子さんが悲しみますよ」
「いいのよ、言ってるだけなんだから。それにね、ときめきがないと女は錆びちゃうのよ」
「じゃあご主人にときめいて下さい」
「平岡さんはお堅いのね。徳山くんの話題にも反応薄いし。周りの皆が騒ぐようなハンサムには興味ないの?」
「うーん…、よく分かりません。確かに格好良いと思いますし、優しそうで素敵だとも思いますけど」
「けど?」
「私、恋愛に向いてないみたいです」
「あはは、何言ってるの! まだ十七になったばかりでしょ。その若さで枯れたこと言ってちゃダメ。人生長いんだから」
「です、ね」
「ほら、笑ってごまかさないの。まあ、今は受験に専念する時期で正解だけど。受験の相談に来た生徒に恋愛勧めてる進路指導担当なんてPTAから苦情来ちゃうわ」
「まったくですよ」
「でもね、私なんかとか恋愛向いてないとか、自分を決めつけて後ろ向きなこと言っちゃダメ。これからどんどん色んな自分を発見していくわよ。あなたの進みたい道は、後ろ向きになってたら振り落とされちゃう世界だと思うけど?」
「そうですよね……」
「ほら、すぐそうやって自信を失くす。あなたは努力家なんだし、もっと自分に胸を張って良いのよ」
「胸を張ったら凹凸がないのがバレちゃいます」
「おや、そう来ましたか。もう少し大人になったらいい男に大きくしてもらいなさい。うふふ」
「せっ、先生?!」
「はい、今日は終わり。頑張ってご家族を説得しなさいよ」
内扉が開く音がして平岡さんが出て来た。
会うことを期待していたとは言え、彼女に対する自分の気持ちを認識してしまうと、やっぱり面と向かうのはこれまで以上に恥ずかしいし緊張する。
しかも、聞こえてきたのが胸の話しとか。この展開は拷問すぎる。
「……ねぇ、畠中くん、聞いてたでしょ。顔が赤いよ?」
「えっ? あ……、うん、ごめんなさい」
「嫌だもう、恥ずかしい」
平岡さんは今にも顔が青ざめそうなほど大きく落胆して、手のひらで顔を覆った。
「ごめん、不可抗力です。ホント、ごめん。ごめんなさい!」
「……どのへんから?」
「へっ?」
「どのへんから、聞こえてた?」
「な、中野先生が、と、徳山先生を格好良いって……言った辺りから……かな」
「嘘ぉ、そんな前からぁ?!」
彼女はヘナヘナと崩れるように、扉の横の本棚に寄り掛かった。
「ちょっとどうしたの? 虫でもいたの? ……って、あら」
嘆く平岡さんの声に中野先生が顔を出した。
「2組の子だったわよね? 確か夏休みの直前にも二人でここにいたわね。あなたたち、付き合ってるの?」
「ちっ、違いますっ! 違います、違います、違います!!」
彼女の言う通りなんだけど、ムキになって否定されてちょっと傷つく。しかも違いますって四回も…。
平岡さんの放つ “違います” が一回一回槍のようにグサグサと僕を貫く。更に富樫の顔が頭の中をチラついて傷口に塩が塗られた気分。釣り合うだなんて微塵も思ってなくても、全力で否定されるとダメージ喰らうもんなんだな。
「冗談よ。平岡さんホント、何でも真に受けるから面白いわ。彼、徳山くんにちょっと雰囲気似てるじゃない。いいじゃない、付き合っちゃえば?」
「もう、先生。冗談キツすぎます。ホントやめて下さい」
ムキになりすぎて紅潮した頬を手で扇ぎ抗議する彼女を中野先生が笑う。完全にからかわれてる。
でも、目の前 で“ホントやめて下さい”は傷つきます。




