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序話 魔女との出会い②



 この世界には〝魔女〟と呼ばれる存在がいる。火を操り、水を操り、風を操り、土を操り、果ては人を操る。人知を超えたその各種能力を扱う者こそが、〝魔女〟だ。かつては恐れ崇められていた彼女たちに向けられる感情は、いつしか恐怖や嫌悪などの負の感情ばかりとなっていた。


 やがて、人々の間では魔女の排斥が始まる。


 それは「魔女狩り」として行動に移され、多くの魔女、あるいは魔女と思われた無実の人間が命を奪われた。かつては堂々と名乗り上げていた魔女たちは、次第に姿をくらませる。最後の大規模な魔女狩りからは、ひとりも本物の魔女は目撃されていない。


 そしてその大規模魔女狩りから40余年後、静かな森の中ではまた、ひとりの少女が魔女としてその身を追われていた。


 木々の間から差す光を浴びて輝く髪は鮮やかな金。双眸は真夏の木の葉のように美しい緑。しかし、日に焼けた健康的な肌や身につけている質のよい服は、すっかり土や草の汁で汚れきっている。


 息は上がり、肺は今にも焼け落ちそうだ。それでも少女は足を止めない。走る足を止めてしまえば、少女はこの命を投げ出すことになる。背後からは徐々に怒声と大勢の足音が近づいてきていた。


 死にたくない。まだ死にたくない。厳しく前を見据える緑の双眸にはうっすらと涙が浮かび、噛み締めた歯の間からは今にも悲鳴が上がりそうになる。泣き叫びたい気持ちを必死で耐え抜き、少女はさらに足に力を入れた。


 その時だ。限界まで使い切った少女の足はついにもつれ、その体は地面に飛び込んでしまう。


「こっちだ!」


「向こうで音が聞こえたぞ!」


「近いぞ、急げ!」


 追っ手たちの声が近づいてきた。少女は震える手足を懸命に励まし逃げようとする。それでも動いてくれない自分の体に、ついに彼女の目からは涙がこぼれる。


「……死にたくないよ……誰か助けて……っ!」


 神にすら見捨てられ、誰に祈ればいいのかも分からない。いっそ悪魔でも出てきてくれれば。そう思った彼女の前に、突如男の筋張った手が現れる。


 ぎょっとしたのは一瞬。次の瞬間、少女は現れた手に腕を掴まれ、何もないはずの空間に引きずりこまれてしまった。後には何も残らず、怒声を上げる揃いの制服を着た男たちはそこを何の違和感もなく通過していく。


「……うそ……」


 その様を、先ほどの場所から二、三歩進んだだけの場所で、少女は四肢をついて見送った。少女はこんなに近くにいる。なのに、誰一人としてこちらに気付かずに通り過ぎていってしまった。


 呆然と集団の後ろ姿を見送っていると、目の前に立っていた人物が声をかけてくる。


「大丈夫か?」


 それは落ち着いた低い声。不思議なほどすんなりと心に入ってくるそれに、少女は驚くことなく顔を上げる。


 少女を見下ろし立っていたのはひとりの男性だった。年の頃は少女の父と同じくらいかもしれない。40、50……60は行ってないように思える。


 ラズベリー色の髪は少しだけ波打ち肩際に揺れ、同色の双眸は声と同じ落ち着きを湛えていた。身につけているのはゆったりとした服で、一見の印象はローブと似ている。


「立てないか?」


 男性は先と同じ声音で問いかけてきた。はっとした少女は慌てて立ち上がろうとし――失敗する。半ばまで立ち上がったものの足がもつれ、その体は前に傾いだ。


 地面に向かうはずの少女を、男性は難なく支えてくれる。父や兄よりも腕は細く胸板は薄い。にもかかわらず、少女の全体重を難なく受け止めてくれた。その安定感が、そのぬくもりが、少女に安堵をもたらせる。


「~~っ、うっ、うっく……っ!」


 男性の胸に顔を押し付け、再び座り込んだ少女は嗚咽を漏らした。固く閉じた目蓋からは、それでも防げないほど涙が零れていく。


 少しの間を置き、ようやく落ち着いた少女は内心で静かに焦っていた。少女が座り込むのに付き合い屈んでくれたので、その身は未だに男性の腕の中。いくら安心したからと、見ず知らずの男性に縋って泣いてしまったことが気恥ずかしく、また申し訳ない。


 何と言って顔を上げるべきか。迷っていると、男性が軽く肩を叩いてくる。


「落ち着いたなら、あちらで茶でも飲むといい。歩けるか?」


 まるで動じていない様子で声をかけられ、少女は裏返った声で返事をして男性からそっと離れた。


 彼に示された方向を見ると、小さな二階建ての家が目に入る。その前には木で作られた机と椅子が四脚。机の上にはティーセットが並べられていた。


 誰か他にいるのだろうか。足を引きずるように歩きながら考えていると、突然家のドアが開く。


 中から出てきたのは、茶色の長髪を頭の両側の高いところでくくり、細いおさげにしている十歳ほどの少女だった。手にはタオルを持っており、髪と同色の双眸は活発な光を灯している。茶髪の少女はこちらに気がつくと、夏の花の様に明るく笑った。


「お姉さん落ち着きました? はいこれ、冷えタオルです。よければ使ってください。ささ、こっち座って」


 長いスカートも気にせず大股で駆け寄ってくると、茶髪の少女は元気よく手のタオルを少女に渡す。


「あ、ありがとう……」


 タオルを素直に受け取り、少女は勧められるまま席に着いた。その向かいに男性が腰を下ろす。


 何か声をかけようかと男性を見つめて迷っていると、ラズベリーの双眸が少女を映してきた。落ち着いた眼差しにどきりとして背筋を伸ばすと、男性は指先でタオルを示してくる。


「用意している間に使うといい。真っ赤だぞ」


 鏡がないので自分では分からないが、あれだけ泣いたら、その指摘が真実以外ありえないと素直に思えた。少女はもう一度礼を述べてタオルを目に当てる。ひんやりとした感触が気持ちいい。


「はーい、おまたせしました~。ファーラちゃん特製ハーブティーでーす」


 少しして、茶髪の少女が弾んだ声を上げて戻ってきた。少女はタオルを目からどかす。目の前に出されていたのは、薄紅色の澄んだ茶と並べられた菓子だった。


 その途端、四日間もまともな食事を取っていないことを体が思い出す。盛大に鳴った腹の虫に、少女は違う意味で真っ赤になった。しかし、男性も茶髪の少女もからかいを口にせず、むしろ優しい声音で話しかけてくる。


「ここまで逃げるのに苦労しただろう。もしよければ食事を取っていくといい」


「それがいいです。何でも作りますから、希望があったら言ってくださいね! あ、申し遅れました。僕はファーラ・リッドソンです。こっちのニーロ・リッドソンの娘です」


 茶髪の少女――ファーラはまず自身を、次に隣に座る男性――ニーロを手で示した。少女は居住まいを正し、礼儀正しく頭を下げる。


「はじめまして、私はブリジット・ベルです。ホバソの町に住んでいました。……あの、このたびは助けていただきありがとうございました。本当に、殺されてしまうかと思って、怖くて……っ」


 追いかけられた恐怖を思い出して、少女――ブリジットは目をぎゅっと瞑って体を強張らせた。


「ブリジット」


 ニーロが呼びかけてくる。出会った時から一度も変わらない声音に払われ、恐怖がふっと消え去った。目を開けると、ニーロは変わらず落ち着いた様子でブリジットを見つめている。


「まずは飲みなさい。この子のハーブティーは落ち着くのに最適だ」


 勧められ、ブリジットは小さくいただきますと唱え、言われた通りに茶に口を付けた。柔らかな香りと優しい味が鼻と口に広がる。覚えず涙が一粒こぼれるが、先ほどの涙とはまた少し違っているように思えた。


 頬を半ばまで伝ったそれと目元を袖口で拭う。自然と息がこぼれると、確かに体の力が抜けた気がした。ティーカップを握り締め視線を落としたままだが、その顔色は少し戻る。


 そんな彼女を、ニーロはじっと見つめる。


「ホバソの町、だったか。先日魔女裁判があった町だな。有罪の者が逃げ出した、と聞いていたが、君のことだったのか」


 確信の言葉が告げられ、ブリジットは視線を落としたまま小声で肯定を告げた。その彼女をファーラは労わるように見つめている。彼女も同じ経験があるため、その気持ちがよく分かるのだろう。


 魔女裁判。


 それは「神の教えから外れ人知の力を操る悪魔」、あるいは「その悪魔に従う悪しき者」とされた魔女たち、あるいは魔女と疑われた者たちがかけられる審判の儀式。


 王都をはじめとした各地の教会が主動し、その場で「有罪」と判断された者は、一人の例外なく死を宣告される。――その多くがただの可能性で命を奪われていることを、知る者は少ない。


「……なるほど、魔力があるのか。そのせいでひっかかったんだな」


 〝()〟方を変えたニーロが自らの目に映るものを口にすると、ブリジットはぎくりと体を強張らせた。


 しかし、一呼吸も置かないうちに落ち着きを取り戻す。反射のように恐怖してしまったが、彼女は確信していた。今自身が相手にしている人物たちが、如何様な存在か。


「……はい。特別何か出来るわけではないんですが、魔力はあるそうです。忌まわしき邪悪な種は芽が出る前に刈り取れ、と。どうかしてますよね。私、魔法のことなんて何も知らないのに」


 悲しげに笑う彼女の手を、ファーラが上から握り締める。全部は覆えない小さな手に引きずられるように顔を上げると、ファーラがにっと笑った。


「僕も魔女裁判かけられたんですけど、僕は真逆なんですよ。魔力はないけど魔法の知識があったから、魔女認定されて湖に沈められちゃったんです」


 あっけらかんと辛い過去を告げられ、悲しみと驚き、そして疑問がブリジットに押し寄せる。ブリジットは、てっきりファーラは本物の魔女なのだと思っていた。しかし、彼女の話だと彼女は魔力を持たない。魔力を持たない者は魔女ではない。


 ならば、彼女はどのようにしてここにいるのか。


 一瞬迷い、直後ブリジットは視線をニーロに向ける。それに気付き、ハーブティーを静かに飲む男のラズベリー色の双眸は、落ち着きを持ったままブリジットの緑の双眸と相対した。


 不思議な空間に引き込めたのも魔力が見えたのも、魔女の魔法がかかっているからだ、と思っていたが、事実は違うらしい。


「……ニーロさんが、魔女?」


 疑惑をたっぷり込めて呟くように尋ねる。ブリジットが困惑するのも無理はない。何故なら世間で魔力を帯び魔法を使えるようになるのは女性だけ――そう、魔女だけだとされているからだ。


 男は太陽の神聖な力を、女は月の魔性の力を得ることが出来る、という説が一般の知識として広がる中で、彼はあまりに異質な「真実」だ。


「そうなのです! 僕のお父さんは世界でたった一人。男性の魔女なのです! 僕もブリジットさんと同じで死ぬ直前にお父さんに助けてもらったんです」


 誇らしげに胸を張り、ファーラが疑問に答えた。やはり、という思いと、まさか、という思いで、ブリジットの頭はいっぱいになる。


「それはさておき、ブリジット」


 ティーカップを置き、ニーロが真面目な顔をした。ブリジットは背筋を伸ばし反射のように返事をする。


「はっきり言うと、君はもう自分の町には戻れない。別の魔女の元へ行くも良し、どこか遠い場所に旅立つも良し。時間をかけてもいいから、この先どうしたいか決めなさい。君の選んだ道に、必ず無事に送り出すことを約束しよう」


 真摯な眼差しが注がれた。本気で自分を思って言ってくれている、と悟り、ブリジットは真面目な顔でニーロを見返す。


「ありがとうございます。少しだけ、考える時間をください」


 深く頭を下げると、金色の髪がさらりと顔の横に落ちてきた。再び顔を上げると、ニーロは指先を顎に当て軽く首を傾げる。


「それにしても、君は随分落ち着いているんだな。今まで何人か魔力持ちや魔女扱いされてしまった者たちを助けてきたが、大抵こちらを責めてくるか、神に助けを乞うか、帰りたいと泣き叫ぶんだが」


 ファーラは逆に懐いてここに居座るようになった変わり者だが。そう付け加え、ニーロは軽く笑みを浮かべて隣に座る娘の頭を撫でた。嬉しそうなファーラの笑顔につられブリジットも思わず笑みを浮かべる。


 僅かな間を空け、その笑みは皮肉気なそれへと変わった。


「助けてくれたニーロさんを責めるなんておかしいし、祈っても神様は助けてくれなかったし、家族も結局、保身のために私を売りましたから」


 敬虔な信者だったブリジットは、いつも神々のために祈りを捧げ、その御許にいつか帰るため清く正しく生きてきたつもりだ。


 しかしその返しが魔女裁判と、その結果。愛した家族たちは、助けを求めるブリジットをあっさりと見捨て彼女に背を向けた。彼女にはもう、縋れるものなど残っていない。


 しんと静まり返る中、ファーラが段々とそわそわし始める。そして、ついに期待に満ちた顔をブリジットに寄せた。


「あのあの、お父さんのこと悪く思わないんですよね? 魔力あるんですよね? じゃあ、よかったらここで――」


「ファーラ」


 口早に何かを告げようとしたファーラを落ち着いた、しかし断固とした響きを持つ声が遮る。ぎくりと身を強張らせたファーラが恐る恐る振り向くと、ニーロは彼女を細めた目で見据えた。


「そういう真似はよしなさい、と言っているはずだ。分からないならお前も別の魔女の元へ送るぞ」


 表情は大きく変わらないが、ファーラにはすっかり父を怒らせてしまったことがよく分かっている。首を竦めて謝罪を口にすると、「ご飯の用意をしてくる」とそそくさと家の中に入って行った。


 一体何を言いかけたのだろう。小さな背中を見送り、ブリジットは内心で首を傾げる。勧められるままもう一口飲んだハーブティーは、やはり優しく温かい。ブリジットは久しぶりに、穏やかな気分に包まれていた。



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