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「……で、どうしたんですか?」
向かいに座る制服姿のさとみちゃんが、どこかとげのある口調で言った。
新学期のことで相談したい、とさとみちゃんに誘われて、僕たちはファミレスにいた。お昼時をやや過ぎた時間帯。春休みのファミレスは主婦・子供に加え、僕たちのような学生客でにぎわっていた。
バレンタインの日に貰ったチョコのお礼(バレンタインチョコではないのでホワイトデートは違う)ということで、パフェをおごってあげて、新学期のことを話しているときは楽しそうだったんだけどなー。
「うん。まぁ、なんとかごまかすことができたよ。三倍返しだけに、プレゼントはあと二回残っているんだって」
「合計して三回で、三倍返しですか?」
「うん。来月と再来月にもあるって、ね」
苦しみ紛れでとっさに思い浮かんだ案だったけれど、「それならよいのです」と、思いのほか先輩は喜んでくれてほっとした。こちらとしても、貰ったチョコレートの三倍を考えずに、似たようなお菓子を返せばいいのだから、楽である。
「あれ? でも来月って、美崎先輩はもういないんじゃ」
さとみちゃんが首をかしげて不思議そうに尋ねてきた。
「え? どういうこと」
「だって。さっきの上原せんぱいの話だと、美崎先輩は卒業して東京に行くって言ってたじゃないですか」
「……え? 卒業? 東京に行く……?」
僕は少し考えて、その言葉を聞いてさとみちゃんが勘違いをしていることに気付いた。
「東京に行くのは、卒業式の翌日の土日だけ。画家をやっているお父さんの個展のパーティに出るためで引っ越したわけじゃないよ。月曜日からは普通に学校に来ていたし」
「え、でも……」
「それと綾莉先輩は二年生だから、卒業するのは一年後」
「え、えぇぇっ」
驚きのあまり、さとみちゃんのスプーンからパフェが零れ落ちる。
「わっ、危ない。気をつけて。せっかくの新しい制服が汚れちゃうよ」
「だ、大丈夫ですっ。なんとか死守しました」
今年の春から同じ高校に通うことになる新一年生のさとみちゃんは、ははは、と顔をひきつらせて笑った。パフェは机に落ちただけで、どうやら服に落ちることはなかったようだ。さすがに入学前に汚すわけにはいかない。
待ち合わせ場所に制服姿で来たさとみちゃんを見かけたときは驚いたけど、届いた高校の制服がよほど嬉しかったのだろう。
「綾莉先輩のこと三年生だと勘違いしていた?」
「はい。何となく。物腰って言うか雰囲気で。大人っぽくはないんですけど」
うん。それは分かる気がする。
「それに上原せんぱいが卒業式のことをたくさん話題にしていたから、つい……」
卒業式の翌日が三月十四日で、綾莉先輩が東京に行く日だからついつい話に出していたけど、紛らわしかったかもしれない。
よく考えれば、さとみちゃんが綾莉先輩と直接会ったのは、確か夏休みのスーパーのときだけだ。あとは、中学校の生徒会OBとしてさとみちゃんと話をするとき何度か話題に上がったくらいだろう。三年生と言った覚えはないけれど、二年生とも言っていなかったと思う。
「ぶー。変だと思ったんですよ。卒業しちゃうって言うのにホワイトデーのことばかりで、卒業プレゼントとかお別れとか、そっちの話なかったから~」
さとみちゃんがぶーたれる。勘違いしていた自分が恥ずかしいのか情けないのか、どこか不機嫌そうだった。
「ということは、美崎先輩は、正真正銘あたしの『先輩』になるわけですね」
「うん。……あ、そうだ。さとみちゃんも哲学部に入部してみる?」
せっかくなので、青田買いをしてみた。
さとみちゃんは、うーんと首をかしげて答えた。
「部活の方は……まだ決めてません」
「そっか」
ちょっとがっかりする。まだ先の話だけれど、僕が卒業した後のことも考えて、新入生を確保しておきたかったんだけなぁ。
そんな僕に向け、さとみちゃんがパフェを口に運んで、どこか挑戦的な笑顔を見せた。
「でも、生徒会に入るってことは、もう決めてますよ」
エピローグ
「橋本先輩、また競馬ですか? 今週の本命はなんですか?」
一大イベントである入学式も終わった生徒会室はしんとしていた。無駄に雑多な部屋にいるのは橋本会長と僕だけで、他のメンバーは誰もいなかった。――まぁいつものことなんだけどね。新入生のさとみちゃんも、今日は教員主体のオリエンテーションに参加していて不在だし。
「――懐かしいね、その呼び方。卒業式のときもそうだったね」
僕の言葉に会長はくすりと笑って、新聞を置いた。僕もにやりと笑って応えた。
「ええ。生徒会の仕事をしない方は『生徒会長』でもなんでもありませんからね」
前年度の卒業式のときは、あまりに仕事を僕に丸投げして生徒会室にも来ないので、頭に来てわざと「会長」を外して呼んでいた。それを思い出して、つい口に出てしまった。――橋本会長いわく、僕を鍛えるためあえて仕事を回していたというけど、実際はどうなのだか。
まぁ、最終的には、橋本会長やみんなに助けてもらったんだけどね。
「たまには良いじゃないか。昨日はしっかりと生徒会長らしく仕事をしていただろう」
「ええ。僕が誰かさんが紛失した資料を探し出した後に、ですけどね。ただ、人がせっかく買ってきたお菓子を勝手に取っていくのはどうかと思いますが」
「ん? お菓子?」
橋本会長がきょとんとした顔を見せた。
予想外の反応に、僕は思わず会長の顔を見つめ返してしまう。
さとみちゃんを使って、部室からクッキーを盗み出す。橋本会長ならやりかねないと思っていたけれど、それは僕の反応を楽しむためであって、こう無反応なのはおかしい。
あれ……? ということは、もしかすると……
「ん? どうしたのかね」
「いや……仕事は無いようですので、部活に行ってきますね」
会長と話して僕は、昨日の事件の真犯人が誰なのか確信した。
「失礼します」
鍵のかかっていない扉を開けて、僕はいつものように哲学部の部室に足を踏み入れた。
綾莉先輩は窓際に椅子を寄せて佇んでいた。初めてこの部室に訪れて先輩と出会ったときと一緒の光景だった。
あのころは、どこかつかみどころのない先輩という印象で、何を考えているのか分からなかった。けれど今は、綾莉先輩はとてもご機嫌であることが手に取るように分かった。
「機嫌良さそうですね」
「はい。雨の日は気持ち良いのです」
振り返った先輩が満面の笑みを浮かべて言った。
昨日は閉まっていて蒸し暑かった窓が今日は開いているので、少しひんやりとした風が入ってくる。空気がとてもきれいな感じがする。
「今日はいいですけど、雨の後って、地面に落ちた花粉が一斉に舞って大変みたいですよね」
「……私は今を生きる女なのです」
いまちょっと、間があったぞ。
僕はカバンを机の上に置いて椅子に座った。背もたれに身体を預けながら、綾莉先輩の横顔をじっと見つめる。昨日ロッカーに入っていたほづみは部活、さとみちゃんも新入生オリエンテーションだし、久しぶりに二人きりだ。もうしばらくしたら、去年のように一学期に行われる文化祭の準備で忙しくなってくるんだし、こうやってのんびり先輩の顔を見て過ごすのも悪くない。
綾莉先輩は、僕の視線に横目で気にしつつも、ぼけらぴーと外を眺めている。
「佐以くんも、外の景色が見たいのですか?」
そんな奇妙なにらめっこ(?)で先に折れたのは先輩の方だった。
「いいえ。綾莉先輩を見ていたんです」
「そうですか。このような顔でよろしいのならいくらでもどうぞ」
綾莉先輩は全く動揺した様子もなく切り返してきた。
せっかく珍しく気の利いたことを言えたのに、ちょっと残念。
けれど先に折れたのは、心にやましいことがある証拠。――僕は確信した。綾莉先輩の言葉に少しとげが合った理由は分からないけれど。
僕は直球で切り込んだ。
「いえ。それより昨日のクッキーですが……食べたのは綾莉先輩ですよね」
「食べていないのです」
綾莉先輩は即答した。
予想通りの答えが返ってきて、僕は軽く笑った。
「昨日から、綾莉先輩は何回も『食べてないのです』と言っていますね。ええ。確かに嘘は言っていないかもしれません。――では、質問を変えます。クッキーを取って隠したのは綾莉先輩ですか?」
昨日のクッキー盗難事件は、橋本会長にそそのかされた中島さとみちゃんが犯人だったということで解決した。
僕も最初はそれに納得したんだけど、しばらくして違和感を覚えた。そしてさっきの会長との会話で確信した。あの人は、黙っていて楽しんでいるにしても、何らかのリアクションを見せる人なのに、それがなかったからだ。
綾莉先輩は、さとみちゃんに尋問しても会長をかばって誤魔化されるだろうと言っていた。分からなくもないけれど、あくまで可能性の話で根拠に乏しい。なのに、なぜそう言ったのか。僕がさとみちゃんや会長に対して尋問しないように牽制したのではないか。
それに綾莉先輩は知らないけれど、さとみちゃんが生徒会室を出て行ったのは、僕が部室を出てからだいぶ後である。仮にそのまま部室に向かったとしたら、綾莉先輩やほづみ・兵吾と鉢合わせする可能性もある。
そもそも「ロッカーに隠れていたのです説」は花粉症で頭が回らなかったにしても稚拙すぎる。「さとみちゃん犯行説」とともに、まるで真実から僕を遠ざけるかのような発言。そう考えれば、やっぱり綾莉先輩が一番怪しい。
けれどあえて昨日そのことを指摘しなかったのは――
「ふん、なのです」
先輩は悪びれた様子もなく、むしろぷくっと膨れてそっぽ向いた。その態度は犯行を認めているようなものだった。僕は苦笑した。
「――良かった。あれは綾莉先輩のために買ったお菓子でしたから」
僕の言葉に、綾莉先輩が驚いた様子で顔をこっちに向ける。
僕は悪戯っぽく微笑んで告げる。
「ところで、一ヶ月前のこと、覚えていますか?」
「私、てっきり佐以くんが忘れていたと思って……」
今日は四月十四日。ホワイトデーの三倍返しの二回目の日だ。自分で言うのもあれだけど、律儀な僕が忘れるわけがない。……そう言えば、昨日綾莉先輩が拗ねる前、十三日の金曜日がどうのこうのって言っていたけれど、あれってもしかしたら、このことを暗に言っていたのかな?
綾莉先輩は机の上に置かれたかばんに手を伸ばす。中から出てきたのは、昨日のクッキーだった。ホワイトチョコをコーディングした白いクッキー。レジ横に置かれていたのが目に入って、思わず買ってしまったものだった。
「仕返しに、今日これを一人でひっそりと寂しく食べようと思っていたのです」
その光景を想像して少し笑ってしまった。
「一緒に食べてもいいですか?」
僕が尋ねると、綾莉先輩はどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。
「はい。バレンタインのチョコを私も頂いたのですから、是非どうぞ」
綾莉先輩は机の上に置いたクッキーの袋のひもを解いた。甘くて香ばしい香りが漂ってくる。
僕はカバンの中から、先輩用に買ってきた甘い紅茶と自分用の緑茶を取り出して、簡単なお茶会が始まった。
「でも先輩が白状してくれてよかったです。隠したのはいったんトイレットペーパーを置きに来たときですか? でもよく分かりましたね」
「匂いで分かりました」
「え? でも」
「花粉症だからとずっと鼻が詰まっているわけではないのです。くしゃみをした後は特に敏感になるのです」
「へー、そうなんですか」
綾莉先輩が部室でくしゃみをしていたとほづみが証言している。なるほど。そのとき匂いに敏感になってクッキーの存在に気づいたのか。
と感心して、自分が花粉症設定だったことを思い出して少しうろたえた。そんな僕に向け、綾莉先輩はくすりと笑って告げた。
「佐以くんが花粉症ではないことは分かっていたのです」
「え?」
「昨日締め切りの窓を開けました。いくら薬を飲んでいても、あまり窓は開けたくないものなのです」
「あぁ。なるほど」
そのときに既にばれていたのか。
だからこそ、あのとき綾莉先輩は堂々と「花粉症なのです」と誤魔化したのだろう。
「それにしても、綾莉先輩のことだから、クッキーがホワイトデーのお返しだってことに気づいているんじゃないかなと思ったんですけど」
だからこそ持っていったのかなと。ほづみや兵吾の手前、照れくさくて聞けなかったけれど。
「そ、それはその……佐以くんが十四日のことをすっかり忘れていた様子だったので、ついむっとしてしまいまして、そこまで考えが回らなかったのです」
綾莉先輩が恥ずかしげに視線を逸らす。
「先輩が、むっとなるなんて珍しいですね」
「あの……い、以前言ったかもしれないのですが、どうでもいい人に対してはそのようなことはないのです。大切な人だからこそ……」
「ああ、分かりますよ」
ぼそぼそとしてよく聞き取れなかったけれど、綾莉先輩とはもうすぐ一年になる付き合いだ。言いたいことは分かった。花粉症だから、なんてボケたことを言うつもりもない。
「甘いものの恨み、ですよね」
「――――っっ」
なぜだろう。昨日に引き続き、先輩が拗ねてしまった。
ホワイトクッキーを頬張りながら、僕はぼんやりと綾莉先輩が閉じこもっているロッカーを見つめた。
完結しましたー。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
ちょっとした仕掛けが上手くいったかは分かりませんが、考えていて楽しかったです。




