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幸せな日常

「……ちゃん、桃香ちゃん」


 誰かに肩を揺すられる。


「桃香ちゃん、起きて」

「…………ふぁ?」


 呼ばれた自分の名前にゆっくりと意識を覚醒させ、今の状況を確認する。


「えー……んー……?」


 桃香が周りを見回すと、そこは夕暮れの図書準備室だった。


「ほら、図書室閉めちゃうから。起きて起きて」


 言いながら千明が帰る為の身支度を始める。


「え? …………あぁ!」


 ガタン、と音を立て、慌てて桃香が椅子から立ち上がる。

 桃香は今日、千明と一緒に図書委員の受付担当の日だった。

 けれど、委員の仕事中何度もあくびをして物凄く眠たそうだったのを見て千明が気を遣い、図書準備室で少し休んできていいよ、と言ったのだ。


「あぁ、何て事……。すみません、千明先輩! 本当にすみません……!」


 だがそこで桃香は、ちょっと休憩するどころか、最後まで思い切り熟睡してしまったという訳だ。


「ううん、別にいいよこれ位。凄く眠そうだったもん、桃香ちゃん。疲れてたんでしょ? 気にしないで」


 千明は笑顔でそう言ってくれるが、桃香は申し訳なさでいっぱいだ。


(気が緩んでるなぁ……)


 桃香が自分の頬をペチペチと叩く。

 最近こういう事が多い。

 授業で教科書を忘れて隣の席のあずみに見せてもらったり、体育の着替えを忘れて、どこからともなく現れた兄に渡してもらったり。


(どうしてだろう……)


 首を傾げる桃香に、千明が聞く。


「生活、落ち着いたみたいだね」

「あ」


 それを聞いて、自分の最近の気の緩みの原因を理解する。


「……はい」


 自然に浮かんだ素直な笑みを見せながら、桃香が頷く。

 迷惑をかけてしまった千明や皆には申し訳ないが、その気の緩みの原因に気付き、桃香はちょっとだけ嬉しくなってしまう。


「あ、そうだ!」


 そして、ふとある場所の事を思い出した。


「あの、千明先輩。もし良ければ、帰りに喫茶店に寄って行きませんか?」

「喫茶店?」

「はい。とっても素敵なお店を最近知ったんです。今日のお詫びに奢ります」

「喫茶店かぁ……」


 口元に手を当て、少しだけ考える素振りをすると。


「うん、いいよ」


 千明が誘いに乗ってくれた。


「やった! では、行きましょう!」


 忘れ物はしていないか、いつも以上にちゃんと確認してから鍵を閉めて、図書室を出る。

 職員室にその鍵を返した後学校を出て向かうのは、あの日景の育ての親が経営する喫茶店だった。

 一度しか行った事の無い場所だったが、わかりやすい場所にあったので迷わずに行けた。

 店に入ると日景の育ての親が少し驚いた顔をしたが、すぐにあの時同様楽しそうな笑みをニッ、と浮かべ、席に案内してくれる。


「美味しい~」


 注文した物が届いて、桃香が苺のミルクレープを一口食べるなり、顔をとろけさせた。


「うん、美味しいねぇ」


 千明はザッハトルテを食べている。


「んー! 幸せー」


 桃香がフォークをくわえて嬉しそうな声を出す。


「紅茶のおかわりはいかがですか?」


 するとそこに清四郎がやってきた。


「あ、じゃあお願いします」


 千明がそう言ってカップを清四郎のいる側に寄せる。


「お味はいかがでしたか? お客様」


 紅茶を注ぎながら、清四郎が妙に作った様な笑みを浮かべて千明に聞く。


「はい、とても美味しかったです」


 千明がそれに対して微笑みを返す。


「あ、私も紅茶おかわり欲しいです」

「おう、飲め飲め。ケーキは美味かったか?」

「はい、美味しかったです」

「そうか、そりゃ良かった。なんならまだ食うか? 小遣い無いなら日景のツケでいいぞ?」


 一方桃香に対しては、ある意味いつも通りの気楽な口調で話しかけてくる。


「い、いえいえ、十分です。そんなの兄さんに悪いですし」


 夕飯が入るかの心配や、お腹がいっぱいだからとかそういう理由ではなく、日景に悪いからと遠慮する桃香。

 胃のキャパシティ的には全然余裕らしい。


(初めてのお客さんに対しては普通の対応なんだなぁ)


 桃香が清四郎の千明への接し方を見て、あの態度は常連や親しい間柄の相手のみにする物だったと知り、驚く。

 何となく清四郎は、お客だろうが何だろうが、誰に対してもあんな感じだと思っていたからだ。


「じゃ、何かあったら声かけろよ」

「はーい」


 そう言って清四郎が去る。


「ん~♪」


 ケーキが美味しくて紅茶も美味しい。

 そして目の前には大好きな先輩。

 桃香が、正に今こそ至福の時だと幸せそうに表情を緩ませる。

 その顔を見ながら千明が嬉しそうに言った。


「桃香ちゃん、最近明るくなったね」

「え? んー……。……えへへ、そうかもしれません」


 否定せず、恥ずかしそうにしながらもそれを認める。


「本当に今、毎日が楽しいんです」


 桃香は本当にそう思っていた。

 昔は家にこもりがちだった苺香も、最近は友達の家に遊びに行く位元気になったし、用が無ければ部屋からまず出てこなかった柚良や紅梨も、今はリビングで過ごす事が多くなっている。


「全部、兄さんのおかげです」


 怪しいお面を被った、見た目も中身も変な兄。

 けれどその変人のおかげで、今は本当に毎日が楽しい。


「良かったね」

「はい!」


 沙椰の仕事が忙しいのもそろそろ終わり、これからは少しずつ帰宅時間が早くなっていきそうだという。

 そうやって仕事量を減らしていって、最終的には専業主婦になり、家事をしたりするつもりなのだ。

 ただ、沙椰はとんでもなく不器用なので、本当に家事が出来る様になるのか桃香も紅梨も心配だ。

 けれど、そんな心配もまた、楽しい。


「~♪」

「ご機嫌だねぇ、本当に」

「はいっ」


 本当に何もかもが楽しくて、桃香の日常は毎日キラキラと輝いていたのだった。

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