序話 「魔女との出会い」③
ニーロが呼びかけてくる。出会った時から一度も変わらない声音に払われ、恐怖がふっと消え去った。目を開けると、ニーロは変わらず落ち着いた様子でブリジットを見つめている。
「まずは飲みなさい。この子のハーブティーは落ち着くのに最適だ」
勧められ、ブリジットは小さくいただきますと唱え、言われた通りに茶に口を付けた。柔らかな香りと優しい味が鼻と口に広がる。覚えず涙が一粒こぼれるが、先ほどの涙とはまた少し違っているように思えた。
頬を半ばまで伝ったそれと目元を袖口で拭う。自然と息がこぼれると、確かに体の力が抜けた気がした。ティーカップを握り締め視線を落としたままだが、その顔色は少し戻る。
そんな彼女を、ニーロはじっと見つめる。
「ホバソの町、だったか。先日魔女裁判があった町だな。有罪の者が逃げ出した、と聞いていたが、君のことだったのか」
確信の言葉が告げられ、ブリジットは視線を落としたまま小声で肯定を告げた。その彼女をファーラは労わるように見つめている。彼女も同じ経験があるため、その気持ちがよく分かるのだろう。
魔女裁判。
それは「神の教えから外れ人知の力を操る悪魔」、あるいは「その悪魔に従う悪しき者」とされた魔女たち、あるいは魔女と疑われた者たちがかけられる審判の儀式。
王都をはじめとした各地の教会が主動し、その場で「有罪」と判断された者は、一人の例外なく死を宣告される。――その多くがただの可能性で命を奪われていることを、知る者は少ない。
「……なるほど、魔力があるのか。そのせいでひっかかったんだな」
〝視〟方を変えたニーロが自らの目に映るものを口にすると、ブリジットはぎくりと体を強張らせた。
しかし、一呼吸も置かないうちに落ち着きを取り戻す。反射のように恐怖してしまったが、彼女は確信していた。今自身が相手にしている人物たちが、如何様な存在か。
「……はい。特別何か出来るわけではないんですが、魔力はあるそうです。忌まわしき邪悪な種は芽が出る前に刈り取れ、と。どうかしてますよね。私、魔法のことなんて何も知らないのに」
悲しげに笑う彼女の手を、ファーラが上から握り締める。全部は覆えない小さな手に引きずられるように顔を上げると、ファーラがにっと笑った。
「僕も魔女裁判かけられたんですけど、僕は真逆なんですよ。魔力はないけど魔法の知識があったから、魔女認定されて湖に沈められちゃったんです」
あっけらかんと辛い過去を告げられ、悲しみと驚き、そして疑問がブリジットに押し寄せる。ブリジットは、てっきりファーラは本物の魔女なのだと思っていた。しかし、彼女の話だと彼女は魔力を持たない。魔力を持たない者は魔女ではない。
ならば、彼女はどのようにしてここにいるのか。
一瞬迷い、直後ブリジットは視線をニーロに向ける。それに気付き、ハーブティーを静かに飲む男のラズベリー色の双眸は、落ち着きを持ったままブリジットの緑の双眸と相対した。
不思議な空間に引き込めたのも魔力が見えたのも、魔女の魔法がかかっているからだ、と思っていたが、事実は違うらしい。
「……ニーロさんが、魔女?」
疑惑をたっぷり込めて呟くように尋ねる。ブリジットが困惑するのも無理はない。何故なら世間で魔力を帯び魔法を使えるようになるのは女性だけ――そう、魔女だけだとされているからだ。
男は太陽の神聖な力を、女は月の魔性の力を得ることが出来る、という説が一般の知識として広がる中で、彼はあまりに異質な「真実」だ。
「そうなのです! 僕のお父さんは世界でたった一人。男性の魔女なのです! 僕もブリジットさんと同じで死ぬ直前にお父さんに助けてもらったんです」
誇らしげに胸を張り、ファーラが疑問に答えた。やはり、という思いと、まさか、という思いで、ブリジットの頭はいっぱいになる。
「それはさておき、ブリジット」
ティーカップを置き、ニーロが真面目な顔をした。ブリジットは背筋を伸ばし反射のように返事をする。
「はっきり言うと、君はもう自分の町には戻れない。別の魔女の元へ行くも良し、どこか遠い場所に旅立つも良し。時間をかけてもいいから、この先どうしたいか決めなさい。君の選んだ道に、必ず無事に送り出すことを約束しよう」
真摯な眼差しが注がれた。本気で自分を思って言ってくれている、と悟り、ブリジットは真面目な顔でニーロを見返す。
「ありがとうございます。少しだけ、考える時間をください」
深く頭を下げると、金色の髪がさらりと顔の横に落ちてきた。再び顔を上げると、ニーロは指先を顎に当て軽く首を傾げる。
「それにしても、君は随分落ち着いているんだな。今まで何人か魔力持ちや魔女扱いされてしまった者たちを助けてきたが、大抵こちらを責めてくるか、神に助けを乞うか、帰りたいと泣き叫ぶんだが」
ファーラは逆に懐いてここに居座るようになった変わり者だが。そう付け加え、ニーロは軽く笑みを浮かべて隣に座る娘の頭を撫でた。嬉しそうなファーラの笑顔につられブリジットも思わず笑みを浮かべる。
僅かな間を空け、その笑みは皮肉気なそれへと変わった。
「助けてくれたニーロさんを責めるなんておかしいし、祈っても神様は助けてくれなかったし、家族も結局、保身のために私を売りましたから」
敬虔な信者だったブリジットは、いつも神々のために祈りを捧げ、その御許にいつか帰るため清く正しく生きてきたつもりだ。
しかしその返しが魔女裁判と、その結果。愛した家族たちは、助けを求めるブリジットをあっさりと見捨て彼女に背を向けた。彼女にはもう、縋れるものなど残っていない。
しんと静まり返る中、ファーラが段々とそわそわし始める。そして、ついに期待に満ちた顔をブリジットに寄せた。
「あのあの、お父さんのこと悪く思わないんですよね? 魔力あるんですよね? じゃあ、よかったらここで――」
「ファーラ」
口早に何かを告げようとしたファーラを落ち着いた、しかし断固とした響きを持つ声が遮る。ぎくりと身を強張らせたファーラが恐る恐る振り向くと、ニーロは彼女を細めた目で見据えた。
「そういう真似はよしなさい、と言っているはずだ。分からないならお前も別の魔女の元へ送るぞ」
表情は大きく変わらないが、ファーラにはすっかり父を怒らせてしまったことがよく分かっている。首を竦めて謝罪を口にすると、「ご飯の用意をしてくる」とそそくさと家の中に入って行った。
一体何を言いかけたのだろう。小さな背中を見送り、ブリジットは内心で首を傾げる。勧められるままもう一口飲んだハーブティーは、やはり優しく温かい。ブリジットは久しぶりに、穏やかな気分に包まれていた。
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