情報は噂だけ
『四番、ライト、築城くん』
ウグイス嬢のアナウンスが球場内に響く。
俺は左打席へと向かう相手の四番打者を、マスク越しに見上げた。
(こいつ、戸波シニアの築城か)
俺は中学時代、ボーイズリーグに所属していたから、こいつと対戦したことはない。
だが噂は耳にしていた。シニアリーグでホームランを量産していた、リーグ屈指の強打者だと。
近くで見ると、身長こそそれなりにあるが、横幅はそれほどデカくない。
見た目からの印象だけだと、そんなに飛ばすようには見えないが……。
(まあいい。初球ストレート、アウトコースに来い)
新発田が一瞬の間を置いて頷く。
あいつはストレートをインコースに投げるのが好きだから、一球目からそこを突きたかったのかもしれない。
だがデータがない状況でホームランバッター相手に初球からインコースを投げさせるのは怖かった。
その一球目が外角の高めに来る。ミットは外角低めに構えていたが、まあいい。
もともと新発田はボールが、特にストレートが上下に荒れる傾向にあった。
だが球が多少高めに浮いても、空振りやファールを奪えるだけの球威はある。
投じられたボールは、若干ストライクゾーンより外側に外れていた。
築城も始めは打ちにいく様子を見せていたが、途中でバットを止める。
この球にバットを止めるということは、外角はそんなに好きじゃないのか、それとも単純に選球眼がいいのか。
二球目、初球と同じアウトコースへのストレートを要求した。
一球目が外れたからか、新発田が今度は素直に頷き、振りかぶる。
指先から放たれたボール、その球威は十分で、コースも悪くない。外角ギリギリ、ストライクゾーンに入っている。
このボールに対し、築城は動いた。
滑らかな動きで、スイングが開始される。
そのスイングは、新発田のボールを捉えていた。
大きな放物線を描く打球。けれど僅かに降り遅れたらしく、白球はレフト方向のファールゾーンへと切れていく。
(新発田のストレートを、あそこまで飛ばすのかよ)
コースは悪くなかった。球威も十分だった。
だからこその振り遅れだろうが、それでもあそこまで飛ばすのか。
とはいえファールはファール。問題は次の球をどうするか、だ。
外、外とくればセオリー通りなら次は内。
このレベルのバッター相手にストレートを三球連続は怖い。
ならば変化球だが、新発田の持ち球は大まかに言えばスライダーとカーブの2つ。
そのうちカーブは、腕の振りが途中で緩む上に制球も安定しない。今あえて使うボールではない。
となると選択肢はスライダーしかない。
幸い新発田は同じスライダーでも、縦に大きく落ちるものと、横に小さく曲がるものの2つを投げ分けられる。コントロールもそこまで悪くない。
小さいスライダーを、インコースへ。
しかし新発田は首を横に振る。
なんだよ、じゃあ縦のスライダーはどうだ?お前の決め球。それをあえて追い込む前に使う。
変化が鋭すぎる代償か、ストライクゾーン内に収まらないことも多いが、初見なら出だしがストレートにしか見えないだろう。ストライクゾーンから曲げれば空振りを奪える。
だがこのサインにも首を振る。
残りはストレートとカーブしかないが、あいつがカーブを投げたくて首を振るわけがない。
インコースへのストレート。
投げたい球はそれだろう。
ホームランバッター相手に投げるには怖すぎるボールだが、あいつはそれ以外首を縦に振りそうにない。
(ったく、こんなことなら初めからストレートのサインを出しときゃよかったな)
あれだけ首を振った後じゃ、ストレートを投げますよと言っているようなものだろう。
まあいい、好きにしろよ。インコースのストレートでもこいつは弾き返せるのか、早めに確認できると思えば悪くない。
三度目のサイン交換。新発田はそれでいいとでもいいたげに大きく頷く。偉そうに。
ミットをインハイに構える。ここだろ?お前が投げたいのは。一番力のあるボールを投げてこい。
空振りなら最高。ファールでも上々。ヒットでもシングルなら御の字だ。
投げ込まれた直球は、構えたところほぼドンピシャだ。ストライクとボールのちょうど境目の高さ。球に力も間違いなく乗っている。
このボールをスタンドに運ばれたら、もうこいつ相手にインコースは見せ球にしか使えない。
だから築城のバットが新発田のボールを捕まえた瞬間、急に身体が冷えた感覚に襲われた。
背中が冷たい。今の一瞬だけで背中にびっしょりと冷や汗が流れているのが分かる。
打球音は捉えたときのそれだ。センターがバックする。届くか?だが打球は失速気味だ。
フェンスギリギリで、センターがボールをキャッチする。
センターの俊足と、打球角度の高さが幸いした。
ギリギリ、新発田の球威が勝った。
新発田がガッツポーズとともに短い雄叫びを上げる。
対する築城は、淡々とした様子でバッターボックスを後にする。少なくとも俺にはそう見えた。
(こいつを、少なくともあと二回は相手にしないといけないわけね)
ありがたい話だ。無名校相手の練習試合で、こんなにも練習になる対戦ができるのだから。
ありがた過ぎて涙が出る、なんてのはさすがに大袈裟だが、頭痛の種であることは間違いない。
さて残りの打席、どうこいつを抑えようか……。